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【ノスタルジックじゃつまんない?】

2003年12月生まれ(7歳)
2008年6月生まれ(2歳)の娘の父親です。

31【スペインへ】

1990-01-07 | 【イタリアに恋したわけ】
朝、目が覚めるとその女性の姿が見えない・・・。
荷物は置きっぱなしだ。
顔を洗って、身支度をしていると、「あら、起きてたの?」と部屋へ戻ってきた。

どうやら朝食を階下でとってきたらしい。
そりゃ、シングルで2人前の朝食はでないもんね。

おすそわけよ!といって、朝食のパンをくれた。
「メルシー」そういってありがたくパンを頂戴した。

 「私はこれから駅に行ってフランスへ戻るけど、キミはどうするの?」
「夜行列車までの間、モンテカルロを散策するつもりだよ!」と答えた。

一緒にチェックアウトするわけにもいかないので、キヨシが先に部屋を出ることにした。

「じゃあ、お元気で。泊めてくれてありがとう」と部屋を出ようとして呼び止められた。

 「あ、キミの日本の住所教えてよ!」

ここで初めて名前を名乗った。これもまた不思議な出会いだった。

-----
キヨシは日本へ帰国後、この人からの手紙を読むことになった。この日の日付だった。手紙にはこんなことが書いてあった・・・私の傷心留学&傷心旅行の足取り・・・と。
どうやら結婚直前に婚約破棄され、その勢い(?)で傷心留学&旅行をしていたらしい。
後になってみるとその女性の突拍子もないいろいろな行動が理解できた。
-----

さて、キヨシは昨日妙な「コースアウト」をしてしまったF1のコースをもう一度、テクテク歩いた。
高台から眺めるモナコはとても「奥行き」を感じた。リヒテンシュタインとはまた違った情緒のある小さな国だった。

予定より一日遅れたが、どうせあってないような予定だ。モナコF1散歩道をぶらぶらして、モナコ・モンテカルロ駅までやってきた。

駅の近くの大きなスーパーで夕飯を買って、スペインへ向かう夜行列車に乗った。
夜行列車といってもまだ夕方だ。
バルセロナまで、18時間ぐらいか・・・
ワープはしないのか?オレの999号!

夕焼けにそまる地中海も朝焼け同様に魅力的な姿をしていた。

サリュー!モナコ!待ってろよ!クリスティーナ!
(多分待ってないと思うよ)

ボンボヤージ!オレ!




30【モナコ・モンテカルロ】

1990-01-06 | 【イタリアに恋したわけ】
明け方、列車は海岸線を走っていた。
モナコへ向かう地中海沿岸だ。

朝の日差しが地中海の美しさをよりいっそうまぶしく魅せていた。

ジュネーヴにくらべ、こぢんまりとしたモナコの駅のインフォメーションで恒例の地図をもらった。
何一つガイドブックのようなものをもたないキヨシにはこのインフォメーションの地図が頼りだった。


さてさて、こんなところで安宿なんて探せるわけもないし、今夜もまた夜行列車だな。
スペイン・バルセロナへ向かう夜行列車の時刻を確認して、モンテカルロの街へ出た。

おお!ここは!そうだそうだ。F1の聖地モナコじゃないですかぁ!

早速、F1のコースを記憶だけを頼りに歩いてみた。
どこもここもテレビで観戦していたときと同じ景色だった。

トンネルだと思っていたところは、半分海が見える「半トンネル」だった。

ここをものすごいスピードで駆け抜けていくんだな~!
全くの一般公道じゃないか!

そうだそうだ、カジノがあったはず・・・F1のコースを「逆送」散歩しながら、カジノまでの道のり
の途中、日本人女性らしき人が正面から近づいてきた。

 「こんにちは」

久しぶりに耳にする日本語だ。

「あけましておめでとう」と答えてみた。
そう言えばリヒテンシュタインで年を越してから日本人と話すのはこれが最初だった。

その人は、フランスに語学留学中でその合間にモナコへ小旅行中だと言っていた。
昨日から安いホテルに滞在中だというが、値段を聞くと、とてもじゃないけど「安い」ホテルではなかった。貧乏キヨシには無理です。残念ながら・・・。

どうやら、前日に、とある海の男にナンパされたらしく、今夜は船上パーティに呼ばれているとのことだった。
ひとりで行くといろいろ誤解されるかもしれないから、あなたも一緒にどう?と誘われた。

今夜、夜行列車に乗ってスペインへ向かうことを伝えたが、もう少しモナコを満喫していきなさいよ。

旅は道連れよ!と説得された。
といっても泊まるところなんてないよ!貧乏だからと断ると、あっさり。

 「一緒に泊まればいいじゃない!」

だって。

シングルだけど、平気よね?別々にフロント通ればバレないわよ!ときたもんだ。

 「ほら!夜行列車で来たんでしょ!シャワーでも浴びれば?」といつの間にやら、その女性のホテルの部屋に連れてこられた。

遠慮がちにシャワーを浴びて出てくると、その女性は変身していた・・・どこかで見た場面だな・・・
デジャヴ?

「船上パーティーに行く前にカジノに行こうよ!」だって。
何かいい服を持ってないの?とキヨシの荷物を指さす。

とりあえずブラックジーンズに白いシャツ。ネクタイは、お姉さまたちからクリスマスにもらったネクタイをしてみた。

 「そうね、これ着てみて」とコートを渡される。
 「うん。なかなかいいじゃない。行きましょ!」

おいおい・・・オラァお金持ってないよ・・・と思いながらもカジノへ到着。

何やらこの女性は、カジノのフロントとフランス語で話をしていたが、奥の方へ行くのは無理だったらしく、入り口近辺のスロットマシンで少し遊んだ。
しぶしぶ入れた1枚の硬貨が10枚になったので、それがなくなるまでのわずかな時間だけ、カジノを体感した。

カジノを後にして行った船上パーティはとても豪勢だった。
こんな所にいていいのかよ・・・と思ったが、何しろタダで食事ができる!
たらふく食べた。
ドイツ語を話す船員もいたので楽しい時を過ごせた。

ホテルの部屋に戻ると、「キミって何だか不思議ね」
と不思議なことを言ってきた。

ナンパされた船員さんには危険を感じたけど、キミは大丈夫。
だと。

そんなに信用しやすいオーラでてますか?

朝まで寝心地の良いソファーでぐっすり眠った。

29【エフィー&アレクシーとの再会】

1990-01-05 | 【イタリアに恋したわけ】
翌朝、レスリーのお母さんはキヨシにと朝食の残りのクロワッサン用意してくれた。
貧乏旅行だったはずが、いつのまにかとてもリッチな気分の旅行になっていた。

いくつもの暖かいお出迎えとおもてなし。
そんなことを考えながら受け取ったクロワッサンを見ていると涙が出てきた。

三人で国境まで歩き、バスに乗りジュネーヴへ戻ってきた。
バスの中で寂しげなレスリーの横顔を見た。
ガラスのように澄んだ瞳をしていたのが印象的だった。

レスリーとお母さんは、ジュネーヴ駅からパリの方へ向かう列車に乗った。
いつもとは違ったお別れだった。
今回はキヨシがお見送りだ。

レスリーは列車の窓から体を乗り出し、キヨシの手を握った。
 「モーリンによろしくね!」
いつもはキヨシが見送られ列車に乗るのに今回は逆だ。

いつからこんなに涙もろくなったのだろう。
レスリーもキヨシも泣きじゃくっていた。

もし、昨日ジュネーヴについていなかったらレスリーには会えなかったかもしれない。
予定のない旅にも幸運の予定があったりするもんだ・・・。

しょんぼりしてばかりいるヒマもない。そろそろ、エフィー&アレクシーとの待ち合わせの時間だ。

急ぎ足で待ち合わせ場所に戻ると、もう、彼女たちは到着していた。
エフィーがキヨシを見つけて手を振る。

明るい彼女たちに囲まれて、にぎやかに昼食を食べた。
ハイデルベルクではいつも一緒に昼食を食べていたが、ここはジュネーヴだ。
不思議な感じがした。

レマン湖のほとりの公園で話をしていると、アレクシーがなにやら、けげんな表情だ。
今日は、いつもとレマン湖の雰囲気が違うようだ。

エフィーが気づく。いつもの噴水が出ていないというのだ。
もちろん、いつもの噴水など知るわけもないキヨシにはわからない。

 「いつもはね、あそこらへんから100mぐらいの高さの噴水があがっているのよ」と説明してくれた。
せっかくキヨシが来ているのだから、噴水やればいいのに・・・と無茶なことを言っている。

確かに駅でもらった地図には噴水の絵も描いてあった。

「ま、噴水のないジュネーヴのレマン湖が見れるのも幸運かもよ!」と言うと、二人は笑って納得した。

ジュネーヴの街を散歩しながら、今後の予定を聞かれた。特に決まってはいないが、スペインの方へ向かうよ!と伝えた。

彼女たちは、ギリシャから親戚が来ていて、夕食までには帰らなくてはいけないようだった。

あっという間に時間が過ぎてしまった。
駅まで見送りに行くよ!と言われたが、また泣いてしまいそうだったので、ここでいいよ!と強がってみた。

するとアレクシーが「ちょっと待ってて」と露店で何やら買ってきてくれた。
 「電車の中で食べてね!」

美味しそうなマロンだった。また涙が出そうになった。

ジュネーヴの駅についたキヨシはひとり時刻表とにらめっこしていた。
夜行列車は何がありますか・・・とのんきに探していると、すぐに出発できるなかなかいい目的地までの列車があった!

早速その列車に飛び乗った。
コンパートメントの座席を確保すると、ほっと一息・・・。
レスリーのお母さんのクロワッサンとさっきもらったマロンをほおばった。

また涙が出た。

こうやって、ひとつひとつの「再会」が終わると、きっともう会えないんだろうな・・・。

あぁ、ヨーロッパのどこかに私を待ってる人がいる・・・♪

気を取り直して、フランス語旅行会話ブック(ドイツ人用)を取り出して勉強し始めた。
フランス語はつらいよ・・・。

そのモナコ・モンテカルロ行きの夜行列車は定刻どおり出発した。





28【ジュネーヴでの再会】

1990-01-04 | 【イタリアに恋したわけ】
再会と別れの感傷に浸るまもなく、レマン湖沿いの景色を存分にみせてくれた列車はジュネーヴに到着した。

とても空気の澄んだ都会だ。
ここがジュネーヴか・・・。
ご多分にもれず駅のインフォメーションで地図を入手し、ホテルの相場を確認する。

高い!!!
こりゃ、都会では安いホテル探すのは一苦労だよ・・・。
ま、最悪の場合は夜行列車がキヨシのホテルさ!

さて、エフィー&アレクシーに電話をかけた。
アレクシーが電話に出た。
 「ホントに来てくれたんだね!」と喜んでエフィーに代わった。
 「ホントに来てくれたんだね!」とエフィーも同じことを言っている。
今日は、出かけてしまう予定があるとのことで、明日公園で待ちあわせましょうということになった。


さて、そうすると夜行列車をホテルにするわけにもいかず、ここジュネーヴで宿を探さなければならない。

あ!そうだ。レスリーがいた。確かジュネーヴの近くに住んでいるって言ってたな。

レスリーに電話してみた。
レスリーのお母さんが電話に出たようだ。

「わたし、にほんじん、キヨシといいます」とシルビーに教えてもらったフランス語で話してみる。
すると、お母さんは受話器を押さえずに叫ぶ。「レスリー!!!早く!!!」
国際電話とでも思ったのかな?めっちゃ近所からかけているのにね。

レスリーは、キヨシがジュネーヴに来ていることを知ると、「今から行くから!待ってて!」とあわてて電話を切った。

しばらく、言われた公園で待っていると遠くから懐かしい声が聞こえてきた。
 「カシコイカシコイ!!!!!」

それは再会の挨拶ではないよ・・・レスリー。

レスリーは何度も何度もキヨシを抱きしめた。
まだ、ハイデルベルクで別れてから半月も経っていないのに、随分久しぶりに再会した恋人同士のようだ。

 「ウチに来て!泊まっていけるでしょ?」と嬉しいことを言ってくれる。
バスに乗り、スイスとフランスの国境まで、レスリーが「バスガイド」をしてくれた。
フランスといえども、レスリーの街はジュネーヴからほど近い。よく買い物にくるそうだ。
ある意味毎日国境越えだそうだ。

国境は歩いて越える。東ベルリンに入ったとき以来だ。徒歩での国境越え。

レスリーのウチはチェックポイントからすぐそばのアパートメントだった。
部屋に入るとお母さんが暖かく出迎えてくれた。
手には英語のハンドブックを持っている。
一所懸命、この見知らぬ日本人キヨシとコミュニケーションをとろうとしてくれている。
とても嬉しい歓迎だった。

少し遅めの昼食をご馳走になると、レスリーは自分の部屋に案内してくれた。

 「今夜は私の部屋で寝てね。私はお母さんと寝るから」
レスリーはお母さんと二人暮らしをしているようだった。

陽気なレスリーは明るくそのことを話してくれた。
 「お母さんがいなかったら、一緒に寝れたのにね!」と豪快に笑いながらそう言った。

さびしがり屋さんなんだね・・・レスリー。

部屋にはベルリンの壁のかけらが飾ってあった。
キヨシがベルリンにいった次の週にモーリンと一緒に行ったんだった。

キヨシが壁に刻んでた名前見当たらなかったよ・・・と。
探してくれたんだね!でも、きっともう瓦礫になっていたんだろうね。

夕食までの間、レスリーはカフェオレをいれてくれた。
「キヨシ、カフェオレ知ってる?フランスの飲み物よ!ドイツのとは違うわ!」と言ったレスリーのカ
フェオレはとても甘く美味しかった。

豪華な夕食を三人で食べているとき、レスリーは何やらお母さんとヒソヒソ話をしている。
どうやら、明日は、親戚のウチに出かける用事があるのをレスリーは予定変更したかったようだ。

お母さんが英語で説明してくれた。

明日は、エフィー&アレクシーと会う予定が入っていること、今日、一晩だけ泊めてもらえてとても嬉
しいということを頑張って英語で伝えると、お母さんはキヨシの英語を理解してくれた。

夕食の後、レスリーの部屋でたくさんおしゃべりをした。
キヨシのこれからの予定を一緒に考えてあげるわ。と言ってヨーロッパ全土の地図を出してくれた。

モーリンのいるスウェーデンにも行くのよね?とモーリンにあてて書いた手紙を受け取った。
モーリンに会ったら渡してね!
郵便屋さんじゃなくて、キヨシが運ぶ手紙なんて、モーリンも喜ぶわよ!と無邪気だ。




27【忘れ物との再会】

1990-01-03 | 【イタリアに恋したわけ】
翌朝、窓から差し込む光に起こされると、事態がよく判らなかった。
とてもグッスリ寝た感はある。

どこだっけ?

あ、ローザンヌだ。シルビーの家だ。
昨夜はあれほど、グデングデンだったのにすっきりと目覚めた。
いいワインだったのかな?

あ!そうだ、昨日電話が鳴って、シルビーに渡して・・・見ちゃったんだよな・・・。

ゴメンナサイと言おうとして部屋をでた。
シルビーは朝食の支度をしていた。

 「あら!キヨシおはよう!」
「おはよう・・・昨日は電話の・・・」と言いかけたところでシルビーは
 「ああ!あの電話ね!長電話しちゃったからキヨシの睡眠をじゃましちゃったかしら?」
いえいえ、ぐっすり寝てましたよ!ってそのことじゃなくて・・・!

どうやら寝るときは全裸であたりまえだったようだ。何も気にしてはいない・・・。

 「もうすぐ朝ご飯できるからシャワーでもあびてくれば?」とあっけらかん。

簡単な食事を済ませると、シルビーはローザンヌの街を案内するわよと言ってくれた。
キヨシはそのままジュネーブに向かうよと伝え、荷物をまとめ始めた。

するとシルビーが「キヨシ!たいへんよ!」と部屋に入ってきた。
どうしたのか?とシルビーの方を振り返ると、シルビーは微笑んで立っていた。

シルビーはもう出かける準備ができているようだった。
寒いのでマフラーをしていた・・・!!!

「タイヘンだ!忘れ物を忘れることろだったよ・・・!」

シルビーはあの夜行列車で忘れたマフラーを大事に使ってくれていたらしい。
 「これ、気に入ったから毎日使ってたわ」とその忘れ物をキヨシにかけてくれた。

ローザンヌの街を散歩した後、シルビーは駅まで見送りに来てくれた。
 「いつでも寄ってね!」
「うん!トーマスとポールによろしくね!」と手をふり、ジュネーヴへ向かう列車に乗り込んだ。
窓からシルビーに手を振ると、シルビーは大きく手を振り返してくれた。

ありがとう・・・。さようなら・・・マフラーがくれた不思議な出会い・・・。

そのマフラーにはシルビーの香りが残っていた。





26【ローザンヌでの再会】

1990-01-03 | 【イタリアに恋したわけ】
ローザンヌ駅のインフォメーションで街の地図をもらった。
ここのホテルはどこも高そうだった。
やっぱりスイスは物価が高いよ・・・。

両替を済ませ、公衆電話からシルビーに電話してみた。

シルビーはベルリンからの夜行列車で出会ったキヨシが本当に訪ねて来てくれたことに驚いていた。
駅まで迎えに行こうか?と言ってくれたが、地図を見てウチの場所を確認できたので、こっちから歩いていくよ!と伝えた。

シルビーのアパートメントはすぐに見つかった。
呼び鈴を押すとエントランスのドアの鍵を開けてくれた。

エレベータで3階まであがる。
なんとこのエレベータ・・・ドアがない。

おいおい、大丈夫か?とそのレトロなエレベータを降りると、シルビーが出迎えてくれた。

とても派手な出迎えだった。
抱きつかれ、なにやらフランス語で話していた。

しゃべっていることが判らなくてオドオドしていると、ドイツ語に切り替えてくれた。
どうやら、彼氏と一緒に暮らしているらしい。
その彼氏も見知らぬキヨシが来るのを楽しみにしていてくれたそうだ。

トーマスと名乗ったその彼氏はドイツ人だった。
フランス語圏に来て、ちょっと意気消沈気味だったキヨシは少し元気を取り戻した。

ベルリンのこと、夜行列車のこと、キヨシのドイツ語のこと、いろいろ話した。
話し好きなキヨシの性格か、ドイツ語は知らぬ間に上達していたようだ。

たった2ヶ月間の留学でそんなに話せるの?とトーマスは驚いてくれた。

今夜、泊まっていきなよ!と快く誘ってくれた。
あらゆる道草が許されるキヨシだから、もちろんお世話になることにした。

夕食はチーズフォンデュね!
そういって、シルビーは鼻歌まじりに支度を始めた。

トーマスはシルビーのウチを案内してくれた。
部屋は3つあって、ひとつはシルビーもう一つはトーマス。あとはゲストルームだ。
今日はキヨシの部屋だよ。

どうやら、勝手に彼氏と思いこんでいたが、ただのルームメイトらしい。
今夜からトーマスは別の友達と旅行に出る予定だったので、ちょうどキヨシに会えてよかったよ!と言ってくれた。

夜になると、トーマスと一緒に旅行に出かける友人がやってきた。
ポールと名乗った。
彼もドイツ人だ。

どこに旅行に行くのか尋ねると、「ベルリンだよ!」と声をそろえて答えた。

シルビーからベルリンの土産話を聞いて「母国」へ旅行しようと計画していたらしい。
ドイツ人からベルリンの取材を受ける日本人キヨシ・・・。

夕食のチーズフォンデュにはたっぷりと白ワインが仕込まれていた。
みんなグデングデンに酔っぱらっていた。

キヨシもマフラーのことを忘れてしまっていた。

トーマスとポールは何とか夜行列車に間に合ったようだ。
シルビーもグデングデンだ。

シャワーはいつでも自由に使っていいわよ。と言い残し、部屋へ戻った。

キヨシもグデングデンだったので、シャワーは明日にして、グースカと眠りに落ちた。
すると、けたたましく電話のベルが鳴った。

電話に出ると、何やらフランス語が聞こえてくる。トーマスか?と尋ねられたことだけが判った。
「いえ、わたしにほんじんです」となんとか片言のフランス語でつたえると、シルビーに代わってくれと英語で言ってくれた。

ここらの人たちって何カ国語も平気で話すんだな!と余計な感心をしながらシルビーを呼びに部屋をノックする。

「電話だよ!」
 「う・・・・・誰?」とシルビー。グデングデンに寝ていたようだ。

「知らない人だよ」と訳の判らん答え。
 「う・・・・電話?」と呟きながら部屋から出てきた。

!!!全裸!!!

グデングデンのキヨシはさらにグデングデンになってしまった。

コードから長くのびた電話と受話器を渡すと何事もなかったかのように部屋に戻った。

25【忘れ物】

1990-01-02 | 【イタリアに恋したわけ】
さぁ、1990年最初の旅の目的地は・・・
エフィー&アレクシのいるジュネーヴだ。

いや、その前に寄っていくところがあった!

ローザンヌだ。
ベルリンからの列車内で忘れてしまった「妹からのマフラー」だ。

シルビーに連絡しなきゃ・・・。
ま、いなければいないで、そのままジュネーヴ行けばいいさ。
お気楽な旅だ。
 
ファドゥーツを後にして、列車はスイスを横切って行く。
いよいよ、フランス語圏に突入してしまう。
 
スイスの列車の車内アナウンスは、ドイツ語フランス語の2ケ国語で行われることが多い。
 
今回乗った列車では、おまけにイタリア語でもアナウンスしていた。
スイスって変わった国だな~。
 
九州程ほどの大きさの国で公用語が3つ。(正確にはロマンシュ語をいれて4つ)
ドイツ語、フランス語、イタリア語・・・
3ケ国語が話せないと、自国の人と会話もできやしないなんて・・・
 
だって、ジュネーヴに住んでフランス語を母国語としているエフィー&アレクシが、そんな理由からドイツ語の勉強をしにわざわざ留学してたわけだからね・・・。

そんなことを考えながら、窓の外をぼんやり眺めていた。
車内販売のお姉さんがやってきた。

「スイス名物の~チーズフォンデュはいかがですか~?」
そんなことを言うわけもなく、ただ飲み物とパンの入ったバスケットを抱えて、無言で歩いているだけだ。そっけないな~。

ものは試しにとパンと水を買うことにした。
やっぱり、割高だ・・・。

ドイツ語で少し話をしたんだけれど、お姉さんは「メルシー!」と。
ありがとうはフランス語なのね・・・まだドイツ語圏のはずなのに・・・
 
また暫くすると、車掌さんがやってきた。

「え~乗り越しをされるお客様はいらっしゃいませんか~?」

そんなことを言うわけもなく。

「乗車券お願い」(ドイツ語)

で、ユーレイルパスとパスポートを見せると・・・。
「メルシー」(フランス語)

やっぱり、スイスじゃメルシーなのね。
 
スイスの車窓は・・・ドイツのよりも、こぢんまりとしてて、「かわいい」という印象。
なんか、「ダンケ!」よりも「メルシー」の方があってるな~と思った。
 
さ、列車内の乗客の会話もドイツ語から、フランス語へ変わっていく。

乗客の顔ぶれも、なんとなくフランス顔をしていて、キヨシからみると・・・
「言葉の通じなさそうな」人たちに見えた。
 
さぁ、フランス語・・・どうすんだ~?
 
午後、列車はローザンヌに到着した。
なんとも空気の澄んだ素朴な都会だ。

さて、シルビーに電話だ!

24【ひとりぼっち】

1989-12-31 | 【イタリアに恋したわけ】
WESTERLANDを後にして、ハンブルクまで戻って来た。
 
「なかなかナイスな寄り道ができたぞ!」
 
さて、今夜は夜行でミュンヘンあたりまでいくかな・・・。
なんせパスがあればいつどこへ行っても移動はタダ!だもんね。
 
イタリアでは言葉の面でまだまだ不自由もあったけれど、ここドイツなら、まあだいたいは平気だね。
気が楽だ。
さて、ドイツ語の通じる地域は・・・
東西ドイツ、オーストリア、スイスの6割・・・
結構まわれるね。
 
あ、あと一つの国でもドイツ語が通じるんだ!
忘れてはならない・・・そこで年を越すことに決めていた。

19歳のキヨシがいちばん興味を抱いた国・・・
税金もなく、主に切手や観光の収入でやっていける国。
侯爵の住む国。
観光するところもほとんどない素朴な田舎・・・。
 
それは、リヒテンシュタイン侯国。
 
夜行列車は早朝、ミュンヘンに到着した。
都会はつまらない!そんな印象を受けたミュンヘンでは安くあげるため、ユースホステルに泊まった。
翌朝、一気にリヒテンシュタインへ向かうことにした。

リヒテンシュタインへはスイスから鉄道とバスで入る。

簡単なパスコントロールを経て、首都のファドゥーツに到着した。
 
本当に素朴な田舎だ。

さて、年を越すための宿を探さなきゃ。
 
え???どこも、休業中・・・!
 
どうしよう?
この寒いのに野宿か・・・?!
 
ウロチョロと歩き回った。
どうしよう・・・
 
どこのZIMMER(宿)も年が明けるまで休業と書いてある・・・。
 
年末なのでどこのお店も閉まっている。
こんな時に営業しているのはレストランくらいなもんだ。
 
あ、レストランに行ってみよう!
部屋を貸してくれるかもしれない・・・
 
開いているレストランを見つけて、聞いてみた。

「今日泊まれる部屋はないですか?」

そのレストランの「看板娘?」の綺麗な女性が快く応えてくれました。

 「こんな時期にに泊まりに来る人なんていないから、部屋はあいているわよ」

ここは、GAST HOF(ガストホフ)といって、普段は宿としても利用ができるレストランだった。

安く泊めてもらうことができた。

 「あなたは、どこから来たの?日本人?」
部屋を案内してもらうときにそう尋ねられた。

こんな時期にのこのこやってくる日本人ががドイツ語を話すので、ビックリしていた。
彼女は日本人と話をするのが初めてなんだそうだ。
 
なんで、ここに来たの?
観光?
なんにもないでしょ・・・。
 
彼女は不思議そうに聞いてくる。

「ここで、1990年を迎えたくってね!」
キヨシがそう応えると、彼女は微笑んでいた。
 「変わった人ね」
そう、言いたそうな表情だった。
 
ここで、2泊する事にした。
実に久しぶりにふかふかの羽毛布団で寝られる!

 「あとでレストランに食べに来てね!」

そう言って看板娘は降りていった。

もしや、ここリヒテンシュタインに今、日本人はキヨシだけか?
そんな気がした。駅でも、バスでも街でも誰も見かけなかったし・・・
 
こりゃいいや!
だいたい、泊まれるところがないんだもんね!
 
キヨシはリヒテンシュタインのファドゥーツで90年を迎える。きっと日本人代表だ!
ハワイにはわんさか「日本人代表」がいるんだろう。
 
シャワーを浴び、レストランに降りていくと、そこには、地元の人たちが集まっていた。
みんな、日本人がなんでこんなところにいるのか不思議そうに見ていた。

レストランの中では、ピンボールに興じている少年とおじさんがいた。
どうやら、賭をしているようだ。

キヨシはピンボールが大好き!
彼らの後でやってみた。
 「うまいじゃないか!オレと賭けないか!?」

おじさんがそう言ってきた。

「貧乏だから、やめておくよ!」
そう応えると、おじさんはこの日本人がドイツ語で応えたことに驚いてる。
どうせ、判らないだろうと思って話しかけたようだ。
 
そうすると、さっきまでおじさんと勝負していた少年も不思議そうに話しかけてくる。

 「なんで、外国人なのにドイツ語を話すの?ボク外国人と話すの初めてなんだ~!」
彼らと、「珍客のキヨシ」は楽しく早めの夕食をとった。
 
時計をふと見ると・・・あ、いつのまにか17時過ぎてる!
 
日本はとっくに1990年だ!そしてキヨシはまだ、1989年だ!
くっくっく!日本人代表としてここで年を越すんだ!
 
おじさんにビールをおごってもらいながら、新年が来るのを待った。

ここのビールのラベルはとってもかわいいラベルだ。
コースターもお揃いで、何枚かもらった。

「友情の下で」とかかれたコースターはいい記念になった。

いい宿を見つけたな!そう思った。

みんなでカウントダウンすることもなく、素朴な田舎の素朴なレストランでいつのまにか、地味に新年を迎えていた。
 
Prosit Neujahr!(プロジットノイヤール!)
 
翌朝、ファドゥーツ城へ「初詣」に行った。

リヒテンシュタインで数少ない見所の一つだ。

もう1泊ここでのんびりしてから、エフィ&アレクシの住むジュネーブへ向かうことにした。
 
さぁ、これからの旅はドイツ語が通じないぞ!
頑張らなきゃ!
 
出発の朝、ファドゥーツ駅の木は凍っていた。
そして、その素朴な駅を後にした。

23【島へ】

1989-12-28 | 【イタリアに恋したわけ】
ハンブルクから更に北へ・・・
「そこ」へ向かう列車は1日に何本か出ている。
 
どんなところを通って、「島」に行くんだろ?
 
列車内は人もまばらだ。その列車はコンパートメントのない普通のローカル列車だった。
両側の景色がしっかり確認できる。
 
ハンブルクの駅で買った、ドイツ丸パンのサンドイッチと、ガス入りのミネラルウォータで、朝食をとりながら、島までの景色を楽しんだ。
 
2ヶ月間過をごしたハイデルベルクとは景色が違う。
どことなく寒い感じがした。
 
車窓からの景色を眺めていると列車がだんだん海へ近づいていくのが判った。
そろそろ、「その島」だな。
そう思っていると、海が見えてきた。
「海岸線を走っているのか・・・」
しばらくその海を眺めていました。
寒そうな海だな・・・これが北海か・・・
 
北海(NORDSEE)・・・ドイツ全土にある「海の幸のファーストフード」のお店の名前になっている、その「NORDSEE」が眼下に広がっている。
そうだ。ドイツって北にしか海がないんだね。
だから、北ドイツでは海の幸が豊富なんだ・・・
改めて実感した。
それにしても、寒そうな海だな・・・
で、「その島」はどこなんだろ?
いつまで、海岸線を走っているんだろ?
そう思って、何気なく反対側の窓に目をうつすと・・・。
 
え?!
反対側も海だ!
 
あわてて、反対側の席に移った。
 
こっちも「海岸線」を走っている!
 
どういうことなんだ?
そうだ!あの島へ続く道なんだ・・・
あの島は「前方に」あるんだ!
 
地図で確認してみた。
 
その島・・・WESTERLAND-SYLTへ今、まさに海を渡っているんだ。
列車の両側が海なんだ・・・確かに地図ではそうなっている・・・
陸続きだったんだ・・・この島は。
 
その想像を超える景色に圧倒されていると、両側に陸地が開けてきました。
島に着いたんだ!
 
その島の終点の駅は、閑散としていた。
それもそのはず、ここはリゾート地。
こんな年の瀬にやってくる人なんていない。
 
貸し切りか?
 
いかにも、リゾート地を思わせる駅前から、すこし歩いていくと海岸にたどり着く。
その島・・・SYLT島は南北に細長く、東側が本土とつながっている。
その終点は、「西の国」・・・WESTERLAND。
その島の西端が南北にどこまでものびる海岸線になっている。
近くにはリゾートホテルが立ち並ぶ。
夏は賑わうんだろう。

「これが北海なんだ・・・」
 
荒々しい冬の北海がまさに眼下一面に拡がっている。
 
海の向こうは・・・イギリスだ!!
だけど、なにも見えない・・・この島から、イギリスまでなにもないんだ。
見えるのは水平線だけだ。
 
瀬戸内海を見て育ったキヨシには少し不思議だった。
「海の向こうには陸が見えて当たり前」だったからだ。
 
今、目に映るのはどこまでも続く北海だった。
しばらく、海岸で海を眺めてたたずんでいた。
そして、ここがにぎわう「夏」を想像して楽しんだ。
 
駅まで戻り、NORDSEEで遅めの昼食をとった。
駅の売店で、絵ハガキを何枚か買った。ハイデルベルクの姉御たちに絵はがきを書いた。
絵はがきを見るとホントに夏はにぎわっているのが判る。
 
ドイツでは海水浴なんてできるところ少ないんだろうな。
 
あ~!夏にまたここへ来たい!
そう思いながら、WESTERLANDを後にした。
 
また、あの道を列車で通って、帰るのか・・・
少しわくわくしていた。

22【一人旅の始まり】

1989-12-26 | 【イタリアに恋したわけ】
フィレンツェのナターレ25日は、朝から姉御たちとは別行動になった。

 「お昼になったらドゥオーモの前にいてね!」と待ち合わせをすることになった。

ぶらりと一人で散歩を楽しんだ。
ポンテベッキオ(古い橋)のかかるアルノ川を眺めていると、ハイデルベルクのアルテブリュッケ(古い橋)のかかるネッカー川を思い出した。
ずいぶん違った眺めだが、川はいい。好きだ。

昼になり、待ち合わせの場所に行くと姉御たちは買い物袋を手に下げてキヨシを待っていた。

そっか、買い物したかったから別行動だったんだな・・・。

するとその買い物袋の中からひとつ取り出して、「はい!ブオンナターレ!(メリークリスマス)」といって、キヨシにプレゼントをくれた。

ネクタイだった。突然のプレゼントにびっくりしていたキヨシだが、姉御たちはこう言ってくれた。
 「キヨシくん紳士的だったからご褒美よ!あたし達は社会人なんだからこれぐらいはさせてね」
 「ホントよ。楽しいクリスマスだったんだから!帰りの夜行もボディーガードよろしくねっ!」

キヨシはピサの斜塔を見に行きたかったのだが、どのみちこの時期は登れないしいつでも来られるし!「お姉さま」たちと一緒にハイデルベルクに戻ることにした。
夜行列車のボディガードを兼ねて。

ハイデルベルクに帰ってきたその日はお姉さまの部屋に泊めてもらい、ぐっすり紳士的に眠った。
翌朝、「キヨシくんの一人旅に必要のないものは、ここに置いていけば?」と提案してくれた。

 「旅の途中で寂しくなったり、お金がなくなったりしたら、いつでも泊めてあげるからね、無理し
ないで帰ってきなね」

優しいお姉さまたちと知り合えたことに感謝!
その感謝の気持ちを込めて、旅先から何度か絵はがきを出すことにした。

さぁ!ホントに一人になったぞ!
さてどこへ行こうか・・・?

とりあえず、ハイデルベルク駅で時刻表とにらめっこ・・・。
よし、ハンブルクへ行こう・・・こんどは北上だ!
 
なんとなくそう思って、ハンブルクまで夜行列車で行くことにした。
この季節の夜行列車はそんなに人がいるわけではない。

ましてや、2等コンパートメントなので、シートの予約もいらない状態だ。
荷物も身軽になったし、気楽に夜行に飛び乗ることができる・・・。
どこか、「自由」な気がして、うきうきしている。
 
1枚のパスを手に、いつでも好きなところへ行ける!
 
銀河鉄道999の鉄郎より気軽だ。
鉄郎には、途中どの星に行くのかっていうのは決められないからね。
 
ただ、キヨシにはメーテルがいない・・・。
 
ま、それはどうでもいいや!電車で移動中はゆっくりドイツ語、イタリア語、スペイン語、フランス語
の勉強だ。
メーテルがいたんじゃ勉強なんて手に付かないし。
 
そんなことを考えながらいつの間にか眠っていた。

ハンブルクへはまだ、日も昇らぬ早朝に到着した。
 
さて、何をしよう・・・
 
そういえばビートルズがデビューしただか、活躍しただかのお店があるんだっけ?
そのお店を見て、少しブラブラしただけで、キヨシはハンブルクに飽きてしまった。
 
ここで発見できたのは、北ドイツの人の顔って南部のそれとちょと違うということだけ。
なんとなく、冷たい印象というか、頑なな感じが印象的だった。
数日前までイタリアにいたせいかもしれない。
 
さぁ時間がたっぷりあるぞ〜。
何しようかな?
 
都会は面白くないな・・・
よし、もっと北まで行ってみよう!

駅へ戻り、路線図を眺める。
あれ?こんなところに島がある・・・それに鉄道もつながっている=タダでいけるじゃん!
これは行くしかないでしょ・・・!
キヨシの銀河鉄道はいろんな道草をくえるからいいね。
 
よし日帰りできそうだし行ってみるか。
 
ん?日帰りって・・・ハンブルクに戻ってきてどうする?
今のうちに宿でも探しておくか・・・
 
ん・・・でもフィレンツェでは少し贅沢したし、ここは切り詰めて・・・
都会のホテルは高いしね・・・
よし、ここハンブルクに戻ってきたら、また夜行だ!

だってタダで寝られるもんね〜!
ミュンヘンあたりまで南下しようか。
そうだよ。やっぱりKioschiには南だよ。
バイエルンだよ!ラテンだよ(?)!
 
---
 キヨシにはひとつの考えがあった。
 1989年と1990年の境はできるだけ日本人のいないところで迎えよう!
 キヨシだけの「迎春」いいね~~!
 
 80年代が終わり、90年代の始まりだ!
 そんな区切りに滞在したいところ・・・
 キヨシはいったいどこで年を越そうとしているんだ?
---
 
ここハンブルクで宿はとらずに、リュックをコインロッカーに預けて、島へ向かった。
 
その島も日本人はいなさそうだ。
どうやらリゾート地らしい。
真冬のリゾート地・・・観光客なんているわけがないさ。
そんなとこ行っても寒いだけか?
いや!海が見たいのさ!北海がね!
 
さて、その島とは・・・?

21【12月24日】

1989-12-24 | 【イタリアに恋したわけ】
姉御たちの悪い冗談にアワアワしていたが、当然のごとくエクストラベッドで朝を迎えた。

今日はクリスマスの前日・・・そう、今夜は「イヴ」
キヨシが初めて海外に来て、初めて迎えるクリスマス。
 
それがここフィレンツェ。

素敵だ・・・
あの小悪魔のような姉御たちさえいなければ・・・!
 
日本では24日の方がなんだか特別な日みたいになっているけれど、ここヨーロッパでは、24日はあくまでも「前日」で、その夜は「イヴ」であるというだけだ。本当に大切なのは25日なんだろう。

「翌日」の26日までを「クリスマス」とよんでいるようだ。
 
さて、そんなクリスマスの雰囲気ばっちりのとき、キヨシは、すっぴん小悪魔姉御たちと過ごす。
ま、旅は道連れ世はなんとかだ。

「一夜(夜行列車を入れたら二夜?)をともに過ごした」のでかなり仲良しトリオになっていたようだ。
「私たちクリスマスに何やってるんだろうね」って誰からともなくそんなことを口にしていた。
 
ホテルのフロントの話によると、今夜はドゥオーモでミサがあるようだ。
夜は、ドゥオーモと予定があっさり決まった。
 
姉御たちは、街ゆくカップルを眺めては、溜息・・・

「ホントにイタリア人っていい男多いよね~」

と嘆きにも聞こえるつぶやきばっかりです。

「キヨシくんがイタリア人だったらな~」だとさ。

どうせ、わたしは関西系日本人ですよ!とふてくされてみせると、「キヨシくんもいい感じだよ!まあ、そんなに落ち込むな!」となぐさめて(?)くれた。

まぁ、ひとりぼっちでクリスマスを過ごすより「まし」なのかもね!
 
イタリアの素敵カップルを鑑賞していると、お腹も空いてくる。
いったんホテルに戻ることなった。
何やら姉御たちの様子がおかしい。

「ロビーで待ってて!」

ホントにマイペースな人たちだ。
そんなことを考えながらしばらくロビーで待っているとホテルのフロントのオヤジが話しかけてきた。


まだイタリア語はよく理解できない。
それでもオヤジは話し続ける。

どうやら姉御とキヨシの関係を知りたいらしかった。
「ニエンテニエンテ!(何にもないよ!)」と笑ってこたえた。

すると、すっぴん小悪魔姉御たちフロントへやってきた・・・え???

姉御たちは変身していた。
フロントのオヤジも「ベッラ!ベッラ!(美しい)」といって姉御たちの顔をなでていた。

ちぇ、なにいい女に変身してんだよぉ!

そんなわけで今日のところは貧乏をやめて、ちょっとましなレストランに入った。
キヨシもイタリア人を気取り、ちょっとエスコートしてみたりした。
 
夜になると、カップル達がドゥオーモの方に集まってくる。
その誰もが綺麗に着飾ってはいるが、ミニスカートの人はいない。
もちろん教会に入るんだからそれは当たり前のことだ。
メイクアップ姉御たちもそれは心得ていたようだ。
 
見よう見まねで、十字架をきり、ドゥオーモに入った。
もう、席はほとんどうまっていた。
信者たちのじゃまにならないように、端っこにすわることにした。
 
ドゥオーモの中はロウソクの明かりだけで照らされている。
 
昼間に見たときとは全く違う光景だ。
 
いくつもの彫刻がロウソクの明かりに照らされ、まるで生きているように見えた。
それぞれの彫刻に生命が宿ったかのうように見えた。

3人ともそれを感じたのか、誰も言葉を発しなかった。

昼間には、なにも感じなかったのに「この時」が来るとドゥオーモはかわる・・・
いや「本来あるべき姿に戻る」そんな印象がこころに残った。
 
そうなんだ、この時のためにドゥオーモが建てられたんだ・・・。
 
だから、彫刻も生きているように見えるんだ!
キヨシはこの日にここへ来て良かったと思った。
本当のクリスマスを知れた気がした。
 
ううん。きっとこれはナターレ!
イタリアのクリスマスなんだ!

ドイツのヴァイナハテンは、見られなかったな・・・。
少しだけ残念だった。


ミサが始まった。
 
イタリア語なので、ほとんど理解できなかったが、何故かこれらの言葉は「神様に届いているんだろうな」と確信できた。

イタリア語の素敵な響きが耳に残った。

このとき確かに『イタリア語』に恋をした。






20【エンリコの街フィレンツェ】

1989-12-24 | 【イタリアに恋したわけ】
さて、朝早くフィレンツェに到着した男女3人はまず滞在先を探さなくてはいけない。

お姉さんたちは「寒い~」「眠い~」と言いながらも「おおイタリアだ~!」と当たり前のことを言っている。
どうやら、このおきらく姉さんたちはホテルも何もとっていないらしく、何のあてもなくプラプラしに来ただけらしい・・・。
ま、それはキヨシも同じことだけれど。

「キヨシくん、私たちと一緒に泊まる?」

ビックリした。キヨシ(19歳)は戸惑っていた。
だって、お姉さんたちと一緒に泊まるなんて・・・。
しかも世間じゃ、クリスマスですよ!
どうなっても知りませんよぉ!

「その方が安上がりでしょ?」

あ、なるほどね!

どうやら、お姉さんたちのたったひとつの予定は、「12月24日と25日をイタリアで過ごす」ということらしい。

お供させられることになった。

ま、いっか!
お姉さんたちはキヨシを男とは思って見てないでしょ・・・。
思いっきり、すっぴんだしさ・・・。

信頼されきっているということで、男として嬉しいってことで・・・。
 

さて、駅から街の中心に向かって歩きつつ安そうなホテルを一件ずつあたっていった。

ホテルのフロントではドイツ語が意外と通じるもんだ。
キヨシは頑張って、イタリア語でも話してみた。

イタリア語も交えて話を進めていくとホテルの人はとても親しげに接してくれた。
 
あ、そっか・・・お姉さんたちはこれを期待していたのか?
 
いくつか交渉したなかで、いちばん値引き率の良い安いホテルに決めた。
 
ダブルルームのシャワー付きで、エクストラベッドを用意してもらい、その追加分がキヨシの支払い分となった。安上がりだ!


「キヨシくんがいなければこんなに安く泊まれなかったよ」と感謝された。
安いホテルにしてはなかなか快適な広さの部屋だった。

部屋に入ると、お姉さんたちはキヨシに何の気兼ねもなくシャワーを浴びた。

「のぞいちゃいやよ!」だって。

ホントに男として見ていないのね・・・。
次第にお姉さんたちのペースにはめられていく。

そして、キヨシもシャワーを浴び、夜行列車の疲れをとると、お昼を食べよう!と3人で街へ出かけた。
 
そっか、ここはフィレンツェ!さすがにドイツとは印象が違う。
エンリコの街なんだね・・・。
 
でもエンリコはスキーに出かけてていないんだ。
 
3人で仲良く(?)ウロチョロと歩いてみた。
ドゥオーモ、ポンテベッキオ、ジェラテリア・・・

フィレンツェの街はドイツとはまた違ったクリスマスの雰囲気だった。

のんびりと街を楽しんでいたんだけれど・・・昼食をとったレストランから出たその時!!!

お姉さんのリュックに新聞紙を手にした子どもたちが群がってきた。
あっという間に囲まれた。

「怖い!」「え?何?」とお姉さんたちは不安そうにつぶやく。

「いい?走るよ!」
キヨシが号令を出して、一目散に走った。

しばらく走り、人通りの多いにぎやかなところまで来て、一息ついた。子どもたちの姿はもうない。

「あぶなかったね!キヨシくんありがとう!」

そう言ったお姉さんのリュックのファスナーは見事にあけられていた。
一瞬の出来事なのに・・・。
 
あけられただけで、盗られたものはないようだった。とっさに走ったのが良かったようだ。

夕方までぶらぶらした後、ホテルに戻った。

するとお姉さんが「キヨシくんは今日は活躍したから、ダブルベッドで寝ていいよ!私たちはじゃんけ
んして、キヨシくんの相手を決めるから・・・!」

な、なんですとぉ・・・!!!とアワアワしているキヨシをみてお姉さんたちは、悪戯に微笑んでいた
・・・。


19【旅・・・出発!】第二部『再会』

1989-12-23 | 【イタリアに恋したわけ】
さて、どこに行こうか?
とりあえずユーレールユースパスは、使い初めた日からに2ヶ月間有効だ。
ヨーロッパの鉄道はこれさえあれば乗り降り自由。

予算は・・・あと30万円くらいは残っている。
とにかく移動には出費しなくてよい。

ホテルは1泊4000円くらいかかるな~。
ユースホステルなら1泊1000円くらいってとこか。
60日分の食費は・・・1日2000円で切り詰めると。
12万円は使うのか・・・。

ホテルはできるだけやめた方がいいね。
あ、帰りにお土産も買わなきゃ・・・。
ま、貧乏旅行なら、充分やっていけそうだ。
 
さてさて、どこに行こうか?
エンリコは年末にスキーにでかけるって言っていたし、エフィー&アレクシーも年が明けたらジュネーブにおいで!って言っていたし。
1月の最初にジュネーブにいればいいので、それまでの約10日は自由プランだ。

よし、まずイタリアだ!

エンリコの国を見てみようっと。
 
登山用のリュックを背負い、ハイデルベルク駅まで向かった。
列車の時間を確認だ!

夜行列車ならホテル代もかからないし、どこまで南下しようかな・・・
 
エンリコはいないけれど、フィレンツェに行ってみようか!やっぱりエンリコの街が気になるね。
あ、その近くにピサがあるね。
斜塔も見たいしね。
 
よし、フィレンツェに決定!
 
夜行列車の出発までまだ時間がある。
列車内で食べるものを調達して、駅前にあるケバップ屋さんで一息ついた。
このケバップがキヨシには贅沢な食事だった。

夜行列車が到着した。
初めての遠出だ。

パスで乗れる2等客車のコンパートメントを探す。
簡易寝台は予約が必要で、別料金をとられてしまうのでコンパートメントしか乗れない。

比較的車内は空いていた。
車内の通路を歩きながら、まだ誰もいないコンパートメントはないものかと探していると、ハイデルベルク旧市街の日本人向けお土産屋さんのお姉さんたちがいた。
 
「あ、こんばんは」
 「あ~キヨシくんじゃない、どこに行くの?」
「フィレンツェに行こうかなって思ってます」
 「そうなんだ~!!私たちもフィレンツェに行くのね。よかったら一緒にどう?キヨシくんはドイツ語しゃべれるから頼もしいし、イタリア語だってしゃべってたじゃない。それに、女二人だと夜行列車は危険だしね」
 
クリスマス休暇でフィレンツェに行くようだ。

彼女たちは、ハイデルベルクで働いているが、日本人観光客相手のお仕事なのでドイツ語はあまり話せない。
キヨシは一度、シモーネ(プレジデント)を紹介したことがあった。シモーネが日本人向けのお土産屋さんに興味を持っていたのだ。さすがはイタリアの観光地のホテルの御曹司だ。見るところはみているようだ。
お土産屋さんのお姉さんは男前のシモーネをとても気に入っていたようだった。

まだ誰もいない6人がけのコンパートメントがあったので、そこを3人で占領することにした。
中からカーテンを引けば、まず他の人は入ってこない。
混んでいれば容赦なく入ってくるが、この時期は大丈夫そうだ。
 
コンパートメントの向かい合っている座席をそれぞれ引っぱり出してくっつける。
コンパートメント内が一つの部屋のようになり大人3人が並んで横になれる。
 
キヨシは二人のお姉さんをまもるべく通路側を志願した。

旅の初っぱなで、いきなりお姉さんたちと一緒の夜行列車・・・ちょっと「ウブな」19歳のキヨシには刺激が強かったかな?
3人とも疲れて眠ってしまうまで、たくさんおしゃべりをした。楽しいお姉さんたちだ。
 
何事もなく、列車はほぼ定刻通りフィレンツェ・サンタマリア・ノヴェッラ駅に到着した。



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18【さようなら】

1989-10-22 | 【イタリアに恋したわけ】
最後の授業が終わり、日本へ帰るまでの2ヶ月間、みんなの家を訪ねて歩くことに決めた。

12月の残り数日は一人でウロチョロしよう。
みんなはクリスマスで、どこかに出かけるらしい。
「1月になったら来てね」と口をそろえて言っていた。

1月にはジュネーブでエフィー&アレクシー、そして、レスリーに会い、スペインへ行こう。
そこでクリスティーナに会う。
ストックホルムのモーリンに会う前にパリにでも寄って・・・適当にドイツに戻って一気に南下!

2月にはミラノでカルラとエレナに会おう。

そして、最後にはエンリコのフィレンツェへ行こう。
かなり大ざっぱだが、日程をたてた。

「住所と電話番号があれば何とかなるでしょ!」と安易に考えていた。

しかし、現実はどうだ?
例えば、クリスティーナ・・・ 家の人は誰もドイツ語はおろか、英語も通じないらしい。

『電話にだれか出たら、ひたすら「クリスティーナクリスティーナ」ってしゃべり続けてね』だって。

少しくらいスペイン語も勉強しなくちゃいけないな!
エンリコも・・・ 同じくイタリア語のみだそうだ。
少しくらいイタリア語も勉強しよ!  
え?レスリーも・・・
少しくらいフランス語も勉強しよ!

それならばと、ドイツ人用の旅行会話の本を買った。イタリア語とスペイン語とフランス語はこれで大丈夫だ。
この日から、キヨシのマルチリンガルな能力がためされることになった。やっとドイツ語が話せるようになったというところなのに・・・。 

さて、いよいよ、みんなと「さようなら」を言わなければならないときが近づいてきた。  

「Auf Wiedersehen」

丁寧な別れの挨拶だ。
直訳すると「また逢えるときまで」というような意味だ。  

さよならは別れの言葉じゃなくて・・・ なんて歌を思い出した。

そう、またきっと会える。 実際に会いに行く計画も立てた。
そう思うことで悲しみを遠ざけた。しかし現実は違った。

今日はクリスティーナが帰る日だ。
ハイデルベルク駅から、長距離バスで帰国するらしい。  

「そっか、陸続きなんだ」と 改めてヨーロッパ大陸を実感した気分になった。 

バスの窓に『電話するからね~』と手を振ると、
『キヨシ!きっとタラゴナに来てね!』と手を振り返してくれた。

キヨシはクリスティーナの家に行く。だけどエンリコは会いに行かない・・・。
クリスティーナは涙を浮かべていた。 エンリコもちょっと寂しそうに手を振っていた。

『電話するよ!』とエンリコは泣きそうな声で言っていた。

横にいたエレナは泣きじゃくっていた。

これから毎日、お別れの日が続く。  
不思議だった。
また会えるからなのか、 悲しくはなかった。強くなったのか?
それは大きな誤解だったことに、ずっと後で気付かされる。

エンリコが帰る日が来た。

カルラもエレナもみんな帰っていった。あとはエンリコだけだった。
もちろん駅まで見送りに行った。
エンリコは『来なくっていい!』と頑固に見送りを断っていたが、そんなわけにはいかない。

『第一その大荷物はひとりじゃ駅まで持っていけないだろ!』と説得してついていった。

エンリコはフィレンツェまで夜行列車で帰るそうだ。
夕方になり、重い荷物を抱え、駅のホームに着くと、エンリコは言った。

 『キヨシ、きっと本当にフィレンツェに来るんだよね!』と。

『もちろんだよ!泊めてくれよ!』元気を装ってそうこたえた。

 『じゃぁ今はまだ本当のお別れじゃないね』とエンリコも元気を装ってそう返した。

『そうだよ、また後で!だよ』

 『そうだね、また後で!だね』

列車が到着するまでの間、お互いに顔を見ることができなかった。
なんでこんなに寂しいんだろう。また会えるのに・・・。

列車が到着すると、エンリコの大荷物を持って一緒に乗り込んだ。すぐに発車するようなので、慌てて降りた。
エンリコとその大荷物を乗せた列車ゆっくり走り出した。
少し追いかけると、窓からエンリコが大きく手をふった。

キヨシも大きく手をふってこたえた。

エンリコのふる手が見えなくなった。  

そして列車も見えなくなった。

そしてつぶやいた。 「会いに行くからね・・・」 涙が少しだけこぼれた。

「さびしいな・・・」

とうとうひとりになってしまった。
すっかり日が落ちたハイデルベルクをうつむきながら歩いて寮まで帰った。

部屋に戻り、これからの旅の支度を始めた。もう部屋には何もない。

2ヶ月前に入ってきたときと同じだ。
いや、同じではない。あの時よりこの部屋は寂しく見えた。
荷物を登山用のリュック一つにつめ終えて、ベッドへほうり投げた。

部屋は、がらんとしていた。

エンリコはもういないんだな・・・楽しかったな。

オレ、イタリア語も勉強するよ!
またたくさん話をしような!

エンリコのベッドに話しかけた。涙が止まらなかった。

さぁ!明日出発だ!

で、まずどこに行くんだっけかな・・・。  

イタリアに恋したわけ(第1部)

・・・Ende・・・

17【カメラマンキヨシのハイデルベルク撮影】

1989-10-22 | 【イタリアに恋したわけ】
ハイデルベルクについて、早くも2ヶ月が過ぎようとしている。

そんなある週末、しばらく続いていた雨もあがり、寒さもすこしやわらいだようだ。今日は天気もいいし、撮影日とすることにした。
 
キヨシは、ここへ来るための資金稼ぎとして、家庭教師とカメラ屋でアルバイトをしていた。そのカメラ屋で安く買ったコンパクトカメラを持ってきていた。
そのカメラは、なかなかの優れものでリモコンが付いていた。セルフ撮りには、我ながらいいカメラを選んだものだ。

映画ブラックレインの影響もあり、優作を気取ってみたりして、いろんな写真を撮った。
ただ、キヨシはそんなにたくさんの写真を撮るつもりはなかった。
「思い出はこころのアルバムに・・・」 なんて、かこつけてたりしてたからか?いや、フイルムをけちって、持ってきてないだけだ。

あまりにけちってばかりいてもベルリンの時の後悔はしたくない。そう思い、2ヶ月間過ごしたハイデルベルクを撮影した。

最初に腰をおろして涙したあの川畔  
ハイデルベルク城を見上げる形で古い橋  
ネッカー川の水鳥  
クリスマス色の古い街 
人通りの少ない裏小道  
哲学の道から、古い街を一望  
学校の住所表示板・・・

いろいろ写真を撮って寮にもどった。
「そうだ!エンリコを写真に撮らなきゃ! 」 
部屋に入るととエンリコは、うつ伏せに突っ伏して寝ている。

「まったく・・・靴も脱がないで・・・」 1枚頂き! フィルムの巻き上げ音でエンリコがキヨシの帰宅に気付いたようだ。
 
 『キヨシ!何をやっているんだ?』と問い詰める。

『写真だよ!』

 『なんて格好をうつすんだよ~』と少しむくれっつらだ。

『いいじゃん!ありのままだよ』と諭した。

 『判ったよ・・・今度はちゃんと撮ってくれよ』とまだむくれている。

『ああ、そうするよ、じゃあこっち向いて!』と言うと、

 『今は寝起きだから後にしてくれ』と返されてしまった。

そんなことを話しながら、エンリコもなにやらごそごそとカメラを取り出した。

 『オレも写真を撮らないとね・・・まだ、一枚も撮っていないよ』 そういいながら見せてくれたカメラは・・・

なんてレトロな! 骨董品かと思えるような、古い古いカメラだった。
ホントにこれで撮れるのかな? と思わせるようなカメラだった。

エンリコも、『このカメラで写真を撮るのは初めてなんだ~』とのんきなことを言っている。

そのときエレナとクリスティーナが部屋を訪ねてきた。

『何をやっているの?』とテーブルに置かれたキヨシのカメラをみるなり、エレナは『あたしの写真は欲しくな~い?』とポーズをとった。

『じゃ、クリスティーナと一緒に撮ろうよ』と提案したが、クリスティーナは困った顔で『私は写真に撮られるのが嫌いなの・・・だからダメ!』 だって、残念・・・。

『だけど、記念だし思い出だし、うまく撮れなければ捨てちゃえばいいんだし・・・』と、クリスティーナを説得しエレナと並んでの写真を撮った。

クリスティーナは恥ずかしそうにうつむいていた。
エンリコも、フラッシュのついていないそのレトロなカメラで、撮り始めた。
エレナはしきりにポーズをとっていたが、エンリコは、誰も写らないように部屋の写真ばかりを撮っていた。

しかしこれが、全然写っていないことに気付くのは、エンリコがフィレンツェに帰ってから、しばらく後のことだった。
翌日学校へ行くと、みんなカメラを手に持ってきていた。
今週でお別れになってしまうので、写真を撮ろうということになった。

いつもお昼を一緒に食べてたくさんおしゃべりをしたエフィー&アレクシー
夜遊びに誘ってくれたレスリーにモーリン
結局、何一つドイツ語が上達しなかったプレジデントシモーネ
ベルリンまで一緒に行ったロベルト
いつも優しかったカルラ

みんな、ウチに遊びに来てね!と誘ってくれた。
別れるのはいっときだ。すぐにまた会える。そう思っていた。