大々的にネタバレします。
毒はきます。
これから読む・観る方、映画で感動した方はどうぞスルーでお願いします。
では、よろしいでしょうか?
なんだあの映画
超おおまかなストーリーは
ハーバード大のラングドン教授がバチカンで起こった、
イルミナティと呼ばれる秘密結社が企てたとされる新世代爆発物設置事件と
次期教皇候補4人誘拐事件を解決する、というお話。
おおまかすぎか?もうちょっとだけ詳しく・・・。
ラングドン教授の相棒に新世代爆発物を作成した
ヴィットリアという女性がいて、事件の発端は
ヴィットリアの共同研究者が殺されて爆発物が盗まれるところから始まります。
バチカンがラングドンを呼び、バチカンの町中で見えない敵相手に大捕物帳。
じーつーは、カメルレンゴと呼ばれる教皇侍従が黒幕で
科学の力を認めないぞ!というひとりよがりで企てた陰謀で
イルミナティを語った自作自演でした。と思いきや!
でも、実はね、深い意味があったんだよ。
というお話し。
で、映画を実際みてみると原作とあまりにも違いすぎてびっくり。
①主要登場人物が何人も出てこない。
②ストーリーの根底に流れるテーマがなかったことに。
③主人公がとくになにもしない
④私の中での勝手な疑問
①ヴィットリアの共同研究者がただの職場の同僚扱いに。
実は血のつながらない親子で、まずここで親子関係の前振りなのに。
そして親子だからこその事件解決への強い願いがあったのに。
キーパーソンであるヴィットリアの職場の所長コーラーの存在も丸ごと消去。
これのせいで最後まで無理矢理な展開に。
②カメルレンゴのバックグラウンドがすべてなかったことになってた。
役名すら違う。原作はカルロで映画はパトリック。・・・フランス人ですか?!
前教皇に子どもがいたことを知る→誓願を破ったことへの裏切りと感じる
→そもそもの事件の発端となる。
その子どもが実は自分→自分が科学の力でうみだされたことを知る
→前教皇の愛を知り、苦悩する。
このくだりもばっさりカット。
もちろん「父の息子に対する愛にまさるものはありません」のセリフもなし。
私的にはここがかなり重要やと思うんですけど・・・
このテーマがあるからこその「天使と悪魔」やとおもうんですけど・・・・
そして原作でこのセリフを言った枢機卿が次の教皇に・・・ならない。
最後の最後、カメルレンゴが償いとして自分自身に火を放つ場面。
原作ではサンピエトロ大聖堂バルコニーで何万という民衆の前での
劇的なシーンなのに、映画ではクリプタの入り口っぽい場所でこっそり。
扱いが悪すぎる・・・・。
で、そのカメルレンゴの遺灰を先ほどの枢機卿がそっと
前教皇のお墓に入れる。(ほんとはあかんねんけど、の注釈付きで。)
ここでやっと父と子に戻れてよかったね・・・のシーンも映画ではもちろんなし。
以上、映画の中のカメルレンゴはただの、ほんまにただの悪い人。
③もうこれにいたっては・・・・
前回の「ダヴィンチ・コード」はまだ活躍してたと思うんですが、
今回主人公はカンを働かせて「あっち!」「こっち!」って指示を出すものの
それが間違ってたりして結局うまくいってんだかかき乱してんだかの役回り。
途中、本気で「この主人公が黒幕か?」と思うほどの混乱を呼ぶ様は圧巻。
原作本を読んだ人はなんじゃこりゃ!と思ったであろう、
ヘリからのアクロバット脱出劇もなし。ヘリには乗らないのですよ。
地上でヘリを見守ってました。観客レベル。
だから結局防犯ビデオ的なものに残されていた事実をみんなで見て、
「あ、あいつ悪いやつやったんや!」がオチ。
④イルミナティの焼き印を押される設定で、
土・空気・火・水までは一緒で、最後はそれを組み合わせた焼き印だったはずが
なぜか鍵を二本交差させた教皇紋章に。
なんで??
原作の中で「崇拝の歓呼」と書かれている「発声の満場一致による教皇の選出」
なんと映画の中ではこそこそと打ち合わせをする姿が描かれてます。
人間の意志入りまくりじゃないか!
もうひとつ。サンピエトロ広場にいる民衆が新教皇に向けて
「IMMACULATE MARY」(あめのきさき)を大合唱しているのですが
そんな習慣なんですか?
そんでもって、話し言葉は基本的にみんな英語。
「しにょーれ」って語りかけるくせにその後は英語。器用すぎ。
ちなみにラングドンはイタリア語が読めない設定。
なんでそんな人をバチカンの危機にわざわざ呼ぶんでしょうか。そもそも。
黒幕はカメルレンゴなんだけど、実行犯は原作では異なった宗教を匂わせる男性。
それも血も涙もない変なやつ、なんですが映画では若い兄ちゃん。
そして「ほんとはこんなことイヤなんすよ」みたいなことを言い出す。
ええっ、安っぽいな、君!
重要部分をこれでもか、と端折ったくせに
ラングドンにローマンカラーのシャツを着させてカメルレンゴが
「お似合いですよ」とか言う、とってつけたような原作にはないシーンが。
そんな小ネタに何の意味があるんや!
多分、これまでブログを書いてきた中で一番長いエントリーになった
気がします。
まあとりあえずこの辺で。
これから「天使と悪魔」にチャレンジしようかな~
と思う方は映画を入り口にすると良いようです。
いろんなブログにお邪魔して感想を読みましたが、
こんなにぶつぶつ言ってるのは少数派なので、
大丈夫ですよ、たぶん
毒はきます。
これから読む・観る方、映画で感動した方はどうぞスルーでお願いします。
では、よろしいでしょうか?
なんだあの映画
超おおまかなストーリーは
ハーバード大のラングドン教授がバチカンで起こった、
イルミナティと呼ばれる秘密結社が企てたとされる新世代爆発物設置事件と
次期教皇候補4人誘拐事件を解決する、というお話。
おおまかすぎか?もうちょっとだけ詳しく・・・。
ラングドン教授の相棒に新世代爆発物を作成した
ヴィットリアという女性がいて、事件の発端は
ヴィットリアの共同研究者が殺されて爆発物が盗まれるところから始まります。
バチカンがラングドンを呼び、バチカンの町中で見えない敵相手に大捕物帳。
じーつーは、カメルレンゴと呼ばれる教皇侍従が黒幕で
科学の力を認めないぞ!というひとりよがりで企てた陰謀で
イルミナティを語った自作自演でした。と思いきや!
でも、実はね、深い意味があったんだよ。
というお話し。
で、映画を実際みてみると原作とあまりにも違いすぎてびっくり。
①主要登場人物が何人も出てこない。
②ストーリーの根底に流れるテーマがなかったことに。
③主人公がとくになにもしない
④私の中での勝手な疑問
①ヴィットリアの共同研究者がただの職場の同僚扱いに。
実は血のつながらない親子で、まずここで親子関係の前振りなのに。
そして親子だからこその事件解決への強い願いがあったのに。
キーパーソンであるヴィットリアの職場の所長コーラーの存在も丸ごと消去。
これのせいで最後まで無理矢理な展開に。
②カメルレンゴのバックグラウンドがすべてなかったことになってた。
役名すら違う。原作はカルロで映画はパトリック。・・・フランス人ですか?!
前教皇に子どもがいたことを知る→誓願を破ったことへの裏切りと感じる
→そもそもの事件の発端となる。
その子どもが実は自分→自分が科学の力でうみだされたことを知る
→前教皇の愛を知り、苦悩する。
このくだりもばっさりカット。
もちろん「父の息子に対する愛にまさるものはありません」のセリフもなし。
私的にはここがかなり重要やと思うんですけど・・・
このテーマがあるからこその「天使と悪魔」やとおもうんですけど・・・・
そして原作でこのセリフを言った枢機卿が次の教皇に・・・ならない。
最後の最後、カメルレンゴが償いとして自分自身に火を放つ場面。
原作ではサンピエトロ大聖堂バルコニーで何万という民衆の前での
劇的なシーンなのに、映画ではクリプタの入り口っぽい場所でこっそり。
扱いが悪すぎる・・・・。
で、そのカメルレンゴの遺灰を先ほどの枢機卿がそっと
前教皇のお墓に入れる。(ほんとはあかんねんけど、の注釈付きで。)
ここでやっと父と子に戻れてよかったね・・・のシーンも映画ではもちろんなし。
以上、映画の中のカメルレンゴはただの、ほんまにただの悪い人。
③もうこれにいたっては・・・・
前回の「ダヴィンチ・コード」はまだ活躍してたと思うんですが、
今回主人公はカンを働かせて「あっち!」「こっち!」って指示を出すものの
それが間違ってたりして結局うまくいってんだかかき乱してんだかの役回り。
途中、本気で「この主人公が黒幕か?」と思うほどの混乱を呼ぶ様は圧巻。
原作本を読んだ人はなんじゃこりゃ!と思ったであろう、
ヘリからのアクロバット脱出劇もなし。ヘリには乗らないのですよ。
地上でヘリを見守ってました。観客レベル。
だから結局防犯ビデオ的なものに残されていた事実をみんなで見て、
「あ、あいつ悪いやつやったんや!」がオチ。
④イルミナティの焼き印を押される設定で、
土・空気・火・水までは一緒で、最後はそれを組み合わせた焼き印だったはずが
なぜか鍵を二本交差させた教皇紋章に。
なんで??
原作の中で「崇拝の歓呼」と書かれている「発声の満場一致による教皇の選出」
なんと映画の中ではこそこそと打ち合わせをする姿が描かれてます。
人間の意志入りまくりじゃないか!
もうひとつ。サンピエトロ広場にいる民衆が新教皇に向けて
「IMMACULATE MARY」(あめのきさき)を大合唱しているのですが
そんな習慣なんですか?
そんでもって、話し言葉は基本的にみんな英語。
「しにょーれ」って語りかけるくせにその後は英語。器用すぎ。
ちなみにラングドンはイタリア語が読めない設定。
なんでそんな人をバチカンの危機にわざわざ呼ぶんでしょうか。そもそも。
黒幕はカメルレンゴなんだけど、実行犯は原作では異なった宗教を匂わせる男性。
それも血も涙もない変なやつ、なんですが映画では若い兄ちゃん。
そして「ほんとはこんなことイヤなんすよ」みたいなことを言い出す。
ええっ、安っぽいな、君!
重要部分をこれでもか、と端折ったくせに
ラングドンにローマンカラーのシャツを着させてカメルレンゴが
「お似合いですよ」とか言う、とってつけたような原作にはないシーンが。
そんな小ネタに何の意味があるんや!
多分、これまでブログを書いてきた中で一番長いエントリーになった
気がします。
まあとりあえずこの辺で。
これから「天使と悪魔」にチャレンジしようかな~
と思う方は映画を入り口にすると良いようです。
いろんなブログにお邪魔して感想を読みましたが、
こんなにぶつぶつ言ってるのは少数派なので、
大丈夫ですよ、たぶん
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます