この懐かしき本たちよ!

まだ私の手元に残っている懐かしい本とそれにまつわるいろいろな思い出、その他、とりとめのない思いを書き綴りたい。

#714 「東京スカイツリーの写真」1(大井川武彦氏撮影)

2011年01月12日 | 寺社、名所、史跡、祭礼

                                      

 

 

 

 

この写真は大井川武彦君の撮影によるものである。大井川武彦君は私の福島県磐城高校の同級生である。

大井川君は今から半世紀よりちょっと前に、私があこがれの福島県の磐城高校に入学したときの私のクラスの委員長であった。

 

昨日、彼は写真添付のメールを送って来てくれた。彼は自分が撮った写真をおりにふれて旧友に送ってくれる。

 

クラスの委員長、写真撮影などというと色白の優等生タイプの高校生を想像するが大井川君のイメージはちょっとちがう。色はなるほど白かったが彼は柔道部に所属していた有段者である。身体は大きく頑丈である。はきものはもちろん下駄。勉強がよくできるという点では優等生タイプであるが、まさに文武両道のナイスガイであった。

 

私の1年の時のクラスは特別なクラスであった。

何が特別であったのか。

私が入学した年に、明治29年(1896年)創立の磐城高校の歴史上はじめて女子学生の入学が許可され、5人の女子学生が入学したのである。

そしてその5人の女子学生が全て私のクラスだった。

そういう意味で私のクラスは特別であった。

 

大井川君は見事に委員長としてこの女子生徒のいる珍しいクラスをまとめていた。このクラスの思い出は楽しいことばかりである。

 

といって、都会の高校生のように、女子生徒と話をするということは全くなかった。私も卒業するまで、女子生徒と話をしたのは数語にすぎなかっただろう。

 

余談だが何故、私が幸運にも数少ない女子生徒と同じクラスになったのかということである。

 

それは入学試験に合格の発表があった後、高校からクラス分けをするから選択科目の希望を出せというのに対し、音楽、図工、書道の中から私は音楽を希望したからであろうと思う。多分音楽の希望者が少なく、1クラスだけの構成になったのではなかろうか。女子生徒は5人すべて音楽を希望したのであろう。

 

学級担当は国漢担当の押切良純生だった。厳しくも優しい素晴らしい先生であった。

 

このころのことを私はすでにこの私のブログで書いている。

 

柔道部の体の頑丈な大井川君と音楽というのはすぐには結びつかないが、彼も選択科目として音楽を希望したのであろう。

 

ということは、写真を撮影するというような趣味は彼に似つかわしくないなどというのは私の勝手な先入観だったのだろう。

 

彼は彼の作品を私のこのブログに掲載すること、そして彼の本名を書くことに了承を得てこのブログを書いている。                  (つづく)

 

 

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画像:大井川武彦氏撮影による

                                                                

 

                                        


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