みつばちマーサのベラルーシ音楽ブログ

ベラルーシ音楽について紹介します!

トーダル初来日・ベラルーシのマスコミのインタビュー記事 1

2008年05月06日 | トーダル
 ベラルーシのマスコミによる、トーダルへのインタビュー記事がいくつかネット配信されています。
 内容はどれも似たようなものです。せっかくなので、部分的ですが日本語に翻訳しますね。(←マークはマーサのつっこみ。あるいは注釈。)


 ニュース配信サイト「generation.by」 3月4日付 ベラルーシ語

 乗り換えのための待ち時間の間、ウイーン在住のベラルーシ人ジャーナリストから受けたインタビュー。
 日本の印象などを尋ねていますが、くっついている画像はウイーンのカフェで記者が撮影したもの。
 笑っているけど、トーダルお疲れ気味。(目がしょぼしょぼしてる。)トーダルが手に持っているのはマーサのカメラ。


http://generation.by/news2200.html


記事のタイトル「日本から戻ったトーダルの第一報」

トーダル「東京にはほとんどいませんでしたが、日本の各地へ行きました。日本の風景は信じられないほど美しいです。太平洋も見たし、村にも小学校にも行きました。そしてそこに住む人々は長い歴史とともに生きていました。」

トーダル「日本民族は違うんです! ドイツ人とも違うし、ポーランド人とも違う!(←当たり前だ。)どの民族にも似ていないんです! ヨーロッパからは全てが程遠い。しかし、アルバム『月と日』によって、ベラルーシと日本が少し近くなったと思います。」
 
トーダル「日本では2回ステージに立ちました。1回目のコンサートでは年配の裕福なご婦人方がたくさん来ていました。2回目のライブでは若い人が多かったです。2回目のライブハウスの雰囲気がとても気に入りました。」

トーダル「僕が外国人の歌手であるにもかかわらず、コンサートの後、1回目も2回目も日本人観客がやってきて、僕の周りを取り囲みました。日本人の女の子もです!」(←ご満悦。)

トーダル「僕には少し時間が必要です。日本であまりにいろいろなものを見たり聞いたりしたから、それを消化する時間がね。」

・・・・・

 この記事には動画もくっついていますが、音声がいまいちよくなくて(撮影場所であるカフェの雑音が邪魔。)トーダルが何を言っているのかよく分からないのですが、分かったところだけ訳します。

トーダル「日本から戻ってきました。トーダルです。もうすぐ3月3日に英雄都市ミンスクに到着します。今までの旅は順調。・・・日本はベラルーシ人にとって理解するのが難しいかもしれません。・・・今回日本に行って、民族や文化の違いを僕はもう恐れなくなりました・・・。」




トーダルが日本の思い出をラジオ番組で語りました

2008年05月05日 | トーダル
 3月14日、トーダルがパーソナリティをつとめるラジオ番組「簡単な言葉」内で、日本の思い出を自ら語りました。
 この番組はベラルーシのラジオ局で、毎週金曜日(土曜日と日曜日に再放送。)トーダルが音楽を交えながら、自作の作品やリスナーからのお便りをベラルーシ語で語る番組です。
 
 「日本の思い出」を語ったトーダル。その「滞在記」はもちろん自ら執筆したベラルーシ語の小作品。
 マーサの書く長い長い「"アリガトゴザイマシタア!"日本滞在記」とはえらい違いです。(文章にやっぱり性格が出るよ。)
 散文詩みたいなんだよね。こういう文章は翻訳が難しい(でも訳しながら笑ってしまった・・・。)のですが、日本語に訳しましたので、どうぞご覧ください。
(途中の♪♪♪マークは放送中、音楽やCMが流れたところを表しています。)

・・・・・・

 四国という島にある高松という町は、日本の町の中では小さいほう。そこに屋根のついた商店街がある。長さは2キロメートル。車は通らないけど、人はたくさん歩いている。いろんな店。もちろんマクドナルドもある。マクドナルドがないわけないよね。
 僕はお土産はだいたい買っていたから、買い物はもうする必要はなかった。
 でも、職業病だ。
 楽器店を見つけてしまったら、もう入らずにはいられない。
 ああ、入らなければよかったよ。
 そこで、こんな感覚の真っ只中に落ちていった。その感覚は・・・真剣なもの。そう、愛。そう、冒険。そう、盲目。・・・そして前払い。
 アメリカのギターを買った。赤いギブソンを買った。たくさんのお金が両替された。
 今となっては、僕は自分自身を何が何でもスーパースターにしなくてはいけない。
 そう努力しないと、このギターにそっぽを向かれる。
 そんなギターを買ったんだ。
 この日、高松はソリストの自分にとっての聖地になった。

 本州に戻る車中の僕の隣にはギブソンのギター。
 この現実に気が狂いそうになった。
 これを見たら、みんな気が狂うんじゃないか。
 ここ日本で何かが起こったんだ。
 分かるだろうか。
 ベラルーシ人の僕が日本で、アメリカ人が作った赤いギターの持ち主になるなんて、現実のことなんだろうか。
 
 目の前に四国と本州を結ぶ世界最長の吊り橋。
 窓の向こうには森に覆われた高い山。
 こんな高い山の上に何か建てることは、僕にはできない。
 でも日本人はちゃんとした家をたくさん建てて、その中で幸せに暮らしている・・・。
 神よ、日本人に幸福を与えたまえ。
 ベラルーシ人にも幸福を・・・。

♪♪♪

 特別に日本料理の話をします! 約束します! この番組のリスナーのみなさん、本当に約束します!
 でも、僕が日本で食べたもの、全てについて話すだけの気力はない・・・。
 自分の持つ語彙を掘り返すようにして探さないといけないから。
 日本料理は種類が多い。そしてとてもおいしいんです。とにかくいろいろです。魚、肉、野菜、果物。
 ただ、ときどき日本人は洋食を食べます。休みの日なんかに洋食を食べて、特別な気持ちを味わう。
 日本人もベラルーシ人もそれぞれ、自分の国にないものを夢見てしまうわけですね。
 ・・・まだ、日本料理の話をしますよ! 後で必ずします!

♪♪♪

 旅先から京都へ帰ったとき、何週間か過ぎたような気がした。この二泊三日はそれは内容が濃かったので。
 たくさんの思い出の収穫。いろんな地方のことを知った。僕にとっては普通じゃないものを見た。高速道路、トンネル、速く走る車、大きい寺、小さい寺。
 京都へ戻ったとき、家に帰ったような気がした。まるでネマン川のほとりに来たような気持ちがした。旅が終わりに近づいた。

♪♪♪ 
 
 友達がミンスクの空港へ僕を迎えに来てくれるって。でもそこまでの旅の延長線上に待つのは3台の飛行機。これがスーパースターの生活スタイル。これに早く慣れないと・・・。
 人生について考えないと・・・。
「なあ、トーダル、旅をするのは好きかい? 飛行機で飛んでいくのが好きかい? 船で泳いでいくのが好きかい? 新幹線の座席に座るのが好きかい?」
 比べよう。ベラルーシ人と日本人を。
 僕たち、日本人からたくさん学ばないといけないよ・・・。
 日本国内を1000キロも移動した。
 ベラルーシ人、そしてその近隣諸国の民族たちよ、君たちはきっとどうしてなのか理解できないだろう。
 ここ日本では造るのが不可能な場所に高速道路を造る。建設不可能な場所に家を建てて住んでいる。高い水準の生活だ。

 村の学校へ行った。生徒の数は250人。
 そこで僕が何を見たか・・・。言葉では表現できない。
 先生たちは、ベラルーシの村の学校の先生と同じだったけれど・・・。

 車の中で、日課であるロシアのユーモア短編集とポーランド語の詩集を読んだ。ふと窓の外を見て思った。日本での滞在はもうあと3日しか残っていない・・・。

♪♪♪
 
 僕のホテルはとてもいいホテルだった。窓から見える景色はすばらしかった。インターネットに繋がる宿泊客共同のコンピューターもあった。
 窓の外に漢字が見えた。山の木を少しだけ切ってつくった「大」という漢字。
 その山のふもとには二階建て、あるいは三階建ての木造の家が並んでいる。

 京都の通りはとても狭くて、日本の消防車も小さくて幅が狭い。
 ベラルーシのMAZ社のトラックは京都の道は通れない。
 でも、そんなこと、日本ではどうでもいいことなんだ。
 日本で最も重要なのは日本人。

 ベラルーシ人は日本人のことを、プログラミングされていて、機械の部品、ネジの一つのように生きていると思っているでしょう?
 でも、日本人はベラルーシ人と同じように、人それぞれに生きています。
 曇りのない目で日本人を見てください。
 特に日本のお年寄り、おじいさん、おばあさんを見てください。
 日本のおじいさんは80歳になっても、ベンツを運転しています。
 ビジネスマンの人もいます。
 日本のおじいさんは小ぎれいでおしゃれです。
 微笑んで、人生を楽しんで、可能性をあきらめず、世界中を旅行しています。
 トランクなんて持ちません。空港で預けて身軽に旅に出ます。
 遠い国のホテルに行きます。
 キャノンのカメラを巧みに操ります。
 今日はマイアミ。
 明日は北京。モスクワ、クラコフ、パリ、リオデジャネイロ、モナコ、リダ、ミンスク、ベレゾフカ、ネマン・・・という予定です。
 日本のお年よりはみんな若いですよ。
 日本人のことを、プログラミングされた機械だと思いますか?
 ところで、日本の水はおいしいですよ。水道の蛇口から出る水をそのまま飲めます。とてもおいしいですよ。

♪♪♪ 

 日本人はベラルーシに来ると、クリョーツキ(ベラルーシ料理。じゃがいものお団子)にカッテージチーズ、サワークリーム、マヨネーズを食べる。
 日本人はベラルーシのマヨネーズは日本のよりずっとおいしいと言っている。驚きだ。
「100年生きて、100年学べ」とはよく言ったものだ。ベラルーシ人は何も知らなさすぎる。

日本人は西洋料理が好きで、ちゃんとフォークとナイフで食べる。僕は2週間の滞在中、箸を手放さなかった。箸を手にすることが大好きなんだ。
 ミンスクで僕は黒パンとサーラ(豚の脂身の塩漬け)ときゅうりのピクルスを食べる。日本では海の幸を1年分ぐらいまとめて食べた。魚、えび、イカ、カニ、大きい貝、何か分からないけどすごくおいしいもの。生で新鮮なもの。日本で食べたもののことは一生忘れない。
 ベラルーシ人は日本へ行ったら、何でもたくさん食べてみよう。
 日本と友好関係を結ぼう!
 文化交流を! 食文化交流を進めよう!
 両国の友好を自力で進めよう! 
 ベラルーシ人は日本人にハラドニクを!(冷たいスープ)
 日本人はベラルーシ人に刺身を!
 ベラルーシ人は日本人にマチャンカを!(煮込んだ肉にホットケーキをつけたような料理)
 日本人はベラルーシ人に鍋料理を!
 鍋とは日本の「底なしスープ」料理のこと。
 ベラルーシ人は日本人にトーダルの音楽を!
 日本人はベラルーシ人に村上春樹の文学を!
 日本人はベラルーシ人にデリカテッセンを! 何事も最後までやり遂げる力を!
 日本とベラルーシの間に同盟を!
 アメリカはベラルーシのことを、ならず者国家と呼んでいる。でもそんなことは、もうほうっておいて、これからは日本と友情を!

♪♪♪

 ブーン、ブーン・・・今、僕は飛行機の中。
 日本では全てうまくいったという感触。完璧だった旅。
 今こんな気持ちのときに、飛行機がシベリアなんかに墜落してほしくない。
 ウイーンまでまだ6時間。ノリリスク上空。
 僕は映画を撮りたい。映画をつくるって決めた。自分で、ベラルーシ映画を。
 東洋の日本が僕に言ったんだ。
「その手にカメラを持て。映画を撮れ。」
「そんなこと、できるだろうか?」
「ベラルーシ風のベイルマンか、クロサワのベラルーシ版。あるいはその両方。」
これが西洋のロシアが僕に言った答え。
 とにかく小さな作品をつくってみよう。それからどうなるか様子を見よう。
 映画の音楽は自分が担当しようかな。それとも、僕は監督で、作曲は誰かに頼もうかな。他の人にも稼ぐチャンスを与えないと。
 今日は人生で一番長い日だった。太陽を追いかけた、僕の人生の中で最初の最長の日。
 デビュー作品のタイトルはこれで決まった。
 「我が人生最長の日」
 僕のお母さんが窓辺に座って、眼鏡をかけて、孫にあげる靴下を編んでる映画でもいい。
 こんな作品、本業で映画監督やカメラマンをしている人たちに笑われるかな?
 世界はおもしろい。
 人間はおもしろい。
 京都もウイーンもミンスクもおもしろい。
 ブーン、ブーン・・・飛行機が飛ぶ・・・

 
・・・・・・ 

 以上です。
 ・・・まあ、私から言わせれば
「トーダルよ、君はギターの前払いなんかしていないし、両替もしなかったぞ! 君がしたのは・・・・・・借金だ・・・!!!」

 それから、文中の「MAZ社」についてですが、サイトはこちら。トラックやバスの画像が見られます。確かに大きい。

http://www.maz.by/


 それから、トーダルが文中に書いたベラルーシ料理ですが、日本人にはなじみがないものばかりなので、近いうちに画像だけでもアップします。

 

再びトーダルのインタビュー記事が朝日新聞に掲載されました!

2008年05月04日 | トーダル
  3月13日(木)付『朝日新聞』京都版の朝刊「ピンスポット」コーナーで、トーダルの紹介記事が掲載されました。

  朝日新聞のWEBぺージでも記事が読めますので、ぜひアクセスしてみてください。

http://mytown.asahi.com/kyoto/news.php?k_id=27000170803130001


 しかし、、、この記事の本文中の
「・・・トーダルが歌うと聞いた時は『ラッキー』と思った」。「月と日」制作の仕掛け人で、首都ミンスク在住の辰巳雅子さん(37)が驚くほど、母国では著名な音楽家だ。・・・

 私、「ラッキー」なんて記者さんに言ったっけ? 
「・・・トーダルが歌うと聞いた時は『光栄』と思った」
 とインタビューで答えたはずなんだけど・・・(^^;)

 いや、でも、確かにラッキーでした!

 記者のS様、2回もトーダルのことを記事にしてくださって、本当にありがとうございました!
 2月23日のコンサートにはわざわざ三脚カメラを持ってきてくださって、写真撮影もしてくれました。
 朝日新聞で紹介されたこと自体が「ラッキー」です。(^^)

(画像はトーダルとはちの子。京都市内某所にて。)(^^;)

トーダルが公式ブログ内で日本の画像を公開しています。

2008年05月03日 | トーダル
 トーダルが公式ブログで、日本で撮った(あるいは撮られた)画像をアップしています。
 画像の数が多いので、3つのテーマ「自然と人々」「日本食」「コンサート」に分けてあります。

 トーダル自ら選んだ、日本の画像なので、見ていておもしろかったです。彼の視点が感じられます。日本で何が気に入ったのか、とかね。
 ただ、画像についての説明をつけていないので、ベラルーシ人からすれば「?」な画像がいっぱいあるでしょうね。
 日本人の皆さんからしても「?」な画像があると思いますが、「トーダル"アリガトゴザイマシタア!"日本滞在記」を読んでいれば分かると思います。「トーダルが撮ったニッポン」でアップした画像とも見比べてください。
 ではクリック!

「自然と人々」 

http://todar-vojt.livejournal.com/7065.html#cutid1
 

「日本食」

http://todar-vojt.livejournal.com/7323.html#cutid1


「コンサート」

http://todar-vojt.livejournal.com/7426.html#cutid1



写真共有サイト上でアルバム 「トーダルが撮ったニッポン」を公開しています

2008年05月02日 | トーダル
 画像や動画を公開できる写真共有サイト「フォト蔵」上で、トーダルが自ら撮影した画像や「トーダル"アリガトゴザイマシタア!"日本滞在記」では紹介しきれなかった画像を公開しています。
 
 題して・・・「トーダルが撮ったニッポン」

http://photozou.jp/photo/show/180896/8665898


 日本人と同じ感覚ではないベラルーシ人トーダルが、日本で何を気に入ったのか、これを見たら分かると思います。
 まだ全部更新していませんが、画像はたくさんあるので、ゆっくりご覧ください。
 できたら動画もアップする予定です。

(この画像はイズミヤ白梅町店1階食料品売り場で、お寿司を撮影しているトーダル。)


トーダル"アリガトゴザイマシタア!"日本滞在記 最終回 「ラブ&ピース!」

2008年05月01日 | トーダル
 かくしてトーダルの日本の旅は終わった・・・
 「トーダル"アリガトゴザイマシタア!"日本滞在記」もめでたく最終回。
 ここまで全部読んでくださった皆様、ありがとうございましたあ! (^^)
 しかし、これで終わったと思ったら大間違い。
 まだまだ「トーダルの日本ネタ」が続くので、このブログの続きをご覧ください。

 でもまあ・・・この「日本滞在記」は一応これにて終了!
 「自分のヨーコ・オノ」は見つからなかったけど、(^^;) トーダルは日本のことを大好きなベラルーシ人の一人になったと思うよ。
 これが大事。
 では、ちょっとトーダルのまねをして・・・お開きの言葉にしましょう。

 愛の石の上に手を置いて誓いを立てよう!
 石のように固く揺るぎない信念を!
 日本とベラルーシの間に友情を! 相互理解を!
 お互いの知らないところを知って、もっともっとびっくりしよう!
 日本人はベラルーシのことをもっと知ろう! 
 トーダルに歌い続けてもらおう! その唇に歌を! 舌の上には日本料理を! 
 その喉を下から上に上がっていくのはバリトンの声。
 上から下へ下がっていくのは海の幸を!
 日本人もベラルーシ人も「月と日」を歌おう!
 世界に愛と平和を!


(画像は清水寺内、地主神社の恋占いの石「LOVEストーン」
 
 

トーダル"アリガトゴザイマシタア!"日本滞在記 60 「ミンスク到着」

2008年04月29日 | トーダル
成田を飛び立った飛行機の中でトーダルが言った。
「今まであちこち外国へ行ったことがあるけど、飛行機を1日で3回も乗り継いだことはないよ。」
 今までトーダルが行ったことのある国の中で日本が一番遠いのだから、確かにそうなる。
「こういうのが、世界的に有名なスーパースターのライフスタイルだね。でさ、3月3日に出発して到着するのも3月3日ってことは、すごく長い1日になるんだ。」
と笑っていた。
「今日は僕の人生の中で一番長い日だよ。」

 飛行機の中ではトーダルは往路と同じようにウイスキーを飲みながら、読書と執筆と映画鑑賞をしていた。
 またイギリスのコメディー映画を見ながら笑っているトーダルをと横目で見ながら、私はトーダルが言った「世界的スーパースター」のことを考えていた。
 他にもプロモーションビデオが機内で見ることができたので、トーダルに言った。
「自分の作品のプロモーションビデオ作ったら? それで、それをMTVで流して、ヒットしたらあっと言う間に世界的に有名になれるよ。」
トーダルは以前、PVを作っていたが、最近は全く作っていない。(ユニセフ創立60年記念アルバム「子守歌」収録曲のPVには、山猫役で出演しているが・・・。)
 この質問に対し、トーダルは
「そのとおりだと思うんだけど、PVを作る時間がない。それよりアルバムを作ったり、コンサートをしないと・・・。」
と答えた。それで
「じゃあ、ベラルーシフィルム(ベラルーシの国立映画スタジオ)が映画作るときに、俳優として出演したら? そういうオファーってきてないの? 歌手が俳優デビューするのはよくあることだし。(演技力があるかどうかは別として!)ミュージカル『預言者』を降板するまでは、演技指導とか受けたでしょ? 映画デビューもできるんじゃない? ただ、そういう話がベラルーシフィルム側からこないと、出演できないけど・・・。で、出演した映画がアカデミー賞なんか取ったりすると、君もすぐに世界的に有名になれるよ。」
と話したら、笑っていた。しかし、ベラルーシフィルムも最近は、ちゃんとした映画を製作していないし、できるだけの予算がなさそうだ。(というようなベラルーシ映画事情はトーダルもよく知っている。)

 だから、こう言ってみた。
「そうだ! ベラルーシフィルムのオファーなんかのんびり待ってても仕方ないよ! 自分で映画をつくればいいんだ! 監督も主演も自分ですればすぐに映画デビューできるじゃないか。」
 するとトーダルは右手を差し出し
「ちょうど同じことを考えていたんだよ!」
 握手した後、トーダルは執筆ノートを広げて
「監督、主演、脚本、音楽担当。」
と書いた。
「そう! 短い作品でいいんだ。低予算でもいい作品はできる。」
「うん、たくさんのお金なんかいらないでしょ? だって、第2次世界大戦ものや歴史映画を撮るわけじゃないんだし。それより、もっと現代を生きているベラルーシ人の生き様が分かる作品を作ってよ。」
 と注文しておいた。
 本当にトーダルが映画を作ったら、私が日本語字幕をつけますよ。

ようやくウイーンに到着。
 トーダルは乗り換えのための待ち時間の間、ウイーン在住のベラルーシ人ジャーナリストからさっそくインタビューを受けることになっており、空港からウイーン市内へ移動。
 そのときのインタビューの内容については「トーダル初来日・ベラルーシのマスコミのインタビュー記事 1」をご覧ください。

 その間私はウイーンの空港で寝ていた。
 出発時間1時間前にトーダルは空港に戻ってきた。トーダルは
「有名なウイーンのオペラハウスを見たよ。」
と大喜び。
 そして免税店でウイスキーを購入した。
「ミンスクに到着したら、これで乾杯する。」
と言っていた。

 本日3回目のフライト。でも、もうすぐミンスクだ。心配なのはギターだけ。
 このとき乗った飛行機ではマーサ一家3人は前の席に、トーダルは後ろの席で、ベラルーシ人のお姉さんとインド人ビジネスマンに挟まれて座った。
 インド人ビジネスマンはロシア語は分からなかったが、英語はできたので、トーダルはさっそくお姉さんにロシア語で、インド人には英語で日本の話をし始めた。
「とにかく日本の料理はすっごくおいしくて、特に海の幸が・・・ぺらぺらぺら・・・イン ジャパン ベリーベリーナイス!!!・・・」
とミンスクに到着するまで、しゃべりまくっていた。(^^;)

 こうしてミンスクに到着。問題のギターは・・・
 画像のようにプチプチでくるまれた状態で出てきたが、そのプチプチがあちこち破れていた。
 しかし、中身は大丈夫なようす・・・。ああ、よかったあ・・・

 それにしても、ミンスクに着いたとたん、鳴り始めるトーダルの携帯。さっそく1週間後の3月10日に出発するフランスでの公演について、担当者から電話がかかってきて、
「さっきミンスクに到着しましたから・・・」
と話すトーダル。ああ、いつもの超多忙生活が再スタートされた。日本では旅もゆっくりできてよかったね、トーダル。

 空港の建物を出て、友人の迎えの車がくるまでの間、トーダルはウイスキーを開けた。
 それをはちの子で除く3人で飲んで乾杯した。トーダルははちの子を抱き上げて「好きになったよ、はちの子ちゃん!」
とキスをし、それからミンスクの夜空に向かって日本語で叫んだ。
「アリガトゴザイマシタア・・・!!!」

(これで終わりだと思ったら間違い。)

トーダル"アリガトゴザイマシタア!"日本滞在記 59 「伊丹空港、そして成田」

2008年04月26日 | トーダル
 伊丹空港に到着。ここでマーサの父、母、うさぎさんとはお別れである。
 ここでいやな予感のすることが起こってしまった・・・

マーサ両親やうさぎさんがベラルーシへ行くときは、新幹線は利用せず、飛行機を乗り継いで行く。
 そのときは伊丹空港で荷物を預けると、受け取りはミンスクになり、便利である。

 しかし、われわれベラルーシ隊は日本へ来るときに新幹線で東京から京都へ行くことを強く希望したため、飛行機のチケットをベラルーシ国内のオーストリア航空オフィスで、ミンスク・成田間を往復で購入しただけだった。
 帰路の伊丹から成田までの飛行機のチケットはマーサ父が日本国内で買っておいてくれたのである。
 すると、チケットを購入した場所が異なる、という理由で、一度成田で受け取ってから預け直してください、と言われてしまった。
 
 どっちにしろ、ギターは絶対手荷物である。それが二つあるので、一つはトーダルの荷物、もう一つは捨平の荷物ということにして運んでいた。
 手を振りつつ、
「アリガトゴザイマシタア!」
と見送ってくれたマーサ両親とうさぎさんに挨拶。 
 
 その後は順調に機内に座ることができた。しかし、フライト時間が短いせいか、飲み物のサービスはあったが、食べるもののサービスがなかった。
 幸い、前日、朝日新聞のインタビューを受けたカフェ「Hohey ant」で買ったベーグル4個を持ってきていたので、それを食べて朝ごはん代わりにする。いろいろなもの(レーズンとかチーズとか)が入っていて、おいしかったです。

 初めて日本国内を飛行機で移動したトーダル。日本人スチュワーデスさんを見てにこにこしているので、どうしてなのか尋ねたら、すごい発言をした。
「日本人のスチュワーデスはかわいい。(←ここまではいいのだが、次が問題→)『根付』みたいにかわいい。」
 ・・・根付って・・・ それ、褒め言葉?!

 トーダルは
「今からベラルーシへ戻るなんて信じられない。」
と言っていた。似たようなセリフを、日本へ行くときにも言っていたなあ・・・
「日本での2週間はあっという間だった。全部夢だったらどうしよう・・・買ったギターも夢だったらどうしよう・・・。」
と笑っていたよ。

 さて、成田に到着し、預け荷物を受け取ると、またカウンターに並んで荷物を預け直すことになった。
 そこで、大変なことが起こってしまった。
 カウンターでギターを見た係員は「手荷物としては大きさが大きすぎる」ので、預け荷物にしてください、と言った。
 でも、これは楽器なので、預けたりして(成田空港やウイーンの空港では丁寧に扱うだろうが、ミンスクの空港で)壊れたりしたら非常に困る、手荷物にしてください、と頼んだ。しかし、
「どうしても手荷物にしたいのであれば、二つ座席のチケットを買って、その座席に置いてください。」
と言われた。
「でも、ミンスクから成田へ来たときもオーストリア航空を利用したんですよ。そのときは手荷物にできて、棚のような収納場所に置いてもらえたんですが・・・。」
と食い下がると
「航空会社は同じでも、空港によって規則が異なる。」
というよく分からない説明が返ってきた。 

 トーダルは32万8000円のギターがミンスクに着いたときには壊されている、という恐ろしい悪夢のような映像が脳裏に繰り出されたらしく、顔色が青くなっているし、捨平はタバコの禁断症状も併発して、汗だくになりながら
「そんな馬鹿な! なんで空港によって規則が違うんだ?! さっき楽器を持って搭乗ゲートに向かう女の客がいたぞ。確かに見た。」
とわめいた。 
 しかし、とどめを刺すように係員は
「そのお客様はビジネスクラスのお客様なので、ビジネスクラスの席にはそういう収容場所があるのですが、エコノミークラスの場合はそのような場所がありません。」
と言った。ガーン!

「だから、ミンスクから成田に来たときもエコノミークラスで来たけど、手荷物にできて、収納場所にギターを収めてくれたのに、どうして反対方向へ行くときはそれがだめなのか?」
と再び捨平がわめいた。
 係員はどこかへ電話をし、その直接の上司らしき人が出てきて、同じことを説明し、さらにその人がどこかへ電話した。

 妥協案として、私たちがさらに手荷物にしようと思っていたカバン(私のパスポートなど貴重品が入っているカバン、トーダルのピューマのカバン、招き猫など壊れ物が入っているカバンなど)を全部預け荷物にしたら、ギター二つを手荷物にしてもいい、ということだった。 
 すると私の脳裏に高知で買った招き猫がバラバラに砕ける映像が浮かんだ。
 でも1600円の招き猫より32万8000円のギターのほうが高価である。しかし、それにしたって不便だよ。パスポートと財布だけ出してポケットに入れ直さないといけないしさ・・・

 しかも、その妥協案をのんでしまおうか、と考え始めた私に係員は
「しかし、そのようにしてギターを手荷物にしても、客室常務員の判断により、『やっぱり大きすぎるから収納するところがない。』と言われ、預け荷物にしてください、と言われる可能性がある。」
と無情なことを言った。
 飛行機に乗り込んでから、そんなこと言われることってあるの?
 
 私が返事に困って躊躇していると捨平は横から
「おい、今何て言ったんだ? ちゃんと訳せ。」
と怒るし、大変だった。
 結局は預け荷物にされてしまうのである・・・。
 係員は
「預け荷物にするにしても、回りをプチプチ(梱包材)で包み、さらに「壊れ物注意」のシールを貼り、普通の預け荷物のようにベルトコンベヤーにのせて運ぶのではなく、特別に台車にのせて運ぶ。」
と言った。 

そこでとうとう
「そういう条件であればギターを預けてもいい。」
とトーダルが折れた。
 かくして二つのギターはプチプチでくるまれ、「壊れ物注意」のシールをべたべた貼られ、台車にのせられて行った・・・
 ・・・心配そうに見守るトーダル・・・。捨平は喫煙コーナーを発見するとそっちへさっさと行ってしまった。

 捨平が戻ってくるまで、待っていなくてはいけない。その間にトーダルは日本円の再両替に行き、私とはちの子はすることもないので、雛人形が飾られている前で記念写真を撮ったりしていた。
 するとそこでたまたまスピードくじをしていたので、引いてみると、2回引いて2回とも当たってメモ帳をもらった。
 めったにくじなんか当たったことのない私が・・・!!
 これはきっと吉兆である・・・!!!と思って、戻ってきたトーダルに
「今日は私はついている、ということだ。くじが2回当たり、ギターも二つ。これはギターが無事に届くということに違いない。」
と話して(これでも励ましているつもり。)みたが、トーダルは浮かぬ顔をしていた。
「今度日本へ行くときは、エコノミーじゃなしに、ビジネスクラスにしよう。」
「いや、ファーストクラスだ!」
「いーや! チャーターでWZ-オルキエストラのメンバー全員を乗せて行くんだ!」とわめくベラルーシ隊であった。 
 こうして心配しつつ、成田を飛び立った・・・。
 

トーダル"アリガトゴザイマシタア!"日本滞在記 58 「京都出発」

2008年04月25日 | トーダル
出発前日は必死で荷物を詰めました。
 それにしてもギター2本になってしまって、この出で立ち。
 無事ベラルーシまで持って帰れるのか? (本人はいたって満足なご様子。)

 3月3日午前5時起床。みんな寝ぼけ気味である。
 大きい車を貸してくださった方、ありがとうございました。
 荷物を全部、車に積み込み、出発。
 ああ、さようなら、キョート・・・
 さようなら、イズミヤ・・・に別れを告げ、羽田空港へ向かった。
 
 

トーダル"アリガトゴザイマシタア!"日本滞在記 57 「送別会」

2008年04月23日 | トーダル
 日本での最後の夕食はすき焼き!
 2回目ライブの後、「肉はないですか?」などときいていたトーダルのために肉料理である。さあ、どんどん食べておくれ。
 新たな日本料理の出現にまたまた驚くトーダル。
 でもさすがに鍋と違って、すき焼きでは早々にお腹がいっぱいになってしまった。(つまり珍しくたくさん食べなかった。)

 食後、ギターを弾きながら歌を歌ってくれた。
 画像は捨平と二人でギター、そしてデュエットしてくれたようす。
 厳密に言うと、これは日本滞在最後の晩に撮影したものではありません。
 でも、ほとんど毎晩このようにプロの歌手(トーダル)や玄人はだし(捨平)の歌を聴いたり、いっしょに歌ったりしてみんなで楽しく過ごした。

 トーダルは日本最後の晩ということで、マーサ父に
「日本人にとっての幸福とは何でしょうか?」
などという難しい質問をしていた。 


トーダル"アリガトゴザイマシタア!"日本滞在記 56 「北野天満宮」

2008年04月21日 | トーダル
 平野神社の後はこれも近くにある北野天満宮へ。
 北野天満宮についてはこちら。

http://www.kitanotenmangu.or.jp/yuisho/index.html


受験シーズンでしかも日曜日とあって、参拝客でいっぱいの北野天満宮。
 しかも梅が五分咲きとなり、ほのかに漂う香り。
 トーダルに菅原道真の話をしたら、最初はあまり真剣に聞いていなかったが
「無実の罪を着せられて、九州に左遷され、悲嘆のあまり死んでしまった。」
というあたりから、急に真剣に話を聞きはじめ、
「その後、雷神になって、雷を御所に落として、死者は出る、火事は発生する・・・と、被害甚大。」
のあたりでびっくりし
「その後、学問の神様になった。」
という締めくくりに唸っていた。
「それは10世紀に本当にあったことです。」
という追加情報に、ひたすら驚くトーダル。(ベラルーシじゃあんまりないよな、こんな話・・・。)

 自分の体の悪いところと同じところを触ると治るという、神牛像の前でその説明をすると
「まず、喉! ずっといい声が出ますように。」
と牛の喉や頭や背中をせっせと触っていた。

 画像は鳥居の両脇にある狛犬の前で撮影。口の形が狛犬とそっくりじゃない?(^^;)
 その後、またまたイズミヤ白梅町店に行き、最後の買い物。
 翌日が3月3日のひな祭りとあって、1回の食料品売り場では、ちらし寿司などお寿司がたくさん売られていた。
 それを見てまた、必死に写真を撮るトーダル。
 日本酒の小瓶を何本か買って
「これでもう思い残すことはない・・・。」
とつぶやいた。
(本当は鍋料理用の土鍋を買いたい、とか言っていたが、すでに荷物がいっぱいでトランクに入らない状態だった。)
 

トーダル"アリガトゴザイマシタア!"日本滞在記 55 「平野神社」

2008年04月19日 | トーダル
 翌日3月2日。今日で実質、日本滞在最後の日である。
 この日は朝日新聞からインタビューのお申し出があり、記者であるSさんと近所のカフェ「Hohey ant」に向かう。第2回ライブでは、お越しくださった観客の皆さんにこのお店で焼いてもらった特注「桜の花びら入り マトリョーシカクッキー」が配られたのである。どうもありがとう! 形がマトリョーシカだから食べるのがもったいないぐらいでしたが、クッキーはとてもおいしかったです。食べることができた人はラッキーでしたね。
 そのお店では手作りの焼きたてパンやベーグルが売られていた。(ベーグル4種類を1個ずつ買いました。)「Hohey ant」についてはこちらです。

http://honeyant.exblog.jp/i0/


 プロの新聞記者Sさんの詳しく尋ねてくる質問に、これまた一生懸命答えるトーダル。(おかげでおもしろい話が聞けました。)
 ベラルーシの歌手にこんなに詳しく質問されるだけでも、うれしいものです。(^^)
 トーダルからは
「朝日新聞の関西版は全部で何部ぐらい発行されているんですか?」
と質問が出た。Sさんはちゃんと調べてくださって
「100万部弱ぐらいです。」
と教えてくれた。
 これにはトーダルはびっくり。ベラルーシでは人口が日本よりずっと少ないので、一番発行部数が多い新聞でも40万部ぐらいなのである。
 今回のインタビューはその後、このような記事になりました。画像はSさん自ら第1回コンサートで撮影したもの。Sさんどうもありがとうございました! 

http://mytown.asahi.com/kyoto/news.php?k_id=27000170803130001


 その後、今日は最後の日なので、近所だけでも観光に行くことにして、まず平野神社へ行った。
 平野神社についてはこちら。

http://www.geocities.jp/daa01397/


 画像は鳥居と一体化したトーダル。
 ところでこの神社にはお守りが入ったおみくじが売られており、トーダル、うさぎさん、私の3人が一つずつ引いた。中に入っているお守りは「かえる」「招き猫」「亀」「お稲荷さん」「大黒さん」「小槌」などである。
 おみくじの結果は・・・3人とも大吉! しかも同じ大吉でも内容は少しずつ違っていた。
 トーダルの場合は全ての面でよい結果だったが、「縁談 急ぐな」「転居 慌てるな」に思い当たることがあるのか、一人大笑いしていた。(しかし、その笑いの中に失笑が少し混ざっていた・・・)
 そして出てきたお守りは招き猫。お金とお客がたくさん招かれる、ということで、客商売(^^;)をやっているトーダルにはぴったりのお守りではないか!
 うさぎさんは長寿亀が出てきて、私はトーダルと同じ招き猫! 高知の古道具屋さんで招き猫を買ったからかも。今年はねずみ年だけど、私にとっては猫年なのであった。(^^;)


トーダル"アリガトゴザイマシタア!"日本滞在記 54 「第2回ライブが終わって・・・」

2008年04月18日 | トーダル
 大盛況のうちに第2回ライブ終了!
 その後も来て下さった観客の皆さんと写真を撮ったりして、時間ぎりぎりまで「国際交流」しました。
 その中の一人の方がトーダルとはちの子にたらこキューピーをプレゼントしてくれました。(画像参照。)
 たらこキューピーとは(知っている人が多いと思うけど)こちら。

http://www.kewpie.co.jp/tarako/


 たらこキューピーをもらって「?」という顔をするトーダル。仕方ないので
「これはたらこと天使(キューピー)が合体したおもちゃ。」
と説明しておいた。そして
「つまり、キューピッドは愛の使いで、その結果、たらこみたいにたくさんの子孫繁栄がかなうというお守りみたいなもの。」
とめちゃくちゃなことを話しておいた。
たらこについてはこちら。(^^;)

http://www.o-e-c.net/syokuzai/tara.htm


 さらについでに
「くもこをたくさん食べたから、このたらことキューピッドさえあれば、君にも子孫がたくさんできること、間違いなし!」
と太鼓判を押しておいた。(ほんと、我ながらめちゃくちゃだなあ。)

 ところがトーダルは後で
「友達に1歳の子どもがいるんだけど、このおもちゃ、あげちゃってもいいかなあ・・・。」
と言っていた。(^^;) まあ、さすがにトーダルもたらこキューピーをもらって、それを大切に飾ったり遊んだりするような年齢ではないのであった。
 これを下さったMさんは実は「たらこキューピーを広めること」を「もくろんでいる」そうで、とにかく「たらこキューピーがベラルーシに上陸する」ことを目的としたプレゼントであったことが、後になって判明。(^^;)
 心配しなくても目的は達成されましたよ、Mさん! そのうちベラルーシでもたらこキューピーが有名になるでしょう・・・・・

 ライブに来て下さった方、みなさんに深く感謝しています。きれいなお花やいろんなプレゼントをくださった方、本当にありがとうございました!

 この日はライブハウスでバイキングの食事が食べ放題だったが、そこでもトーダルはわざわざ箸を取り、ぱくぱく食べていた。自分の出番がないわずかな合間にもずっとぱくぱく食べていました。(どのメニューもすごくおいしかったです!)

 帰宅後は夕ご飯はライブハウスで済ませてあるので、適当に肴をつまんで打ち上げ会の代わりにしようと思っていたが、誤りだった!
 トーダルは
「肉はありませんか?」
などとマーサ母にきき、マーサ一家を慌てさせた。(^^;)
 やっぱりあれだけ大きい声で歌うと、体力を使ってお腹がすくのであろうか・・・ 歌手って大変な職業だね。家計におけるエンゲル係数が絶対高いよね。
  
  

 

トーダル"アリガトゴザイマシタア!"日本滞在記 53 「第2回ライブ 黒い瞳」

2008年04月17日 | トーダル
 最後にシークレットゲストの偽ジプシーさんが会場の入り口から、登場!
 ヒデヨヴィッチ上杉さんは大学時代にロシア語を勉強していたそうで、今回ベラーシからトーダルが参加すると聴き、ロシア民謡の「黒い瞳」をロシア語でトーダルとデュエットすることを、前もって頼んでいた。

 ここで勘違いする人が出てくると思うので、念のため言っておきたいのですが、トーダルはロシア人じゃなく、ベラルーシ人です。
 ベラルーシ民謡をベラルーシ語でデュエットしたらもっとすごかったかも。でも「黒い瞳」みたいな日本人にも有名なベラルーシ民謡ってないものな・・・。

 あと、もう一つ念のため言っておきたいですが、ベラルーシって言うのは「国名」でれっきとした独立国家で、ロシアの片隅にある「地方」の名称や「市」の名称ではないです!
(ときどきこういうこと、言っておかないと・・・。間違えている日本人が多いので・・・。) 

 ロシア民謡「黒い瞳」は有名なロシアの歌ですが、黒い瞳を持っているジプシー娘のことを、黒い瞳じゃないスラブ系の男性が歌った歌詞になっています。
 つまりこのジプシー娘はロシアへ(ウクライナという説もあり。)にさすらってきたわけですな。
 また曲調からロシア民謡ではなく、ジプシー民謡に分類されることもあります。

 ヒデヨヴィッチ上杉さんとのデュエットにも快諾したトーダル。(これで出演者全員と夢の共演を果たしたな・・・。) 
 しかし「黒い瞳」の前に偽ジプシーさんが歌った歌(すみませんタイトル忘れました。)にトーダルは客席から「乱入」・・・頼んでもいない歌までいっしょに歌いだした。
 そして「黒い瞳」のときには、ステージに上がりなぜか髪の毛をぐしゃぐしゃにして、ヒデヨヴィッチ上杉さんとデュエットしました。
 一生懸命画像を撮影したのですが、遠いし暗いし、そんなにいいカメラでもないので、トーダルの目が赤目になってしまって、しかも髪の毛はぐしゃぐしゃだし、撮った画像がどれもこれも「狼男」みたいだった。(^^;) (「黒い瞳」を歌って「赤目」かい!)
 この画像は唯一目をつぶっていて、狼男になっていない画像でした。

 それにしてもお二人のデュエットはすごい迫力でした。
 私、ジプシーじゃないけど、目が黒くてよかった、と思ったぐらいの情熱の「黒い瞳」でした。
 そしてなぜか二人でマトリョミンの物まねをしていました。(^^;)
(また伝説が一つ生まれたよ・・・。)

トーダル"アリガトゴザイマシタア!"日本滞在記 52 「第2回ライブ 村祭」

2008年04月15日 | トーダル
そして再び夢の共演! ドレイデルさんと「故郷」「村祭」を演奏しました。
 もちろんあの祭はっぴをトーダルに着てもらいましたよ。(^^)
 またまた盛り上がりに盛り上がる会場。
 「アバンギルド」のスタッフの皆さんまでもが、手拍子してくださって、本当にうれしかったです!
 ベラルーシのコンサートでもこの曲を演奏すると、同じように盛り上がるので、それを日本で見ることができたのは、幸せなことです。
 やっぱり音楽の力は大きいですね。遠く離れた日本とベラルーシがすぐにくっついてしまいますからねえ。