映画道楽

人生をいう道を楽しむために楽にするために映画を楽しみます。

キングコング

2005年12月17日 | Weblog
 昔観た「キングコング」(1933)、子どもの頃に観たその作品は再放送のテレビで観た。子ども心に、キングコングの怖さ、そして最後はエンパイアステートビルで殺される所では、化け物をやっつけたというよりも、刹那さや悲しさを感じた。
 そして1976年版リメイク版「キングコング」は、ヒロイン役のジェシカ・ラングの美しさばかりに目を奪われ、子ども心に感じたようなキングコングへの恐怖と悲哀は感じなかった。

2005年版、監督は「ロード・オブ・ザ・リング」のピーター・ジャクソンだ。それにしても、次回作がなぜ、キングコングなのだろう。と誰もが思うことだろう。彼は「キングコング」を観て映画を作りたいと思ったという。それだけに「キングコング」に対して彼のリスペクトは半端ではなかった。
 
 しかし、ストーリーは多くの人が知っているので、これは興行的には大きなハンデになる。
一度観た映画、内容が分かっている作品を観に観客は劇場に足を運ぶだろうか。制作側、宣伝もずいぶんと気を使ったに違いない。それで日米同時公開、マスコミにも公開直前にしか試写をしなかったのだろう。
 
 僕も「キングコング」はどうせリメイク版、ピーター・ジャクソンが作りたいというから、「ロード・オブ・ざ・リング」のご褒美として製作者側もシブシブ納得したのかなと思っていた。

 ところが、そんな半端さなはなく。知っている話なのに、すべてが新鮮に見え、驚きと感動に興奮して、瞬きをするのを忘れるくらい、スクリーンに観入ってしました。

 キングコングの恐怖、そして怪物の持つ感情。美しいものを美しいと感じ、種の絶滅に瀕しながらも気高いプライドを持ち、喜びを知り、悲しみを持つ、キングコングの描き方は素晴らしいものがあった。ヒロインのナオミワッツも良かった。美貌を兼ね備えた売れない女優ながらプライドと自尊心を持った役柄を見事に演じていた。

 1933年の「キングコング」制作費○。当時の最先端技術を使った大作で、公開当時劇場には長蛇の列ができたという。最先端技術から言えば数段、いまの技術のほうが高い、しかし、技術はツールでしかない。内容がなければ凡作となってしまう。

 撮影オタクとも言えるピーター・ジャクソン、もちろんそこは熟知していて手抜かりはなかった。参った。ラスト2時間は驚き悲哀、そして感動した。2時間もそんな目にあったので、瞬きを忘れて、僕の目は腫れてしまった。質が高いだけに、「キングコング」出足よりも、その後、口コミで広まり、大ヒットするのではなかろうか。それもピーター・ジャクソンの狙いで、そういった仕掛けをしてくるあたりも度胸がある。スピルバーグ、ルーカス、コッポラに並ぶ才能を感じる。