贅沢さえ言わなければ函館にも呑み屋はあると先ほど申しました。そのような注釈をつけたのは、一定数の呑み屋こそあるものの、その多くが炉端焼の大店で、なおかつどれも大同小異で決め手に欠けるという事情によります。決して悪くはないものの、だからといって本場釧路の名店ほど心底感動できそうには思えないのが実情で、例えるならば秋田の呑み屋のようなものとでもいえばよいでしょうか。そのような中、古い長屋の一角に明かりを灯す小さな店もあるにはあり、自身何度か世話になったこともあります。その店が閉店や再開発で姿を消したことにより、新たな店を探さなければならない事態に至ったわけです。
ただし、今回は一軒だけ事前情報を仕入れていました。時間からして一から探すわけにも行かず、その情報に頼ります。訪ねるのは「可寿栄」です。
事前情報といっても教祖の導きではなく、活動仲間の一人が発掘してきた店です。見るからに古い構えの、店主が一人で営業している小さな店のようでした。なまじ情報が多過ぎるとそれで予測ができてしまい、心底感動しにくくなるのは経験上分かっています。それ以上のことはあえて調べず乗り込んだというのがここまでの顛末です。
場所は松風町の寂れた繁華街の外れ、教祖の番組にも登場した「函館山」のすぐ近くです。しかし、通りに面した「函館山」に対して、こちらはその通りから奥へと入った袋小路の突き当たりにあり、間口は表通りに対して横を向いていて、提灯さえなければそこに店があることにさえ気付きそうにありません。店先には提灯二つと縄暖簾があるのみで、品書きもなければ中の様子も窺えない状況です。自分なら、この店構えに興味を惹かれることはあっても、自ら暖簾をくぐる決断まではできなかったでしょう。そこをあえて飛び込んだ仲間には敬服したいというのが率直な印象です。
しかして暖簾をくぐると、店主からはもう終わるとの返答が。しかし「終わった」というわけではありません。他に店のあてもなく、少しでいいと申し出ると温情措置が講じられ、どうにか入店と相成りました。
七名ほど着席できるL字のカウンターと、奥にある掘り炬燵の大きなテーブルが店の全てで、〆て十人少々入れば満席といったところでしょう。店主が一人で仕切るには過不足のない収容力です。ただし、古びた店構えとは裏腹に、店内はさほど古びているわけではなく、有り体にいうと中途半端に現代的です。カウンターは張りぼて、店内にはお客の目に触れる必然性のないダンボールなどが並んでやや雑然としており、冷蔵庫が家庭用なのも少々頼りなさげに感じられます。少なくとも、しみじみ鑑賞したくなるほどの店内ではありません。
しかし横長の黒板に三段組で記された品書きは看過できないものがあります。左に刺身、中央に煮魚焼魚、右に野菜と一品料理というのが大まかな構成で、それぞれ十種前後はあるでしょうか。これならまず刺身を盛り合わせてもらい、次に煮物か焼物を選んで、さらに野菜か汁物をいただければ完璧でしょう。
しかし、いかんせん入った時間が遅過ぎました。刺身を所望したところ、看板につき一品限りでとのことわりがあり、結局酒一合とお通し、刺身で終了となりました。もっとも、白身をと頼んだ上で供されたのは、関東ではまずお目にかからない鰍でした。よそ者と見て、珍しいものを切ってくれたということでしょう。山葵もその場でおろすなど、丁寧な仕事ぶりは刺身一品頼んだだけでも窺い知ることができました。
時間が遅過ぎてほとんど飲み食いできず、雰囲気の一端を知るにとどまったという点では、昨秋訪ねた長崎の「朱欒」と似たような結果となりました。惜しむらくは、これからも再訪の機会がありそうな長崎と違い、新幹線の開業後、函館に泊まる機会が再び巡ってくるかどうかが何とも未知数なことです。しかし、幸いにもその機会が訪れたとすれば、この店の暖簾を早めにくぐってみようかと思っています。
★可寿栄
函館市松風町10-15
0138-22-1403
ただし、今回は一軒だけ事前情報を仕入れていました。時間からして一から探すわけにも行かず、その情報に頼ります。訪ねるのは「可寿栄」です。
事前情報といっても教祖の導きではなく、活動仲間の一人が発掘してきた店です。見るからに古い構えの、店主が一人で営業している小さな店のようでした。なまじ情報が多過ぎるとそれで予測ができてしまい、心底感動しにくくなるのは経験上分かっています。それ以上のことはあえて調べず乗り込んだというのがここまでの顛末です。
場所は松風町の寂れた繁華街の外れ、教祖の番組にも登場した「函館山」のすぐ近くです。しかし、通りに面した「函館山」に対して、こちらはその通りから奥へと入った袋小路の突き当たりにあり、間口は表通りに対して横を向いていて、提灯さえなければそこに店があることにさえ気付きそうにありません。店先には提灯二つと縄暖簾があるのみで、品書きもなければ中の様子も窺えない状況です。自分なら、この店構えに興味を惹かれることはあっても、自ら暖簾をくぐる決断まではできなかったでしょう。そこをあえて飛び込んだ仲間には敬服したいというのが率直な印象です。
しかして暖簾をくぐると、店主からはもう終わるとの返答が。しかし「終わった」というわけではありません。他に店のあてもなく、少しでいいと申し出ると温情措置が講じられ、どうにか入店と相成りました。
七名ほど着席できるL字のカウンターと、奥にある掘り炬燵の大きなテーブルが店の全てで、〆て十人少々入れば満席といったところでしょう。店主が一人で仕切るには過不足のない収容力です。ただし、古びた店構えとは裏腹に、店内はさほど古びているわけではなく、有り体にいうと中途半端に現代的です。カウンターは張りぼて、店内にはお客の目に触れる必然性のないダンボールなどが並んでやや雑然としており、冷蔵庫が家庭用なのも少々頼りなさげに感じられます。少なくとも、しみじみ鑑賞したくなるほどの店内ではありません。
しかし横長の黒板に三段組で記された品書きは看過できないものがあります。左に刺身、中央に煮魚焼魚、右に野菜と一品料理というのが大まかな構成で、それぞれ十種前後はあるでしょうか。これならまず刺身を盛り合わせてもらい、次に煮物か焼物を選んで、さらに野菜か汁物をいただければ完璧でしょう。
しかし、いかんせん入った時間が遅過ぎました。刺身を所望したところ、看板につき一品限りでとのことわりがあり、結局酒一合とお通し、刺身で終了となりました。もっとも、白身をと頼んだ上で供されたのは、関東ではまずお目にかからない鰍でした。よそ者と見て、珍しいものを切ってくれたということでしょう。山葵もその場でおろすなど、丁寧な仕事ぶりは刺身一品頼んだだけでも窺い知ることができました。
時間が遅過ぎてほとんど飲み食いできず、雰囲気の一端を知るにとどまったという点では、昨秋訪ねた長崎の「朱欒」と似たような結果となりました。惜しむらくは、これからも再訪の機会がありそうな長崎と違い、新幹線の開業後、函館に泊まる機会が再び巡ってくるかどうかが何とも未知数なことです。しかし、幸いにもその機会が訪れたとすれば、この店の暖簾を早めにくぐってみようかと思っています。
★可寿栄
函館市松風町10-15
0138-22-1403
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