週末+一日で、相方両親&弟夫婦の住む福州へ行ってきた。
福州は福建省の省会(省都)で、
一応南隣の省なのだが、杭州から行くには山が多くて
列車だと16時間、寝台バスだと8時間、飛行機だと1時間かかる。
今回は時間がなかったので、往復飛行機を使った。
福州は11月中旬でも気温は15~20度くらいで、杭州との気温差、約5~10度。
昼間は長袖シャツで、夜は上から何か羽織るくらいで十分だった。
相方は年に一回くらい様子を見にきているのだが、二人で来るのはこれが初めてである。
相方の弟はこの福州で、自動車部品の小さな卸売り店を経営している。
夫婦2人で始めた店も5年目、幸い商売も軌道に乗り、
今では従業員(というか、奉公人?)も5人雇って、福州に家を買って故郷の両親を呼び寄せ、一緒に暮らしている。
弟夫婦には4歳の娘がいるのだが、相方両親は家事一切と育児、それに従業員全員の昼食の支度まで一手に引き受けていて、とても忙しそうだ。
店にもおじゃましたが、とにかくひっきりなしに電話がかかってくるし、客も来るし、注文のメールやファックスも来るしで、弟夫婦も息をつくヒマもない。
土日も祝日もなく、毎日朝9時から夜7時ごろまで忙しく立ち働いている弟夫婦を見ると、頭の下がる思いである…。
実はこの店の開店資金のほとんどは、相方が出している。
話せば長くなるのだが、相方弟は中学を出た後、父方の伯父を頼って上海の建設現場で3Kの仕事をしていた。中国で言うところの「民工」である。
しかしあまり丈夫でなかった弟は体調を崩して、3年もたずに実家に帰ってしまった。
父方のもう一人の伯父が福州で自動車部品の卸売り店を経営していて、弟を引き受けてくれることになり、その店に丁稚奉公に来たのが10年前、18のときである。
相方は当時杭州の大学にいたのだが、福州へ奉公に行く弟を送って列車駅まで行った。
当時は福州まで列車で20時間以上かかったそうで、痩せた弟を一人遠い街へ奉公に行かせるのがつらくて、駅の待合室で兄弟二人で抱き合って泣いたそうだ。
「兄弟二人いて、兄は大学まで行ったのに、弟は高校にも行かなかったのか」と言われそうだが、
相方の家では一人を大学にやるのが精一杯の状態で、きっとそのことは何も言わなくても、弟もわかっていたのだと思う。
兄の大学進学がほぼ決定的になった頃、弟は中学に行かなくなったのだそうだ。
そのことを相方は負い目に感じていた部分があったようで、
大学を出てから働いて貯めたほとんどすべてのお金を、弟の独立開店資金にあてたらしい。
私は一人っ子なのでわからないが、
相方兄弟の話を聞いていると、まさに「兄弟船」、演歌の世界 である。
相方は杭州にいても3日に一度は福州に電話しているし、弟からもよく電話がかかってくるし、
兄弟仲が良いとか言うよりは、「兄弟の絆」が強いんだと思う。
初日、福州空港に着いたのは深夜12時半で、
空港からリムジンバスで市内に出るから迎えにこなくていい、と言っておいたのに、空港を出たところで相方弟が手を振っていた…。
福州は福建省の省会(省都)で、
一応南隣の省なのだが、杭州から行くには山が多くて
列車だと16時間、寝台バスだと8時間、飛行機だと1時間かかる。
今回は時間がなかったので、往復飛行機を使った。
福州は11月中旬でも気温は15~20度くらいで、杭州との気温差、約5~10度。
昼間は長袖シャツで、夜は上から何か羽織るくらいで十分だった。
相方は年に一回くらい様子を見にきているのだが、二人で来るのはこれが初めてである。
相方の弟はこの福州で、自動車部品の小さな卸売り店を経営している。
夫婦2人で始めた店も5年目、幸い商売も軌道に乗り、
今では従業員(というか、奉公人?)も5人雇って、福州に家を買って故郷の両親を呼び寄せ、一緒に暮らしている。
弟夫婦には4歳の娘がいるのだが、相方両親は家事一切と育児、それに従業員全員の昼食の支度まで一手に引き受けていて、とても忙しそうだ。
店にもおじゃましたが、とにかくひっきりなしに電話がかかってくるし、客も来るし、注文のメールやファックスも来るしで、弟夫婦も息をつくヒマもない。
土日も祝日もなく、毎日朝9時から夜7時ごろまで忙しく立ち働いている弟夫婦を見ると、頭の下がる思いである…。
実はこの店の開店資金のほとんどは、相方が出している。
話せば長くなるのだが、相方弟は中学を出た後、父方の伯父を頼って上海の建設現場で3Kの仕事をしていた。中国で言うところの「民工」である。
しかしあまり丈夫でなかった弟は体調を崩して、3年もたずに実家に帰ってしまった。
父方のもう一人の伯父が福州で自動車部品の卸売り店を経営していて、弟を引き受けてくれることになり、その店に丁稚奉公に来たのが10年前、18のときである。
相方は当時杭州の大学にいたのだが、福州へ奉公に行く弟を送って列車駅まで行った。
当時は福州まで列車で20時間以上かかったそうで、痩せた弟を一人遠い街へ奉公に行かせるのがつらくて、駅の待合室で兄弟二人で抱き合って泣いたそうだ。
「兄弟二人いて、兄は大学まで行ったのに、弟は高校にも行かなかったのか」と言われそうだが、
相方の家では一人を大学にやるのが精一杯の状態で、きっとそのことは何も言わなくても、弟もわかっていたのだと思う。
兄の大学進学がほぼ決定的になった頃、弟は中学に行かなくなったのだそうだ。
そのことを相方は負い目に感じていた部分があったようで、
大学を出てから働いて貯めたほとんどすべてのお金を、弟の独立開店資金にあてたらしい。
私は一人っ子なのでわからないが、
相方兄弟の話を聞いていると、まさに「兄弟船」、演歌の世界 である。
相方は杭州にいても3日に一度は福州に電話しているし、弟からもよく電話がかかってくるし、
兄弟仲が良いとか言うよりは、「兄弟の絆」が強いんだと思う。
初日、福州空港に着いたのは深夜12時半で、
空港からリムジンバスで市内に出るから迎えにこなくていい、と言っておいたのに、空港を出たところで相方弟が手を振っていた…。
空港はすんごく立派で、街中は、「これから発展するぞ~!」という建設ラッシュだった記憶があります。
いやはや、しかしご兄弟の絆は、良い話ですねぇ・・・(TT
コメントありがとう♪
福州は杭州以上にマンションの建設ラッシュでしたよ~。
一昨年購入した弟一家のマンションは、既に3倍の値上がりだとか…。
杭州と比べるとやっぱりアカぬけてない、というか地方都市、ですが、気候も暖かくて空気も水もまだキレイで、住みやすそうなところでした。
ps.日本にはもう社会復帰できた??