MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2252 賃金とは「勝ち取る」もの

2022年09月11日 | 社会・経済

 厚生労働省の毎月勤労統計調査によると、2022年6月の勤労者1人当たり現金給与総額の平均は45万2695円。これを(グロスとして)多いと見るか少ないと見るかは微妙なところですが、前年同月比で2.2%増えてはいるものの、物価上昇を加味した実質賃金で見る限り約0.4%の減少。実質賃金の減少は、ここ3カ月連続の傾向となっています。

 また、内閣府の資料によれば、1991年の実質賃金を100とした場合の日本の賃金の伸び率は、28年後の2019年でも105とほぼ横ばい。つまり、日本の賃金は四半世紀もの間、ほとんど増えていないことがわかります。

 この間、ドイツ・フランス134、アメリカ141、イギリス148と、海外では(感覚として)1.5倍程度に大きく伸びていることを考えると、一世代に当たるほどの長期にわたって横ばい状態にある日本の賃金事情は、あたかも社会主義国のような特殊な状況と言わなければなりません。

 なぜ、日本の賃金はここまで長期にわたって伸び悩んでいるのか。8月8日の「四季報ONLINE」に、慶応義塾大学大学院准教授小幡 績(おばた・せき)氏が「成長しない日本の諸悪の根源とは?」と題する論考を寄せているので、参考までにこの機会に紹介しておきたいと思います。

 岸田政権の掲げる「新しい資本主義」では、もちろん「賃上げ」も重要視されている。しかし、この「賃上げ」という言葉にこだわり続けている限り、日本の賃金は上がらないだろうと、小幡氏はこの論考の冒頭に記しています。

 実際、アメリカには「賃上げ」という概念自体が存在しない。だからこそ賃金は上がるのだと氏は言います。賃金は、企業が上げるものでもない。ましてや政府が上げるものでももちろんないというのが氏の認識です。

 「賃上げ」は、空から降ってこないし、上からも降りてこない。「お上」からも、そして、経営者からのお慈悲で得られるものでもない。それは、労働者が自らつかみ取るものであり、経営者との交渉によって労働者自身が勝ち取るものだということです。

 賃金アップは、「資本よりも労働者が経営には不可欠だ」「賃金アップはより経営に役に立つ」と経営者に思わせ、払わざるをえないように納得させて初めて得られるものだと氏は話しています。

 そう考えれば、現在の日本の賃金が低いのは、労働者がこの闘争を「サボっているから」だと言える。日本の低賃金は労働者の努力不足に起因するというのが、この論考において小幡氏の指摘するところです。

 8月1日、厚生労働相の諮問機関である中央最低賃金審議会が、今年度の最低賃金について全国平均で(過去最大の)31円の引き上げを勧告した。メディアの中には、これと同じように、今後、賃金全体も「お上」が引き上げてくれるかのような報道をしているものあるが、これは二つの意味で間違っていると氏はしています。

 第1に、厚生労働省の審議会で勧告水準が決まったが、肝心の賃金水準は労使交渉で決まるもの。経営者代表と労働組合代表がメンバーとして話し合う、まさに交渉によって決定されるということです。

 第2に、最低賃金はあくまで例外で、政策的に政府が介入する必要があるということ。なぜなら、最低賃金で働く労働者とは、労働市場において、もっとも立場が弱い当事者であるからだと氏は言います。

 もしも、「最低水準でもいいから働きたい」などと言ったら、経営者は、ただ働きに近い条件で雇えてしまう。だから、法律で彼らや彼女らを守り、政府が代わりに交渉してやる必要があるということです。

 しかし、それ以外の労働者は、最低賃金以上で働ける力を持っている。賃金の水準は、最低賃金を超えれば、あとは自分で交渉によって勝ち取るべきもので、その努力が不足しているから賃金が低いままなのだと氏はしています。

ここで言う交渉とは、つまるところ、声を上げ、賃金引き上げを要求すること。そのために、労働組合があるということです。

 一方、労働組合が社会的な環境変化で弱体化し、かつ働き手自身からも軽視されている現在、交渉において重要になるのは、「exit」を使えるかどうかということだと小幡氏はここで指摘しています。

 exitとは、「いやなら辞める」ということ。「転職する」という覚悟だと氏は言います。そして、このexitの力が弱いことが、日本の賃金が上昇しない、唯一、最大の理由であるというのがこの論考における氏の見解です。

 辞めないのであれば、経営側として賃金を上げる必要はまったくないようなもの。出世争いをさせて、同じ賃金水準で働かせればよいと氏は言います。

 「シュウカツ」(就活)に命を懸けて、正社員の立場を得たらほっとして、「これで一生安泰だ、もう社畜だな」、などと嬉しそうに半ば自虐しているから給料はいつまでたっても上がらない。雇用保障を得て、賃金上昇を捨てるのであれば、これはもう自業自得だということです。

 さて、要は日本人が意気地なしで、強いものと戦わず、摩擦を避けているから弱いところにひずみが生じているのだという小幡氏の厳しい指摘に、思わず顔をしかめる向きも多いかもしれません。

 とは言え、働き手個人の視点に立てば、日本の賃金が上がって来なかった大きな理由の一つに、社会に出て会社に勤めた後の賃金が「勤続年数とともに上がっていく」という(終身雇用の)給与体系があるような気もします。

 私自身、サラリーマンとして給料をもらい続けた30数年間に、(計算すれば)その金額自体は10倍近くに増えています。年齢を重ね、スキルを身に着け、ポジションを上げるごとに、報酬は着々と増えてきた実感があるのも事実です。

 賃金全体の平均値が(この30年近く)ほぼ横ばいだったとしても、1人1人の給料を見れば、年功賃金の影響により年齢が上がるとともに自動的に賃金は上昇を続けているのは間違いありません。

 つまり、個々の働き手としては毎年賃金が上昇していくシステムの下では、(労使交渉において)exit(転職)をちらつかせ、年功のポジションを捨ててまで、(使用者側に)賃金アップを迫るメリットは少ないということ。会社を辞めて、またゼロからスタートするリスクを思えば、多少我慢してでも今のポストにしがみついていようと考える気持ちになるのは、ある意味仕方のないことなのかもしれません。

 もっとも、近年の日本では、(既に)経済界から「終身雇用の維持は難しい」という声が出されているという現状もあるようです。

 終身雇用が維持できなくなったということは、働き手が一つの会社だけに依存するリスクが高まると同時に、労働者自身が自らの手で自身を守る術を身に着けなければならなくなったということ。終身雇用の維持が難しければ、働き手はより高い給料や待遇を求めて転職サイトに登録したり、副業したりすることにもなって来るでしょう。

 終身雇用の終焉は企業に年功賃金の慣行を改めさせ、自由な労働市場の拡大は人材確保に向けた雇用条件による企業間の競争を一層厳しくさせる。そうした変化の中で、日本人にとっての賃金も、徐々に交渉によって「勝ち取るもの」になっていくのだろうなと、昨今の状況から私も改めて感じている次第です。

 



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