琉球沖縄独立国Ryukyu Okinawa independent country(琉球國臨時政府)

刑法61条
人を教唆して犯罪を実行させた者には、正犯の刑を科する
2 教唆者を教唆した者についても、前項と同様とする

一旦核物質汚染事故が起こると、『小さくて狭い沖縄島では1,200,000人の避難陸地が無い』

2018年12月27日 00時28分49秒 | 日記

1994年。私は世界で初めて『日米による無法な沖縄核密約』を裏付ける『核兵器専用の弾薬庫』の存在を証言し、危険性を告発しました。琉球沖縄や日本の主要マスメディアを介して」。

(一旦核物質汚染事故が起こると、『小さくて狭い沖縄島では1,200,000人の避難陸地が無い』)
http://y-moto.seesaa.net/article/456460198.html


『日本の司法の闇と、Pro―Japan琉球人』がうごめくなど当然大問題になった、アメリカや世界では勿論のこと。『琉球沖縄のメディアだけでなく日本全国のマスメディアで報道されたので』。


そして現在では世界的にも認められていて、『沖縄の核密約』は常識である:

『沖縄の核密約』が今や常識であることを裏付ける報道の部分的抜粋がこれ:
『2017年11月20日の東京新聞の記事』
https://blogs.yahoo.co.jp/motomurayasuhiko/43469657.html


《沖縄返還では結局、日本復帰後の沖縄への核再持ち込みを認める密約が結ばれたことが分かっているが。米国立公文書館で今年九月に文書を入手した我部政明(がべまさあき)琉球大教授は「米側が当時、沖縄だけでなく日本本土への持ち込みも認めさせようと考えていた事実が判明するのは初めて」と指摘している。》

2017年11月20日の朝刊
https://www.google.co.jp/amp/amp.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201711/CK2017112002000114.html
日本本土 核持ち込み探る 米、沖縄返還時に検討

国際 2017年11月20日 朝刊

1969年6月、マイヤー駐日米大使(左)を外務省で迎えた愛知揆一外相。沖縄返還合意時の首脳共同声明案を米側に提出していた

 【ワシントン=共同】一九六九年の沖縄返還交渉の過程で、有事の際に日本本土へ核兵器を持ち込むことを日本側と合意できないか、米政府が内部で可能性を探っていたことが十九日、機密解除された米公文書で分かった。最終的には日本側に提示しなかったが、米軍統治下の沖縄で米軍が享受していた自由な基地使用権を、沖縄返還を契機に日本本土に拡大する思惑があったことが浮き彫りになった。
 沖縄返還では結局、日本復帰後の沖縄への核再持ち込みを認める密約が結ばれたことが分かっているが、米国立公文書館で今年九月に文書を入手した我部政明(がべまさあき)琉球大教授は「米側が当時、沖縄だけでなく日本本土への持ち込みも認めさせようと考えていた事実が判明するのは初めて」と指摘している。
 六九年六月二十六日付の国務省の極秘文書によると、同月初旬の日米外相会談で、同年十一月に見込まれていた沖縄返還合意時の日米首脳共同声明案を愛知揆一外相が提出したことを受け、米政府は対案を検討した。
 「米側の要望を全て盛り込んだ」声明案の中に、極東有事の際に日本全土への核持ち込みを認める条項を明記。同時にこの案を日本側が表だって受け入れる可能性は低いとみて、付属文書として秘密合意を作るという「日本がより受け入れやすい」別の案も用意した。
 秘密合意案は沖縄返還後に開かれる日米安全保障協議委員会の合意議事録の形式で、日本の外相が駐日米大使に対し、極東有事が起きた際は事前協議に「迅速かつ好意的に対応する」として、日本本土への核持ち込みも容認すると解釈できるやりとりを記していた。
 また朝鮮半島と台湾の有事の際、米軍が事前協議を行わずに在日米軍基地を使用することを認めるとしていた。
<沖縄返還> 1952年4月発効のサンフランシスコ講和条約で米軍統治下に入った沖縄は、72年5月に返還された。65年8月に佐藤栄作首相は、沖縄の本土復帰まで「戦後は終わらない」と宣言し、67年7月から返還交渉が本格化。沖縄から核兵器を撤去し、日米安全保障条約に基づく事前協議制度を適用する「核抜き本土並み」の条件で合意、69年11月に佐藤首相とニクソン米大統領が共同声明で沖縄の施政権返還を発表した。両首脳は有事に沖縄への核再持ち込みを認める極秘文書を交わしていた。 (共同)







私が証言するそれまでは単なる『疑惑』止まりでしたが、『この日米による違法な沖縄核密約は』。
つまり、私が証言するまでは単なる『核疑惑』にすぎなかったので「この1994年当時まではまだまともなジャーナリズムでした、『琉球沖縄や日本の主要マスメディアは』」。


琉球独立論などが『ブラフ』として用いられだしたのはこの1994年の翌年以降です、「『Pro―Japan琉球人や日本人』の『裏切り者や偽善者』」によって。「一旦核物質汚染事故が起こると、『小さくて狭い沖縄島では1,200,000人の避難陸地が無い』」というこの喫緊の課題を、『130年前の明治政府による琉球処分』とこの奴らによってすり替えられたのです。「この『Pro―Japan琉球人や日本人』の『裏切り者や偽善者』」が日本政府からカネをせびるために、「この『沖縄問題の本質』を遥か彼方に遠ざけたその代償として」。

(これは私の推測だが、この時に福建省辺りの中国人が騙されている形跡がある。「『日本の司法の闇と、Pro―Japan琉球人』によって」)

ましてやその20年後です、「この『北海道の独立』の問題が浮上したのは」。

一方、反日琉球人の私の方はどうだったのかというと、こうでした。「私は『琉球独立を勝ち取っています』、『私が証言・告発』した1994年から18年後の2012年4月27日に」。

だから『琉球独立と同時に、北海道の独立』という貴方の推奨のうちの『北海道の独立』は『後付け』です。「『日本の司法の闇と、Pro―Japan琉球人』による」。
これも「日本政府からカネをせびるためのものです。奴ら『Pro―Japan琉球人や日本人』などの『裏切り者や偽善者』によるこの謀略は。日本政府からカネをせびるためのものです。この喫緊の課題である『沖縄問題の本質』を、「『130年前の明治政府による琉球処分』とすり替え、『問題を遠ざけたその代償としての』」。

(これも私の推測だが、私が2012年4月27日に『琉球独立を勝ち取ったこの時。この時にも中国人が騙されている形跡がある、「『日本の司法の闇と、Pro―Japan琉球人』によって」)

実は、私が法廷で闘った後からその話題がばらまかれていたのです。「1945年の第二次世界大戦終結の際の『ポツダム宣言やカイロ宣言』、或いは『1860年代以降といった今から130年以上も古い明治政府によるそのような」過去の琉球侵略の歴史上の古い話題が。


とても重要なことなので繰り返すが。「『45年前まで(1952~1972)のかつての琉球政府の時代のような琉球独立』を唱えていた私が『裁判所』で闘った後からなのです」、今から73年も前や、或いは今から130年以上も古い過去の歴史上の古い話題などがばらまかれだしたのは。

(私は、その7年前の2005年にはすでに唱えていた)。

実は今からほんの5年前の2012年4月27日にはすでに、「私は琉球独立を勝ち取って『拘置所と裁判所』を出ていたのです。」


つまり、『日本の司法の闇と、Pro―Japan琉球人』によって、問題の本質を意図的にすり替えられたのです。『130年前や73年前へと』。


そしてそれまでの私の実績がすべて黙殺されました。つまり、私の実績は掻き消されて『なかったこと』にされました。『私のその琉球独立事件裁判の黙殺と同時に』。(マスコミによる調査・取材はするが報道しない黙殺暴力によって)


これが奴らの常套手段です。その証拠に今日現在も琉球沖縄のメディア含めた日本のマスメディアでの報道は一切ありません。『2012年に先駆けたはずの私のその『琉球独立事件の裁判が琉球沖縄のメディア含めた日本のマスメディアで報道されることは一切ありません』。



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https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=1549949038407202&id=658422160893232



這是在2012年2月25日這個時候的第一個法庭,我決定在晚上,琉球國家的複活(至少我的家人離開日本是獨立的)我做到了。
他如何在琉球上?視我,直到“我身邊的律師應該是琉球人”。這是非常令人震驚的,不僅是日本的法官和日本的檢察官對琉球的?視,還有一個被稱為琉球的律師對日本國家的忠誠。




日本國家的“威脅,強迫,隱身”的“司法,立法,行政”,即同樣的琉球人在同一個同樣的琉球人中也是?視的。換句話說,就是當時我意識到社會制度對“琉球的存在和否認”是敵對的。我決心重建我的琉球國家。
https://blogs.yahoo.co.jp/motomurayasuhiko/43286897.html



It was at the first court at this time on February 25, 2012, I decided on the evening of the night that the resurrection of the Ryukyus country (at least my family leaving Japan from independence) I did it.
How, he has discriminated against me in the Ryukyus until "a lawyer on my side who should be a Ryukyu man." It was very shocking, not only that Japanese judges and Japanese prosecutors discriminated against the Ryukyus, but also the fact that the lawyers who are supposed to be Ryukyus swore loyalty to the Japanese nation.




"Judicial, legislative, administrative" of the Japanese nation who "threatens, compulsion, incognito" that the same Ryukyus people discriminate even among the same Ryukyus who should be the same. In other words, it was the moment when I realized that the systems of the society were "hostile to the existence of the Ryukyus and denying". I am determined to rebuild my Ryukyus country.






Ruler who is bothering people People's nation of Japan and the United States, "" Japanese and Pro-Japan Ryukyus and Americans, including the mass media of Ryukyu Okinawa. "
In recent years there is such a thing, the trial is still ongoing.
This URL is a message when I sent to Asian friends by FB, "I am sorry for" Hong Kong Chaos "by Japan and the West at that time:

http://blog.goo.ne.jp/motomurayasuhiko/e/ea4010c6392e4d23025e7c931e3afe46




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https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=1549949038407202&id=658422160893232