タイ・バンコクの庶民の生活に迫る!

~タイの庶民の生活とは? 一歩でも近づくために~

2週間ぶりのバンコック

2005年04月01日 | 今日の出来事
3月31日。 浦野先生は8:10、私は9:10の飛行機に乗るために6:00AMホテルを出発。心配していた、インターネットに接続した電話代は173B、これは調子に乗りすぎた。
プーケットの空港は市内からもビーチからも遠くて、空港に行くには朝早い場合だと車を呼ぶしかない。路線バスはあるのだろうか。 私たちが頼んだ車は、普段県庁で働いている職員がアルバイトでやっているものだった。彼のトヨタ・カローラがLimmousinである。
早速車の中で津波のとき、県の職員として、どのような対応だったが聞く。最後まで聞き取り調査だった。
実はプーケットに住んでいる人まで何が起こったのか分からなかったようだ。知らせがあって県庁に行って見ると次々と遺体が運ばれてきて、「これは一体何が起こったのか」と思ったそうである。事実地震はほとんど感じなかったというから、無理も無い。
県にも聞き取り調査に行ったのだが、プーケット県庁が全被害を受けた6県の対策本部となったわけで、内務大臣、総理大臣もここに司令部を置いて、大騒ぎだったようである。
私も始めてプーケット県庁に行ったのだが、あまりに小さいのでびっくり。
ここでよく、司令室の設置、関係各機関への指示、医療関係者、遺体確認などのよくできたものである。
他にも彼は職業安定事務所担当と言うことで、シージプシーへの対応など面白い話を聞いた。
写真は当時「津波対策本部」になった、県庁の離れ。

正午、2週間ぶりにバンコクに戻る。
なんと布団と枕にカビが生えていて、困った。こんなことは珍しい。
カビは30度以上だとほとんど活動しないので、日本の梅雨程度の温度が一番繁殖するようだが、
年間通して、30度のバンコクなのだが、私が居なかった2週間、たぶん比較的涼しかったのと、
私の部屋は洞窟のようで(?)普段から涼しいからだろう。


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