つづりかた

音楽・文学・日々・時々将棋

日本のペインティングは私が支える

2013年03月29日 | 美術
絵画界に強力な女性画家が現れた。
第5回絹谷幸二賞を受賞した橋爪彩さん↓だ。
http://www.saihashizume.com/news/


作者の橋爪彩さんの受賞インタビューに
若い世代の頼もしさを感じた。
「日本のペインティングは私が支える、
という気持ちで仕事をしています。」と述べたのである。
自分がやらねばならぬ、という決意。
力強い。


受賞作「Flora」




白いドレスを来た妊婦が大きなお腹を抱えている。
ふくよかな肢体、ピンクの小花柄ドレス、
真っ赤なペディキュア、そして血。
出血が始まって、あっというまに足をつたう。
ドレスの汚れを気にして裾を持ち上げた、その緩慢な動作。
全てのベクトルは「女」を指している。

ここでいう「女」とは性別としての女性ではない。
女にまとわりつく生態のことで、
ざっくりいうと「女臭さ」のことである。

断っておくが、綴り人は男権主義者ではないし、
フェミニストでもない。

しかし、描かれた妊婦がもし実在したら、
残念ながらお友達にはなれない。
こんな女の固まったような女(変な言い方だ)と
まともにつきあえる訳がない。
ところが、実際の所、綴り人は大抵の女と友達になれるし、
その自信がある。
となると、やはりこの女は象徴としての「女」、
女を解りやすく固めた「女」なのだろう。


一筋の血が女の股から
太腿をつたって、足首まで流れる。
女なら誰しも、鼻をつく自身の血の匂いを
想起してしまうリアルさ。
毎月来る重苦しい腰の痛みを思い出してしまう生々しさ。
女ってしんどいんだよねぇ。
そんな思いが頭をよぎる。


ここには、女性を題材にこれまで描かれてきたような
女神的な、もしくは妖精的なフェミニンさはない。
単に性の現実がある。
淡々とドライに女という性を表現したらこうなった、
そんな絵だ。
これが現代絵画の最前線、という気がした。


話は戻るが、「日本の~は私が支える。」はカッコイイ。
各々の分野で、みんながそんな気持ちを持って仕事をしたら、
どんな日本になるだろう?
そんな思いもよぎりつつ。