考えるならどこまでいっても他人事ではダメだ。
人のことを考えるにしても
真剣になるのならば、「自分事」に置き換える。
それだけしても結局は他人の痛みは分からない。
それでも、どこまでその人のことを考えることができかのバロメータは、
当事者になった立場で考えるのだ。
反対の立場と考える時もあるだろう。
どちらにしても考える時に
考える余地は残してもいいけれど、
言い訳の道を残してはいけない。
それではどこまでいっても“逃げ”になってしまう。
立ち向かうのだ。
他人事をみて自分事を照らし合わせて考えて立ち向かう。
そのお手本は大人だけではない、
小さな子供たちを見ていても、その素直さに学ぶことは多い。
自分は素直か?
自分に向き合っているか?
自分を誤魔化していないか?
自分のことなのだ。
本を読みながら考えてもいい。
考える時間と行動する時間を持たないと流されるだけだ。
晴@東京へ。
秋晴の清々しい日曜日に来てくれてありがとうございます。
人のことを考えるにしても
真剣になるのならば、「自分事」に置き換える。
それだけしても結局は他人の痛みは分からない。
それでも、どこまでその人のことを考えることができかのバロメータは、
当事者になった立場で考えるのだ。
反対の立場と考える時もあるだろう。
どちらにしても考える時に
考える余地は残してもいいけれど、
言い訳の道を残してはいけない。
それではどこまでいっても“逃げ”になってしまう。
立ち向かうのだ。
他人事をみて自分事を照らし合わせて考えて立ち向かう。
そのお手本は大人だけではない、
小さな子供たちを見ていても、その素直さに学ぶことは多い。
自分は素直か?
自分に向き合っているか?
自分を誤魔化していないか?
自分のことなのだ。
本を読みながら考えてもいい。
考える時間と行動する時間を持たないと流されるだけだ。
晴@東京へ。
秋晴の清々しい日曜日に来てくれてありがとうございます。