国民的アイドルグループの「公式ライバル」に惜別ムードがにわかに流れ出したことについて語りました。それが「葬式鉄」による早春の狂想曲を彷彿させることについても。その中でいつしか浮上してきたのが、俗に「乃木ヲタ」と呼ばれる人々の存在です。
現場を体験したことがないため、彼等の正体について多分に未知数な面はあります。しかし、巷の噂から類推できる部分もあります。まず、男女比で前者が圧倒的多数を占めるのは鉄道と同じでしょう。年齢層は多岐にわたるものの、握手券、物品の大量購入により金銭的に支える「太ヲタ」ということになると、道楽に気兼ねなく金を使える三十代、四十代の独り者が中心なのではないでしょうか。然りとすれば、身の丈に合った機材で撮影する青少年から、機材と遠征費に有り金を全て注ぎ込む連中まで様々な撮り鉄に相通ずるものがあります。そのことに気付くに至り、たかが数秒の握手のために、彼等が湯水のごとく金を注ぎ込む理由も得心できるような気がしてきました。
日がな一日列車を追っても、本当に納得の行く画は二、三駒も撮れればよい方です。それにもかかわらず列車を追うのは、太公望が釣り糸を垂れるがごとく線路際で列車の通過を待つという行為自体が、何物にも代えがたい時間だからに他なりません。握手もそれ自体は列車の通過と同様一瞬の出来事であり、なおかつどれも狙い通りというわけには行かないのでしょう。しかし、待つという行為自体に楽しみがあることについては理解でき、「推し」からよい反応が返ってきたときなどはなおさらだろうと想像します。一瞬に賭けるという楽しみにおいては、握手も何ら異なるところはないのかもしれません。
通過時刻が迫ると、居並ぶ撮影者が水を打ったように静まり返り、やがて列車が視界に飛び込み、次の瞬間走行音とともに乾いたシャッター音が無数に聞こえて、走り去るやいなや一挙に安堵の空気が流れるといった、現場でしか体感できない無言の連帯感とでもいうべきものが、あちらの現場にもおそらくあるのでしょう。50人も集まれば「激パ」と形容される撮影現場に対し、数千、数万単位の人を集めるあちらの空気は当然異質なものと予想され、人混みを何より嫌う自分には到底踏み込むことのできない世界ではありますが、それでも共感できる部分は少なくありません。
主役の公式ライバル達に関しては、世代の違いもあるのか、親しみこそあっても共感する部分は乏しいのが実情です。しかし「乃木ヲタ」という人種に対しては、似たもの同士の阿吽の呼吸とでもいうべきものを感じています。たとえるならば、キャンプ場に居合わせた旅人同士のような連帯感とでもいえばよいでしょうか。それを含めて一蓮托生、もうしばらく静観を続けようかと思っています。
現場を体験したことがないため、彼等の正体について多分に未知数な面はあります。しかし、巷の噂から類推できる部分もあります。まず、男女比で前者が圧倒的多数を占めるのは鉄道と同じでしょう。年齢層は多岐にわたるものの、握手券、物品の大量購入により金銭的に支える「太ヲタ」ということになると、道楽に気兼ねなく金を使える三十代、四十代の独り者が中心なのではないでしょうか。然りとすれば、身の丈に合った機材で撮影する青少年から、機材と遠征費に有り金を全て注ぎ込む連中まで様々な撮り鉄に相通ずるものがあります。そのことに気付くに至り、たかが数秒の握手のために、彼等が湯水のごとく金を注ぎ込む理由も得心できるような気がしてきました。
日がな一日列車を追っても、本当に納得の行く画は二、三駒も撮れればよい方です。それにもかかわらず列車を追うのは、太公望が釣り糸を垂れるがごとく線路際で列車の通過を待つという行為自体が、何物にも代えがたい時間だからに他なりません。握手もそれ自体は列車の通過と同様一瞬の出来事であり、なおかつどれも狙い通りというわけには行かないのでしょう。しかし、待つという行為自体に楽しみがあることについては理解でき、「推し」からよい反応が返ってきたときなどはなおさらだろうと想像します。一瞬に賭けるという楽しみにおいては、握手も何ら異なるところはないのかもしれません。
通過時刻が迫ると、居並ぶ撮影者が水を打ったように静まり返り、やがて列車が視界に飛び込み、次の瞬間走行音とともに乾いたシャッター音が無数に聞こえて、走り去るやいなや一挙に安堵の空気が流れるといった、現場でしか体感できない無言の連帯感とでもいうべきものが、あちらの現場にもおそらくあるのでしょう。50人も集まれば「激パ」と形容される撮影現場に対し、数千、数万単位の人を集めるあちらの空気は当然異質なものと予想され、人混みを何より嫌う自分には到底踏み込むことのできない世界ではありますが、それでも共感できる部分は少なくありません。
主役の公式ライバル達に関しては、世代の違いもあるのか、親しみこそあっても共感する部分は乏しいのが実情です。しかし「乃木ヲタ」という人種に対しては、似たもの同士の阿吽の呼吸とでもいうべきものを感じています。たとえるならば、キャンプ場に居合わせた旅人同士のような連帯感とでもいえばよいでしょうか。それを含めて一蓮托生、もうしばらく静観を続けようかと思っています。
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