10:24:23
今にも雪が降ってきそうなお天気
pic.twitter.com/UwT0a3IuBg
11:08:55
今日の教会の礼拝の聖書箇所は、
マタイによる福音書5章から
#churchjp
pic.twitter.com/WhzYpUlzU4
11:10:32
『イエスはガリラヤ全域を巡って会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病、あらゆるわずらいを癒やされた。』
(マタイの福音書 4章 23節)
多くの人たちがキリストのもとに集ってきました
#churchjp
11:11:57
『こうして大勢の群衆が、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ、およびヨルダンの川向こうから来て、イエスに従った。
その群衆を見て、イエスは山に登られた。そして腰を下ろされると、みもとに弟子たちが来た。』
(マタイの福音書 4章25節~5章 1節) #churchjp
11:13:38
『そこでイエスは口を開き、彼らに教え始められた。
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。』
(マタイの福音書 5章 2〜3節)
心の貧しい人に『blessed(幸いである)』とキリストは語っています
#churchjp
11:14:28
同じような言葉でパウロは
『祝福に満ちた神の、栄光の福音によれば、そうなのであって、私はその福音を委ねられたのです。』
(テモテへの手紙第一 1章 11節)
と語っている
#churchjp
11:15:32
つまり
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。』
(マタイの福音書 5章 3節)
心の貧しい者は、祝福に満ちていると
#churchjp
11:18:44
『あなたがたの霊、たましい、からだのすべてが、私たちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのないものとして保たれていますように。』
(テサロニケ人への手紙第一 5章 23節)
ここで"霊"と書かれている箇所が、マタイでは"心"と書かれている
#churchjp
11:21:14
『神は霊ですから、神を礼拝する人は、御霊と真理によって礼拝しなければなりません。」
(ヨハネの福音書 4章 24節)
この"霊"も、マタイの"心"と同じ言葉を使われてる
#churchjp
11:23:40
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。』
(マタイの福音書 5章 3節)
"貧しい"とは、文字通り貧困に喘いでいる人。
神さまからの霊が乏しいことに喘いでいる人は"幸いである"と
#churchjp
11:29:10
似たような箇所で
『イエスは目を上げて弟子たちを見つめながら、話し始められた。「貧しい人たちは幸いです。神の国はあなたがたのものだからです。』
(ルカの福音書 6章 20節)
"心(霊)が貧しい"とは書いていない。
また"神の国"と"天の国"とが異なる。
聖書記者の違いに依るものかと
#churchjp
11:32:07
聖書の中で"国"とは
『御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。』
(マタイの福音書 6章 10節)
にもあるように、主権者である神さまの支配領域がこの場所に及ぶ範囲をさしている
#churchjp
11:33:14
『パリサイ人たちが、神の国はいつ来るのかと尋ねたとき、イエスは彼らに答えられた。「神の国は、目に見える形で来るものではありません。
『見よ、ここだ』とか、『あそこだ』とか言えるようなものではありません。見なさい。神の国はあなたがたのただ中にあるのです。』
ルカ 17章 20〜21節 #churchjp
この箇所は
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。』
(マタイの福音書 5章 3節)
"心の貧しい者"が、やがて死んだ時に天国に入ることが出来る、という意味ではなく、
今神さまの力が働かれているという意味です #churchjp
今にも雪が降ってきそうなお天気
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11:08:55
今日の教会の礼拝の聖書箇所は、
マタイによる福音書5章から
#churchjp
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11:10:32
『イエスはガリラヤ全域を巡って会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病、あらゆるわずらいを癒やされた。』
(マタイの福音書 4章 23節)
多くの人たちがキリストのもとに集ってきました
#churchjp
11:11:57
『こうして大勢の群衆が、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ、およびヨルダンの川向こうから来て、イエスに従った。
その群衆を見て、イエスは山に登られた。そして腰を下ろされると、みもとに弟子たちが来た。』
(マタイの福音書 4章25節~5章 1節) #churchjp
11:13:38
『そこでイエスは口を開き、彼らに教え始められた。
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。』
(マタイの福音書 5章 2〜3節)
心の貧しい人に『blessed(幸いである)』とキリストは語っています
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11:14:28
同じような言葉でパウロは
『祝福に満ちた神の、栄光の福音によれば、そうなのであって、私はその福音を委ねられたのです。』
(テモテへの手紙第一 1章 11節)
と語っている
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11:15:32
つまり
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。』
(マタイの福音書 5章 3節)
心の貧しい者は、祝福に満ちていると
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11:18:44
『あなたがたの霊、たましい、からだのすべてが、私たちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのないものとして保たれていますように。』
(テサロニケ人への手紙第一 5章 23節)
ここで"霊"と書かれている箇所が、マタイでは"心"と書かれている
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11:21:14
『神は霊ですから、神を礼拝する人は、御霊と真理によって礼拝しなければなりません。」
(ヨハネの福音書 4章 24節)
この"霊"も、マタイの"心"と同じ言葉を使われてる
#churchjp
11:23:40
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。』
(マタイの福音書 5章 3節)
"貧しい"とは、文字通り貧困に喘いでいる人。
神さまからの霊が乏しいことに喘いでいる人は"幸いである"と
#churchjp
11:29:10
似たような箇所で
『イエスは目を上げて弟子たちを見つめながら、話し始められた。「貧しい人たちは幸いです。神の国はあなたがたのものだからです。』
(ルカの福音書 6章 20節)
"心(霊)が貧しい"とは書いていない。
また"神の国"と"天の国"とが異なる。
聖書記者の違いに依るものかと
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11:32:07
聖書の中で"国"とは
『御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。』
(マタイの福音書 6章 10節)
にもあるように、主権者である神さまの支配領域がこの場所に及ぶ範囲をさしている
#churchjp
11:33:14
『パリサイ人たちが、神の国はいつ来るのかと尋ねたとき、イエスは彼らに答えられた。「神の国は、目に見える形で来るものではありません。
『見よ、ここだ』とか、『あそこだ』とか言えるようなものではありません。見なさい。神の国はあなたがたのただ中にあるのです。』
ルカ 17章 20〜21節 #churchjp
この箇所は
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。』
(マタイの福音書 5章 3節)
"心の貧しい者"が、やがて死んだ時に天国に入ることが出来る、という意味ではなく、
今神さまの力が働かれているという意味です #churchjp
礼拝の様子はこちらから(動画です) ・2022年1月23日三好キリスト教会主日礼拝 ・三好キリスト教会おはなしのじかん「パリサイ人と取税人のいのり」 |
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