10:17:29
日差しは暖かいのに、冷たい強い風がビュービュー
pic.twitter.com/nSnzIepuWo
10:25:45
まもなく、日曜日の教会の礼拝が始まります
#churchjp
pic.twitter.com/nI084SGzQX
10:53:11
イースターが近いということは、
キリストの受難も近いという
#churchjp
pic.twitter.com/ed4eHyf1Fe
10:54:01
キリストが最後の晩餐のあとに、
逮捕された場所として有名な
オリーブ山
#churchjp
pic.twitter.com/QnWPdcclGa
11:13:07
今日の教会の礼拝の聖書箇所は、
ガラテヤ人への手紙4章から
#churchjp
pic.twitter.com/zWH7VHsO09
11:13:40
普通は、
自らあえて奴隷になろうという人はいない #churchjp
11:14:40
『あなたがたは、かつて神を知らなかったとき、本来神ではない神々の奴隷でした。
しかし、今では神を知っているのに、いや、むしろ神に知られているのに、どうして弱くて貧弱な、もろもろの霊に逆戻りして、もう一度改めて奴隷になりたいと願うのですか。』
(ガラテヤ 4章 8〜9節) #churchjp
11:16:46
ガラテヤの人たちは、
キリストに出会ったことで自由になったはずなのに、
アレやコレをやらないといけない!と色々なことに心奪われてしまい、
かえって「やらなければいけないこと」の奴隷になってしまったのでは?
#churchjp
11:18:35
『あなたがたは、いろいろな日、月、季節、年を守っています。』
(ガラテヤ人への手紙 4章 10節)
やらなければいけない色々なことをやることで、得られた安心感。
そういう「やらなければいけない色々なことをやること」など一切から解放されたはずだったなのに。
#churchjp
11:20:32
『つまり、こういうことです。相続人は、全財産の持ち主なのに、子どもであるうちは奴隷と何も変わらず、
父が定めた日までは、後見人や管理人の下にあります。』
(ガラテヤ人への手紙 4章 1〜2節)
外から見た場合、
子どもとして親の言い付けを守る姿は、奴隷と変わらないように見えます #churchjp
11:21:29
『同じように私たちも、子どもであったときには、この世のもろもろの霊の下に奴隷となっていました。
しかし時が満ちて、神はご自分の御子を、女から生まれた者、律法の下にある者として遣わされました。』
それは、律法の下にある者を贖い出すためであり、私たちが子としての身分を受けるためでした。』
(ガラテヤ人への手紙 4章 3-5節)
私たちは神さまには奴隷ではなく、子どもとして迎えられたのです #churchjp
11:24:27
『ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神による相続人です。』
(ガラテヤ人への手紙 4章 7節)
奴隷でも、よい主人に仕えればよい生活を送れるかもしれません。
でも、私たちは奴隷ではなく子どもとして神さまは迎えてくれた
#churchjp
11:25:02
『あなたがたは、かつて神を知らなかったとき、本来神ではない神々の奴隷でした。
しかし、今では神を知っているのに、いや、むしろ神に知られているのに、どうして弱くて貧弱な、もろもろの霊に逆戻りして、もう一度改めて奴隷になりたいと願うのですか。』
(ガラテヤ 4章 8〜9節) #churchjp
神さま「を」知っているのと、神さま「に」知られているのとではだいぶ違う。
#churchjp
11:30:01
アレやコレをしたことで、神さまからの救いが完成するのであれば、その要求は再現がなくなる。
しかし神さまからの救いは、上からの一方的な恵み。
私たちの行いでどうにか出来るものではない
#churchjp
12:03:55
日曜日の教会の礼拝が終わって、みんなでのんびりしています
#churchjp
pic.twitter.com/IguuNwihrj
日差しは暖かいのに、冷たい強い風がビュービュー
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10:25:45
まもなく、日曜日の教会の礼拝が始まります
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イースターが近いということは、
キリストの受難も近いという
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10:54:01
キリストが最後の晩餐のあとに、
逮捕された場所として有名な
オリーブ山
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今日の教会の礼拝の聖書箇所は、
ガラテヤ人への手紙4章から
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11:13:40
普通は、
自らあえて奴隷になろうという人はいない #churchjp
11:14:40
『あなたがたは、かつて神を知らなかったとき、本来神ではない神々の奴隷でした。
しかし、今では神を知っているのに、いや、むしろ神に知られているのに、どうして弱くて貧弱な、もろもろの霊に逆戻りして、もう一度改めて奴隷になりたいと願うのですか。』
(ガラテヤ 4章 8〜9節) #churchjp
11:16:46
ガラテヤの人たちは、
キリストに出会ったことで自由になったはずなのに、
アレやコレをやらないといけない!と色々なことに心奪われてしまい、
かえって「やらなければいけないこと」の奴隷になってしまったのでは?
#churchjp
11:18:35
『あなたがたは、いろいろな日、月、季節、年を守っています。』
(ガラテヤ人への手紙 4章 10節)
やらなければいけない色々なことをやることで、得られた安心感。
そういう「やらなければいけない色々なことをやること」など一切から解放されたはずだったなのに。
#churchjp
11:20:32
『つまり、こういうことです。相続人は、全財産の持ち主なのに、子どもであるうちは奴隷と何も変わらず、
父が定めた日までは、後見人や管理人の下にあります。』
(ガラテヤ人への手紙 4章 1〜2節)
外から見た場合、
子どもとして親の言い付けを守る姿は、奴隷と変わらないように見えます #churchjp
11:21:29
『同じように私たちも、子どもであったときには、この世のもろもろの霊の下に奴隷となっていました。
しかし時が満ちて、神はご自分の御子を、女から生まれた者、律法の下にある者として遣わされました。』
それは、律法の下にある者を贖い出すためであり、私たちが子としての身分を受けるためでした。』
(ガラテヤ人への手紙 4章 3-5節)
私たちは神さまには奴隷ではなく、子どもとして迎えられたのです #churchjp
11:24:27
『ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神による相続人です。』
(ガラテヤ人への手紙 4章 7節)
奴隷でも、よい主人に仕えればよい生活を送れるかもしれません。
でも、私たちは奴隷ではなく子どもとして神さまは迎えてくれた
#churchjp
11:25:02
『あなたがたは、かつて神を知らなかったとき、本来神ではない神々の奴隷でした。
しかし、今では神を知っているのに、いや、むしろ神に知られているのに、どうして弱くて貧弱な、もろもろの霊に逆戻りして、もう一度改めて奴隷になりたいと願うのですか。』
(ガラテヤ 4章 8〜9節) #churchjp
神さま「を」知っているのと、神さま「に」知られているのとではだいぶ違う。
#churchjp
11:30:01
アレやコレをしたことで、神さまからの救いが完成するのであれば、その要求は再現がなくなる。
しかし神さまからの救いは、上からの一方的な恵み。
私たちの行いでどうにか出来るものではない
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日曜日の教会の礼拝が終わって、みんなでのんびりしています
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礼拝の様子はこちらから(動画です) ・2021年3月14日三好キリスト教会主日礼拝 https://youtu.be/P72gJEIm_rI ・3月14日三好キリスト教会おはなしのじかん https://youtu.be/Z8B8OTWjej0 |
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