【永田満徳(みつのり)】 日本俳句協会副会長 俳人協会幹事 俳人協会熊本県支部長 「文学の森」ZOOM俳句教室講師

火神主宰 俳句大学学長 Haïku Column代表 「秋麗」同人 未来図賞/文學の森大賞/中村青史賞

第23号【正木ゆう子】

2018年06月15日 00時00分00秒 | 総合文化誌「KUMAMOTO」

NPO法人 くまもと文化振興会
2018年6月15日発行

《はじめての正木ゆう子》

〜融通無碍なる句集『羽(ha)羽(ha)』~

              永田 満徳
 初めに

平成二九年、正木ゆう子は第五句集の『羽羽(はは)』(平成二八年九月・春秋社)で、俳句界で最も権威のある第五一回「蛇笏賞」を受賞した。「蛇笏賞」は俳人・飯田蛇笏にちなんで設けられた俳句の賞で、前年の一月から一二月の間に刊行された句集の中で最も優れたものに与えられる。正木ゆう子は先に、各年度毎に芸術各分野において優れた業績をあげた人物を対象とする「芸術選奨文部科学大臣賞」を受賞しているので、若くして大きな賞を受賞していることになる。
句集の題の「羽羽」であるが、「たらちねのははそはのはは母は羽羽(はは)」という句から採られていて、母への鎮魂の句集ということができる。特に「羽羽」の章は逝きし母への絶唱の句群である。「ふるさと」の章は係累が少なくなった熊本への哀惜の句で満ち溢れているとともに、「自分の中には生まれ故郷である熊本の雄大な自然が息づいている」と語っている熊本を題材にしていて、正木ゆう子の産土の地に対する愛着を知ることができる。『羽羽』における故郷の位置は句集全体の中では起承転結の転にあたることから、熊本の文学として重要である。

  一 俳歴

正木ゆう子は昭和二七(一九五二)年、熊本市若葉生まれ。父も母も俳句を嗜んでいた。
昭和四三年、熊本高校入学。四六年、お茶の水女子大学入学。四八年、兄浩一に勧められて俳句雑誌「沖」に投句する。俳句を始めて以降、熊本へ帰省のたび、浩一と兄の親友野田裕三と俳論を戦わす。五〇年、お茶の水女子大学卒業。広告制作会社でコピーライターになる。
六一年一〇月、第一句集『水晶体』を私家版で出版。「いつの生(よ)か鯨でありし寂しかりし」など、どんな内容でも俳句にしてしまう言葉に関するセンスのよさは天性のものがある。
平成三年、浩一が癌で入院したのを機に、葉書の往復で俳句を作り合う。五年四月、四九歳で亡くなった浩一の一周忌に遺句集『正木浩一句集』(深夜叢書社)を編集刊行。
六年一月、第二句集『悠 HARUKA』(富士見書房)刊行。「かの鷹に風と名づけて飼ひ殺す」などは凛々しい主観がすぐれた韻律によって作品に刻みつけられている。
一二年、俳論集『起きて、立って、服を着ること』(平一一・四、深夜叢書社)で俳人協会評論賞を受賞。一三年、能村登四郎の後を継いで、読売新聞俳壇選者となる。熊本日日新聞俳壇選者でもある。
一五年、第三句集『静かな水』(平一四・一〇、春秋社)で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。「水の地球すこしはなれて春の月」「やがてわが真中を通る雪解川」「月のまはり真空にして月見草」「潮引く力を闇に雛祭」「揚雲雀空のまん中ここよここよ」「しづかなる水は沈みて夏の暮」。宇宙に対する鋭敏な感覚が他者の内に眠る感覚を引き出しているところに特徴がある。
二一年六月、第四句集『夏至』(春秋社)刊行、「進化してさびしき体泳ぐなり」「薄氷のところどころの微笑かな」「潜水の間際しづかな鯨の尾」。帯に「俳句は世界とつながる装置」とあり、確かな視点と溢れんばかりの熱情で多面的な世界を描き出している。
二八年九月、第五句集の『羽羽』(春秋社)刊行。帯に「風の香り、水の流れ、星の輝きに宇宙の鼓動を聴く森羅万象への直感が鮮やかに紡ぎだす言葉の世界」とあるように、人類の未来を想う感性、生きとし生けるものへの眼差しが窺える。

  二 句集『羽羽』

俳句は他の文芸に比べて、法則が多く、教則本の類が数多く出版されている。法則に外れた俳句を作ろうものなら、厳しく窘められる。俳句の法則と照らし合わせながら、句集『羽羽』を読み通してみると、その法則に当て嵌らない句が散見される。
【季語】 俳句では季語は一句の中で一つ。季語が俳句のような短い詩形に必要不可欠とされるゆえんは季語が事物の象徴と言われるくらい、イメージの喚起力があるためである。
鼻綱なき自由もあはれ爆心地
断崖に身を反りてわが列島は
セシウムのきらめく水を汲みたると
絶滅のこと伝はらず人類忌
掲句は無季の句である。無季の句は震災句に多いことに注目したい。確かに「爆心地」「人類忌」などの語は季語に比肩しえる力がある。無季であっても何ら差支えがないといえる。
【定型】 五・七・五の音数という定型内に納めなければならない。一般的に上五の字余りは許容されるが、余程のことがない限り、字余りの句は作るべきではない。
出アフリカ後たつた六万年目の夏
定型より五音多い。字余りにしなければ、地球或いは天体の歴史に比べた人類の歴史の短さが伝わらない。
  ビニールシートこれをしも青といふか春
掲句もまた二〇音であるが、こう言わずにおれない切迫感があり、ビニールシートの「青」が読み手に浮かび上がってくる。
【「ば」「ど」の使用】 俳句は理屈、つまり説明を嫌う。そのため、例えば因果関係を示す「ば」、逆説の接続を表す「ど」などはほとんど使わない。
日向ぼこ瞑(めつむ)ればより明るくて
白魚に箸を被災の島なれど
ふふみたることはなけれど寒の星
つぶやきに似た句で、あえて「ば」「ど」を使うことによって、ある種の感慨を標榜したという感じである。
一方、有季定型を軽々と破っている反面、俳句の技巧に対してはその特色を生かして、自由自在に駆使している。ここに、融通無碍な俳句世界が展開されていると言わねばならない。
【韻律(リズム)】 俳句の韻律は音数で作られ、五音・七音・五音の一七音の定型律が基本である。
たらちねのははそはのはは母は羽羽
「は」が「は」を呼び出し、「羽」に導いて、穏やかなリズムを作って、母恋のひとつの定型がある。子音のハ行音は軽快な響きで、母音のあ音は大きく朗らかで明るい調べとなる特性が生かされているのである。
【押韻】 同音や類似音の文字による繰り返しによって、語意を強め、押韻美を醸し出す。
予震予震本震余震余震予震
岩朧海朧また風朧
前者は句末の「予震」が新たな大地震への不安感を呼び起こしている。後者は「岩」「海」という地平から「風」という空間に展開することによって、立体的な風景を切り取っている。
【リフレーン】 反復法で、畳語ともいい、意味を強め、言葉のニュアンスを深める。
花一輪日一輪銀河系一輪
リフレーンによって、身近な「花」から宇宙規模の「銀河系」に繋げ、立体的な世界を詠み込んでいる。
【比喩】 たとえのことで、主要な修辞法である。
寄居虫の小粒よ耳に飼へさうに
掲句のやうな比喩は大人しい方で、
星空のやうな水母を夢に飼ふ
などは大胆な比喩で、他の追随を許さない。
【擬人化】 俳諧の時代からよく使われている技法で、人間に当てはめることによって、実感のある言い表し方ができる。
雷神のうち捨ててゆく荒野かな
睡魔来て通り抜けたる夏座敷
語り出す流木もあれ春の月
比喩にしても、擬人化にしても、常識的な発想は陳腐、平凡のそしりを免れない。掲句はいずれも発想の斬新さといい、飛躍といい、目を見張らんばかりである。
 【取り合わせ】 「発句は物を合はせれば出来(しゅったい)せり」という芭蕉の言葉があるように、俳句の俳句たるゆえんは取り合わせにある。
天地創造葛湯の匙を引き上げて
掲句は矛で混沌をかき混ぜて島を作った国産みの神話と葛湯をかき混ぜた匙の滴(しずく)とが響き合い、スケールの大きな二物衝撃型の俳句である。
【写生】 正岡子規以後俳句における写生の重要性は言うまでもない。
飛ぶ鳥の糞(まり)にも水輪春の湖
一花のみ揺るるは蜂のとまりたる
というように、しっかりとした写生の句がある、ゆう子俳句の写生はどことなく、かわいらしく、微笑ましいものばかりである。
雪片の速ければ影離れたり
焼芋を割れば奇岩の絶景あり
唸り来る筋肉質の鬼やんま
これらの写生句はゆう子俳句の独断場である。「影離れ」「奇岩の絶景」「筋肉質」とは言い得て妙である。
写生を広く解釈すると、宇宙規模の俳句も写生の範疇に入るだろう。
  天体のよく並ぶこの六月は  
闇の粒子か時の粒子か朧にて
  この星のはらわたは鉄冬あたたか
科学的な知識に裏打ちされた句である。知識、つまり頭で作った句はどうしてもわざとらしさ感じられるが、掲句には微塵も感じられない。
【硬質な語句の使用】 俳句では用語は平易、平明が尊重される。硬質な語句はシュプレヒコールになりえても、俳語にはなじまない。
核融合反応をもて初旭
岩陰の亜硫酸ガス去年今年
「核融合反応」「亜硫酸ガス」などの硬質で生の言葉がゆう子俳句においては違和感なく収まっている。
 正木ゆう子は東日本大震災並び原発事故に対して無力感を覚え、「自分に、俳句に、何ができるか」に悩みつつ詠んだ句集『羽羽』が「時代を反映した句集」と評価されたら救いになると語っている。
冤霊に列す原発関連死
およそ俳語としては硬質な「原発関連死」という語句に「冤霊に列す」という無季の言葉を配することで、かつてない原発事故の時事句をみごとに詠みあげた作品。

  終わりに

正木ゆう子の俳句は俳句とはこうでなければならないという固定観念を放棄しているところがある。無季はむろんのこと、字余りにも無頓着で、俳句形式よりも内容を優先する姿勢は潔い。素材は人類であったり、宇宙の星々であったりして、これまでの自然詠の範疇では括れない雄大さがある。正木ゆう子が俳句の地平を切り開くオピニオンリーダーであることは否定できない。
『羽羽』は蛇笏賞を受賞したことに留まらず、正木ゆう子の俳歴の一大集成を持つもので、この一冊からゆう子俳句の世界に参入することをお勧めしたい。

(ながたみつのり/熊本近代文学研究会会員)

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