つれづれ雑記

つれづれ:することが無くて退屈なこと
雑記:日常のことを何でも書きつづる

南相馬②牛河内仮設住宅

2014-02-28 | 災害
L君は西海岸のワシントン州出身で実家は牧場経営だったようだ。 以前青森県のむつ市で2年間英語教師をしていて、一旦帰国して再来日し、今は仙台の東北大学で日本文学を研究している。 現代小説を読んでいると、日本語は同じ言葉でもひら仮名と漢字では印象が異なり、そこに作者の思いや意図が感じられる、ととても大切なことを教えられた。 日本語が自由に話せる好青年なので足湯に来る人の人気が高く、彼に当たる人は周りの女性から拍手が起こったり、羨ましがられたりした。 彼の隣で足湯をするさえない高齢者の私は少々申し訳ない思いだが致し方ない。 彼はこの足湯のあと浪江の牧場で牧草作業のボランティアをするらしい。 力仕事だろうが小さい時から慣れた仕事なのだろう。

この仮設住宅では前にも足湯をし、その時は15人くらい来たそうだが、今回は8人だった。 津波で家を流された70歳代の女性に足湯をしながら伺ったお話は「本当に何にもなくなってしまった。 人生の後半でこんなことになるとは思いもしなかった。 いつ何が起こるかわからない。 でもどんな時でも気持ちを強く持って生きていくことだと思う」と、自分自身に言い聞かせるように繰り返し話されていた。 被災から3年近く経って何とか気持ちの整理ができ、静かに現実をを受け入れようとされているように思えた。

どこの仮設住宅でも集会所に来るのはほとんどが女性で男性はまず来ないが、たった1人だけこられたSさんと話した。 「数年前に脳梗塞の手術をして体は元気だがお酒もタバコもやめた。 ここには男性はたまに2~3人が来るだけだ。 囲碁将棋をする人もなく、何も楽しみがない」 女性は編み物やパッチワークなど、おしゃべりをしながら手を動かし物を作る楽しみもあるが、男性はそれまでの仕事や活動の場を失うと引き篭らざるを得なくなってしまう。 何とも悩ましい限りだ・・・。

昼食を摂った復興商店街




牛河内仮設住宅




足湯





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