先日小林一三記念館を訪ねたとき、印象に残ったのが「ソーライス」なるものにまつわる話です。昭和初期、折からの不景気で白飯にソースをかけていただくのが流行ったとき、どの洋食屋も迷惑がったこの注文を唯一歓迎したのが、当時開業間もない阪急百貨店の大食堂だったという話です。今は貧しい人々でも、いずれ家庭を持ったとき、ここでの思い出が甦り、家族とともに来てもらえるだろうというのがその心だそうで、御本人の懐の深さと先見の明を物語る美談の一つとして綴られていました。
この話が印象に残ったのは、自身「津つ井」という洋食屋に散々世話になってきたからでもあります。赤坂から今の職場に移るとき、「最後のランチ」と題して当時愛用していたランチの名店を紹介しましたが、その中でもいの一番に取り上げたこの店には、その後も月に数度の割合で世話になってきました。ところがこのほど残念な変化がありました。自身こよなく愛用してきた千円のランチが、今月から大幅に縮減されてしまったのですorz
週毎に入れ替わる千円のランチが三種と、千二百円のバリューセット、千五百円の洋食弁当、二千円のAランチを合わせて一日百食出ていたところ、週替わりが二種に削減された上、他のランチともども各10食限定となったことで、提供数が半減してしまうという変化です。これにより、遅めに訪ねる自分にとって、ランチをいただく機会は事実上失われました。界隈では千五百円も払えば相当豪華なお昼をいただくことができます。千円のランチには絶大なる値打ちがあるものの、二千円前後もするアラカルトではあくまで値段相応に過ぎません。社用族には恰好の店たり得るとしても、勤め人が日参できる店ではなくなってしまったというのが率直なところではあります。
ただし、縮減されてしまったことを嘆くより、十年間散々世話になったことに感謝したいというのが第一です。今や牛丼屋でさえ単品以外は七百円近くもする今、あのランチを千円で提供し続けてきたことに対してむしろ敬服します。食材も人件費も高騰する中、たかが百円、二百円値上げするより、限定品としての性格を強め、提供数を絞ることでどうにか価格を維持しようという判断だったのでしょうか。そうだとすればやむを得ません。
そのような折も折、目に留まったのがソーライスの話でした。貧しかった戦前、飽食の現代という違いはあるものの、良心価格で腹も心も満たしてくれた洋食屋という点では、阪急の大食堂が自分にとっての「津つ井」のような存在だったのかもしれないと想像します。人々がいずれ豊かになって家庭を持つという前提が崩れ去った今、かつての美談も古きよき時代の夢物語に過ぎません。少なくとも、自分が家族とともに「津つ井」の暖簾をくぐることはなさそうです。しかし、十年間育ててもらったおかげで、時折お昼に奮発する程度の甲斐性を持つことはできました。それを還元する時が来たともいえます。アラカルトを一品、別皿で白飯を注文し、当店特製のウスターソースをかけて、ソーライスとやらを味わってみるのも一興でしょう。
この話が印象に残ったのは、自身「津つ井」という洋食屋に散々世話になってきたからでもあります。赤坂から今の職場に移るとき、「最後のランチ」と題して当時愛用していたランチの名店を紹介しましたが、その中でもいの一番に取り上げたこの店には、その後も月に数度の割合で世話になってきました。ところがこのほど残念な変化がありました。自身こよなく愛用してきた千円のランチが、今月から大幅に縮減されてしまったのですorz
週毎に入れ替わる千円のランチが三種と、千二百円のバリューセット、千五百円の洋食弁当、二千円のAランチを合わせて一日百食出ていたところ、週替わりが二種に削減された上、他のランチともども各10食限定となったことで、提供数が半減してしまうという変化です。これにより、遅めに訪ねる自分にとって、ランチをいただく機会は事実上失われました。界隈では千五百円も払えば相当豪華なお昼をいただくことができます。千円のランチには絶大なる値打ちがあるものの、二千円前後もするアラカルトではあくまで値段相応に過ぎません。社用族には恰好の店たり得るとしても、勤め人が日参できる店ではなくなってしまったというのが率直なところではあります。
ただし、縮減されてしまったことを嘆くより、十年間散々世話になったことに感謝したいというのが第一です。今や牛丼屋でさえ単品以外は七百円近くもする今、あのランチを千円で提供し続けてきたことに対してむしろ敬服します。食材も人件費も高騰する中、たかが百円、二百円値上げするより、限定品としての性格を強め、提供数を絞ることでどうにか価格を維持しようという判断だったのでしょうか。そうだとすればやむを得ません。
そのような折も折、目に留まったのがソーライスの話でした。貧しかった戦前、飽食の現代という違いはあるものの、良心価格で腹も心も満たしてくれた洋食屋という点では、阪急の大食堂が自分にとっての「津つ井」のような存在だったのかもしれないと想像します。人々がいずれ豊かになって家庭を持つという前提が崩れ去った今、かつての美談も古きよき時代の夢物語に過ぎません。少なくとも、自分が家族とともに「津つ井」の暖簾をくぐることはなさそうです。しかし、十年間育ててもらったおかげで、時折お昼に奮発する程度の甲斐性を持つことはできました。それを還元する時が来たともいえます。アラカルトを一品、別皿で白飯を注文し、当店特製のウスターソースをかけて、ソーライスとやらを味わってみるのも一興でしょう。
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