帰宅しました。構成の段階で失敗し、さらには蒸し暑さにもたたられて惨敗だった前半に対し、高知の名酒場を思う存分訪ね歩いて、台風一過の見事な日本晴れにも恵まれた後半は、それを補って余りある完全勝利でした。
そして、この形勢の変化は、夏から秋への劇的な変化に符合していました。前半の蒸し暑さが夏の空気そのものだったのに対し、高知の風の清々しさはまさに秋でした。四季の移り変わりを目の当たりにできたという点では、前半のうっとうしい暑さもある意味悪くなかったのかもしれません。
期待通り、車窓越しに眺める富士山が山頂まで一点の曇りもなく、それどころか山肌まで見分けられるほど、今日の空はどこまでも晴れわたっていました。しかし、この青空こそが「月曜の憂鬱」の正体だということにも気付いてきました。こんな清々しい一日に、無機質な職場に閉じこもって働かなければならないという無粋さを思うと、去年の秋、やはり見事な秋晴れだった九州を去るときに感じたのと同じ、忸怩たる思いを感じずにはいられなかったのです。あくまで生活あっての旅とはいえ、今回ばかりは否応なく始まる日常が煩わしく思えてなりませんでした。
幸いにして、次の連休最終日までは信州も北陸も連日快晴と予想されています。金曜を休んで四日間の日程とするため、あと二日の辛抱です。この青空がそれまで続いてくれることを願ってやみません。
そして、この形勢の変化は、夏から秋への劇的な変化に符合していました。前半の蒸し暑さが夏の空気そのものだったのに対し、高知の風の清々しさはまさに秋でした。四季の移り変わりを目の当たりにできたという点では、前半のうっとうしい暑さもある意味悪くなかったのかもしれません。
期待通り、車窓越しに眺める富士山が山頂まで一点の曇りもなく、それどころか山肌まで見分けられるほど、今日の空はどこまでも晴れわたっていました。しかし、この青空こそが「月曜の憂鬱」の正体だということにも気付いてきました。こんな清々しい一日に、無機質な職場に閉じこもって働かなければならないという無粋さを思うと、去年の秋、やはり見事な秋晴れだった九州を去るときに感じたのと同じ、忸怩たる思いを感じずにはいられなかったのです。あくまで生活あっての旅とはいえ、今回ばかりは否応なく始まる日常が煩わしく思えてなりませんでした。
幸いにして、次の連休最終日までは信州も北陸も連日快晴と予想されています。金曜を休んで四日間の日程とするため、あと二日の辛抱です。この青空がそれまで続いてくれることを願ってやみません。
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