三好キリスト教会(Miyoshi Christ Church)

愛知県のみよし市(三好町)にある小さな教会の案内です。
まだ小さいですが皆様のお越しを心からお待ち申し上げています。

フライスレーベン宣教師のメッセージです

2021年04月18日 | Weblog
10:18:18

風が強くて、少し肌寒いけれど、
それなりに人出のある
日曜日の公園

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10:30:24

まもなく、日曜日の教会の礼拝が始まります

#churchjp


pic.twitter.com/eGcqs4Ayua


11:17:03

今日の教会の礼拝の聖書箇所は、
ルカによる福音書15章から

メッセージは、フライスレーベン宣教師より
#churchjp

pic.twitter.com/afiKKqYCgW


11:19:47

放蕩息子の例え話として有名な箇所。

一番の山場である放蕩してきた弟息子が帰って来たのに、ものがたりのエンドロールが流れない。
まだお話は続いている
#churchjp



11:21:07

『ところで、兄息子は畑にいたが、帰って来て家に近づくと、音楽や踊りの音が聞こえてきた。』
(ルカの福音書 15章 25節) #churchjp




11:22:16

『さて、取税人たちや罪人たちがみな、話を聞こうとしてイエスの近くにやって来た。
すると、パリサイ人たち、律法学者たちが、「この人は罪人たちを受け入れて、一緒に食事をしている」と文句を言った。
そこでイエスは、彼らにこのようなたとえを話された。』
(ルカの福音書 15章 1〜3節) #churchjp




11:25:43

収税人と罪人、パリサイ人と律法学者、

対比される2つのグループ。
この緊張の中で、キリストは例え話をしていた
#churchjp




11:29:50

放蕩息子の例え話の前には、
無くしたと思った羊の話と、無くしたと思った金貨の話が語られている。

ともに、無くなったと思ったものが見つかり、大いに喜んだ話

羊と金貨は、無くしたと思った人が血眼になって探した。

でも、失ったと思った息子は誰が探す?


11:34:17

この放蕩息子の例え話の場合、
「失ったと思われる弟」を探すのは、兄の役目。

となると、罪人とされる「失われた人」を導くのは、
先に神さまの恵みを受けていたはずのパリサイ人や律法学者たちのはず #churchjp



11:38:50

放蕩息子の例え話、弟が「罪人」であるのは誰の目にもわかるが、父親の仕事を手伝って礼儀正しく過ごしていた兄はどうだろう。
父親の財産をもらうことだけを考えて、父親の思いが分からなかったのでは #churchjp




11:41:08

『父は彼に言った。『子よ、おまえはいつも私と一緒にいる。私のものは全部おまえのものだ。』
(ルカの福音書 15章 31節)

たしかにその通り。全ては兄のもの。
しかし財産だけでなく、父親の子どもとしていることを楽しむべきだったのでは
#churchjp




11:44:32

私たちの心のなかには、色々な壁がある。
キリストはその壁を破るために十字架にかかった #churchjp



11:46:58

私たちは「これがわたしの義」という思いで凝り固まるのはよくない。

礼儀は大事だけど、これをすれば全てOKクリアーできる、というのは
キリストの福音とは違うもの。 #churchjp


11:57:52

フライスレーベン宣教師からの報告
#churchjp

pic.twitter.com/qBQkdZQvFT





礼拝の様子はこちらから(動画です)


・2021年4月18日三好キリスト教会主日礼拝

https://youtu.be/pMwmN32ztCs


・4月18日三好キリスト教会おはなしのじかん

https://youtu.be/DUS3JbAKmWY


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