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MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯175 「調査捕鯨」に日本の問題を見る

2014年06月04日 | 日記・エッセイ・コラム

 

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  総合経済誌の「日経ビジネス」では、経営コンサルタントの大前研一による「産業突然死時代の人生論」と題する「ちょっと辛口」なコラムを毎号連載しています。 

 今年の3月31日、日本が南氷洋で行っている「調査捕鯨」が国際捕鯨取締条約に違反するとしてオーストラリアが中止を求めていた訴訟に対し、国際司法裁判所が現行方式での調査捕鯨の中止を命じる判決を下したのは記憶に新しいところです。大前氏は4月16日のこのコラムで、「調査捕鯨問題」に関する日本政府の一連の対応について、「極めて日本的なごまかし」をはらむ象徴的な問題であるとして、読者に興味深い視点を投げかけています。

 

  今回の判決により、日本の捕鯨政策は大きな方向転換を迫られることになる。そんな状況にあって興味深いのは、実は、日本のなかにも密かに喜んでいる人がいることだと、ここで大前氏は述べています。霞が関の役人たちは、内心ではこれまでの形ばかりの「調査」捕鯨には(論理的に)無理があると考えていた。しかし、業界との関係もあり自分たちでは止めることができない(したくない)。そこで今回、政府関係者は裁判で負けることを承知の上で、「裁判に負けたので、法治国家日本としては従わざるを得ない」という態度を示しているという指摘です。

 

  大前氏は、この問題については本来、(状況を総合的に勘案すれば)官僚が業界に対して主体的に「調査捕鯨はもう中止しましょう」と言うべきだったとしています。そうしたいわゆる「汚れ仕事」を嫌ったばかりに調査捕鯨はズルズルと続けられ、あくまで調査だと「誤魔化す」姿を晒すことで日本は国際的にバカにされることになってしまったというのが大前氏の見解です。

 

 大前氏が指摘するように、日本の調査捕鯨では捕獲された鯨(肉)の大部分が市場に流されることが前提となっており、実質的に管理された商業捕鯨として実施されていたことは内外に広く知られています。また、一方で国内消費者の鯨肉離れは深刻で、実際、調査捕鯨で捕獲した分でさえ消費しきれず余ってしまっているという状況も一部にはあるようです。

 

 今回ように「ガイアツ」を利用し、「自分たちには責任はない」「法治国家なので法の裁きには従う」という顔をしている役人や政治家は非常にみっともないと、大前氏は厳しく批難しています。国内問題を処理するため、国際社会に向けて公然と行われるこのような恥ずべき日本の伝統的な問題解決の姿勢は、その無責任さゆえに日本の国際的な信用を大きく損なうものだと大前氏は主張しています。

 

  さらに大前氏は、日本という国が海外から理解しにくいのは、国民生活者や消費者の声がマスコミの論調になっていないからだとしています。日本の「サイレントマジョリティ」の声は文字通り「声なき声」であり、誰も投げようとも拾おうともしないため、海外からも国内にいてもほとんど聞こえてこないというものです。

 

 捕鯨の問題に限らず、日本の多くのメディアはごく一般的な消費者の意見や気持ちを掬いとることができず、一部の利害関係者の大きな声や政府の建前ばかりを報道することになる。このことが、諸外国の日本に対する認識に誤解を与えているばかりでなく、国内の世論自体をミスリードしているのではないかと大前氏は考えています。

 

  日本の調査捕鯨に対する見解は様々あると思います。しかしそれはそれとして、「南氷洋の鯨をめぐる日本の敗訴は小さな問題だが、そこには(建前や立場を重視し問題の本質的な議論を回避しようとする日本の政策決定のスタイルや、大きく具体的な声に曳かれるメディアの性向という)より大きな日本の問題が透けて見えてくる…」とする大前氏の指摘を、今回ひとつの興味深い視点として受け止めたところです。

 


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