熊は勘定に入れません-あるいは、消えたスタージョンの謎-

現在不定期かつ突発的更新中。基本はSFの読書感想など。

若きディレイニーの肖像

2006年07月02日 | SF
「未来の文学」初のアンソロジーが、いよいよ刊行された。
一応はNWという看板をぶらさげてはいるものの、運動や思想よりは
むしろ時代を象徴するためのキーワードとして選ばれたフシがある。
むしろ「20世紀SF」の若島版、もしくは裏バージョンと呼んだほうが
このアンソロジーの性格をよく表しているような感じがする。

さて、表題作『ベータ2のバラッド』。
ディレイニーの最初期作品であり、確か彼の初SF作品だったように思う。
あまりに古典的な展開なのでちょっと意外な気もしたが、当時新進作家の
ディレイニーが、SFを書き始めるにあたって「いかにSFらしく書くか」を
意識して書いたと考えると、実は型にこだわる彼らしいと言えるかも。
ヴォートっぽいテーマを扱ったあたりには、当時のディレイニーが持っていた
SF観や、彼の好みを伺わせるようでもある。

SFらしさにこだわるあまり、彼の魅力である奔放なイメージは若干抑え気味に
なってしまったが、五感に直接訴えかけるような情景描写の鮮やかさは、やはり
ディレイニーならではの持ち味である。
物語の核である「バラッド」の謎解きが記録と伝聞だけで成し遂げられてしまうのは
ダイナミックさと緊張感に欠けるところで、ここが本作最大の弱点。
だがこれも、「語りの多様性」と「物語の多面性」に主眼を置いたものと考えれば、
これまたディレイニーらしいと言うべきか。

いろいろな面で、後年の作品に比べれば食い足りないし、荒っぽくて詰めも甘い。
それでもこの作品には、まぎれもなくディレイニーの印が刻印されている。
そしてこの物語自体が、若きSF作家の意気込みと挑戦の貴重な記録なのである。
主人公のバラッドを巡る探求の姿は、ディレイニーのSFに対する探求の姿と
ぴったりと重なるのだ。

そしてこの『ベータ2のバラッド』、作中に後のディレイニー作品の原型が
いくつも表れているという点でも、非常に興味深い作品だと言える。
例えば、口承文芸と宇宙冒険SFの部分は『ノヴァ』。
言語への興味と自己認識の問題は『バベル=17』。
そしてキリストにまつわる物語については『アインシュタイン交点』。
『ベータ2のバラッド』を、上記の作品が生まれるための習作として位置付けるのも
あながち無理ではないと思うのだが、どうだろう。

単体の作品としては不十分な面もあるが、ディレイニーという作家について
マルチプレックスに読み解きたいと思う読者なら、『ベータ2のバラッド』は
ぜひ読んでおくべきだと思う。
まだカットも磨きも粗いけれど、ここには確かに宝石の「輝き」が潜んでいる。