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都立代々木高校<三部制>物語

都立代々木高校三部制4年間の記録

【10Ⅰ-04】 修学旅行だよ。(3)

2020年12月31日 00時29分44秒 | 第10部 都会の旅人
〔第1章〕 新幹線は、西へ。
〔第4回〕こんぴら ふねふね~♪ =2月27日生まれのトキエ=

修学旅行の二日目は栗林公園から「金刀比羅宮金毘羅」へと移動しました。この神社は香川県仲多度郡琴平町の像頭山中腹に位置しており、参道入口から御本宮まで続く石段の数は785段。しかも奥社までは1368段という、とてつもなく長い石段の神社です。通称「さぬきのこんぴらさん」の呼び名で知られ、次の歌を耳にしたことはあるでしょう――

金毘羅船々 追い手に 帆かけて シュラシュシュシュ
回れば 四国は 讃州那珂の郡 象頭山金毘羅大権現 いちど まわれば~♪


やはり「修学旅行」だけあって栗林公園は庭園鑑賞の美術の時間だとすれば、ここ金刀比羅宮は長い階段を登らされ、体育の時間かな。前日は終日、列車に座らされ足腰が生っていることからの配慮でしょうか。一行は白い杖を片手に登り始めました。



■代々木高校の女生徒が杖を手に広がって集団で歩くと気迫がありますね。向かって右端のサングラス嬢はきっと有名なモデルさんでしょう。左に並んで歩くお嬢様ともどもスカート丈が短いですね。――そのことが観光地では「事件」となるのですよ。


――名だたる観光地には全国から修学旅行生が大勢訪れているのですが、ときに同じ場所へ同じ時間帯に数校が重なるときがあります。我が代々木高校では制服は自由なのですが他校は指定の制服を着て行動しています。それは分散していても生徒の行動を把握しやすいからでしょう。その点、代々木高校生は大人ですもの。
ある観光地で、ボクが立っていた近くに学生服を着た数名の男子高校生がたむろしていました。彼らは地方の高校の生徒らしくどこか崩れた感じがします。全員が制帽を額が見えるように阿弥陀に被り学生服のボタンを全部はずして大きく広げているのですが、アンダーシャツは皆、真っ赤。しかも学生服の裏地には極彩色の竜やオオカミの刺繍が施されています。校則厳しいなかでの精一杯の彼ら流のオシャレなのでしょう。



彼らは所在無しに辺りを見回していましたが、ひとりが素っ頓狂な声を張り上げて「オイ。…あれが高校生かよぅ~」と叫びました。ボクは振り返ることもなく彼らの眼差しの先にある光景が見えていたのです。それはスカート丈が短い二人の女生徒がボクから数メートル離れた所に立っていたのですが、彼女らの側でバスガイドが「代々木高等学校」と記された小旗を手に周囲の情景を説明していたからです。その二人とはヒロミくんとシロちゃんです。――ボクは彼女らとは「何の関係もございません」といった顔つきで離れた所にいたのですが…。

でも何となく近くの男子高校生に向かって、「ああ~あれね。あの女性たちは東京山手の高台にある高校の女生徒だよ。なにせ超難関のエリート校なのでミニスカートが似合わないと入学できないんだ。…サングラスを頭にのせている女生徒は新幹線のなかでボクの肩に寄添っていたんだもん♪」と言おうとしたのですが、きっと「こんにゃろう!」と袋叩きにあうでしょう。――すると翌朝の新聞には『ミツマメ王子 男子高校生に暴行受ける』の大見だしに、「佐藤首相、ミツマメ帝国と国交断絶を懸念」などと書かれると一大事なので、少しニヤけた顔をして黙っていました。

■約50余名が一斉に階段を登るのですから登列は伸びてしまいます。
そこで途中にレシーバーを持った教師が登列者を確認しながら、段を進めていきます。


――代々木高校へ入学した当初、授業が始まって新しい世界が始まったのはいいのですが、中学卒業以来二年間の空白があったことから勉学に対する姿勢に戸惑う毎日。それというのも「高校に入ること」ばかり考えていたので、現実に高校の門をくぐって初めて「高校とは勉強するところだった」と気付いたわけです。それよりも高校では「教室」という箱モノ世界に閉じ込められて集団で授業を受ける。いや、受けざるを得ない実情が待っていたのです。

定時制高校という特殊な授業形態なのでしょうが、年齢差のある生徒が一堂に集団で授業を受けるというのは、まるで遥か遠くの<異星>に降立つ趣があります。なにしろ中学卒業して間もない15歳女生徒の、異星人集団はとにかく賑やか。いや喧しいほど。大きな口で大声あげて話す分にはいいのですが、ある女生徒は「あの生物のセンセイ、好きよ!」と言っては授業後の休み時間に黒板の前で生徒から質問を受けている生物教師を後ろから抱きついて、大声で叫ぶ。…それは後に「チビ太」と呼ばれるようになったトシエちゃんでした。



そのような異星人世界を目の前にして授業後の休み時間、ひとり机に座ってボンヤリしていましたら右隣の空いた席に女性の座る気配が。彼女は座るなり、「子どもの集まりだね」と小さくつぶやきます。周りに誰もいないのでボクに対して発したのでしょう。振り向きざま「…そうだよな」と答えたのですが、このとき交替部のトキエと初めて話しました。なんだか自信たっぷりの言い回しでボクと同世代に見えたのですが年齢は不詳。そして「トシエとトキエは一文字違うだけで、こうも態度が異なるのか」とは後に思ったことです。
――このときトキエは自ら看護婦であることなどを話した後、「手首で脈を測るときは、親指では正確に測れないのよ」と言ったかと思うと、ボクの右手首に彼女の右人差し指と中指を揃えて宛がい「…こうやって測ると脈が取れるのよ」と横を向いたままジッと手首を見詰め、握って離しません。

その時間は10秒程度だったのでしょうが長く感じ、心臓は早まるどころか完全に止まっていました。だから彼女は止まったままのボクの脈を測っていたことになります。――実はその時の彼女の行為の謎が最近、解けました。
それはですね。トキエはボクの手首を握りたくて近寄り、看護婦であることを名乗って職業上の義務だといわんばかりに患者でもないボクの手を…まさに手を握ったのです。そうです。彼女の目的はボクの手を握ることだったのです。ん。――その謎が解けるのに50年以上かかるなんて、ボクは悲しい。



ある日。授業後の休み時間のことです。ボクの座っている机を中にして三名の男子生徒で雑談していましたら、そこへトキエが現われて突然、「わたしの誕生日、2月27日なのよ」といいました。なんの脈りゃくもなくですよ。でもボクらは彼女に向かって「それじゃ二日遅く生まれていたら歳とらなくてよかったのにね」などと口々に言いました。
そのことを言われるのを待っていたかのように、トキエは「そうなのよ…」と言って嬉しそうでした。――その日以来、ボクは彼女のことを「2月27日生まれのトキエ」と呼ぶことにしました。でも何故、「トキエ」と呼び棄てにするのか、ですって?それは想像にお任せします。

■カメラを構えているのが2月27日生まれのトキエです。
片目を瞑っているので顔がわからないのは、ボクのせいではありません。


――え?ひょっとしてミツマメ君が時折、「お姐さん看護婦の胸に顔を埋めて懺悔したい…」と語っていたのは、トキエさんのことなのですか…などと聞いてはダメです、よ。

ピュ――――――――――――――――――――ン。。。。。。。。ミツマメ君、消えちゃいました。


【ミツマメ王子から一言】
師走に入り北国を中心に積雪の便りが届く毎日です。
毎年、年末になると「来年で当欄も終わります」などと予告を出すわりには、まったく実行できていません。困ったものです。それというのも一年を通じてアタフタした毎日を送っているからでしょう。とりわけ今年の秋は10月から11月にかけて続けざま三度も上京しまして、その準備と事後報告に追われていました。


なかでも10月10日に千葉県船橋市で開催された「船橋二和病院労働組合」主催の集会に参加、今日の新型コロナ情勢下における医療現場の過酷な労働環境を間近に知り得ることができました。二和病院労組が医療機関として7月に医療従事者8名で初めてのストを決行したのですが、このことがNHKの「スペシャル」(10月25日)や「サンデーモーニング」(12月6日)などで取り上げられ全国的に話題となっています。
集会では、その当事者からコロナ情勢に伴う政府対応の無策、そのシワ寄せの総てが医療従事者の労働強化となって表われ、それなのに賃金はカットされるといったことの発言が相次ぎました。そして会場では、以前、当欄で紹介しました1969年4月に発生した「千葉大病院採血事故」の裁判について訪ねていましたら、当時、裁判に関わっておられた方と偶然お会いすることができました。

年末にあたり「来年で当欄も終わります」などと予告する自信はありません。でも突然、終了するかも、です。――よいお年をお迎えください。





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