MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2596 日本社会の弱点は変わらない

2024年06月17日 | 社会・経済

 2025年大阪・関西万博が、4月13日で開幕1年前を迎えました。しかしその一方で、「万国博覧会」という国家的なイベントに世の中が浮き立っている観はなく、メディアなどでは延期や中止を求める声が飛び交っているといっても過言ではありません。

 能登半島地震からの復興を踏まえ、共同通信が今年2月に実施した世論調査では、大阪・関西万博を「計画通り実施するべきだ」としたのは約4分の1の27.1%に過ぎず、「延期するべきだ」が27.0%、「規模を縮小するべきだ」が26.7%、「中止するべきだ」が17.6%と、回答者の多くが計画変更を求めている状況です。

 一体この大阪・関西万博は、なぜこれほどまでに敬遠されているのか。当初の計画の約2倍となる2350億円を見込むこととなった会場整備には、国や府、市などから多額の税金の投入が予定されており、期待の海外パビリオンの建設スケジュールの大幅な遅れも伝えられています。実際、開催までの期間が1年を切った現在でも、着工はわずかに十数カ国(4月上旬時点)。関西経済界の逃げ腰とともに、負担増や課題ばかりがクローズアップされる現状に、期待感もなえてきたといったところでしょうか。

 さらに今年の元旦には能登半島地震が起こり、世論からは「万博どころじゃない」との声も聞こえてきます。とはいえ、あれだけ(事前には)不評だった東京五輪も、気が付けば大きな盛り上がりを見せたこの国のこと。始まってしまえばこっちのもの。何とかなるだろうと高を括っている関係者も多いのかもしれません。

 それにしても、これだけ「開催を見直せ」との厳しい声が上がっているにもかかわらず、政府・地元ともにそうした動きがみられないのはなぜなのか。5月9日の総合情報サイト「Newsweek日本版」に、経済評論家の加谷珪一(かや・けいいち)氏が『大阪万博でも「同じ過ち」が繰り返された...「太平洋戦争の敗北」を招いた日本社会の大きな弱点とは?』と題する論考を寄せていたので、小欄にその一部を残しておきたいと思います。

 大阪・関西万博の開催まで1年を切った。プロジェクト管理が杜撰さもあって開催までに建設が間に合わないケースが出てくるのは確実で、中途半端なイベントになる可能性が日増しに高まっていると氏はこの論考に記しています。

 万博の準備不足が露呈した昨年以降、国民の一部からは中止や延期を求める声が上がっていた。万博については(対外的な関係からむやみに中止することが得策とは限らないが)、それでも開催の是非についての国民的な議論は一切行われず時間だけが経過したというのが、現状に関する氏の感覚です。

 日本社会には、一度、物事を決めるとそれに固執し、状況が変わっても止められないという特徴があると、氏はここで厳しく指摘しています。復活の見込みがない国内半導体企業に血税を投じ、20年にわたって国策半導体企業への支援策を重ねたり、過去3度も失敗してきた国産旅客機の開発計画を執拗に進めたり。氏によれば、止められない事により傷口を広げた事例はそこかしこに見られるということです。

 これらは個別のプロジェクトなので、最悪、投じた資金を諦めるだけで済む。しかし、国家全体の趨勢がかかった決断において失敗が明らかになった際、撤退の決断ができないことは時に致命的な影響をもたらすと氏は改めて指摘しています。

 経済規模が10倍もあるアメリカと全面戦争を行い、国土の多くを焼失した太平洋戦争の敗北は、まさに止められない日本を象徴する歴史だった。リスクを承知でスタートし、効果が十分に発揮できないことがわかっても撤退の決断ができなかったアベノミクス。グローバル化とデジタル化が進んだ世界経済の変化を無視し、30年間もかたくなに従来型ビジネスモデルに固執した日本の産業界全体にも同じ傾向が見て取れるということです。

 特にアベノミクスについては、効果が十分に発揮されない可能性があることは何度も指摘されていた。加えて、大規模緩和策は副作用があまりにも大きく、過剰な国債購入がインフレ圧力となって返ってくることも当初から分かっていたはずだというのが氏の指摘するところです。

 結果、緩和策の実施によって一定のインフレ期待は生じたものの、実体経済の回復に寄与していないことは、実施3年目あたりから明確だった。もしもコロナ危機前に撤退を決断していれば、今のような際限のない円安は回避できたかもしれないと氏は言います。

 日本の産業界も、1990年代以降、国際競争の枠組みが大きく変化したにもかかわらず昭和型の手法に固執し、多くの企業が莫大な損失を抱えた。デジタル化の流れが誰の目にも明らかとなった2000年代に経営改革を実施していれば、ここまでの低賃金にはならなかった(はずだ)ということです。

 結局のところ、決断ができないということは、組織として責任の所在がはっきりせず、事なかれ主義が横行していることにほかならないと氏はしています。規模の大小や分野にかかわらず似たような現象が何度も観察されるのは、明らかに日本社会に共通する弱点といえる。国家の衰退が鮮明になっている今、もう見て見ぬフリはできないと話すこの論考における加谷氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。