【永田満徳(みつのり)】 日本俳句協会副会長 俳人協会幹事 俳人協会熊本県支部長 「文学の森」ZOOM俳句教室講師

火神主宰 俳句大学学長 Haïku Column代表 「秋麗」同人 未来図賞/文學の森大賞/中村青史賞

第一回「二百日」俳句大会

2017年09月01日 00時00分29秒 | 俳句大会
第一回「二百日」俳句大会レポート

平成29年9月1日(金)、阿蘇内牧の山王閣において開催された。
 夏目漱石の短篇小説『二百十日』の舞台は阿蘇。明治32年の夏、五高同僚の山川信次郎とともに内牧に泊まり、阿蘇神社に参拝し、阿蘇中岳登山を試みた。阿蘇への旅を背景として書かれたのが『二百十日』である。この『二百十日』を記念した俳句大会が初めて開かれた。計212句70名の投句があった。講話と俳句大会の表彰式が行われた。
講話は、俳人協会幹事・俳句大学学長の永田満徳氏は「熊本時代の漱石俳句」と題して、「熊本時代の千句あまりの漱石俳句は正岡子規の漱石評の「活動」通りで、「写生」はもとより、「連想」「空想」「デフォルメ」などのあらゆるレトリックを使い、幅広い俳句世界を詠んでいる。『草枕』は「俳句的小説」と漱石自ら言っているが、俳句的レトリックが使われており、世界で唯一の俳句小説である。俳句は詠んだ場所やその時の気持ちが鮮明に記憶に残る。漱石は旅中に詠んだ俳句の気持ちに立ち返って、つまり俳句が記憶装置として働いて、後年、『草枕』『二百十日』を書いたのではないか。その意味でも、熊本時代に詠んだ俳句が小説に与えた影響は大きい」と語った。
 表彰に続いて、選者の永田満徳氏が講評を行った。大会大賞の「阿蘇見えぬ時も阿蘇あり大夕立 金田佳子」については「大夕立」の斡旋がよく、阿蘇が身近に存在することを的確に描いて共感性が高い。後援者賞の阿蘇市長賞の「阿蘇からの朝日貰ひて稲架を組む 中﨑公夫」については「貰ひて」に神の山阿蘇の朝日を讃仰する気持ちが表現されている。阿蘇ジオパークガイド協会賞の「湧く水を崇める暮し新豆腐 古荘浩子」は湧水とともにある阿蘇の暮らしと恵みを描いて過不足がない。月刊「俳句界」文學の森賞の「二百十日首寝違へてしまひけり 加藤いろは」は二百十日という季語の本意を掴んでいて、取り合わせの妙を味わわせてくる。

[選者賞]永田満徳 選
〔特選〕
阿蘇見えぬ時も阿蘇あり大夕立
         金田 佳子
〔秀逸〕
阿蘇からの朝日貰ひて稲架を組む
         中﨑 公夫
湧く水を崇める暮し新豆腐
         古荘 浩子
二百十日首寝違へてしまひけり
         加藤いろは
一面の黄すげ夕日を招きけり
         西田 典子
佳作
手廂におさまり切れず阿蘇青嶺
         吉野 倫生
雲海の底をパトカー救急車
         八木ケサエ
カルデラや風の巡りて泉湧く
         田島 三閒
地震の疵闇に沈めて黄菅かな
         川口 二子
肥後豊後行き来してゐる赤とんぼ
         若松 節子
白鷺の白のきはだつ距離にあり
         田川ひろ子
ふるさとは二つありけり燕去ぬ
         向瀬 美音
母の背の曲線やさし花野道
         上田 輝子
山は根子畑は花蕎麦阿蘇路行く
         山口 為男
放牧の仔牛初秋の舌ざはり
         吉岡 靜生 

今年は夏目漱石生誕150年の記念年でもあり、さまざまな催しが開かれている。漱石が熊本にいた4年3ヶ月の間に体験したことを後年の小説にいかして文学活動をしたことは地元にとってはありがたい。参加者からもっと観光として取り上げる必要があるのではないかという意見もあった。加えて観光だけではなく、漱石の文学や俳句をもっと身近に感じる機会が増えることを望みたい。
(レポート・西村楊子)


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