日本列島旅鴉

風が吹くまま西東、しがない旅鴉の日常を綴ります。

活動回顧録 2018 - 花見の旅 後編

2019-03-12 22:53:42 | 旅日記
隔週で綴る昨年の回顧録、今夜は北海道へ転戦した花見の旅の終盤戦から、東北を南下した新緑編を振り返ります。

・北海道花見の旅 2018(5/2-8 7日間)
三月末から凄まじい勢いで開花が進み、東北でも連休前半までには見納めとなりそうな情勢に至って、後半は北海道に渡るという流れが必然的に決まりました。問題はどこから上陸するかです。二年前は道央を中心に花見をしたため、今度は函館から北上して行ければ理想的でした。長らく無沙汰していた函館へ行けるという点でも、比較的なじみの薄い道南を回れるという点でも、そうした方が得策ではあったのです。ところが天気予報が芳しくありませんでした。北海道で何度か花見をしてきた中でも、好天に恵まれた経験は数えるほどしかありません。それがあちらの気候なのでしょう。事実上宿をとるしかない状況で、連休中の宿泊事情がとりわけ厳しい函館は選びづらいものがありました。予報を注視しつつ柔軟に対応するつもりで出発するも、結局落ち着くべきところへ落ち着き、八戸から苫小牧へ渡るという顛末です。
二年前は、同じく予報が芳しくない状況で強行しながら、ここぞという場面では晴れ、思った以上に楽しめました。あのときを超えるまでには至らなかったものの、思った以上に収穫があった点については同様です。特に上陸三日目は、曇の予報にもかかわらず、大半の時間にわたって晴れました。翌日の昼頃から再び雲行きが怪しくなり、その翌日に至っては長時間雨に降られて散々でしたが、最終日の快晴で有終の美を飾ることができ、終わってみれば充実感が残りました。
このような結果となったのは、期待値が高くなかったからでもあります。そもそも北海道の桜など大したものではありません。あまつさえ天気予報もよろしくありませんでした。しかし、空の広さと空気の透明さが違うため、たまに晴れたときの印象は鮮烈です。六日間の滞在中、悪天候が二日続いた後に晴れるという組み合わせが二度続き、数少ない好天の日が理想的な形で分散したのも幸いしました。北海道の花見もよいものだと再認識した次第です。

そのようなわけで、道内最終日の好天を活かすべく、またもや朝帰りとなりました。しかし、そこで一悶着がありました。夜行のフェリーで八戸に戻り、始発の新幹線で帰京すべく駅へと向かったところ、駅前広場が改造されて駐車場への道順が変わっており、右往左往をしてしまったのです。下船後は悠長に朝風呂を浴びていたため、駅へ着いた時点で発車の10分前を切っていました。その結果、わずかな躓きにより事態が俄に暗転。どうにか車を止めた後、大急ぎで荷物をまとめて、できる限りの早足で跨線橋を上り下りし、間一髪で間に合ったはよいものの、携帯電話を車内に置いてきたことに気付いたのは、発車後しばらくしてからでした。要はそれだけ慌てていたということです。たとえていうなら、十分な点差をつけて最終回に臨んだところ、いつの間にやら肉薄され、辛くも1点差で逃げ切るという、高校野球のような幕切れとでも申しましょうか。全く同じ行程を何度か経験したことで、なまじ油断をしたための失策でした。とはいえ、それも今ではよき思い出の一つです。

・新緑萌える東北へ 2018(5/12-13 2日間)
中四日で八戸へ戻り、新緑萌える東北を南下しつつ帰ることになりました。同様の展開だった三年前は、津軽に二週滞在した後、八幡平で最後の花見をして帰り、五月の最終週まで使い切りました。あのときに比べれば、去年の新緑編は淡々としたものでした。これは天候が今一つだったという理由によります。まず十和田湖へ向かって走るも、十和田市街に着いた頃から曇ったため、あとはまっすぐ盛岡まで走りました。翌日の天候も依然として冴えず、粛々と走って行けば余裕で帰れるところでした。しかし、あえてそうせず内陸へと迂回し、天童に再び車を置いて帰るという顛末です。秋田との県境を越えたところで八重桜がまだ咲いており、結果としてはそれが去年の見納めでした。
余裕で帰れるところをわざわざ引き延ばしたのは、あのまま終わってしまっては画竜点睛を欠くように思われたからです。しかし、その時点では翌週末に晴れるという保証もありません。つまり一種の賭けだったわけなのですが、幸いそれには勝つことになります。

・新緑萌える東北へ 2018続編(5/19-20 2日間)
天童からの活動再開となった時点で、会津へ南下していく流れは決まったものの、依然として天候がよろしくありませんでした。淡々と南下するも、夕方からは雨に降られてさっぱりだったと当時の記録にはあります。その結果早々と若松に投宿し、浮いた時間で「麦とろ」へ先に行くという新手を繰り出しました。しかし、軽く一杯やるつもりがつい長居をしてしまい、「籠太」には早仕舞いで振られるという結果に。連泊のとき、あるいは休業日に重なったときを除けば、一度も寄らずに終わったのは後にも先にもそのときだけです。
幸い翌日は快晴に恵まれ、飯豊山の残雪と水鏡の田圃を眺めつつ会津盆地を走りました。その水鏡に映し出される夕焼けを、雄国パノラマラインから見渡して、見事有終の美を飾るという顛末です。三月末の北陸から数えれば二月近く、北上を始めてからでも丸一月にわたった旅は、これにてようやく完結と相成りました。
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