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【ノスタルジックじゃつまんない?】

2003年12月生まれ(7歳)
2008年6月生まれ(2歳)の娘の父親です。

16【Montag ist Kino Tag.】

1989-10-22 | 【イタリアに恋したわけ】
「もんたーくいすときのたーく」

「月曜日は映画の日」というキャッチフレーズで、毎週月曜日、ここHeidelbergでは映画が安くみられる。

当時の値段で、普段10DM→800円くらいのところが、月曜日には6DM→480円くらいに下がる。 日本とはえらいちがいだね。  
ただ、どんな映画もたいていドイツ語吹き替えなんだな・・・これが。
大都市に行くと字幕で上映しているところもあるんらしいけれど、ここHeidelbergでは、全部吹き替え。
だから、ドイツ人の多くはトムクルーズや、ロバートデニーロの「生の声」を知らないだよね。
なんか、ヘンだね? トムクルーズとかが、シリアスなシーンで・・・  

「Danke(ダンケ)!」だよ。

で、なんで、字幕なの?という質問を先生にしたことがある。

「ドイツ人は英語が割にできると考えられているけれど、映画をまるまる理解できる程の人ってほんの2~3割だし、だいいち字幕を読んでいると、映像に集中できないので、吹き替えの方が合理的なんだよ」って。

そっか、日本語の字幕は、一瞬で目に入るように(1秒3文字らしい)訳されているし、意味が理解できるけど、ドイツ語の字幕・・・考えただけでもこわいものがある・・・。とくにエディマーフィーの早口なんか、ドイツ語の字幕なんて追いつくはずもないっ!

今のキヨシには映画を理解するだけのドイツ語力がない。
なので、キヨシはKino Tagといえども、映画館に足を向けることはなかったわけだ。
ところが、あることを知り、映画を見に行かねば!!と思ったのだ。

そう。1989年の冬・・・かの松田優作が逝ってしまった。
このニュースを知ったとき、とても寂しい気持ちになった。

日本では、きっと大ニュースで、追悼番組とかやっているんだろうな・・・
でも、こっちじゃニュースにもならないし・・・まして、追悼番組なんて・・・
あ、そうだ!ちょうど、今、「ブラックレイン」を上映している!! 見に行かなきゃ!!

そう思い、月曜日を待つことにしたのだ。
ロベルトも見たいと言っていたので、一緒に行くことにした。
大阪の極道とアメリカの警察との戦い・・・って感じの映画。  
日本人の主演は、高倉健と、キヨシの大ファンの俳優松田優作。

松田優作は、この映画のオーディションを受けて選ばれたらしく、彼の意気込みの程が感じられる。あとで聞いた話だと、彼はこの映画で最後かもしれないとさえ思っていたそうだ。  

彼の最後の演技を、ここドイツで観ることになろうとは・・・。

しかし、問題が一つある。
そう。ドイツでは「吹き替え」だ。  
そう。 彼の肉声が聞けない・・・!!  
残念だけれど、それでもいい。そう思うしかなかった。
映画の内容はあらかた知っていたので、キヨシのドイツ語力でも、何とかついていけた。
所々、日本語も聞こえてくるので、あるシーンでは他のドイツ人より理解できたかもしれないね。
 
しかし!!!松田優作は、なんとセリフのほとんど総てが日本語だった。
日本語しか話していない。
英語の部分だけが、ドイツ語に吹き替えられていた。
高倉健は英語を話すシーンが多かったためにドイツ語に吹き替えとなり、「高倉健」ではない声だった。

映画が終わると、キヨシはロベルトに話をする。
この映画のいちばんの悪役である男は、日本でホントに亡くなってしまったんっだって。ロベルトはアンディガルシアのような大きな目をまん丸にして驚いた。

周りにいたドイツ人たちも、興味深げにキヨシに聞いくる。
で、その場にいたドイツ人が、キヨシに「あの役者によく似ているね」とい言ってくれた。

ロベルトも、「そうだよ、そっくりだよ!」って共感してくれた。

それからしばらく、ロベルトには「ブラックレイン」と呼ばれ、キヨシも優作になったつもりでいた。 それにしても、ここへ来てたった2ヶ月間で映画の大筋がつかめるまでのドイツ語の上達には、キヨシ自身、自分に驚かされた。

一所懸命頑張ったもんね・・・。

そろそろ、ハイデルベルクを離れる日が近づいてくる。
そういえば、何にも写真撮ってないな~

15【古城でのクリスマスパーティー】

1989-10-22 | 【イタリアに恋したわけ】
今週は、ハイデルベルク大学の主催で、古城でのクリスマスパーティ。

キヨシの通っている語学学校にも参加の案内がきていた。寮に戻り、エンリコに聞いてみる。
エンリコは、クリスティーナや、エレナは行くのか? と逆に聞いてくる。
彼女たちも行くらしいことを伝えると、エンリコは、  

 「キヨシはどうする?オレは行くよ」

とあっさり決めたようだ。
なんてやつだ!

「でも、パーティーに着ていける服がないんだよ・・・」
そう言うと、エンリコは、  

 「オレも大した服は持ってきていないから・・・もし、これで雰囲気にそぐわなかったら、やめるよ。キヨシもそれでいいじゃないか」

「そだね。雰囲気に合わなければ、帰ってくればいいわけだし」 ということにした。


翌朝、学校でわれらがプレジデントのシモーネにも聞いてみる。

シモーネは、案の定
 「彼女と一緒にちょこっとだけ行くつもりだよ」

「オレ、いい服もっていないから、あんまり気乗りしないんだよね」

そういうと、シモーネは、  
 「オレのイタリアンブランド(自慢げ)のジャケットを貸してやるよ!」

「それはいいね!貸してくれ!」

結局、シモーネのジャケットを借りることにした。
学校の帰り道、シモーネのアパートに行くと、彼女のコリーナがいた。
いえいえ、ここはシモーネのアパートではなく、コリーナのアパートだ。
コリーナとシモーネことを、少し話をした。
彼女はシモーネのことがとっても好きで、どこが気にいっているかというと・・・  
「シモーネのしたったらずなドイツ語がとってもキュートなの」だって・・・。
ま、仲良くしてください。

で、シモーネにジャケットを借りて着てみると・・・ サイズが大きすぎて・・・ジャケットがハーフコートになってしまう。

ま、パーティー会場に入れば、脱ぐだけだし、いいか。

そう思ってシモーネのお勧めのイタリアンのジャケットを借りることにしました。
寮に帰り、キヨシは、ジャケットにいろいろな服を合わせてみる。
結局、ブラックジーンズに黒のタートル、その上にはお気に入りのシックな茶系の花柄のシャツ・・・

「バッチシやん!」いい感じにまとまった。


パーティの当日
エレナ、クリスティーナが部屋に訪ねてきた。
本来なら、男の子がピックアップするのに、彼女たちがエンリコとキヨシをピックアップしに来てくれた。贅沢な身分だ。

キヨシをみるなり、クリスティーナは・・・  

「あらキヨシ!かっこいいじゃん!」

クリスティーナとキヨシのファッションセンスが合うみたいだ。
19歳のキヨシくんは、バッチシ決まった自分に満足していた。  
4人で、お城まで歩いて行く道で、2ヶ月間の留学生活ももう終わりだねと、少しさびしい話しになった。

みんな、この2ヶ月のコースが終わると帰るようだ。  

 「キヨシはどうするの?」 とエレナ。

「3月までは、ヨーロッパに残るつもりだよ」 そう応えると、  

 「じゃあ、ミラノに遊びに来てよ!」 とエレナ。

 「そうだわ、バルセロナにも来てよ!」とクリスティーナ。

嬉しいことを言ってくれる。  
そうだ、残りの2ヶ月は、みんなの家におじゃましよう!
そう決心した。  
エンリコも、「じゃ、3月に日本へ戻る前にウチもに来いよ!」
と誘ってくれた。
もちろんそうすることに決めた。
なんだか別れの日がどんどん近づいてきているんだなと思い、とたんに、別れがつらくなくなってきた。  

・・・それでもこの後、本当につらい別れになることは想像すらできなかった。  

さて、お城に到着すると、パーティーは、もう始まっていた。
どこぞの有名なロックグループも来ていて、ライブハウスのノリだった。
踊るのが大好きなキヨシはとっても楽しく過ごせた。
エンリコは、パーティの雰囲気が気に入ったらしく、クリスティーナと話し込んでいる。

中世の古城で、パーティー・・・あまりできない体験だな。

途中で、曲調がかわり、「今」ヨーロッパでブレイク中のランバダがかかる。
さすがのエンリコも、部屋で聞くぐらいのランバダなので、フロアに出て踊り始める。レスリーやモーリンもランバダが好きで、キヨシと一緒に手をつないで踊る。
キヨシも、ここ数週間で、ランバダをマスターしたようだ。
日本ではまだ、きっと流行っていないんだろうな・・・ 少しの優越感を感じる。  
そして、楽しかったパーティも終わり、ネッカー川沿いの夜道を仲良く歩いて帰った。

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翌日、あの大俳優が・・・キヨシの憧れでもあった、その俳優が亡くなったというニュースを知る。
まさか!!!ホントなの???

14【エレナの誕生日】

1989-10-22 | 【イタリアに恋したわけ】
明日はエレナの誕生日。

今日は、カルラと一緒に、エレンの誕生日プレゼントを買う約束をしている。
イタリア人の女の子は、いったいどんなプレゼントを買うんだろ?
とても興味があった。キヨシは、何をあげるかは、もう決めてあったが、カルラの買い物に付き合うことにした。
誰もが振り返るような美人さんとのデートだ。

旧市街の入り口にあるデパートでは、クリスマス前だということもあり、いろんなプレゼント用のコーナがもうけてある。  
カルラは、まず、きれいな箱を探す。

へぇ、まず先にプレゼントを入れる箱を考えているんだ・・・

ドイツにしては、プレゼント用のきれいな箱は、わりにセンスのいいものがたくさんあった。カルラも何をあげるかは、決めていたようで、適当な大きさの箱を探している。

何度も、「キヨシ!これはどう?・・・これは?」と聞いてくる。

さすがイタリア人だね。 センスのいいのを選んでる。しかも、ちゃんとエレナの雰囲気のことも考えている。  

キヨシもカルラもプレゼントを入れる箱が決まると、「あるもの」に目がとまった。ポプリっていうのかな? ドライフラワーで、いい薫りのする花だ。
キヨシの提案で、箱のなかに花を入れよう! と。
カルラもそれに同意した。
そして、カルラは箱に詰める中身を探し始めた。
カルラがエレナに考えていたプレゼントは、香水のアトマイザー。  

 「香水は、好みがあるから選べないの。だから、アトマイザーにするの」

さすが!そう思い、こころのメモに書き記した。(これは、日本に帰っても使える!?)

女性に香水をあげるのはかえって失礼だな。なるほど・・・。  
バースデイカードも買ってお店を出ると、カルラは早速、外のベンチでラッピングにとりかかる。
まず、箱の中に花を敷き詰めて、アトマイザーを入れ、 器用にリボンをかける。  
 「キヨシは、何をあげるの?箱しか買わなかったじゃない?」

「これを箱の中に入れるつもりなんだ。」と、あるものを取り出した。
 「キヨシ、それは何?」

「覚えている?この前の週末にベルリンに行ってきたんだ」  
 「あ、わかったわ!あの壁ね!素敵!!」

われながら、いい案だと思った。
エレナは、ベルリンに行きたがっていたし、持ち帰ったかけらは、いくつもあるし。かわいい箱のなかに、花を敷き詰めて「歴史の壁」のかけらをひとつ入れた。

誕生会の日、エレナはとっても喜んでくれた。
その日、キヨシは「誕生日おめでとう」というイタリア語を覚えた。      

Buon compleanno!

13【エンリコが初めて覚えた日本語】

1989-10-22 | 【イタリアに恋したわけ】
エンリコが、日本語に興味をおぼえたようだ。

でもそれは、あいさつの言葉ではない。

 「キヨシ、日本語ってどんな文字を書くんだ?」
ということだった。

まず、Enricoを文字で書いてみてくれと。  

[エンリコ] そう書くと、次は、キヨシを書いてくれと。  

[清]

 「なんでこんなに文字が違うんだ? 」

説明が始まった。
まず、日本語には、ひらがな、カタカナといった表音文字があり、漢字という表意文字があることを説明すると、納得したようだ。
例えば「本」という文字は、漢字で、よみかたは「ほん」になる。
これが、ひらがなと漢字の違いであり、漢字だけでは、日本語は表せないので、文章中に、必ずひらがなと漢字を混ぜて使うんだということもつけ加えた。
説明をしていて、日本語のしくみの複雑さをキヨシ自身も理解していく。

「日本語ってとっても面白いな」 キヨシの素直な感想だ。

これって、研究に値するかも・・・。
キヨシの言語学追求のきっかけともなった。
で、カタカナの説明。 基本的にカタカナなしで、文章は成り立つが、やはり不可欠。  

「カタカナは、基本的に外来語に使うんだ」

そう説明すると、「Enrico」は「エンリコ」になるんだということに納得したようだ。エンリコは、この異国の言葉のしくみが判ったようで、とても満足げだ。
そこで、キヨシに聞いてくる。

 「3種類の文字は、それぞれどんな名前だっけ?」

「ひらがな、カタカナ、漢字だよ」
 「ヒラガナ、カタカナ、カンジ・・・」

エレナの「フルイマチ」と同様エンリコはこのフレーズが気に入ったようだ。

「ヒラガナ、カタカナ、カンジ」 これが、エンリコの最初に覚えた日本語となった。

次は、文字の特徴について興味をおぼえ、エンリコの探求心に火がついた。
たくさんの文字を書いてあげた。
機内でもらった新聞なんかも取り出して、説明を始める。
新聞を見て、まずエンリコが驚いたのは、文字の書き方。
縦書き、横書きどちらでも良い、そのレイアウトに・・・。

 「なんて、便利な言葉なんだ・・・!」

ますます日本語が気に入ったよう。
エンリコがさらに質問してくる。

 「大文字、小文字はないのか? 何種類の文字があるんだ? 」

あ、そうだった、ヨーロッパ言語って、せいぜいが30文字。 日本語は・・・ざっと、50音で、濁音や半濁音、拗音をいれると70をも越えてしまい、なおかつ、ひらがなとカタカナ・・・小学生でも、150種類は、かるく覚えないといけない。

それに漢字!!!

いったいいくつあるんだ?
しかも一つの漢字で読み方は何種類も・・・ 音読み訓読み・・・熟語・・・
それでも、二人の言語談話は盛り上がる。

「漢字は・・・3000以上はあって、そのうち読んで書けてできるものは・・・ 2000ぐらいかな? 読めても書けない漢字もあるし・・・」

エンリコは驚いていた。
たとえば小学生だと、新聞をろくに理解できないし・・・ やっぱり、日本語って特殊だね。
という結論になった。  

そっか、言葉って、話せても、読み書きできない人がいる・・・・
キヨシだって、日本語を「総て」読み書きできるわけじゃなし・・・  
あ、人名漢字もあったっけ・・・  
とにかくこれがきっかけで、キヨシは言語の仕組みに興味を持つようになったのは間違いない。

12【古城で課外授業~ミニ遠足~】

1989-10-22 | 【イタリアに恋したわけ】
今日は、授業を早めに切り上げて、全員参加のミニ遠足の日。

遠足といっても学校から3~4キロはなれたところにあるハイデルベルク城の見学だ。
ドイツ語クラスのレベルが全然違うので、説明を聞くのがタイヘンだ。
エンリコが、初級の人たちに判りやすく説明し直してくれたりする。さすがは上級クラス!

が!プレジデントのシモーネは全く話を聞いていない。
彼にとって、旧市街などどうでもいいようだ。  
彼は、イタリアサルディニア島にあるホテルの御曹司らしく、観光で来るドイツ人のために勉強しに「よこされた」らしい。

-----
授業中も、よくキヨシに聞いてくる。
 「今、なんて言ったの?」
「時間を聞いているんだよ。」
 「あ、ケ・オレ・ソーノってこと?」
「だ・か・ら・イタリア語で聞き返してもわからん!って」
 「ケ・オラ・エともいう」
「わからん!っちゅねん!」
 「わからん・・は、イオノンカピスコニエンテ」
「シモーネ・・・わかった、オレもイタリア語を勉強するからキミはドイツ語を勉強してくれ」
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と、こんな調子だ。

さて、ハイデルベルクの旧市街を団体で歩いているんだけど、まさに多国籍!  
ドイツ人の先生を先頭に、オランダ、フランス、アメリカ、スイス、ギリシャ、イタリア、スペイン、スウェーデン・・・日本。(日本人はキヨシを含めて、3人だけ)
古城までは、坂道がずっと続いている。 エンリコ、エレナ、クリスティーナと一緒に歩く。
エレナが、キヨシに話しかけてきた。

 「旧市街:Alte Stadt(あるてしゅたっと)って日本語でどう言うの?」

「きゅうしがい」
 「他の言い方はないの?」

「ふるいまち」  
 「フルイマチ・・・いい響きね。気に入ったわ」

彼女のいい響きって、どんな基準があるんだろ?  

 「フルイマチ、フルイマチ、フルイマチ・・・フル・・・?キヨシ!なんだっけ?」
「ふるいまちだよ」  
 「そうそう!そうだったわ・・・フルイマチ、フルイマチ」  

相当気に入ったみたいね。  
ハイデルベルク城を一通り見て歩くと、地下の大きなワイン樽に集合。ここでは、ワインが試飲できる。
エレナは、相変わらず「フルイマチ、フルイマチ」とつぶやいていた。
ワインケラーのある地下の広場は、落書きでいっぱいだった。
みんなペンを取りだし、落書きをし始める。
キヨシが、漢字で書き始めるとみんな注目してきた。  
特にクリスティーナは、自分で書くのをやめてまで、聞いてくる。

 「キヨシ、なんて書いているの?」
「自分の名前だよ」

 「ねぇ、クリスティーナってどう書くの?」

[クリスティーナ]と紙に書いてあげると、  

 「なんで、キヨシのと違うの?」

そう。キヨシが書いたのは漢字で、クリスティーナはカタカナだったから、文字の雰囲気が違うことに気付いたようだ。
カタカナの意味や、ひらがな、漢字について説明すると、クリスティーナは納得した様子。 クリスティーナは、キヨシの書いたメモをみながら、カタカナで書いていく。  
その様子をみていたエレナは、好奇心旺盛なので、当然のごとく同じお願い。

 「エレナって書いて!」  

書いてあげると、「あら、とっても簡単ね!じゃ、フルイマチは?」

[古い街]と書くと、

 「これはカンジ?」 と、どうやら、少しだけ日本語の仕組みが判ったようだ。

エレナも、カタカナで落書きを始めた。
何とか、[古い街]も書けたようだった。  
そして、夕方・・・その「フルイマチ」を後にした。

部屋に戻ると、エンリコもやっぱり・・・聞いてきた。
カタカナと、ひらがなと漢字の仕組みを教えてくれ!と・・・。

11【ディスコテークに行く】

1989-10-22 | 【イタリアに恋したわけ】
ハイデルベルクは学生の街として知られているが、「ここ」っていう、プレイスポットがあまりない。

居酒屋や、バー、カフェ、シネマ・・・大した娯楽はない。  
ある週末、スウェーデンから来たモーリンと、仲良しのフランス人のレスリーと一緒に出かけることになった。
彼女たち二人はクラスも一緒で、授業の合間の休み時間には、キヨシも交えて話をしていた。
レスリーは、キヨシのベルリンの話を聞いてから、モーリンと行きたい!と話してくれた。
「そうそう、レスリー、キミのために、ベルリンの壁にキヨシの名前を彫りつけてきたから、行ったらその時は探してね。」  

「おぉ!キヨシ、カシコイカシコイ」

レスリーは「カシコイ」という日本語は、一般的な誉め言葉だと思っているみたいだ。どこで覚えたんだかね。

そんな、仲良しのレスリーとモーリンと一緒に遊びに行くことになった。  
モーリンは少しはにかみ屋さん。好対照で、レスリーは豪快。  
居酒屋で軽く食事をして、それからディスコテークに行くことになった。
レスリーは、居酒屋でだされたビールのジョッキをそのまま持ってきていた。
お土産として、もって帰るらしい。まったく、おちゃめだ。
それを見ていたモーリンがキヨシに真面目に聞いてくる。  

 「あのジョッキって、持ってきてもいいものなの?」

「レスリーだけね!」

そうこたえると、モーリンは納得したようだった。

3人そろって、ディスコテークに入る。
入場料は300円程度で、日本の1/10じゃん!って驚いた。  
中に入ると、レスリーは、そのマイジョッキにビールを入れてもらい、ご機嫌だ。
モーリンは、「キヨシ踊ろ」と誘ってくれた。
キヨシは、神戸でクラブに通い詰めていたので、踊りたくてしょうがない! って気分だった。いや~久しぶりだな!

長い時間踊って、レスリーもモーリンも、眠くなってきたらしく、帰ることにした。今度は、エンリコなんかも誘ってみるか・・・ そう思い、夜が明ける前に店を後にした。  

そういえば、12月には古城でクリスマスダンスパーティーがあるって言ってたな。

10【エンリコ酔う】

1989-10-22 | 【イタリアに恋したわけ】
ある金曜日のこと。

エンリコは、クリスティーナ、エレナや他のイタリア系の仲間達と飲みにいった。
キヨシは、今日のところは部屋で一人でゆっくり勉強するのが習慣付いていた。
そもそもキヨシは遊びに使えるお金を持っていないので・・・
東西のベルリンへ行ったのも大きな出費だった。
でも『もう少ししゃべれるようになったら遊びにも行きたいな』とも考えていた。

夜中、キヨシが寝た後、エンリコが帰ってきたようだ。
エンリコはとても常識的に「静かに」入ってきたつもりだったが、目が覚めてしまった。  

エンリコが「バタン!」と倒れ込んだのだ。  
おいおい。床で寝ちゃっているよ・・・ エンリコ~!  
隣の部屋のカルラに迷惑をかけられないので、小声で話す。  

「エンリコ・・どうした?・・・気分はどうだ?」  

 「はろーキヨシ、いひふれみそしゅれくりひ・・・」

「え?なに?」  

 「キヨシ、キヨシ、いひふれみそしゅれくりひ・・・」

「え?」

 「キヨシ、いひふれみそしゅれくりひ・・・」  

何語なんだろ?でも「いひ」って言ってるぐらいだから、ドイツ語だよね・・・
と、とりあえずメモメモ・・・  

『いひふれみそしゅれくりひ・・・』

すると、エンリコは、ふと我に返ったか、

 「クリスティーナはどこだ?」

「え、一緒じゃなかったのか?」  

 「クリスティーナがいなくなった・・・」

「どこで?」  

 「クリスティーナはどこだ?」

「オレは、知らないよ!」

 「クリスティーナはど~こだ?」


ふらつく足どりで、エンリコはバスローブを取り出し、シャワーを浴びに行くようだ。かなり酔っているようなので、止めた。

「今はシャワーやめた方がいい」  

 「なんでだ」

「それは、キミが酔っているからだ」  

 「いやだ、浴びる!」

「ダメだ」

 「なんでだ」

「健康に悪いからだ」  

 「日本ではそうなのか」

「世界的にそうだ!」

 「なんでだ」

「隣りの部屋のカルラも起きちゃうぞ!」

 「わかった、やめる」

「で、クリスティーナは何が問題なんだ」

 「クリスティーナはどこだ」

「だから、オレは知らない」  

 「クリスティーナは、路上で寝ている」

「どこの?」

 「旧市街だ」

「わかった、探しに行って来る」  

 「クリスティーナはど~こだ?」

「聞け!オレが探してくるから、エンリコは寝てなさい!」  

 「じゃあね~」

「お・や・す・み!」

そして、15分ほど歩き、真夜中の旧市街へ出ていった。
ひととおり見て歩き、クリスティーナを探してはみたけれど、見つからない。
別に事件がおこった様子もなく・・・1時間くらいたったかな?帰ることにした。 とにかく明日クリスティーナの滞在先に問い合わせしてみよう。  

部屋に戻ると、エンリコは服着たまま、眠っていた。  
シャワーは浴びなかったんだ・・・ よしよし、ちゃんと忠告を聞いたんだな。

翌朝、目が覚めると、クリスティーナが訪ねて来ていた。エンリコのことが心配だったようだ。

エンリコも起きている。
シャワーも浴びたようだ。
すまなそうな顔で話すエンリコ。

 「キヨシ、昨日のことを教えてくれ」

「キミは、クリスティーナを探していたよ」  

 「クリスティーナはここにいるね・・・」

「オレは旧市街まで探しに行ったんだよ」  

 「なんでだ?」

「いいか、エンリコ、キミがね、クリスティーナは旧市街で寝ていて、やばいことになっていると、言ったからだよ」  

「キヨシ!なんて優しいの!!!」とクリスティーナがキヨシを抱き寄せた。

「キヨシ、エンリコも私も一緒に道ばたで寝ていたの。私はすぐに起きて帰ったわ。エンリコが心配だから今日来てみたの」  

もう、エンリコッ!!!    

「キヨシ、ゴメンね・・・」とエンリコつぶやくエンリコは、この日以来、アルコールを断つ!と誓ってくれた。 ・・・
なにもそこまでしなくても・・・
クリスティーナも、もうアルコールは飲まない!と誓った。  
その日の夕方、レストランに行った。
キヨシにご馳走してくれるそうで・・・ そこでの2人は、オレンジジュースを頼んでいた。

そうそう、「いひふれみそしゅれくりひ・・・」は、 「わたしの気分は今、とっても恐ろしい」という意味だということが判った。

要するに・・・カナリ気分が悪かったのね・・・エンリコ

09【大切な忘れ物】

1989-10-22 | 【イタリアに恋したわけ】
月曜日の早朝、ハイデルベルクに到着。

今日は小テストの日だ。
やはり、週末の勉強をさぼったので、あんまりいいデキではなかった・・・くやしい。  
その日の学校の帰り、なんか「足りない」ような気がして・・・。

『あ!!、マフラーがない!!』  

鞄の中にも入っていないし・・・ ベルリンの時には肌身はなさず着けていたのに。きっと、昨日の夜行列車で忘れたんだ・・・そう思い、ハイデルベルクの駅に向かった。
忘れ物の届け出書を書かされて、「後は待つだけだ」とのことだ。  
はぁ。ガックリ。  

なぜマフラーがそんなにも大切なのか・・・?

それは、これから更に厳しくなる冬のヨーロッパに耐えられないから・・・?
それだけじゃない理由がある。  

それは「手編みのマフラー」だった。

「彼女からの贈り物」ではないのだけれど、大切な妹のような女の子が、昨年のバレンタインデーに贈ってくれた、こころのこもったマフラーだった。  
とってもセンスが良くて、とっても気に入っていた。 その彼女は『わたしの編んだマフラーで寒さをしのいでね』と日本を出発する前に激励の電話くれていた。  

『謝らなきゃ・・・!』そう思って、電話することにした。

『私の編んだマフラーがドイツの誰かにしてもらえているんだったらそれでもいいよ。気にしないで』と応えてくれた。

でも、とっても寂しそうな声だった。
彼女が初めて編んだマフラーだったから・・・  
すっかり気を落としてしまった。  

寮に帰って、エンリコに相談した。

『きっと戻ってこないよ、その電車に乗ってた人が届けてくれればいいけど、どこの駅に届くか判らないし・・・』 

あ!!一緒に乗っていたのは、住所も電話番号も知っている!ローザンヌから来てたスイス人・・・

名前は・・・シルビー・・・! 電話してみよ!

シルビーに電話すると、早速の電話を喜んでくれた。『いつローザンヌに来るの?』とすこしノンキ。

『コンパートメントの車室内にマフラーがなかったか?』と尋ねると、これかしら?とマフラーの特徴を話してくれた。
それそれ!!! 『日本へ帰る前に必ず、ローザンヌに寄るよ!』そう伝えて、電話をきった。  

あったんだ!しかも、また手元に戻ってくる。

素敵な幸運だ!  
早速、「妹」に手紙を書いた。

08【ごっついことになっているベルリン(その2)】

1989-10-22 | 【イタリアに恋したわけ】
かの国境「チェックポイントチャーリ」では、強制的に両替させられる。

1西ドイツDM=1東ドイツDM (当時80円ぐらい)

ただし、最低でも、25DMの両替を強いられる。
東側で、25DMは大金です。 1日で使ってしまえないくらいだ。  

『ちぇ、フィルム買うお金をけちってるぐらいなのに・・・ 25DMっていえば、2日分の生活費だぞ~~~』と、文句を言っても始まらないので、なすがまま25DMを両替した。

『え゛!手数料もとるの?』痛い痛い、痛すぎる出費だ。

その「入場料」を支払い、東側へ入るとそこは、まさに別世界だった。
あまりにも閑散としている。
日曜日だからか、数少ないお店もほとんど営業していない。
東ベルリンの寒さが、その閑散とした雰囲気に追い打ちをかける。
古い建築物なんかは、西側となんらかわりないんだけど、どことなく薄汚れていて、町全体が、「グレー」で、どんよりしていた。

さて、早速お金をつかいきろうと、レストランを探す。
ロベルトも、早くお金を使おう!と意気込んでいる。
なんか全く繁盛してなさそうな、お店を見つけた。
どんなに注文しても、10DMもしない・・・。
しかも「学食」よりもひどい紙のようなお皿に、アルミのナイフとフォーク・・・味なんて、味わえるわけもなく・・・。
ホントに、東側の現状を見たような気がした。
で、おつりの小銭をみてさらにびっくり! なんだよこれ・・・全てまるで1円玉のようなアルミ・・・  
1DMって言えば、西ドイツだと100円くらいの価値があるのに・・・
いや、ここ東側では、300円くらいの価値があるのに・・・まるで、1円玉。 記念にもって帰ろう。お金の「使いみち」が一つできたね。  

さて、残りのお金はどう使おうか・・・。
まず、やっとあいているお店をみつけ、水やお菓子を買う。
で、ひととおり町を歩こうということになり、ぶらぶらしてみる。
何気なく、町並みを写真に納める。 公衆トイレのドアとか、くだらないものまで・・・。  

町を歩く人が着ている服は、どことなく「古い」。センスがないはずの西ドイツの人たちに比べても、東ドイツの人は、さらにセンスがない・・・。  
路上駐車してある車なんて、いったい何年前のものなんだ~!レトロカーの展示場ですか?ってビックリの連続。
西側から来た高級車と、その「トラバント」と呼ばれる東側の車の「コントラスト」を写真に納めた。  

そんなこんなで、かの「ブランデンブルク門」に到着した。
ここは、大通りだが、ブランデンブルク門の先は「壁」で、まったく大通りの機能を満足していない。
東側からではその壁に近づくこともできない。
数日前に、ここを乗り越えようとして、射殺された人がいると聞いた。 まさに「現場」だ。  

とても写真に納める気がしなかった。観光気分になれなかった。
東側にいても「ヒマ」なので、夕方には西側に戻ることにした。
再び西側に戻り、西側からブランデンブルク門に近づいてみようと、向かうことにした。
もう、日が暮れてきている。  
到着すると、東側とは違った壁だ。
好き勝手にペイントしてある。東側からだと、グレー一色、無言の壁なのに。
そして、壁にはたくさんの人がむらがり、ハンマーを手に、壁を砕いている。

どういう状況なんだこれは???

全く理解できなかった。  
ただ、壁を砕いている人々。
しかも、誰も止めようとしない。
数日前までは、「射殺」された人もいるというのに。
事情は、よく理解できなかったが、これは「チャンス!」と思い、ロベルトにハンマーを借りて「少しだけ」ベルリンの壁を破壊した。  
そして、壁に名前を刻み込んだ。「オレの名前はここに記された!」そんな満足感があった。

数カ月後に「瓦礫」になるとも知らず・・・。  

そして、いくつかの「かけら」をお土産に持ち帰ることにした。  
そこで、だ。 「壁の記念」、「歴史の瞬間」を撮影するためのフィルムがない・・・。  
東で、フィルムを全部使い果たしていた。(トイレのドアなんてくだらないもの・・・撮らなきゃよかった)  
ロベルトが1枚撮ってくれた。 大切な記念写真になった。

その夜の夜行列車で、ロベルトは、東ドイツの紙幣を破り捨てていた。

「あ~もったいない」

しかしロベルトは、こうすることで、「使えないお金」に対する鬱憤をはらしているのだろう。  
その夜行列車のなかで、一人のスイス人女性と仲良くなった。
彼女は、スイスのフランス語圏のローザンヌまで帰るらしい。

『もし、ローザンヌに来ることがあったら、寄ってね』と住所と電話番号をくれた。  

この住所が後で役に立とうとは・・・このときは思いもしなかった。

07【ごっついことになってるベルリン-1】

1989-10-22 | 【イタリアに恋したわけ】
オヤジが「ごっついことになっとんぞ!」と言っていたベルリンに行きたくなり、みんなに声をかけてみる。
みんなもちろん興味津々なんだけど、いざ!ってなると、あまり人は集まらないもんだ。  
しかし、イタリア語圏スイス人のロベルトは、ベルリンに行く予定だ!とのことで、日をあわせて一緒に行くことにした。

早速、その週末に出かけることになった。 ロベルトは、西ベルリンに友達がいるので、そこに一緒に泊めてもらおうという計画だ。
さ、ベルリンって、どんなとこだろ?

19歳の経験と知識で考えてみる・・・。
が、理解できなかったのは、そのベルリンの存在だ。 東西にドイツが分断され、その東側に位置するベルリンをさらに東西に分断してあるなんて・・・

日本を東日本、西日本で分断し、さらに「東京を2つに分ける」といったことかな?

で、東京の親戚にも、会えず・・・ 友達にも会えず・・・そんな日々が何十年も続いているなんて・・・。  
「歴史の現場」に行く気分だ。 ほかに何も、想像できなかった。  
金曜日にハイデルベルクを出発すると、土曜日の朝に到着する。  
地下鉄で、Zoo駅(西ベルリンの中心の駅)に到着すると、まず、写真フィルムを買おうと思ったが、日本での価格に比べて倍くらいしたので、買うのをあきらめた。  
『ま、記憶に残せばいいだろう・・・ それでも、10枚くらいは今ので残っているし・・・ そんなに撮らんやろう』 

そう思ったのが大きな間違いだったことには後で気付く。
まず、ロベルトの知り合いで、西ベルリンに住んでいるという友人の家を訪ねる。
今日はここに泊めてもらう。
さて、なにせ早朝の到着・・・夜までまだ時間があるので、まず西側のベルリンを見て回ろうかということになった。
戦争の爪痕の残る旧教会のすぐ隣りにそびえる新教会。
とても印象的なコントラスト。
西ベルリンで何枚かの写真を撮影。  
西ベルリンの仕上げにと、Zoo駅の目の前の動物園に行った。
『ベルリンの東西をみにきたんとちゃうんか~』とも、思ったが、ベルリンに来て動物園に行かないのは、ハイデルベルクに来てお城を見ないようなもんんだと、わけのわからない説得に応じてしまった。
そして、その日は西側で食事をし、明日に備えた。
いよいよ明日は、キヨシの人生で初めての、「東側の国」体験だ。

そして翌朝・・・西側と東側の接点になっている「国境:チェックポイントチャーリー」から、「入国」することになる。
そこここで、新聞の号外が出ている。
東から、家族連れで、この「国境」を「トラバント」という50年前の車で、西側へ!
「ありがとう!」の大きな見出しが号外の一面を飾っている。まさに、「歴史の瞬間」だ。  

11月だというのに、雪が降っていた。
このチェックポイントチャーリーを通り、そこから更に寒く冷たい感じのする東側へ入ることになった。  

『さ、東側ってどんなだろ? 』

あ~~、フィルム買っておけばな~~~!!!

06【晴れない気持ち】

1989-10-22 | 【イタリアに恋したわけ】
朝、エンリコを起こして、ランバダを聞きながら軽い朝食をとり、いつものように学校へ早足で歩いていく。
日をおうごとに、だんだんと寒くなってくる。  
そんな、11月のある日、キヨシはエンリコと少し語った。

『どんな目的でドイツに来たのか、ハイデルベルクは好きか? 』

『クリスティーナってかわいいな!』とか・・・

そのうち、家族の話になった。 キヨシは正直に語りはじめる。
両親とは喧嘩をして出てきたこと、母親は泣き、オヤジは怒り・・・
19歳の息子の無謀な行動に対して理解をしてくれなかったこと、日本での学校の「休学」のこと、教育委員会まで話があがり、休学がなかなか許可されなかったこと・・・
とにかく、両親はキヨシの考えに「頭ごなしに反対」しているので、日本を出発してから電話すらかけていない。  
エンリコは毎日のように実家に電話していた。

ひととおりキヨシの事情を理解したエンリコは、こう助言した。

『今、キヨシがここにいるのは現実だ。そしてキヨシは学んでいる、キヨシはここへ来てよかったんだろ?それを伝えれば、両親は理解を示すはずだ。一度連絡してみてはどうだ。せめて、元気な声くらい聞かせてあげるのが家族だろ』  

そううながされ、実家に電話することにした。  
オヤジが、明るい声で、電話に出る。嬉しかったようだ。

『頑張ってるんならかめへん。いつ帰ってくるんや?・・・ おまえ、ベルリンには行ったんか?近いんか?今ごっついことになっとんぞ!・・・』

簡単な会話だけだったが、心につっかえていたものがとれた気がした。

エンリコ・・・ありがとう!  

「そっか、ベルリンがごっついことになってんのか~・・・行かなあかんな!」

そう思い、早速週末のベルリンをシバキに行く計画を立てることにした。

05【ハイデルベルク秋の休日】

1989-10-22 | 【イタリアに恋したわけ】
エレナとクリスティーナがエンリコを訪ねてきたので、その散歩のメンバーが増えた。 

ハイデルベルクに来れば「ここ」だろうってところが散歩コースに決まった。
 
「哲学の道」

寮のすぐ裏手から、歩いて行ける格好の散歩コースだ。
所々に道案内も書いてある。
その昔、有名な哲学者が、「難しいこと」を考えながら、ここを歩いたことから、そう呼ばれているらしい。
哲学の道は、ホント散歩には最適だ。
坂をどんどんのぼっていくと、ハイデルベルクの旧市街を一望できる公園に到着する。
すがすがしい空気、きれいな青空、ゆったり、とうとうと流れるネッカー川、煉瓦色の古い町並み・・・
なんでも、ヨーロッパで三本の指に入る景色だそうだ。
「秋」という季節がハイデルベルクをよりいっそう、美しく仕上げているようにみえた。
キヨシはこのときから、「秋」が好きなった。季節の好みを変えてしまうほどに素晴らしい景色だった。
そこから、しばらく進むと、ネッカー川にかかる「古い橋(アルテブリュッケ)」のところに出る、とってもくねくねとした小道がある。
くねくねと曲がった石畳の小道をひたすら降りて行き、川縁をとおって、寮に戻った。
この散歩で、みんな、ハイデルベルクが気に入ったようだった。

寮に戻った後、宿題すませ、ひとりでまた出かけることにした。
土日はお店が閉まっているので、わざわざ旧市街へ繰り出すこともないと思い、その日はネッカー川の畔で昼寝(夕寝?)をする事にした。
川向こうの旧市街には、毎日たくさんの日本人観光客がたくさん来ている。
その旧市街の対岸である河畔は、キヨシの穴場だ。 白鳥たちが、川辺にあがってくる。近所のおばさんたちが、パンの切れ端をあげている。  

「のどかな、休日の昼下がりだな~これが休日のありかたなんだろうな・・・」

とても強くそう感じた。  

のどかな休日の夕日が沈み、翌日には月曜日をつれてくる。
だけど、その月曜日が全く苦にならない。 学校に行きたい!勉強したい!
こんなに意欲的になったのは本当に初めてだったかもしれない。  
自分で学費、滞在費を払っているからかもしれないけれど、とにかく充実しきっていた。

ただひとつの気持ちをのぞいては・・・。

04【留学生活のはじまり】

1989-10-22 | 【イタリアに恋したわけ】
何事も初めてのことばかりで、とっても充実した生活があわただしく始まった。

学校へは寮から早足で歩いて10分位のところにある。
朝、エンリコを起こすのは、私(キヨシ)の役目。
エンリコは朝が苦手なようで、朝食はヨーグルトだけですます。
朝っぱらから、ランバダを聞きながら、「キヨシ、ヨーグルトが朝食だと太るかな?」と無用な心配。
ドイツの朝は早く、8時に始業する。 授業は13時で終了だ。 
同じクラスの19歳のシモーネ(イタリア人)は、いつも遅刻してくるので、「プレジデント」と呼ばれている。(重役出勤という意味か?)
そのシモーネは授業が終わると、彼女の家へ直行する。(まったく!朝寝坊すんなよ!)
キヨシは、アレクシ&エフィ20歳の双子(スイス人)と一緒にハイデルベルク大学の食堂(Menza)で食事をし、旧市街を散歩するのが日課になっていた。
アレクシ&エフィはとっても真面目で、勉強熱心だ。
フランス語圏のスイスから来ているので、ドイツ語を全く知らないわけではないが、なぜかキヨシと同じ初級クラスにいる。とってもおしゃべりな女性なので上達は早い。
アレクシ&エフィは、家に帰って宿題をするということで別れる。
私が一人で旧市街をふらふらしていると、クリスティーナ21歳(スペイン人)とエレナ22歳(イタリア人)、エンリコにばったり出会った。
これから、Cafeに行くようなので、ついて行くことにした。
クリスティーナはこのCafeがお気に入りらしい。 
朝、早く起きて学校に行って、午後からCafe・・・ う~ん充実!
そう思ってはいたものの、キヨシのドイツ語は、まだまだ発展途上だ。
クリスティーナたちと、うまくコミニュケーションが取れない。
クリスティーナはスペイン人だが、イタリア語は「聞けば理解できる」そうで、エンリコとエレナがイタリア語を話せば、ある程度判るらしい。
でも、イタリア語を全く知らないキヨシがいるので、ドイツ語で話をしよう!ということになった。
しかし・・・キヨシは、やっぱり話しについていけない。 
この日からキヨシは生まれ変わる。 
毎日、アレクシ&エフィとMenzaで食事をし、それから大学の図書館にこもって勉強する事にした。まず、お昼の食事中の会話で、アレクシ&エフィについていけるように努力して、図書館では授業の予習復習をみっちり!勉強する事にした。
キヨシにとって、予習復習をやるなんて、生まれて初めてのことだ。
途中で食事に出る以外は、図書館が閉館する23時まで、勉強する毎日が続いた。
「勉強がこんなにも苦にならないなんて!!!」 自分自身の変わり様にビックリもした・・・
そんな成果もあり、エンリコともやっとこさなんとか会話ができるようになり、週末にはみんなに混じって、イタリア料理のレストランへ行くようになった。
やっと、ドイツ語で意志疎通できるようになったのに・・・話が盛り上がってくると、イタリア語での会話になってしまう・・・ホントにイタリア人って!!!!
クリスティーナもイタリア語が完全に判るわけではないので、キヨシに「めくばせ」して、「理解できないわ」と肩をすくめる。
クリスティーナがとても近くに感じた。
そんなこともあってか、クリスティーナともよく話すようになった。
クリスティーナはとってもかわいくて、おしゃれな女性。
ある時、クリスティーナの腕時計と、ベルトが同じデザインだったことにキヨシが気付くと、

『キヨシ!素晴らしいわ。あなただけよ、これに気付いたのは』

キヨシは、照れてしまった。メロメロだ。  
とある土曜日・・・。朝早く起きて、同じ階の共同シャワーを浴びていると、突然電気が消えた。 

『おいおい、なんだよ~』と思ったら・・・

『ごめんなさい!』とイタリア語が聞こえる。

隣の部屋のカルラの声だ。カルラも、朝からシャワーを浴びたかったらしく、まだ寝ぼけていたようだ。突然ドアを開けられずにすんでよかった・・・! 
シャワーからあがって、部屋に戻ると、カルラが訪ねてきた。

『キヨシ・・・ゴメンね、電気が急に消えてびっくりしたでしょ?』

『せっかく早く起きたのに、もう夜が来たと思ったよ・・・』 

精一杯話せるドイツ語を駆使してそんな冗談を言った。
二人して、笑った。 ホントになんでもないことでも、笑えることもあるんだな。

『ね、散歩にいかない?』

カルラに誘われて断る男性などいない。エンリコも誘い、散歩に出かけることにした。

03【イタリア人と共同生活】

1989-10-22 | 【イタリアに恋したわけ】
さて、イタリア人のエンリコと共同生活が始まった。

エンリコは、大荷物だった。エスプレッソマシンや、湯沸かしポットまで持ってきていた。それに引き替え日本から来た私は、登山用のリュック一つだけだ。
エンリコは、私に気を遣い、丁寧なドイツ語でコミニュケーションをとってくれた。お互いにどこから来たのかなど、簡単に自己紹介をした。
これからは、このイタリア人との共同生活。
15畳くらいの広さの部屋の中央にテーブルがあり、両サイドにベットと勉強机がある。部屋の隅には小さな冷蔵庫とクローゼット。
どっちの「陣地」をとるか、話し合ったが、ま、お互いどっちでもよかったので、何らもめることなく決まった。
部屋の中に洗面台はあるが、トイレと、シャワーは各階共同だ。
(このため、ちょっとしたハプニングが起こる・・・)
隣の部屋は一人部屋で、ミラノ出身のカルラという女性。
とてもやさしい感じの美人さんだ。エンリコはどうやら、隣室の彼女のことが気になっているようだ・・・。
同じ階の他の部屋は全て一人部屋で、全員が女性だった。

さて、共同生活初日の夜。
近所の「居酒屋」にご飯を食べに行くが、エンリコはここがあまり気に入らない様子・・・エンリコは、ドイツにくるのが初めてだそうだ。
どうやら、イタリア人の舌にはドイツ居酒屋の味はあわなかったのだろう。
(その翌日からエンリコは、他のイタリア人たちと、イタリアンレストランへ行くようになった)
ほんのちょっとばかりのドイツ語だったせいもあり、エンリコと話すことに気力を使い果たし、すぐに眠りについた初めての夜。

そして明け方・・・。私は夢を見た。
ドイツに来る直前まで反対していたオヤジの登場だ。

『もうええやんか!行かせてくれや!』

夢の中で、そう叫んでいた。 そう、夢の中で。
・・・その夢の中の叫びが、実際に声になっていたようで・・・。
自らもその声で起きてしまった。
エンリコもびっくりして起こされたようす。
エンリコは部屋の端から、こっちの様子をうかがっている・・・。
時計を見てはきょろきょろと・・・。
少し冷静になってから、笑いがこみ上げてくる。

エンリコ・・・

初めての外国・・・

初めての東洋人・・・

ルームメイト・・・

2ヶ月間一緒に過ごす・・・

初日から謎の東洋人は、謎の言葉を寝言で叫んでいる・・・

いったい今何時なんだ?・・・

ここはどこなんだ?・・・

きっとそんな不安がエンリコによぎったことだろう・・・

「ゴメンよエンリコ・・・」 そう思うと、心の中での笑いが止まらない。
しばらくして、完全に目が覚めてから、エンリコにあやまった。
『気にしてないよ』エンリコはそう、言ってくれた。
『そんなわけないやん!めちゃめちゃ気にしてるくせに!』と心の中で「つっこみ」を入れた。


02【1989年~ハイデルベルク~秋~】

1989-10-22 | 【イタリアに恋したわけ】
私は19歳の「少年」でした。

4月に学校を無理矢理休学し、親の反対を押し切り、9月までバイトをし、たまったわずかなお金を持って単身ドイツにやってきた。
出発前にドイツ(Heidelberg)の語学学校の入学手続きは済ませていた。
Heidelbergは、ドイツ古城街道の出発点といわれている美しい街。
ただ、学費が安かったという理由だけでそこを選んだ。
19歳の彼には、Heidelbergという地名がなんとなく心地よかったのも、理由の一つかもしれない。
文字通り、右も左も判らず、事前に勉強していたはずのドイツ語も、うまく通じず、海外すら初めての彼には、何もかもがとっても大きなショックだった。

『もう、帰ろうか・・・』

そう思ったのも事実。
少し落ち着けるところをさがして、なんとなく川の方へ足を運ばせてみた。
ゆったりとした流れのネッカー川へ、迷わず着くことができた。
川の畔に腰を落ちつけると、今までの「不安な」気持ちが、一瞬にして「懐かしい」気持ちにかわった。涙が、勝手にあふれてきた。

『懐かしい・・・』

そうつぶやいていた。

『さて、気を取り直して、登録してある語学学校へ行くとするか!』

語学学校の事務局で入学手続きを済ませ、案内された地図をたよりに寮へ向かう。
指定された部屋には、先客がいた。
そこは、2人部屋で、「ルームメイト」になるのは、イタリア人(23歳:エンリコ)だ。エンリコは、アジア人と話をするのは初めてのようだ。
19歳の私も、イタリア人は初めてだ。
エンリコはドイツ語がすでにペラペラで、「上級」クラスに入学したようだった。
一方、私は「初級」だ。

『先が思いやられるな・・・。』

少しは意志疎通できるようになるのか???