そんな感じで・・・

森の人のウキウキやワクワク、ドキドキを垂れ流すブログです。

難しいよね。

2013-01-13 23:08:20 | 他愛もない事
どうも!予想外の接戦だったり、予想外の大差がついたり、勝負事はやってみないと判らないもんですね~。森です。


さて、今日は、桑田真澄のコメントを取り上げた記事を見つけました。最近話題に成っている体罰の問題。なかなか難しい問題だと思います。
世の中、100人が100通りの性格を持ってますからねぇ~。体罰で愛情を感じる人も居るだろうし、感じない人も居るだろうし。またまた、体罰に愛情を込める人も居るだろうし、体罰に憎しみをこめる人も居るだろうし。桑田真澄と周りの関係が、たまたま悪い関係だったのかもしれない。ホントに、指導者の自己満足でホントに意味のない事なのかもしれない。逆に、体罰を加えた方が伸びる奴ってのが居るのかもしれない。
少なくとも、あの高校生とあの顧問の間では、体罰はプラスには成らなかったのは確かなんだけど・・・、それがすべての場合において正解ではないと思う。相手は人間ですからね。

体罰を生む背景として、「指導者は優勝しないと周りに示しがつかないとか、クビになるとか」の理由から「勝利至上主義になっている」と指摘する。「プロはそれでいいが、アマチュアは育成主義でないとダメだと思っています」
と桑田真澄は言ってます。これが正しいかどうかはとりあえず置いておいて、ここが難しい所じゃないですかね?
アマチュア・・・と言うよりも学生スポーツにおいて、育成の成果をどうやって表すんだろ?マラソンとかであれば時間が縮んだとか基準が有るけど、得点を競うチームスポーツの場合は『良いゲームが出来たね!』じゃダメなんじゃないかね?勝つ為に練習しているんだから・・・。

ちょっと話は違うけれど、92年の夏の甲子園 星稜-明徳義塾戦での松井5打席連続敬遠は、高校生がやるスポーツの愚直さを求める人と、野球と言うスポーツのなかで勝つための作戦を考えた人の間に温度差が有った一件だったと思うんです。
明徳義塾が勝てる作戦を持って居ながら、素直に松井と勝負して負けた時に、
「明徳義塾は潔い勝負をした!あっ晴れであった!君たちが一番高校生らしい野球をやった!」
と称えてくれて大優勝旗が届けられる競技なんだっけ?何だかんだ言っても、多く得点を取ったチームが勝ちあがって、一番最後まで勝ち続けたチームが称えられるんでしょ?そう言うフォーマットなんでしょ?
そう言うフォーマットで勝ち残る為に選んだ作戦が、みんなが期待したものと違っただけだったんなんだけどね。称えられたくてやるもんじゃないのかもしれないけれど・・・。

結局・・・、これが正解だ!ってのは無いんじゃないか?って言いたいのであります。