日本列島旅鴉

風が吹くまま西東、しがない旅鴉の日常を綴ります。

梅雨空の京都を行く 完結編 - 一般車両

2018-07-01 16:54:02 | 近畿
終点から折り返しの列車に乗り伊太祁曽で下車。駅名の由来となった伊太祁曽神社を参拝してから後続列車に乗りました。やってきたのは南海時代の塗色を残す一般車両です。

去年久々に乗車した和歌山電鐡が思った以上に楽しく、それが今回再訪した理由の一つでもあります。しかし、そのときから明らかに変わった点が一つあります。電車が見世物と化しているのです。
下り列車に乗ったときから嫌な予感はしていました。大荷物を携えた外国人観光客が散見されたからです。とはいえ、その時点ではそこまで憂慮する事態ではなかったのです。明らかにおかしいと気付いたのは、伊太祁曽で交換した上り列車が立ち客も出る混みようだったときです。その多くが、これまで沿線では見たこともなかった外国人観光客でした。
この電車に乗るためはるばる訪ねてきたのであれば、歓迎すべきことともいえます。しかし、少なくとも自分の目には、そのような人々とは映りませんでした。旅行会社のワッペンをつけていることからして、バスで伊太祁曽の駐車場にでも乗り付け、大挙して乗り込んだのだろうということは想像できます。おそらく現地の媒体で紹介され、それを見た旅行者が訪れるようになり、ついには旅行会社代理店も目を付けたのでしょう。京都でも、そのようにして知ったらしき中国人が、特定の飲食店の前に長蛇の列をなしている光景に遭遇したばかりですが、電車がこのようなことになるとは思いませんでした。

ホームの長さが余った部分に、今までなかった柵が立っているのも、電車が見世物と化すにつれて、作法をわきまえない輩が増えてきたからでしょう。親子連れで賑わうならまだしも、これでは興ざめせざるを得ません。観光客で混み合うようになった結果、今まで乗ってくれていた地元の親子連れが離れてしまっては、そもそも何のための鉄道かが分からなくなってきます。短期的にはよいとしても、長い目で見たときに果たしてどうなのかという疑問が残りました。
せめてもの救いは、たま電車を含む全面改装された車両にだけ観光客が集中していることです。一般車両を選んで乗るのが、せめてもの自衛策となりそうです。

★貴志1606/1600レ/1617伊太祁曽1655/1602レ/1716和歌山

コメント    この記事についてブログを書く
« 梅雨空の京都を行く 完結編 -... | トップ | 梅雨空の京都を行く 完結編 -... »

コメントを投稿