ふわり綴り

不安定なアッチの続き。気ままに気に止まったコトをメモメモ。

そもそも脳死移植は医療なのか。

2009-02-28 10:16:08 | 社会
臓器を貰うのでは無く、買っているのだろう。
と、思わず見出しにツッコミを入れてしまった。

脳死判定とは、人間が行う(パーツ提供者が死んでしまうことが前提なので)国家が法で認めた殺人行為・・・死刑制度と同義ではないのか。
本人や家族が切望する「安らかな死」への以来は、自殺幇助、もしくは殺人罪で裁かれるというのに、
脳死判定された人間が本人もしくは家族の同意があれば、麻酔もなしに「生体解剖」されることは「赦される殺人」であることに、
【人命】とは、国家に管理されるものなのか・・・と、考え込む。
脳死移植10年 もう海外で臓器はもらえない(読売新聞) - goo ニュース
基本的に私は脳死移植には反対であるので、こういう「もっと広がれ国内脳死移植」的な記事は、見出しだけ見て読まないようにしているのだが、
今回の大恐慌突入で負のスパイラルから益々抜け出せそうにない動きを見せてる財界やマスコミ・政治家・日銀の知の腐敗と劣化を見ていると、
アメリカや他の後進国のようにお金・保険が無いから、
事故や事件で重体になっても医療が受けられず、
せめて苦痛から解放させるために我が子や家族を移植コーディネーターへと託す人々が増え、
なし崩し的に、倫理観が育たぬ状態でリッチorプアの生存権の有無を決められてしまうことに危機感を持ってしまう。

---仕方ないじゃないか、
もう、決められたことだ---


そういう日本人に多い精神性は、とても好ましくあるのだが、
権力が澱み・腐敗し易いシステムを維持し、
権力が暴走していても、
抵抗しない、もしくはお互いにさせない空気を形成してしまう自爆装置を作ってしまう危険性を孕んでいる。

恐ろしく公権力との親和性も高い。

銃とアドレナリン分泌量がとても微量なアメリカ南部の共和党支持者の労働者階層と似ていると最近、思うようになった。

しかし、いくら共和党支持の労働者階層の人たちでも、
政治家が、
「職がなかったり、病や老いと貧困は自己責任であり、自助努力不足」
とか公言したら、そんなことをいう与党や総裁へ、
靴を投げつけて、公職から引き摺り降ろしてしまうだろう。

そんな「政治家」とは、なんぞや。
という自覚もない人々が、この10年以上好き勝手しているのを見てると、
日本の医師たちや家族たちが、
脳死移植へ慎重であることに個人的には、わずかにホッとしている。


近親者の看護、看取り、
死者への儀式を経験してから、臓器提供への考えが変わった。
それまでは、
「親族へ自分が脳死及び、死んだら提供出来るモノは全て提供してくれ」と伝え、
また、身内にも、
「もし脳死状態と判定されたら、私は提供することへ同意するから」と言っていた。

しかし、親族が末期癌を患い、
自宅看護をし・・・(あまりの身体的精神的疲労で、思わず死を願った事が一度や二度ではなかった)
最期の一呼吸を見、枯れ枝のように細ったその腕を握りしめ、脈が消え、
医師へ連絡し、「死」を確認してもらい、
火葬場の煙突から立ち上る薄い煙が空へ上がるのを見つめていると、
生物としてのカタチと縛りから解放され、
その精神だけが空へと還り、自然の中でいつも自分の側にいるのだと気付いた。

その一連の儀式を経たからこそ、
愛しい人の死も、また生であると受け止めることが出来たのだ。

そして、ドナー・カードを捨てた。


死生観こそが人それぞれであるから、
下記の毎日新聞の記事のように・・・「命のリレー」と考え至る人もいるだろう。

家族や親族同士でそういう死生観を語り合い、
共有する時を設ける切っ掛けが個々の中で生まれるのは、
個人の関係性を深めるために良いことだと思う。

しかし、その輪を広げようという活動は他者へ改宗を迫るようで、
どことない傲慢さを感じる。
他者へ「死」を決断させることを、
「当前」のことであるかのような表現は、思わず眉を寄せてしまう。

まだ、死後の移植でさえ、
死体損壊の罪の意識が大きく横たわっているというのに、
それをいっそく飛びに「脳死(生体)移植」へと意識を変えろというのが、
・・・鬼子母神が荒れ狂う様を想像させられる。

広がらない理由は、日本人の死生観にあるとわかっているのに、
「広がらぬもどかしさ」を
感じられても、どうしようもないのだろう。
そして脳死移植の問題も海外での情報を追っていれば見えているだろう。
そしてそれらの問題は、政治的にも医療的にも解決する術が困難だということも、
知っているはずなのに、
伝えない事の罪の重さを記者クラブに所属している記者たちが、
思考しているのだろうか。

「広める」ことが、それらの大きな問題を同時に「広めてゆく」ことになると自覚せずに、「命」を語る怠慢は非常に罪深いことではないだろうか。

<脳死移植>10年で81件 命のリレー、広がらぬもどかしさ 「仲間思うと少ない」
http://news.goo.ne.jp/article/mainichi/life/20090227ddm001040021000c.html?C=S
日本臓器移植ネットワークによると、脳死者から臓器提供を受けたのは345人。うち、最初の2人の男性を含む約9割、305人が生存している。【野田武、関東晋慈】
この生存率の高さは、現段階で臓器提供が許可されるは大人であること、
また家族・医師たちが慎重であることに他ならない。

生体(脳死)臓器提供の理解を求める運動をしている人々たちには、
提供を了承する家族たちが、
「本当に、あの人は痛みも何も感じず、逝ったのであろうか。
言葉に出せないだけで、本当は苦痛と恐怖を感じたのではないだろうか。
ホントは、自分のエゴで殺してしまったのではないだろうか。」
そんな後悔という言葉では軽すぎる重荷を背負うことに躊躇してしまう人々が多いということは、とても人間的で暖かな社会だと私は考える。

心拍停止での臓器移植であれば、本人が望んでいたのであれば同意する家族は多いだろう。

それでも、自分の子供・・・まして児童や幼児と呼ばれる年であれば、
遺体であっても、別れの時も取れない状態に乱れる心を抑える術を知る遺族が増えるとは思えない。

死者は生者の為に存在する。
という認識と、
「命のリレー」という言葉とは、
まったく違うものではないだろうか。

脳死判定をするのが人間であり、腑分け(パーツ分け)して、
動いている心臓を取り出し、
絶命させるのも人間・・・リレーという競技は、バトンを渡すが前者が競技から退場するものではない。
表彰台には共に昇り、互いに喜びの感情を共有しあうのだ。

あくまでも私個人の考えであるが、
移植手術を【医療行為】とは、思えないし呼びたくもないのだ。

代替えのギミック(ロボット)を開発してゆくより、
そのまま人間のパーツを入れ替えた方が安上がりだから、
死体のパーツだけでは物足りなくなって、生体(脳死)移植にまで手を広げてしまった。

もし、各先進国が移植や万能細胞へ分配した費用をギミック研究につぎ込んでいれば、肝臓は難しいとは思うが、
作りが単純な心臓に関しては、これだけの歳月を使えば完成していたのではないだろうか。

特に繊維化してしまう心臓は、人によっては何度も新鮮な心臓と取り替えなくてはならない・・・そういう事を、
幼児の心臓移植の募金を呼び掛ける人々たちは、誰も言葉にしない。


物作りを誇り叫び続けた日本こそが、
そういう研究を試みていた大学と企業へ投資していれば、
幼子たちへ命を繋ぐ、免疫抑制剤を投与せずに済む、そして他の悲劇を伴わない、
心臓を作り出せたはずだと、
海外へ心臓移植を求めて旅立つ家族たちのニュースを目にするたびに、
哀しい気持ちになってしまう。

「安楽死」や「尊厳死」へのを求める本人や家族は、
「命のリレー」を求める人々よりも現状では多いのではないか・・・
臓器移植を求める記事を目にすると、「尊厳死」ことが同時に脳裏に浮かぶ。

そういえば、昨日の朝アメリカのニュースで、
末期癌の人にだけ、自殺幇助を請け負ってたグループが逮捕されたと流れていた。

死体からの臓器摘出に麻酔?
タイトルは、法的脳死判定9例目ドナーからの臓器摘出時に、高血圧となったためガス麻酔をかけられたことを麻酔50巻6号p694で読んだ時の感想から 名付けました。
http://www6.plala.or.jp/brainx/

臓器移植法改正を考える
http://www.lifestudies.org/jp/ishokuho.htm
日本移植者協議会案

「臓器の移植に関する法律」の改正にむけて」大人も子どもも脳死は例外なく一律に人の死とする。大人の場合は本人の意思があったときにのみ臓器移植ができ、15歳未満の子どもの場合は親権者が承諾した場合に臓器移植ができるとする案。(2000年12月20日ころ作成・発表、2001年3月10日HPにて公表とのことです)。


6 関連資料および海外の現状
各国の法律 オランダ スウェーデン ドイツ 韓国 日本の臓器移植法の英訳

総理府による臓器移植に関する世論調査(2000年5月調査)必見!!「脳死移植には本人+家族の承諾が必要 69.9%」など

内閣府による臓器移植に関する世論調査 (2002年7月調査)必見!!15歳未満からの摘出、本人の意思確認、親族指定の臓器提供などについての意見。どれも意見が割れていて、まだまだコンセンサスはないものと考えられます。内閣府による臓器移植に関する世論調査 (2004年8月調査)必見!!依然として国民の意見は割れています。大阪読売新聞による、各宗教団体の脳死移植についてのアンケート調査の結果一覧表。必見!!NEW! 大本教による5000人を対象としたアンケート調査によると、ドナーカードを所持している人の60%が脳死と植物状態の違いが分からないと回答しています。衝撃的です。(2000年)

アメリカ合衆国の「脳死反対」論 End of Life Care Understanding Brain Death の2本。通説に反して、アメリカにも強力な脳死反対論を取る団体があります。キリスト教系のAALです。そこにある論文をぜひ読んでみましょう。医学的にするどく迫っています。 アメリカのドナーファミリーとレシピエントの交流サイトTransplantbuddies。多数の掲示板へとリンクしています。

アメリカのサイトに載った、日本の臓器移植法についての記事。翻訳が完成しました。テオさんありがとう! 海外でも注目されてるようです。2000年10月28日付け。

ドイツの脳死臓器移植事情(1999年のもの)現地におられる美濃口坦さんのエッセイ2本です。

海外サイト:脳死を考えるネットワーク International Network For the Definition of Death 海外でも脳死を再考する動きがあるのです。こういう情報がなんで日本に紹介されないの?

とうとう、海外でも動きが・・・。120名の医師・哲学者等の署名による「脳死反対宣言」が公表されました。言い出しっぺは、安楽死反対、キリスト教原理主義の人々か。翻訳はここに。日本人賛同者も募集中。

スペインの移植コーディネーターについての文献の翻訳です(てるてるさん)。スペインでは、なんと、コーディネーターが臓器を獲得するごとにボーナスが出るようです。これでいいのだろうか・・・・(増補改訂版)。

デンマーク倫理委員会の「推定同意」に関するレポート「臓器提供─生前同意か推定同意か?」(てるてるさん翻訳)。結果的に、デンマークは推定同意を勧めない。

J・マシア「移植医療への疑問」カトリックの最近の考え方は移植全面肯定ではなくなったとの指摘。

在日の方の脳死世論調査の結果。

韓国では、脳死判定の手続きを緩和して、臓器移植をやりやすくしようという動きがあるようです。 問題提起資料「中央公論」の拙論を補足する資料です。古いのも混ざっている。脳死の人への麻酔とラザロ徴候[00/5/22]

Check! Neurology OTA 

2000年8月にイギリスで脳死の人への麻酔が記事になって大論争になったが、その張本人のDr.Keepは、「麻酔をかけてくれるのなら私はドナーになっていい」と述べている(翻訳はここ)。超大問題がここに口を開いている。麻酔したらOKの思想。 ドナー家族とレシピエントの交流について、 てるてるさんの論考「"transplant community" の二つの意味」 レシピエントを中心としたコミュニティと脳死の人を中心としたコミュニティの架け橋とは(2001年4月23日)。アメリカのドナー家族とレシピエントの交流のためのガイドラインNational Communication Guidelines を、てるてるさんが翻訳(5月1日)。ドナー家族中心なので、脳死の人中心とは少し違います。さらに、Pamela Albertによるこのテーマの論文2篇(1998、1999)を、てるてるさんが抄訳・解説されてます。 日本臓器移植ネットワークのあっせん業取り消しの申し入れ全文。2001年7月の親族への指名移植に関する不正の告発です。 臓器提供を事前に意思表示している場合にのみ脳死判定を行なうという、日本と同じ枠組みの法律をもっているのが、オーストラリアのウエスタンオーストラリア州です。ということは、「死の選択」が認められているのは、日本、米国ニュージャージー州、オーストラリアウエスタンオーストラリア州の、3地域ということになるようです。 エジプトの場合、アズハル大学のタンタウィ総長は「提供者が脳死状態の場合、家族、もしくは、当人が意識のある間に同意していることが前提で、かつ心臓の停止後に限り提供を許す」という見解を出したらしい。イスラムの事情については、Ebrahim Moosa のThe Body in Muslim Ethics: The Dissonance of the Gaze(s) (2000)が有益。イスラムでは1986年に、「脳死は人の死」として差し支えないとの指針が出たようだ。"the Academy adopted brain death as an acceptable definition of death in terms of Islamic criteria. " その位置づけが具体的にどうなのかはわからないが、重要情報。臓器移植に関しては、エジプトは寛容寄りであるが、パキスタンは否定的だとのこと。 ユダヤ法における脳死論議 "The Brain Death Controversy in Jewish Law" Rabbi Yitzchok A. Breitowitz というのがあります。

Eelco F.M. Wijdicks,"Brain death worldwide"(Neurology,2002)によれば、調査した80カ国中69%の国で移植法が存在し、88%の国で大人の脳死判定基準が存在。大人の脳死判定基準がない国が10カ国もあるんだね。

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