日が射したり、雨が降ったり上がったりする、冬の北陸らしい空模様です。傘を差さずに東の方へ歩いてきました。続いて訪ねるのは町民文化館です。
屋内施設で雨をやり過ごそうと思い立って調べた結果、芋蔓式に出てきた中の一つがここです。武蔵ヶ辻から橋場町へ向かう大通り沿いとのことでした。何度も通った一帯にもかかわらず、知らずにいたという点で、先ほど訪ねた石川四高記念館のようなものともいえます。しかし不思議だったのは、写真で見る外観が全く記憶にないことです。その謎が解けたのは現地に乗り込んでからでした。よくよく考えると、近くを通り抜ける時は表通りに並行する路地を歩いていました。その結果、今の今まで気付かないまま通り過ぎていたようです。
そのような結論に至ったのは、目の前を通りがかれば気付かないはずがないほどの、写真だけでは伝わらないただならぬ存在感があるからです。石積みの上に墨色とでも形容したい漆喰壁が立ち上がり、幅一杯に広がる黒い瓦屋根が手前へ斜めに下りていて、その屋根の上には重厚な入母屋の瓦屋根が鎮座します。つまり、遠目には切妻の建物の上に入母屋の屋根を乗せたような外観ということですが、側面に回ると一層見応えが出てきます。間口もさることながら奥行きもあり、巨大な壁が蔵の扉になっているのです。裏手は意表を突く半切妻となっており、軒下の扉によって、こちらも蔵だと分かります。つまり、建物全体が店舗であると同時に、巨大な蔵でもあったということです。かつての銀行と聞かされて、さもありなんと納得しました。
館内も外観同様見応え十分です。巨大な入母屋の下が吹き抜けの空間になっており、天井、柱の意匠についても凝っています。純和風の外観に洋風の館内という和洋の折衷が独特です。存在自体は認識していた四高記念館と違い、こちらは完全な盲点でした。
屋内施設で雨をやり過ごそうと思い立って調べた結果、芋蔓式に出てきた中の一つがここです。武蔵ヶ辻から橋場町へ向かう大通り沿いとのことでした。何度も通った一帯にもかかわらず、知らずにいたという点で、先ほど訪ねた石川四高記念館のようなものともいえます。しかし不思議だったのは、写真で見る外観が全く記憶にないことです。その謎が解けたのは現地に乗り込んでからでした。よくよく考えると、近くを通り抜ける時は表通りに並行する路地を歩いていました。その結果、今の今まで気付かないまま通り過ぎていたようです。
そのような結論に至ったのは、目の前を通りがかれば気付かないはずがないほどの、写真だけでは伝わらないただならぬ存在感があるからです。石積みの上に墨色とでも形容したい漆喰壁が立ち上がり、幅一杯に広がる黒い瓦屋根が手前へ斜めに下りていて、その屋根の上には重厚な入母屋の瓦屋根が鎮座します。つまり、遠目には切妻の建物の上に入母屋の屋根を乗せたような外観ということですが、側面に回ると一層見応えが出てきます。間口もさることながら奥行きもあり、巨大な壁が蔵の扉になっているのです。裏手は意表を突く半切妻となっており、軒下の扉によって、こちらも蔵だと分かります。つまり、建物全体が店舗であると同時に、巨大な蔵でもあったということです。かつての銀行と聞かされて、さもありなんと納得しました。
館内も外観同様見応え十分です。巨大な入母屋の下が吹き抜けの空間になっており、天井、柱の意匠についても凝っています。純和風の外観に洋風の館内という和洋の折衷が独特です。存在自体は認識していた四高記念館と違い、こちらは完全な盲点でした。
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