勿怪の幸い。

福長千紗の制作日記とあれこれ

氷の花火

2016-02-11 20:03:57 | 徒然
氷の花火 山口小夜子、見てきた。

近くて遠い人、という表現がぴったりだった。

仲良くなっても、距離感の遠い人がたまにいる。
確かに親しく付き合っているのに、仲良しです、と言い難い人。
なんだか一方通行な気がして、気がひける。
ただひたすら自分だけが憧れているような、近くにいるのに遠い存在。
しかし、ふいに相手が自分を認めてくれているのが見えたりする。
なので、また離れられない。

こういう人といると、苦しい。
素晴らしい人であればあるほど、努力しているのがわかるし、同じようにできないダメな自分が浮き彫りになってしまう。
なのに、さらっとダメな自分を認める発言をするので、更にコンプレックスが刺激される。

グラグラ揺すられる。

綺麗な人だったのだろうな。
容姿だけではなく。
美しいは苦しい。重い言葉だなぁ。

遺品を開き山口小夜子に再開するプロジェクト、彼女を知らない私がみても、喪われた寂しさを交友のあった人達から感じた。

モデルを山口小夜子に似せたメイクと彼女の服で作り上げ、写真を撮る試みをしていたが、さすが有名デザイナーやカメラマンだな、そのモデルがこんな素晴らしい表現ができるなんて、と物理的に飛び上がって喜んでいた。
似せてはいるが、現代のモデルを使った山口小夜子の表現という事らしい。
山口小夜子のそっくりさんをつくる、という事ではなかった。

そりゃそうか。
好きな人の偽物を作るなんて馬鹿な事、人気クリエイターがするわけないよな。

恐ろしく唯一の存在だったのがわかった。

私の一つ開けた隣に、ぱっつん黒髪赤い唇のファンをこじらせた感じの子がいたが、そりゃダメだよ。
唯一の存在を真似したら、残念なだけだ。
更に進化させた工夫が見られるとか、下敷きにしてあったら、憧れなのだろうな、と思うが、そのまんまだった。
なぜ関係のない私が、彼女を見ていたかと言うと、デザイン学校の子が持っているような筒に、画板が入ってそうな荷物を持っていたから。
お手本や下敷きにするのは良い。
けれど、その通りはだめ。
このドキュメンタリー映画を観て、かっこ悪い、と気付けばいいなぁ。

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