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都立代々木高校<三部制>物語

都立代々木高校三部制4年間の記録

【9Ⅲ-18】 新書版『新聞記者』(その6)

2020年09月23日 22時37分28秒 | 第9部 映画館の片隅で
<第3章>私の文章修業
〔第18回〕 東京新聞社会部・望月衣塑子記者(2)
=編集長、そしてバブル経済=

いつのまにか夏の陽射しは去って9月も中旬を過ぎますと蝉の音も聞こえず、朝夕は冷え込んで夕暮れがはやく訪れるようになってきました。もう秋なのですね…北国は早くも紅葉の季節を迎えようとしています。

――夜半目覚めて、カーテンの隙間から街灯の鈍い明かりに浮き上がる部屋。枕元のリモコンを手に書類棚のうえに置いてあるラジオのスイッチを入れる。いつもだと60年代~70年代の洋楽や歌謡曲が流れるのですが、時間帯のせいか朗読の時間でした。聞くともなく聴いていると、「…なにか小さいものを畳に投げる音―それが間をおいて、もう一時間も単調につづいている」という話の流れ。それは旅興行一座が宿泊している大部屋を襖で踊子と男衆を間切っているのですが、踊子の一人が夜半遅くまでサイコロを何度も転がしていることに眠りを妨げられている…そのような小説の冒頭部分の描写でした。

30分余り話しを聴いていて先が気にはなるのですが終わりそうもない。朝は早く起きなければならいのでスイッチを切って眠ることにしました。…夜が明けネットでラジオ番組から朗読内容を検索したところ、川端康成作『夜のさいころ』という短編小説で新潮文庫の『愛する人達』に収録されているとのこと。なにしろ話の続きが気になるのでやむなく大型書店へ出かけ、ようやく入手することができました。
思えば川端康成という作家の作品は『伊豆の踊子』や『雪国』など長編を数冊読んだくらいなので、彼が短編を数多く書いていることに気付くこともなく今日まできたのですが、夜半目覚めてラジオを聞いたことで小作品とであったわけです。

東北の中学生のころ読書に飢えて学校の書棚に並ぶ書籍を完読、動植物科学図鑑まで手をだしていました。残るは父が所持している「日本文学全集」です。ただ押入れにしまわれおり何となく手をだしにくい雰囲気。あるとき耐え切れず数冊を手にこっそり読みはじめました。そのなかの一冊が『伊豆の踊子』でした。大学生が独り旅に出て伊豆の山中で旅芸人一座と出逢い、踊子との恋心が物語として綴られています。
読み進んでいくうちに混浴温泉に学生が湯船に浸かっていると、その踊り子が後から湯船に入ろうとするとき「…股間がみえた」といった描写に我ながら赤面して、そこで閉じてしまったのです。そうです。父の所持する「日本文学全集」は田舎のウブな男子中学生にとっては禁断の実だったのです。――でもね。温泉場のシーンを乗り越えて全集全巻を読み上げていれば、その後の人生観も変わっていただろうに…いまでも無念でなりません。だから『伊豆の踊子』が憎い!

■東京新聞社会部・望月衣塑子記者は若い頃からジャーナリストに憧れ、目標に向かって様々な努力を重ねて大手新聞社は逃したもののブッロク紙・中日新聞(東京新聞)に採用されました。支局での事件を追いながら新聞記者としての基本を学び、やがて経済部や社会部へと飛び込んでいきます。この辺りは私が所属した不動産業界紙が地元日刊紙(本社)を親会社とした関連紙だったので、本社からの出向や定年間際の受け皿として新聞製作や記者が数人天下っておりました。彼らは不動産業界には疎いのですが、日刊紙記者としての豊富な経験を聞く機会は多かったですね。

日刊紙と業界紙とを単純に比較はできませんが、日刊紙は政治・経済はもとより社会・文化・スポーツと幅広いジャンルをひとつの紙面にまとめて発行するという多面的な任務があります。一方で業界紙は専門領域で大きく異なりますが、その専門性を深く追い続けるのが特性といえるのでしょうか。望月記者は取材の過程でトラブルを経験し内勤へ異動させられますが、配属されたのが整理部。ここは新聞製作の基礎を設計し制作指示を出す重要な部署です。取材現場に携わり重要な記事を書いても整理部での扱いが記事を活かすか殺すかの要となります。

日刊紙と業界紙では取材対象エリアは異なるのですが、ともに制作過程は重なるものが多いと感じます。私も日頃、締切り間際の原稿書きに追われタイムアウトが分かった時点で、未稿のまま整理担当者に記事スペースと仮見出しを指示します。紙面全体のレイアウトが頭に入っているからできる芸当ですが、要は遅滞なく紙面が発行できれば「よし」なのです。仮見出しの指示というのは、ま、時間稼ぎですな。それでも仕上がった校正刷りを見て「うむ。指示以上のできじゃ!」と満足満足です。

――さて。私の<文章修業>も、高校時代から常に頭の片隅にへばりついていた「ものごとを論理的に考えられない。うまく理論的に話せな~い。」という思いを、はからずしも経済記者から業界紙記者へ―という流れのなかで、固定した枠のなかに押し込められモガき苦しみながらも、なんとか自己流にどうにか人様に向かって<文章>を書き続けられるようになりました。それは「論理的にものを考え、理論的にものを語る」ことを意味するのか、果たして解答はでていませんが。

何故、経済記者や業界紙記者が「固定した枠」なのかといいますと、取材を通じて幾多の情報を入手しても原稿を書き記事として紙誌面に発表するときには、表現手法は一定の枠をはめられているからです。――そのような考えに陥っていた頃、業界の会合やレセプション会場などで知りあった同業者、すなわち新聞社や出版社などの連中とお互い情報交換や日常の仕事に向かう姿勢について語り合う機会が増えていました。それは、会合やレセプションを終えた足で居酒屋に向かったり喫茶店だったりと場所を替えながらも、果てしなく続きます。

ここで問われているのは、「文章を書く」「原稿を書く」という行為以上に文章を記述する対象への<取材>です。業界紙記者として活動しはじめた1980年代というのは不動産業界の主だった地元業者・企業の代表者は大正や昭和ヒトケタ生まれの方が活躍されていた頃でした。皆さんは先の大戦で兵役に赴き、なかには特攻隊帰りの方や戦災で廃墟となった街中を裸一貫で運送業や食堂、闇市などで鍛えた独自の商売感覚を、日々億単位の契約を行う不動産業界を生きています。そこへ30歳を越えたばかりの若僧記者が取材に訪れてもまともに対応してくれません。

そこにいかに食い込んでいくか。何というか、そこに相手の懐に飛び込む心情を見せるためにも「切った張った」の腹の探り合いがあるわけです。ここからは<職業秘密>になるのですが、まず取材相手に対し徹底した情報を集めることです。会社の状態から個人情報まで、あらゆる方面から情報を入手します。そして相手に面談を約束するための手段を考えます。――これらの手法が、定時制高校生の記録映画『奪還そして解放』の中心メンバーと50年ぶりに再会に至る過程で発揮できました。

さて。取材相手と面談にこぎつけてもいきなり取材目的、つまり本題には入りません。長いときに15分から30分近く雑談します。そこで外堀を埋め、先方が私のことを「信用に値する記者だ」と思われた頃を見計らって、相手が「今日は何しに来たの?」言われる直前に本題に入るという際どい一線で勝負するわけです。日刊紙の記者であればそれほど時間をかけなくとも直截に取材に入るのでしょうが、業界紙ともなれば取材先はある意味、固定しているわけで、長くは10年から20年は付きあわなくてはなりません。それだけに初めての出会いは慎重にならざるを得ないわけです。

ときには「社長。そろそろ正月の季節となりますね。年賀広告をお願いしますよ。…社長には記事を大きく書いたり色々貸しがありますからね、ふふ。あ。断る…そうですか。クラブ『華やぎ』のママと二人でデパート歩いていましたよ、ね…」などと脅すわけですよ。ま、この辺りは日刊紙記者と業界紙記者の違いでしょうか。益々自分が<ヤクザな世界>に埋没してしまいそうで、怖くなる瞬間です。ふむ。

――記者稼業も長年続けていると新たな出会いが始まります。あるとき、新聞社内で原稿を書いていますと電話が。出版社の人から、「こんどの日曜日に東京から著名なルポライターが講演に来るのだが講演会場まで車で小一時間かかるので、この時間内であれば依頼していた取材に応じる、というのだがね。あいにく当日は取材できる者が不在で困っているんだ…もし都合がつけば取材してもらえないだろうか」というものでした。この「著名なルポライター」というのは、当時、自ら製造現場に身を置いて体験レポートをベースに労働者の作業実態を告発するライターでした。
個人的に、このルポライターの著書は数冊読んでおり「現場に身を置いた体験レポ」に興味を持っていました。――電話に二つ返事で了承を伝え日曜当日を迎えました。空港に迎えたルポライター氏と挨拶もそこそこ、車の後部座席に乗込んで講演会場までの小一時間、録音テープを回しながらぶっつけ本番の取材が始まります。

このルポライター氏への取材がきっかけとなったのか、出版社に限らず政治関連誌や労働運動誌などの編纂依頼が舞い込むようになりました。また社史や団体史などの出版企画に出会い、企業や組織・団体の創設以来の歴史に携わる機会が増えてきます。さらに飛躍して新たな戸建て団地の造成から街造りに係る企画プランや分譲マンション計画などに参画、コンセプト・CIプラン等など様々な<文章>に関わるようになります。――もはや業界紙記者の範疇を超えてしまったのです。

とりわけ「労働運動誌」に関しては、戦後最大の総資本と労働組合の激突として60年安保闘争との関連で記述したのが当欄でも紹介した「三池闘争」です。この三池闘争の当欄記述は某冊子に向けた原稿下書きの一部を転用したものですが、三池闘争が終わって数年後に発生した大規模な炭塵爆発を切り口に、一酸化炭素中毒被害者の家族へのインタビューがベースとなっています。
つまり手元の資料・データを参考に記事や文章を書くだけではなく、自らの体験を通じて活動し意見を発する方々に直接面談し、そこで話された内容を文章化していく作業は、「調べて書く」(『二十歳のころ』立花隆ゼミ)以上のエネルーが求められます。

■やがて入社から7年目を迎えた頃、突然、編集部の責任者として「編集長」を命じられました。編集長と名が付けば権限は絶大、何でも指示通りに周りが動く―というようなことはありません。何しろ先輩記者を差しおいての編集長就任です。我が編集長の仕事は紙面製作全体の責任とリスク管理です。その最大のものは予定していた紙面が印刷直前になってキャンセルされるときの即対応です。
とくに「広告」がらみで、クライアント(広告主)の意向で不動産物件の発売時期の延長が行われるなどの事案が発生したときに表われます。その時、急に紙面を差し替えるには新たに取材して原稿書き紙面を制作する時間はありません。ではどうするのか。

――大型旅客機の機長は飛行機のトラブルが発生した時、トラブル原因を推測し対処しなくてはなりません。しかも数秒間での判断が、その後の対応の大きな差が表われます。このとき機長は数百、数千ものトラブル原因を思いだす時間はありませんので、「日頃からトラブル原因とその対処法を概ね3通りほどに集約して、何度もイメージトレーニングを繰り返している」そしてイザというときに、そのひとつを選択して対処する、というものでした。
それは紙面の差替え事案と飛行機のトラブルとに「リスク管理」の差はありません。「紙面停止」の一報が入ったら印刷直前の作業中断を各方面に連絡し、短期間で差替え紙面の手当てをしなくてはなりません。それは印刷、配送など関係機関すべてに関わってくるからです。周囲は「それは編集長、アンタの責任でしょう」という雰囲気です。そんな視線にメゲルと思ったら大間違いです。

ミツマメ編集長は常々「リスク管理」を頭の隅に置いていますので、即時、対応できるのです。それはゾクゾクする瞬間でもあります。――オマエは変なヤツだなと思われるでしょうが、大丈夫です。かつて高校卒業直前のアルバム制作時に、事前に自主制作をイメージしていた時の感覚に似ています。何事も過去の幾重もの経験から「いずれ不測の事態が起きたときのココロの準備と、その対応」を万全に準備しており、日頃の「自己管理」が実践課程で生かされているからです。なにしろ現場に強いのです。…ホントかね。

ミツマメ編集長が誕生したのが1987年。すでに「バブル経済」が動きだし世の中が「銭満載黄金の船」に乗船し、船酔いが始まった頃です。私は40歳になろうとしていました。「リスク管理」という大ナタを片手に業界紙の舵取りを任せられたのです。ほらね。誰もが思うでしょう。「大丈夫かいな…」という不安。…私に不安などありません。
それは誰も気付いていなかったのですが、私が編集長に就任するということは「編集権限を一手に握れる」ということ。言葉を替えれば「なんでも好きな紙面を作れる」ということです。ホホ。――やがて<バブル経済の波>が本格的に押し寄せてきました。それは私にとって第2の<激動期>であり、「過渡的情況」を自ら創作・演出できる立場に立っていたのです。

――そして迎えたのが本格的な「バブル経済期」。入社以来、不動産関連の基礎資料を作成していましたので、戸建て住宅や分譲マンション業者から定期的にヒアリングを行い物件の発売時期や売れ行き状況などを定期的に統計数値として表し、そのことを原稿として記述し紙面に反映させていました。そこには単に需給動向の変化だけではなく、表われた数値の背景や今後の予測動向などを的確に示唆していました。なまじ統計学などの手法に頼らず、業者からの生の声を反映させていたので読者からの評価に高いものがありました。この手法の一部を当欄『I LAVE YOU』のなかの「人口動態」のなかで紹介しています。

1980年代半ばのあるとき、ローコストマンションを数多く販売しているマンション業者と話していましたら「最近、物件を購入されたお客さんが、キッチンテーブルに使う天板だけは高級品を使用したいと言われる」とのこと。それは、マンション本体は安く購入しても日常生活の住設資材に贅沢したいとのニーズが高まってきたということ。その一方でブームに乗って大量のローコストマンションが登場したのですが、80年代半ばには供給がダブつき完成在庫として市場を圧迫していました。
ところが87~88年頃から急に完成在庫が動きだし完売が相次ぐようになったのです。「おかしい。実売の気配がないのに」。そして投機マンションが鉄骨材を組み立て途中ながら発売してもいないのに「完売御礼」の広告が目立つようになりました。その市場の変化に「不動産バブル」前夜を意識したのです。――私にとって初めて経験する「バブル経済」の始まりだったわけです。

■不動産業界における<バブル期>の経験はカツ丼5杯分を一気に食べるくらいにテンコ盛りなのですが、ともかく世の中全体がハジけておりました。私としてはこの時期、現象として現われているあらゆる状況は、かつて1960年代末の反戦・反安保闘争時代に経験したあれことと大差ないわけです。要は60年代末が「政治」がらみの騒動とすれば、1980代半ばからの出来事は「経済」もしくは「お金」がらみ。ただ政治にしろ経済にしても要は人間が動かしているわけで、この過程で現象として現われている出来事に、いかに関わっていくかによって人々の思想性や行動力が測れるというわけです。

私が経験した<バブル期>が、かつて予感した「いずれ訪れるであろう過渡期、激動期」であったのか不確かです。それでも何ごとも世の中が大きく変動していく過程に身を置く経験というのは一度の人生のなかで滅多にないわけです。ただ前回の「政治の季節」期間は、現れている社会現象の末尾に連なっていただけですが、今回の<バブル期>渦中にあっては業界紙の編集責任者として何らかのアクションを起こしながら紙面を通じて政治的、経済的判断が求められていたのは確かです。
いくら能天気な性格とはいえ「現在起きている状況の本質は何なのか。この状況がいつまで続くのか。…いや、これら状況が破綻していく時は一気呵成に崩壊していくのではないか」。そのような現状と将来的な思いが頭のなかに輻輳しながら常に危機意識が付きまとっていたわけです。

それというのも、60年代末の反戦・反安保闘争という「政治の季節」は1967年秋の本格的武装闘争の始まりが、69年秋の大闘争をピークに徐々にトーンダウンしていきます。しかしこの僅か2年間に表出した様々な課題が、その後、今日に至るまで世の中の根底を支配しているといっても過言でありません。
私個人に限っていえば69年正月明けの<激動期>の延長で、その年の夏まで続いた高校学内問題や記録映画制作に関わる運動への取組みを縦糸・横糸に、反戦・反安保闘争に係わっていく過程を斜めの糸として<過渡的>な状況の渦中にいたわけです。それも毎日の朝夕新聞配達をしながら、ですもんね。――僅か半年の期間とはいえ、そこで体験したことは「我ながらよくぞ乗りきったぞ!」てなもんです。そのことの延長に70年正月明けから卒業式当日までの正味60日間、卒業アルバム制作や卒業式闘争などに関わる<闘い>は、今日的にいえば自分のなかに知らず知らずマネジメント志向が備わっていたのだなと、我ながら感心してしまいます。

この「マネジメント」とは、「経営」や「管理」などの意味を持つ言葉です。 具体的には、「組織の目標を設定し、その目標を達成するために組織の経営資源を効率的に活用、リスク管理などを実施」する事をいいます。この「マネジメント」は企業の経営効率を高め収益アップのために用いられがちですが、非営利的な組織や団体ときには災害時のボランティア組織の活動を円滑に運営するためには欠かせないものです。
そうなんだよな。高校では<ズル休モード>で大して勉強はしない、教室では寝てばかり。でも何故か教室を離れると一躍張り切ってしまう。…ん。私は現場での閃きと行動力で自らのマネジメント志向を活かしていたのかもしれない。

私の<バブル期>というのは、基本は編集責任者として紙面製作全般を統率しながら取材から原稿を書き基本データの作成と記事化を縦糸に、外部からの依頼の原稿書きやマーケティングの分析、不動産物件の企画・立案などへの参画を横糸に。さらに行政・不動産団体の運営に対するアドバイスや団体史の制作、講演依頼、テレビ・新聞・冊子からの原稿・出演依頼などを斜め糸に――まさしく「69年正月明けの<激動期>」そのものが、移動してきたようなもので、「再びの<激動期>」が10年以上は続いたでしょうか。
違った見方をすれば、代々木高校時代のあの<激動期>を経験していたからこそ、約20年を経て、新たな<激動期>へ充分に対応できたのだと思います。まぁね。自覚するのか否かは別として、若い頃に様々なことを数多く経験しておくものですね。

――やがて。1990年代に入って<バブル経済>は急激に崩壊していきます。バブル=泡ですからね。急速に業績を伸ばしていた不動産業者は多重な借入金が足枷となって相次いで倒産。高利回りの社債を発行していた住宅業者は債務返済に右往左往。堅調な業績をあげていたマンション業者の代表者が自家用車内で猟銃自殺…。そこには金融機関の「融資剥がし」があったのです。――小説や映画という虚構の世界を遥かに超えた悲惨な<現実>に直面することになります。



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