週刊誌がスキャンダルとして報じた女優の広末涼子さんの不倫のニュースが、テレビのワイドショーやネットの情報サイトなどで大きく報じられ、いまや国民的な話題となっているようです。
広末さん自身ばかりでなく、キャンドルアーティストを名乗るご主人や広末さんの交際相手とされるシェフの方も皆いい大人なのですから、何も周囲を巻き込んで大騒ぎする必要はないと思うのですが、やはり周りは放っておいてはくれないようです。
もちろんメディアも商売なので、(普段は持ちあわせてもいない倫理観をかざして)当事者にあれこれと切り込みます。そしてそれを受けた視聴者たちは、華やかな世界への揶揄もこめて留飲を下げるといった(いつもの)構図が生まれている様子です。
今回のゴシップの特徴は、当事者である広末さんが子供3人の母親という立場にあることで、より厳しいバッシングの対象になっているように見えること。出演していたビールなどのCM4本は放送中止。所属事務所は「無期限の謹慎処分」を発表したとされています。
私自身、小さなお子さんたちを連れた広末さんを街で1~2度見かけたことがありますが、そのお母さんぶりは思わず目を細めてしまうようなものでした。
だからという訳ではありませんが、夫婦関係などというのは所詮プライベートの話。直接関係のない人たちに本当にそこまで追い込む権利があるのかと胸を痛めていたところ、6月20日の経済情報サイト「PRESIDENT ONLINE」に、ドイツ・ミュンヘン出身のコラムニスト、サンドラ・ヘフェリン氏が『広末涼子の「不倫」は仕事を奪われるほどのことなのか…見えてくる「母だから」という呪縛』と題する論考を寄せていたので、参考までに小欄にその一部を残しておきたいと思います。
女優の広末涼子さんが既婚者でありながら、同じく既婚者で料理人でフレンチレストランオーナーシェフである鳥羽周作氏と恋愛関係にあることが分かり、週刊誌を中心に「不倫」と叩かれている。不倫がマスコミに知れて数日後、広末さんはドラマや映画などの出演を降板し「無期限謹慎」の処分を受けたとされるが、問題なのはなぜ広末さんを無期限謹慎処分にする必要があったのかということだと、ヘフェリン氏はこの論考に綴っています。
SNS上には彼女を擁護する声もあるものの、彼女の行為を非難する理由として「子供がかわいそう」というコメントをよく見かける。しかしその根底にあるのは、「母親になった女性は、母親としてふさわしい行動をするべき」「母親らしくない行動をするのは許されるものではない」という昔ながらの考え方ではないかというのが氏の指摘するところです。
広末さんの夫であるキャンドル・ジュンさんは6月11日、とあるイベントのスピーチで長男に触れ、「小さい子たちの面倒を見ていて大変なのに、福島の人たちに対して気遣いのできるカッコいい長男になってくれました」と語った。これに対し世間からは、「母親である広末さんがなぜ幼い子供たちの面倒を見ていないのか」といった(広末さんへの)非難の声が上がったとヘフェリン氏は話しています。
しかし、すこし考えてみれば子供たちの親は母親の広末さんだけではないのは自明のこと。(そもそも広末さんよりも自由になる時間があるのだろうし)長男任せなどにせず、なんで父親であるキャンドル・ジュンさん自身が子供たちの面倒を見ないのか…といった批判があってもいいはずだというのが、こうした批判に対するヘフェリン氏の見解です。
つまり、今回の騒動は行為そのものへの批判というよりも、「お母さんという立場であるにもかかわらず、それにふさわしくないことをした」という批判なのではないかと、氏は指摘しています。そして批判の際に子供が使われるため、結果、「子供がかわいそう」の大合唱となるわけだということです。
ヘフェリン氏はそこで、同じ『週刊文春』(6月22日号)に掲載された、「岸田最側近木原副長官 シンママ愛人に与えた特権生活」という記事を紹介し、引き合いに出しています。
その内容は、岸田政権の要、内閣官房副長官である木原誠二氏が既婚者でありながら子供を持つ独身の女性と頻繁に交流をし、いわば「二つの家庭」を当たり前のように行き来している行為を批判的に見る内容とのこと。
記事に登場するシングルマザーの娘「B子ちゃん」が木原氏と血のつながりがあるのかどうかは明らかにされていませんが、木原氏がB子ちゃんの誕生日に一緒にディズニーランドに行ったり、B子ちゃんの学校行事に参加したり、B子ちゃんの通う学校でほかの保護者と会話するなどしている様子が写真と共に示されているということです。
記事自体は、公的な立場でありながら二つの家庭を行き来する木原さんに批判的なものだが、私(←ヘフェリン氏)は「公的な立場にありこんなにも多忙な人が、B子ちゃんのために時間を作り、父親としての役割を果たしているなんて、なんて素晴らしいのか」と一種の感動を覚えたと、氏はこの論考に記しています。
二つの家庭を持ち、本妻もB子ちゃんやその母親の存在を容認しているという状況が普通かどうかは別にして、公人である木原氏がそこまで堂々とB子ちゃんの父親としての役割を果たしている状況に(確かに)驚きを覚えた人は多いでしょう。
ヘフェリン氏は、私のこの感覚に共感してくれる人は日本にはあまりいないと記していますが、私自身も木原氏の(コソコソしない)このような立ち振る舞いには、ある種の清々しさすら感じるところです。
さて、ともあれ国が変われば状況も変わるもの。ヘフェリン氏によれば、氏の母国ドイツでは1977年に離婚法が変わり、不倫をした配偶者を罪に問うことはできなくなったということです。
それまでは、浮気や不倫をした側が離婚の際に元配偶者に対して収入に見合わないほどの大きな金額の慰謝料を払わされたり、浮気や不倫をしたという理由から親権が得られないことなどもあった。しかし1977年に離婚法が有責主義から破綻主義に変わったことで、不倫や浮気などの恋愛沙汰は罪や責任の問題ではなくなり、不倫は単なる「大人の恋愛沙汰」と見なされるようになったと氏は説明しています。
現在のドイツでは、片方に不倫があったらそれは誰が悪いという話ではなく、夫婦関係が破綻しているのだから、一定の別居期間を設け裁判所を介した上で離婚をするというシステムになっているとのこと。その際、夫婦に子供がいれば、離婚後も父親と母親がなるべくたくさんの時間を子供と過ごすのが良いというのが、かの国では既に社会の共通認識になっているということです。
いずれにしてもこの先進国日本で、例え母親が(世でいう)不倫をしたからといって、彼女のなりわいを唐突に奪い兵糧攻めにするという乱暴さがまかり通るとすれば、それは深刻な問題だと氏はこの論考で批判しています。
一般の会社の場合でも、特に男性と女性が不倫をしてバレた場合、女性に対する風当たりのほうが厳しく女性だけが解雇をされることもある。なんだかんだと理由を付けて女性から仕事を取り上げるのは、「ジェンダーの平等」が謳(うた)われるご時勢に合わないというのが氏の感覚です。
「不倫」という言い方自体一体いつの時代の価値観なのか…私は到底好きになれないと氏は言います。それがどのような恋愛であるか、純愛であるか否かは当人同士が決めること。(奇しくも夫のキャンドル・ジュンさんによってオープンにされたとされる)広末さんの手紙を見ていると、「純愛」のような気もしてきたと話すヘフェリン氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。
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