タイ・バンコクの庶民の生活に迫る!

~タイの庶民の生活とは? 一歩でも近づくために~

2024-04-09 坂根光夫さん 亡くなって20年

2024年04月09日 | 今日の出来事

2004年3月 坂根さんが亡くなられてから20年になった

坂根光夫さんと最初に出会ったのは1990年5月だったと思う。

当時、私は1988.12.21にタイに来てバンコク週報で1か月半だけ働いた後、Ladphraw 47にあるA.L.C47という学校で日本語を教えていた。 (ストリートビューで探したが、見当たらなった。数年前まではオーナーの奥さんが一人でやっていた)

その後1990.05今の勤務先の親団体であるTPA สมาคมส่งเสริมเทคโนโลยี ไทย-ญี่ปุ่น で非常勤の日本語教員の仕事を得て、最初に担当した火・木の日本語教室で一緒だった。

授業が終わった帰りに「一緒に夕食を食べませんか」と誘われて、Soi24にある「とん清」にいった。多分、坂根さんがごちそうしてくれた。

依頼、TPAで一緒に授業をしていたこともあり、親しくしていただいた。

1994年だったか......Sukhumvit Soi 33/1で「D.D Book Shop」を開店して独立し、その前にご結婚もされた。

当時「リサイクルブックショップ」は他にあったものの、圧倒的に品ぞろえが少なかったが、坂根さんは以前、マレイシア、シンガポールで同様の書店を経営されていたノウハウとコネクションで、コンテナで古書を大量に集めていた。

漫画本(コミック)はすべてレンタルで1泊3日で10THBで、とても人気があった。

お子さんも二人生まれて順調だったが、確か、2003年大阪のがん検診センターに行ったら「肺腺癌」余命はあと1年とせんこくを受けた。

お子さんは長男のリュウ君が8歳。弟のケン君が4歳であった。

坂根さんと最後に会ったのは2004年3月10日ころだったと思う。

その後、多分3月24日に亡くなられた。

亡くなられた際の話はバンコク週報に居た宮田さんから教わった。

そして、20年後坂根さんと同郷(三重県伊勢市)の友人である 仲野さんに三年ぶりにお会いして一緒に奥さまのPleさんが建てた家に行った(先のBlog参照)80坪を超える豪邸だった。坂根さんmの喜んでいると思う。Ryuは28歳、現在Girl Friendと暮らしている、卒業式などの写真を撮る仕事をしていて、彼自身写真を勉強したことはないが、彼女に教わって一緒に仕事をしているらしい。

Kenはタッマサーット大学の会計学部(商学部)を卒業してCapital Nomura Secultyで働いている。

昨日だろうか、Nakanoさんから坂根さんのお墓にお参りした写真が送られてきた。

 私、仲野さん、奥さまのpleさん

私もこのソンクラーンの休み中に一回詣でます

 

 

 

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする