『ベータ2のバラッド』も、ラストの2作品を残すのみ。
『ハートフォード手稿』
NWとの比較にはもってこいの非NW作品。とにかく文章が重い。
これに比べれば、ロバーツの作品すら軽やかに思えてくるほど。
しかもこの前がエリスンだから、もっさり感が5割増しくらいに
感じられて、特に出だしはかったるくて仕方がなかった。
こういう作品を読むと、NWという動きが「何を書くか」以上に
「いかに書くか」を強く意識し、実践していたのだということを
再認識させられるものがある。
内容については、実話仕立てとテキスト内テキストがメタっぽいものの、
基本的にはウェルズの本歌取りであり、かつ17世紀英国の歴史に関する
引き写しである。
一番スリリングなのはカウパーの創作部分ではなく、当時の英国社会の
危機的状況のほうだというのが、どうにも困ったところ。
読み物としては悪くないけど普通の話で、刺激的なところは全然ない。
アンソロジーというのは読後の余韻が全体の印象に大きく影響するので
トリを飾る作品にこれを持ってきたのは、いまひとつ納得がいかない。
なんといっても、作品の格が軽すぎるのだ。
他のアンソロジーに収録済みなのがネックだが、ウェルズからの流れで
最後を締めるなら、ここにはオールディスの『唾の樹』を置きたいところ。
あの作品こそ、ゴシックとペシミズムの系譜、科学による進歩への傾倒と
懐疑を見事に融合させた「小説によるSF史」であり、解説で編者が述べた
「英国SFの源流」を示す上でも格好の作品だと思うのだ。
以上は主観的な意見だが、このアンソロジーを読み終えたら『影が行く』に
収録されている『唾の樹』にも目を通して欲しいと思う。
(余談になるが、あの原題は『よだれの樹』と訳したほうが語感もいいし、
その貪欲な感じがより内容にふさわしいという気がする。)
どうせオールディスを載せるなら、かの『リトル・ボーイ再び』を
持ってくるというのも、なかなか捨てがたいものがあるのだが。
こういう危ないセレクトに走りたがるのが、編者と私の好みの違いと
いうことなのかもしれない。
『時の探検家たち』
カウパー作品の補足的に収録された作品。もちろん非NWである。
英国SFの始祖という点では収録の意図もわかるけれど、正直なところ
これとカウパーを抜けば別の作品が十分入ったろうに、とも感じてしまう。
読者としては、こういうひねった編集はあまりうれしくないところだ。
といっても、ウェルズの作品自体はやはり面白い。
怪奇趣味と科学的描写が表裏一体となって描かれる物語は、因襲と科学が
ぶつかり合う時代ならではの「世界のねじれ感」が魅力的であり、一方では
この「ねじれ感」こそ、今もSFの根っこにあるものだと痛感させられる。
それと作中でネボジプフェル博士がタイムマシン製作の動機に「孤独感」を
挙げていたのは、興味深いところだった。
スタージョンに代表されるように、SFと「孤独」というのは非常に親和性の
高いものなのだが、ウェルズの頃からそれが書かれていたとは思わなかった。
実はよく考えてみれば、モロー博士も透明人間も「孤独者」の物語なのだけど。
ウェルズとそのオマージュというセットであれば、まず筆頭に挙げられるのは
ウルフの『デス博士の島その他の物語』と『モロー博士の島』の組み合わせ。
本来はこのセットを掉尾に置くのが最強の布陣だが、さすがにそれは無理なので
カウパーを持ってきたというのが実情か。
まあ各読者は自分なりにこの部分を他の作品に置き換えて遊ぶというのも、
このアンソロジーの楽しみ方のひとつということになるのかも。
収録作に異論はあるものの、こういう本が出ること自体がうれしい企画であり
ここで読めなかった作品に対する欲求もさらに高まるというものである。
テーマアンソロジーに限らず、今後も埋もれたSFの名作や佳作を書籍化する
企画が続いて欲しいものだ。
とりあえずは浅倉セレクションの『グラックの卵』に期待したい。
それと『異色作家短編集』別巻の早期刊行を、切に望むものである。
ロバーツやエリスンを待たされると、そのうち禁断症状が出てきそうだ。
『ハートフォード手稿』
NWとの比較にはもってこいの非NW作品。とにかく文章が重い。
これに比べれば、ロバーツの作品すら軽やかに思えてくるほど。
しかもこの前がエリスンだから、もっさり感が5割増しくらいに
感じられて、特に出だしはかったるくて仕方がなかった。
こういう作品を読むと、NWという動きが「何を書くか」以上に
「いかに書くか」を強く意識し、実践していたのだということを
再認識させられるものがある。
内容については、実話仕立てとテキスト内テキストがメタっぽいものの、
基本的にはウェルズの本歌取りであり、かつ17世紀英国の歴史に関する
引き写しである。
一番スリリングなのはカウパーの創作部分ではなく、当時の英国社会の
危機的状況のほうだというのが、どうにも困ったところ。
読み物としては悪くないけど普通の話で、刺激的なところは全然ない。
アンソロジーというのは読後の余韻が全体の印象に大きく影響するので
トリを飾る作品にこれを持ってきたのは、いまひとつ納得がいかない。
なんといっても、作品の格が軽すぎるのだ。
他のアンソロジーに収録済みなのがネックだが、ウェルズからの流れで
最後を締めるなら、ここにはオールディスの『唾の樹』を置きたいところ。
あの作品こそ、ゴシックとペシミズムの系譜、科学による進歩への傾倒と
懐疑を見事に融合させた「小説によるSF史」であり、解説で編者が述べた
「英国SFの源流」を示す上でも格好の作品だと思うのだ。
以上は主観的な意見だが、このアンソロジーを読み終えたら『影が行く』に
収録されている『唾の樹』にも目を通して欲しいと思う。
(余談になるが、あの原題は『よだれの樹』と訳したほうが語感もいいし、
その貪欲な感じがより内容にふさわしいという気がする。)
どうせオールディスを載せるなら、かの『リトル・ボーイ再び』を
持ってくるというのも、なかなか捨てがたいものがあるのだが。
こういう危ないセレクトに走りたがるのが、編者と私の好みの違いと
いうことなのかもしれない。
『時の探検家たち』
カウパー作品の補足的に収録された作品。もちろん非NWである。
英国SFの始祖という点では収録の意図もわかるけれど、正直なところ
これとカウパーを抜けば別の作品が十分入ったろうに、とも感じてしまう。
読者としては、こういうひねった編集はあまりうれしくないところだ。
といっても、ウェルズの作品自体はやはり面白い。
怪奇趣味と科学的描写が表裏一体となって描かれる物語は、因襲と科学が
ぶつかり合う時代ならではの「世界のねじれ感」が魅力的であり、一方では
この「ねじれ感」こそ、今もSFの根っこにあるものだと痛感させられる。
それと作中でネボジプフェル博士がタイムマシン製作の動機に「孤独感」を
挙げていたのは、興味深いところだった。
スタージョンに代表されるように、SFと「孤独」というのは非常に親和性の
高いものなのだが、ウェルズの頃からそれが書かれていたとは思わなかった。
実はよく考えてみれば、モロー博士も透明人間も「孤独者」の物語なのだけど。
ウェルズとそのオマージュというセットであれば、まず筆頭に挙げられるのは
ウルフの『デス博士の島その他の物語』と『モロー博士の島』の組み合わせ。
本来はこのセットを掉尾に置くのが最強の布陣だが、さすがにそれは無理なので
カウパーを持ってきたというのが実情か。
まあ各読者は自分なりにこの部分を他の作品に置き換えて遊ぶというのも、
このアンソロジーの楽しみ方のひとつということになるのかも。
収録作に異論はあるものの、こういう本が出ること自体がうれしい企画であり
ここで読めなかった作品に対する欲求もさらに高まるというものである。
テーマアンソロジーに限らず、今後も埋もれたSFの名作や佳作を書籍化する
企画が続いて欲しいものだ。
とりあえずは浅倉セレクションの『グラックの卵』に期待したい。
それと『異色作家短編集』別巻の早期刊行を、切に望むものである。
ロバーツやエリスンを待たされると、そのうち禁断症状が出てきそうだ。