夫の体調記録~がんばろっ!~

お気楽夫婦だったのに・・・悪性リンパ腫と闘った夫、妻の日記

家族のありがたみ

2013-09-24 22:58:17 | 夫を想う
病気になって初めてわかる、とよく聞きますが、
本当にそう思います。「家族のありがたみ」。

大切だった人。。。

大事に過ごせるようになるのは、哀れにも大事な家族が病気になってから、、、。

それは私の体験で、本当にそう思います。

ささいな日常でも楽しかったこと、、、取り戻せないのだから、
どんな時も大事に過ごさないと、、ね。


2 コメント

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寄ってみたら… (ほたる)
2013-10-02 21:16:21
何となくフラッと寄ってみたら私が今日
しみじみと思っていたことをりおんさんが
書いてました。
見て良かったと思いました。
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私の主人も全く同じでした (順子)
2016-02-04 21:49:57
たまたまATLのブログ見ていたらまさしく亡くなった主人と同じ経過を辿られていたので心が痛みました。主人は発症したのがちょうど還暦直前でした。定年退職して今から二人で旅行したり美味しいもの食べに行こうねといった矢先でした。最初無症状の湿疹がでてやがて全身に広がり皮膚科で生研したら皮膚ATLとのことで宮崎大学に入院して経過観察していきましょうとの事だったのですが仕事復帰して2ヶ月くらいで急性転化しました。宮大に再入院してLSG15という抗がん剤投与したんですが結局移植しないとあと一年しかもたない でも移植しても五年生存率は50%だと本人も交えて宣告されました。移植術は外科手術よりもリスクと苦痛があるということも聞かされました。頭が真っ白になり動揺してる私のよこで主人がきっばり移植受けたい。まだ生きていたいですって即答しました。結局宮大では移植はできないからネットで鹿児島の今村分院がATLの権威で移植も実績があるとのことで早速紹介してもらい転院しました。ただやはり症状が芳しくなくて骨髄バンクは間に合わないということでさい帯血移植になりました。前処置と免役抑制剤の副作用で生着して一回は退院したのですがわずか5日で再入院でした。あとはご主人と全く同じ症状でした。宮崎にすんでいるのでほぼ毎日鹿児島に通ってましたが高速走りながら今日は昨日より良くなってるかな、とかもしかしたらベッドから起きて待ってるかもとか思いながら確か100キロ位とばしてました。最後の1週間は同じ部屋に簡易ベッド準備して もらいました。亡くなる3日前から喋れなくなりひらがなボードで指さししてましたがもう目は悲しげに遠くを見てるようでした。ねぇ、私誰だかわかる?ってきいたら私をじーっと見て娘の名前を言いました。涙がこぼれるのこらえてばっかじゃない。奥さんの顔忘れるなんてて言うとテヘッと笑ったように見えました。その直後急変してもう全ての延命措置はしてるけど後は透析してみますか?とのことでしたがそれももう生き地獄の苦しみだとわかってましたから子供たちと相談してもう楽にしてあげようと苦渋の決断してモルヒネの投与してもらいました。 もう肺炎と重篤な肝不全を併発していたのでせめて最後は楽に過ごしてほしかったから。ほんとに辛くて残酷な病気ですねリンパ腫は
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