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”ミスター・ゴング”竹内さんの思い出 ②

2012-05-06 15:00:27 | 日記
◆一昨日は 「お通夜」 ,そして昨日は 「告別式」 と,竹内さんとの〈最期の別れ〉は”都下”調布市の 「メモリードホール」 で,しめやかに営まれました。

「お通夜」には坂口征二 ・ 新日本プロレス相談役を始め,藤波辰巳,武藤敬二, グレート小鹿,百田光雄,新崎人生……と,竹内さんの長い記者生活と竹内さんの”人徳”からか多くの人達が訪れた様です。

勿論『週刊ゴング』や『週刊プロレス』の記者や元記者ら懐かしい顔が揃い,さながら "同窓会"の様な雰囲気だったみたいです。私も,その輪の中で"旧交"を温めたいと思っていたけど,余りに急な出来事で……改めて竹内さんの仏壇に手を合わせたいと思っています。


竹内さんとは『ゴング』と『プロ・ボク』という "ライバル"関係にありながら陰でよく会ってましたね。 (笑)勿論,表立っては出来なかったけど, プロレスを仕事としてた藤沢さんより"マニア”の竹内さんの方が "相性" が ピッタリだったからでしょうか……。

大抵は水道橋の駅の近辺か春日の喫茶店で会う事が多かったけれど,会えば プロレスの話に花が咲いてましたね。 (笑)当時,私は朝といわず夜といわず飲み物といえば コーラかスプライトでしたが,竹内さんも私と同様に”下戸”だったし,二人で会った時に注文するのは決まってコーラでした。(笑)

それに竹内さんは ウオークマンや小型の ビデオ ・ カメラ等,新しい物が出るとよく買っていた様な記憶がありますね。 いわゆる新し物好きというんでしょうか……そういうところも似ていましたね。 まあ,こういう仕事をしてる者はそういった感覚って必要じゃないかと思うんですけど。 私もウオークマンやビデオ ・カメラ,小型の携帯テレビなんか買っていました。

私が『プロ・ボク』を辞め(フリーとなって)竹内さんと仕事を一緒にする様になったのですが …… 『ゴング』での最初の仕事は, 国際プロレスを辞めてWWWFで活躍していたストロング小林への同行取材だったと記憶してます。 この時が初めてのニューヨークでした。

ニューヨークやミネアポリスに住み着いてプロレスの取材をしていても,毎日の事でもないので普段はレストランでバイトをしていましたが,寂しさを紛らわす為に? よく竹内さんに電話していました。勿論,コレクト・コールでしたけどね。(笑)そうしょっちゅう電話されたんじゃ,いい迷惑だったでしょうね。

多分,この頃だったと思うけれど,ある時に送られてきた 『月刊ゴング』の折り込み ピンナップの中に1万円札が貼付けてあったのです。 アメリカでの生活ぶりを電話口でポロッと言ってしまったのでしょうか? この事は30年以上経った今でも忘れません。 竹内さんとの事は書き尽くす事が出来ないけど,この続きはまた何かの機会に……。 ではまた。  <茨城>

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