ドキュメンタリー映画「”私”を生きる」
監督・撮影・編集 土井敏邦(2010)
DAYSJAPANの写真展が津市であり、この映画が上映されていた。
主人公は、「君が代」のために起立し、歌うことを拒むために
戦っている東京都の小、中、高の3人の教師。
最初の根津さんは、拒んだために停職処分を受けた人だ。
ちょうど自分が高校生の頃、国歌や国旗を法的に定めるべきか、
その反対の動きと併せて世の中に議論があったような記憶がある。
友人とも話していたのだけど、
国歌を歌う、歌わないのは自由に決まっていると思う。
この教師らは国歌の内容に(天皇制を表すとか、軍事国家の歴史の証左だ、とか)
反対の主張があって行動を起こしているのだと思うが、
そういう議論を含んでいない、極端に言えば歌詞のない国歌だったとしても、
起立する、しないは個人にゆだねられていると思う。
それは基本的人権だし、国「家」についての考え方の自由、表現の自由だ。
と思うのだが、「東京都の教育委員会はここまでするのか」と驚く内容ばかり。
現場の教師が起立しようがしまいが、都教委にお金が入ってくるわけでもないと思うので、
「思想的統一性」を高めようというのが、彼らの行動原理なのだろうか。
それを、「平等な教育機会」とかと言ったりするのだろうか。
いずれにしろ、君が代、国旗の問題とは何か、法律で定めた経緯、その後の運用など、
一度勉強しようと思った。
その上で、自分が抱いている「そんな権利、認められて当たり前でしょう」
という感覚を、説明できるようにしたい。
監督・撮影・編集 土井敏邦(2010)
DAYSJAPANの写真展が津市であり、この映画が上映されていた。
主人公は、「君が代」のために起立し、歌うことを拒むために
戦っている東京都の小、中、高の3人の教師。
最初の根津さんは、拒んだために停職処分を受けた人だ。
ちょうど自分が高校生の頃、国歌や国旗を法的に定めるべきか、
その反対の動きと併せて世の中に議論があったような記憶がある。
友人とも話していたのだけど、
国歌を歌う、歌わないのは自由に決まっていると思う。
この教師らは国歌の内容に(天皇制を表すとか、軍事国家の歴史の証左だ、とか)
反対の主張があって行動を起こしているのだと思うが、
そういう議論を含んでいない、極端に言えば歌詞のない国歌だったとしても、
起立する、しないは個人にゆだねられていると思う。
それは基本的人権だし、国「家」についての考え方の自由、表現の自由だ。
と思うのだが、「東京都の教育委員会はここまでするのか」と驚く内容ばかり。
現場の教師が起立しようがしまいが、都教委にお金が入ってくるわけでもないと思うので、
「思想的統一性」を高めようというのが、彼らの行動原理なのだろうか。
それを、「平等な教育機会」とかと言ったりするのだろうか。
いずれにしろ、君が代、国旗の問題とは何か、法律で定めた経緯、その後の運用など、
一度勉強しようと思った。
その上で、自分が抱いている「そんな権利、認められて当たり前でしょう」
という感覚を、説明できるようにしたい。


思想をコマ切りにして、突き詰めていく感じ。
以前は、コマ切りにしない(できない?)印象を受けたが。
哲学的というか。記者だからか。
裁判の判決を読んだりすると、この部分は棄却、この部分は認められる、というふうに細切れにするから、少し思考がそうなったのかも。
数字が出てこない場合の思考法というか。
思考トレーニングをもっとしたい年頃だよ、題材ばかり与えられて消化不良に…