10:21:12
たしかに暑いんだけど、
昨日の雨のせいか、
すこしスッキリしている
朝の公園
pic.twitter.com/OJAcxhyriV
10:30:26
まもなく、日曜日の教会の礼拝が始まります #churchjp
pic.twitter.com/OSqBM8Cmpl
11:12:51
今日の教会の礼拝の聖書箇所は、
ローマ人への手紙8章から #churchjp
pic.twitter.com/DeEJZNZkzc
11:19:54
信仰というと、「信心」の意味で受け取る人が多い。
「宗教とは山登りと一緒で行き着く場所は一緒」という受け取り方をする人も多い #churchjp
11:21:55
でも教会でいう「神さまの愛」とは
神さまに認められるために必要なのではなく、
神さまが実践したことを行動したくなるからする行動のこと
だから、教会でいう「信仰」とは、神さまに依り頼むことをいいます
#churchjp
11:23:48
『そしてイエスは言われた。「ですから、わたしはあなたがたに、『父が与えてくださらないかぎり、だれもわたしのもとに来ることはできない』と言ったのです。」
(ヨハネの福音書 6章 65節)
#churchjp
11:25:30
『あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました。』
(ヨハネの福音書 15章 16節)
人間からの働きかけ(選び)ではなく、
神さまからの働きかけ(選び)によってしか救われない
と聖書には書かれているのです #churchjp
11:26:48
人は律法の行いとは関わりなく、信仰によって義と認められると、私たちは考えているからです。』
(ローマ人への手紙 3章 28節) #churchjp
『というのは、世界の相続人となるという約束が、アブラハムに、あるいは彼の子孫に与えられたのは、律法によってではなく、信仰による義によってであったからです』
(ローマ人への手紙 4章 13節)
聖書の中に描かれていた人たちは、
行いでなはく、神さまを信頼することで
『義とされた』といわれています
#churchjp
11:29:20
『こういうわけで、ちょうど一人の違反によってすべての人が不義に定められたのと同様に、一人の義の行為によってすべての人が義と認められ、いのちを与えられます。』
(ローマ人への手紙 5章 18節)
#churchjp
11:31:30
『私たちがキリストの死と同じようになって、キリストと一つになっているなら、キリストの復活とも同じようになるからです。』
(ローマ人への手紙 6章 5節)
救われるとは、キリストと『融合』した(霊的に)状態なこと
#churchjp
11:35:39
『それとも、兄弟たち、あなたがたは知らないのですか──私は律法を知っている人たちに話しています──律法が人を支配するのは、その人が生きている期間だけです。』
(ローマ人への手紙 7章 1節)
律法とは生きている人間に向けて書かれている書物 #churchjp
11:36:29
『ですから、私の兄弟たちよ。あなたがたもキリストのからだを通して、律法に対して死んでいるのです。それは、あなたがたがほかの方、すなわち死者の中からよみがえった方のものとなり、こうして私たちが神のために実を結ぶようになるためです。』
(ローマ人への手紙 7章 4節)
#churchjp
11:42:02
キリストと結びあうことで
私たちが持っている罪をキリストと共有し、消され
キリストが持っている救いが私たちに与えられる
と、マルチン・ルターも解説しているのです #churchjp
11:42:40
『こういうわけで、今や、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。
なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の律法が、罪と死の律法からあなたを解放したからです。』
(ローマ人への手紙 8章 1〜2節) #churchjp
11:46:28
神さまからの聖霊が与えられる時、私たちは弱くなる。
そして、
神さまからの働きを知ることができるようになるのです
#churchjp
11:51:30
自分の力でなく、神さまからの意思を感じるとき
色々な出来事が神さまから与えられていることに気づけるのです #churchjp
たしかに暑いんだけど、
昨日の雨のせいか、
すこしスッキリしている
朝の公園
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10:30:26
まもなく、日曜日の教会の礼拝が始まります #churchjp
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11:12:51
今日の教会の礼拝の聖書箇所は、
ローマ人への手紙8章から #churchjp
pic.twitter.com/DeEJZNZkzc
11:19:54
信仰というと、「信心」の意味で受け取る人が多い。
「宗教とは山登りと一緒で行き着く場所は一緒」という受け取り方をする人も多い #churchjp
11:21:55
でも教会でいう「神さまの愛」とは
神さまに認められるために必要なのではなく、
神さまが実践したことを行動したくなるからする行動のこと
だから、教会でいう「信仰」とは、神さまに依り頼むことをいいます
#churchjp
11:23:48
『そしてイエスは言われた。「ですから、わたしはあなたがたに、『父が与えてくださらないかぎり、だれもわたしのもとに来ることはできない』と言ったのです。」
(ヨハネの福音書 6章 65節)
#churchjp
11:25:30
『あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました。』
(ヨハネの福音書 15章 16節)
人間からの働きかけ(選び)ではなく、
神さまからの働きかけ(選び)によってしか救われない
と聖書には書かれているのです #churchjp
11:26:48
人は律法の行いとは関わりなく、信仰によって義と認められると、私たちは考えているからです。』
(ローマ人への手紙 3章 28節) #churchjp
『というのは、世界の相続人となるという約束が、アブラハムに、あるいは彼の子孫に与えられたのは、律法によってではなく、信仰による義によってであったからです』
(ローマ人への手紙 4章 13節)
聖書の中に描かれていた人たちは、
行いでなはく、神さまを信頼することで
『義とされた』といわれています
#churchjp
11:29:20
『こういうわけで、ちょうど一人の違反によってすべての人が不義に定められたのと同様に、一人の義の行為によってすべての人が義と認められ、いのちを与えられます。』
(ローマ人への手紙 5章 18節)
#churchjp
11:31:30
『私たちがキリストの死と同じようになって、キリストと一つになっているなら、キリストの復活とも同じようになるからです。』
(ローマ人への手紙 6章 5節)
救われるとは、キリストと『融合』した(霊的に)状態なこと
#churchjp
11:35:39
『それとも、兄弟たち、あなたがたは知らないのですか──私は律法を知っている人たちに話しています──律法が人を支配するのは、その人が生きている期間だけです。』
(ローマ人への手紙 7章 1節)
律法とは生きている人間に向けて書かれている書物 #churchjp
11:36:29
『ですから、私の兄弟たちよ。あなたがたもキリストのからだを通して、律法に対して死んでいるのです。それは、あなたがたがほかの方、すなわち死者の中からよみがえった方のものとなり、こうして私たちが神のために実を結ぶようになるためです。』
(ローマ人への手紙 7章 4節)
#churchjp
11:42:02
キリストと結びあうことで
私たちが持っている罪をキリストと共有し、消され
キリストが持っている救いが私たちに与えられる
と、マルチン・ルターも解説しているのです #churchjp
11:42:40
『こういうわけで、今や、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。
なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の律法が、罪と死の律法からあなたを解放したからです。』
(ローマ人への手紙 8章 1〜2節) #churchjp
11:46:28
神さまからの聖霊が与えられる時、私たちは弱くなる。
そして、
神さまからの働きを知ることができるようになるのです
#churchjp
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自分の力でなく、神さまからの意思を感じるとき
色々な出来事が神さまから与えられていることに気づけるのです #churchjp
メッセージの様子はこちらから(動画です) ・2020年8月23日三好キリスト教会主日礼拝 https://youtu.be/n-xU7mXumDQ ・8月23日三好キリスト教会 おはなしのじかん https://youtu.be/FWB1h4VIEsU |
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