キャッスルマン病とわたし。

稀少難病『特発性多中心性キャッスルマン病』になってしまったわたしの日々。
夫・Uさん&チワワに支えられて。

キャッスルマン病と言われるまでのこと。 その4

2007-08-31 | キャッスルマン病と言われるまでのこと。
【 地元の内科に行ってみた 】



さて、わたしは耳鼻科の先生の紹介で、その病院の目と鼻の先にある、

個人でやってる開業医の内科の先生に診て頂く事になりました。


この先生、年齢が私とそんなに変わらない(当時の私は33才)、

明るくくだけた感じの女医さんで、とても話がしやすかったのを覚えています。


そして、血液検査を始め、いくつかの検査(内容は忘れた)をした結果、

やはり血液にいくつかの顕著な異常が認められました。


・高CRP

・高ガンマグロブリン

・貧血

・血小板大同小異

・高血小板


*「高」と付いているものは、数値が高い事を意味します。

*「大同小異」とは、血小板の大きさが、大きすぎたり小さすぎたりする事です。


その他にも、尿検査で潜血反応が出ていたり、

先生と話している中で、初めて「異常な状態だった」事がわかったのが、

【発熱】で、これが一つのポイントになりました。


わたしの場合の【発熱】は、

夕方から夜中に掛けて全身倦怠感&37.5℃~38.5℃位の熱が

毎日、3ヶ月くらいず~っと続いていたのです。


そういえば、暮れにひいた風邪はすごく長引いて、治るのに2ヶ月近くかかったなぁ~

なんてのんきに思ってはいたけれど、そんなに大した事じゃないと思っていて、

体がだるいのも熱が出てるのも、きっと疲れているせいなのね。って

気にも留めていませんでした。


確かにこの頃、会社から帰るとだるくてだるくて、ソファーに倒れこんだまま

2~3時間は動けませんでした。


ちなみに当時の私は交代勤務(3交代)&長時間残業&休日出勤が

 当たり前な日々を過ごしていましたが、家庭の事情により

 勤務時間を早朝に変更してもらったばかりでした。


 現在は早朝勤務で体調を崩しがちになっていた事に気がついたので、

 平常勤務に変更してもらっています。

 おかげで以前よりもだいぶ体調が安定しています。


主人は共働きなんだから家事は手伝うよと言って、

常日頃、非常に家事に協力的だったため、

なんとかこの時期を乗り越えていたんだと思います。

小6・多感なお年頃のわたしの子供との共同生活で、精神的にも肉体的にも

彼はかなり苦労した事と思うので、感謝・感謝です。


だいぶ話が横道にそれてしまいましたが、

この感じのいい女医さんも、

「はっきりした事は言えないけど、

 もしかすると膠原病の類の【血管炎症候群】かもしれないね~。」


「市民病院の血液内科に紹介状書くから、血液の再検査の精査結果が

 翌日出るので、また明日、来てくださいね。」


なんて会話をして「膠原病ってなんじゃ?」とか思いながら帰宅したのですが、

この日の夜、結局また強いめまい(←めまい性の発作と言われます)が起きて

結局、救急車で一足早く、紹介してもらう予定の市民病院に運ばれたのでした。

                         




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