映画道楽

人生をいう道を楽しむために楽にするために映画を楽しみます。

バブルでGO!★★★★☆

2007年02月21日 | Weblog
 バブルが弾けたとき、あなたは何をしていましたか?
1990年頃、いまから17年前。1989年、昭和天皇が崩御。「昭和」から「平成」へ。やっと一年の喪が明けた1990年、1月勝新太郎が麻薬所持で逮捕され、2月にはローリングストーンズが初来日。そして4月「不動産融資の総量規制」が銀行局長通達の形で発令されました。当時、流行っていた土地ころがし、土地を担保に金を借りて土地を買う。土地は買ったときより資産価値があがっていたので、土地を担保にすれば買ったときよりも多くの金が借りられることができました。銀行はそうした土地転売のための融資を規制したのです。以来、土地の転売は儲からなくなり、地価は下がました。不動産業や銀行は不良債権を抱え、景気は停滞。日本の好景気はバブルのように弾け、不況の波にのみ込まれてしまうのです。
その頃、流行っていたものを続けましょう。ポケベル、ディスコ、ボディコン、スーパーファミミコン、映画「バック・トゥ・フューチャーⅢ」、「稲村ジェーン」、アニメ「ちびまる子ちゃん」などなど。

 「バブルでGO!」は1990年4月にタイムトラベルして「不動産融資の総量規制」の発令を止め、日本を景気の低迷から救おうとする政治経済タイムトラベル映画です。政治経済と名が付くと難しいような感じがしますが、まったくそんなことはありません。バブルが弾けた話は簡潔に分かりやすくしてあります。また、どうしてタイムマシーンの設定はドラム式洗濯機という、ふざけているとしか思えないものなので、かえって観る側のこだわりを削いでくれます。思い切ってだまされたほうが楽しく観られるでしょう。

 この映画の楽しいところは、当時の文化といまの文化の比較です。いまから17年前という微妙な過去の文化がこれほど面白いとは思いませんでした。文化の面白さや特徴というのは、その文化が終わって次の文化が来ないと分かりづらいのでしょう。2つの文化を比較できるところがよくできていて、タイムマシーンものとして成功していると思います。

 役者として脂がのってきた阿部寛。いまは堅物官僚、過去は軽薄なプレイボーイ官僚、といった二役をうまく演じていました。薬師丸ひろ子はタイムマシーンを開発する研究者、そして母親役が板についてきましたね。「三丁目の夕日」以来、彼女は日本のお母さんのシンボルになりそうです。広末涼子は男にだまされやすい女、キャバクラ嬢、フリーターといった今風の女の子。広末涼子はこういう役は嵌りまっていました。「WASABI」のときのようなキャラクターですね。進歩しろよ。
 チョイ役の飯島愛、飯島直子、ラモス、八木亜希子らも注目どころです。。

 脚本は「踊る大捜査線」シリーズの君塚良一、ユーモアと風刺を盛り込ながら盛り上がり所はしっかりと押さえています。監督は馬場康夫。「私をスキーに連れてって」、「彼女が水着に着替えたら」、「波の数だけ抱きしめて」、「メッセンジャー」と続き本作が5作目。漫画家もこなすユニークな監督です。

 政治、SF、細部で理屈をこねるよりも、ありえない話で勝負している作品なので、だされる快感を味わいましょう。


幸せのちから★★★★☆

2007年02月16日 | Weblog
幸せのちから
原題The Pursuit of Happyness

私の幸せの力とは何だろう。あなたの幸せの力は何ですか?

誰かのために頑張ろう。そう思うことで幸福になろうと努力すること。それが幸福の力なのでしょう。例えば妻や子のためにとか。

 人は自分だけのために頑張ろうなんて思っても、そう頑張れません。

映画はアメリカンドリームを実現させた人物の実話をベースにしています、彼もまた頑張れたのは息子がいたからでしょう。

 ウィル・スミスのすばらしい演技だって息子と共演したから引き出されたと思います。

 人は自分だけにためにではなく誰かのために頑張ろうと思わなければ、簡単に気持ちが萎えてしまいます。

 この作品が伝えたかった大事なところです。
 
原題は「The Pursuit of Happyness」、Happynessのyはiが正解で、「The Pursuit of Happiness
」となり、訳は「幸せの追求」です。劇中、チャイナタウンにある託児所に書かれてあるいたずら書きが「Happyness」となっていて、ウィル・スミス演じる父親が子供の教育に良くないと、さかんに訂正をするように託児所の中国人に行っています。
どうしてiをyとわざわざ間違えたのでしょうか。

 原題の「幸せの追求」とはアメリカの独立宣言が元になっています。

すべての人間は平等につくられている.創造主によって,生存,自由そして幸福の追求を含むある侵すべからざる権利を与えられている.これらの権利を確実なものとするために,人は政府という機関をもつ.その正当な権力は被統治者の同意に基づいている(アメリカ独立宣言)

映画のテーマもそこにあります。ただアメリカの独立宣言とは、ちょっと日本人にはピンと来ないと思います。それはアメリカを個人主義の国だという時に、個人主義という意味を取り違えてしまいます。個人主義は利己主義とは違います。日本では個人主義は利己的に見られてしまいます。他人を気にする帰属意識が強い日本人には仕方がないことです。
幸福の追求は決して利己的なものではありません。
劇中のヒッピーのような世界平和を訴え、自分のことだけを考えて生きることのほうが、もっと利己的ではないですか。

だから、この作品を見るときは「私の幸福の追求」を考えるのではなく、「私の幸せの力は何だろう」と考えてみたほうが、よりよく作品を理解できると思います。

原題の意味を歪めたことには間違いないのですが、邦題で「The Pursuit of Happyness」と間違ったスペルを出しても気づかない人だって多いでしょうし、そのままyで覚えられても困ります。また「幸福の追求」ではピンときません。個人主義と同じように誤解されるのはイヤです。そうなると「幸せの力」というのは、よくできた邦題だと思います。

この作品では主人公と同じように無一文になる感覚を味わえます。家賃が払えずアパートから安モーテルへ移ったものの宿代が払えず追い出され地下鉄のトイレで父子が夜を越すシーンや宿泊場所を探して教会の無料宿泊所に並んだとき、定員内に入るためにホームレスと父親が言い争いをするシーンなどから、私は貧しさへの恐怖を感じました。
感じない人は危機意識に欠如していると思われます。ニートかホームレスにならないうちに人生を考え直しましょう。

父親は貧しさの中で絶望するかと思いきや、決して希望だけは捨てませんでした。努力は報われるとは限りません。報われないかもしれないのです。だからと言って努力しないわけにもいきません。努力をしないと権利さえ与えられません。努力するということは希望を持つということです。逆に努力をやめるとは希望を捨てるということです。

笑顔で街を歩く人、希望を持ち明るく歩く人、そちらの側に行きたい。父親はそう願い努力を続けます。息子のためにも頑張りたいと。

幼い息子は父のことを信じています。だから頑張れる。信頼関係がないと頑張れません。
ウィル・スミスは実の息子と共演しています。だから役者としての実力を発揮できたのでしょう。僕はアカデミー賞最優秀主演男優賞を取れると思います。

「クラッシュ」に出演していたダンディ・ニュートンも良かったです。今回も情が薄くて、あまり理解のない妻役でしたがピッタリはまっていました。でも見る側の共感を得ることができる役者です。貧しさに耐えられず家を出て行く妻役なのですが、それは耐えられないだろうと共感しました。薄情な女にはなってしまわない微妙なさじ加減がうまい。役者として力のある証です。

そうした役所の力を最大限に引き出したのはガブリエレ・ムッチーノという監督。英語映画を始めて撮ったイタリアの監督です。リアリズム重視の演出には好感が持てます。話がご都合主義なところはありますが、そこはハリウッド映画なので仕方ないでしょう。




不都合な真実★★★☆☆

2007年02月07日 | Weblog
 アル・ゴア元副大統領が前面に出ているので政治色が強いドキュメンタリーかと穿った見方をしてしまいました。しかし、この映画で述べられている「地球温暖化」は直視せねばならない問題ですし、そろそろ環境第一主義で考えないと地球環境は破壊されてしまう、人間の生存すら危ういと思いました。

 でも、いくら先進国が二酸化炭素削減などいっても、インドや中国が巨大な人口で消費活動をはじめれば、地球破壊は拍車がかかるのではないかと思います。そうは言っても、アメリカが無視している限りインド、中国も従うはずもありません。

 世の中、破滅に向かってまっしぐらなのかもしれません。

 せめて、省エネ、公共交通機関を使う、そのくらいは心がけておきたいおのです。それは気持ちの問題として…