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ベトナムの原風景を訪ねる旅

2007-02-13 23:37:06 | 日記・エッセイ・コラム

  Dh000128_edited             「いよし国際交流の翼」10周年目となったベトナム訪問の旅。1月31日から2月5日にかけた今回の旅はベトナムと日本との関わりを様々に知る機会となった。3年前に訪れた大都市ホーチミンとは異なり、ベトナム中部の町には、懐かしい農村風景やベトナムの古い歴史にふれる遺跡が数多く残されている。

ホイアンはダナンの南約30km、カンナム・ダナン省最大の河川トウボン川が東シナ海に注ぐ河口にある港町。かつて東南アジアの国際貿易港として栄えた。

Dh000106_edited この上流にチャンパー王国の聖地ミーソンがある。1999年に世界遺産となったミーソン遺跡には70棟を超える堂塔が造られていたという。自然の威力やベトナム戦争時の米軍の爆撃によって破壊されてはいたが、王のリンガやヒンズー教の神々を祀るレンガ造りの祠堂群や彫像が太古のチャンパーの記憶を呼び覚ます。

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ミーソン遺跡の入口には日本のODAによって建設されたサイト・ミュージアムがあった。ラオス・カンボジア・インドネシアなど「海の道」を通じた東南アジア一帯のヒンズー教・仏教の伝播の歴史や「祈りの空間」の復元を学ぶことができ、展示内容には日本の学術団体が大きく貢献をしていた。

Dh000059_edited ホイアンもまた日本との関わりが深い。朱印船貿易によって1600年代に日本人町が栄え、日本橋(来遠橋)も残されている。ホイアンの町の最大の魅力は、東南アジア随一という18世紀からの木造の町並み。

Dh000039_editedトウボン川沿いに東西1kmほどの通りに寺院や会館、族廟、市場、日本橋などの歴史地区(30ha)に魅力的な町並みが続く。京都の町並みに似た短冊状の地割り、平入りで中庭のある町家、連なるレンガ色の瓦屋根と白壁。彫刻技術もすばらしく、黒変した丸柱、独特の登梁の様式などベトナム古建築の粋が生かされている。

Dh000115_edited シクロに乗った町めぐり、ランタンの灯る満月の夜の異国情緒も楽しむこともできた。

世界遺産ホイアンに対する日本の役割は特別に重要な位置にある。ベトナム政府の直轄事業としてすすめられている町並み保存には、日本の文化庁やJICAが協力をしている。

Dh000038_edited_3 ホイアンの町を青年海外協力隊の鈴木智香子さんに案内をしていただいたが、世界遺産化に伴う観光や環境悪化の問題に献身的にアドバイスをする日本の若い世代の活動は、訪問団に大いに励みになったのではなかろうか。ランタンの灯りがゆれるトウボン川沿いのカフェで、鈴木さんたちの活動をお聞きしたこともいい思い出となった。

Dh000103_editedホイアンでは日本人町に近いリートゥチュン小学校に子どもたちを訪問した。二部制で650人と比較的大きな学校である。40分授業の始業には太鼓で合図。整列し級長の指示で教室に入る整然とした姿はいかにもベトナムらしい。校庭に立つ像はフランス植民地時代に解放のために生命を落とした青年・リートゥチュン。碑文には「青年はいつも自分の国のために。革命の道が一番」と書かれていると聞いた。

Dh000085_editedハノイでの訪問交流事業は「ハノイ平和村」視察と植樹。ベトナム戦争終結から30年経つが、戦争の傷跡はいまだに深く残されている。枯葉剤の後遺症や障害をもつ青少年への医療・リハビリ・職業訓練のためにこれまで数千人が施設を利用しており、政府とともに日本をはじめ各国からの援助で運営されているという。

Dh000082_edited寄宿している部屋も訪ねたが、元気に笑顔や手を振って応える障害をもつ子どもたちの姿に、核や化学兵器を使用してきた愚かな「戦争による犯罪」を考えざるを得なかった。校庭に植えた桃の木が、日本・伊予市からの平和への願いとして大きく育つことを期待したい。

Dh000066_edited_1 ハノイでは、ジェトロ・ハノイセンターの高野光一氏からベトナム経済についての報告もいただいた。中国に続いて成長率8%という東南アジア一の経済成長を遂げるベトナム。日本のODAをはじめ海外投資の伸びは予想以上のものがあった。35歳以下人口が70%以上という若い国ベトナム。

Dh000059_edited_2現地で交流をした日越文化交流協会・日本語センターに学ぶ学生たちの元気さにも圧倒された。日本語センターの野島真紀先生からも学生たちの日本への関心の高さをお聞きした。

Dh000061_edited 今回の「いよし国際交流の翼」は、ベトナムで活躍する日本人との関わりを通じて、日本とベトナムとの経済・文化の交流が、今後ますます発展することを予感させられた旅となった。