みつばちマーサのベラルーシ音楽ブログ

ベラルーシ音楽について紹介します!

ゴリラズの「Strange Timez」

2020年09月09日 | その他
 
 ベラルーシ音楽そのものではありませんが・・・

 イギリスの覆面音楽バンド「ゴリラズ」が2020年9月9日にリリースした最新曲「Strange Timez」(10月発売予定のアルバム「Song Machine: Season One - Strange Timez」のEpisode Sixとして発表)の歌詞の中で、ベラルーシが取り上げられています。
 
 ありがとう、ゴリラズ!!!
 
 歌詞は当然英語ですが、ベラルーシが出てくるところだけ日本語に翻訳してみました。(ロシア語に比べると英語は分かっていないので、上手に翻訳できているかどうか分かりませんが、ベラルーシ事情に詳しい私の視点で翻訳してみました。)

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不思議な時代

絹糸の中に落っこちた気がする。頭の中が回ってる
与え続けられる夕闇色の空虚の中で宙ぶらりん
小屋で輪になった巡礼者は鐘の音の中に消えていく
俺は遠くで誰かが歌う声を聞く
俺は森の向こうのベラルーシから響くおかしなこだまに苦しめられる
あそこで遮断された若者は大統領たちに針で所属バッジを縫いつけられる

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 歌詞は英語のオリジナルですが、動画サイトのコメント欄で読むことができます。こちらをどうぞ

 歌詞には出てきませんが、動画の最後に出てくる月面のメッセージにグッときますね。今のベラルーシ人は。
 
 このアニメを見ていて感じたのは、コロナウイルスなどのせいで、すっかり世界が変わってしまったのを月から眺めている・・・というのがゴリラズのコンセプトなんだろうなと思いました。
 本当に不思議な時代に入りました。
 みんなこの世界でこの時代を生きていくしかないですね。


ユーロヴィジョン2017 ベラルーシ代表 Naviband

2017年05月15日 | ベラルーシ音楽全般
 2017年のユーロヴィジョン、会場はウクライナのキエフで、無事開催できるのかどうか心配の声もありましたが、大きな混乱なく行われましたね。
 混乱していたのは開催前で、ロシアの代表がウクライナから入国拒否される、つまり出場するなと言われる・・・という残念なことがありました。
 ここはベラルーシ音楽のブログなので、ロシアとウクライナの政治的などろどろは書きませんが、個人的にはロシアの車椅子の歌姫がユーロヴィジョンという大舞台に出られなかったのは残念・・・
 ウクライナ側は他の歌手をロシア代表に選び直せとか、ロシアで撮影した映像を生中継で放映しろとか提案したのですが、ロシアは拒否。ロシアの代表は出場せず、ロシア国内のテレビ中継もなし。今年からもうユーロヴィジョンに出ない、とまで言い出しているらしいです。
 悲しいですね。

 さて、ベラルーシ代表のことです。今年は初めてベラルーシ語で出場するということで、注目を集めました。代表は男女野デュオ「Naviband」です。楽曲タイトルももちろんベラルーシ語ですが、訳すと「私の人生の物語」というところですね。

 ベラルーシ語はマイナー言語なので、毎回英語訳の歌詞にした歌で参加していたのですが、ここへ来てついにベラルーシも、
「もっとベラルーシのPRをしないといけない。」
と気づいた様子。他の国と比べると独立してから時間が経っていない国(と書くと、それ以前は何もなかったのですか? と思う日本人がいるのであまりこういう表現はしたくないのだが。)なので、わざと、大きい声で「ベラルーシと言う国がヨーロッパにありますよ。」と声を大にして言わないといけないものですよ。
(ベラルーシで日本文化の紹介しているような仕事をしている人間からすると、これはよく感じます。日本でずっと住んでいる日本人は感じにくいことかもしれませんが。)
 
 おまけに今年は、ベラルーシ語の聖書が印刷されて、ちょうど500年という節目の年。
 ユーロヴィジョン2017でベラルーシ代表がベラルーシ語で歌うというのは大きい意義があることでした。

 Navibandの「私の人生の物語」のビデオはこちら
 ユーロヴィジョン2017公式サイトより。
 つまり公式プロモーション用ビデオということです。ステージでの撮影でもないし、PR用にしては地味に見えますが、私からすると、いかにもベラルーシのそのへんにありそうな森の中で、いかにもそのへんにいそうな外見のNavibandのお二人が、いかにもそのへんで売っていそうな服を着て歌っているのを見ると、いかにもベラルーシそのもの、という感じで大変よいです。

 しかもよく見ると、このビデオ、最初から最後までカットなしの一つのショットで撮影されているので、簡単そうに見えて、実は撮影するの難しかったのではないかと思います。もちろんカットが一つだけだから、細かい編集、つまり映像をたくさんつなげて得られる効果とかインパクトはないです。しかし、そのおかげで、視聴者はベラルーシの森の中で、ベラルーシ人アーティストといっしょに楽しく散策しているような気持ちになってくると言う、実はベラルーシPRとしては、秀作ビデオ映像ではないかと思います。

 ちなみに歌詞はこちら。ベラルーシ語オリジナルと英語訳が読めます。
 このユーロヴィジョンの公式サイト内の画像でも、Navibandの二人がベラルーシの民族衣装を着ているというのも、本当にマル。
 曲はもちろん、ベラルーシ民謡が下地になっているのが、二重マル。

 そしてユーロヴィジョン2017での結果ですが、ベラルーシは17位でした。全体からするとそんなにいい順位ではないですが、とにかくベラルーシ語で歌ったことに大きな意義があり、歴史に足跡を残したと思います。
 ユーロヴィジョンは日本では放映されませんが、YouTubeで見られますので、全体は長いですが、こちらをどうぞ
 ベラルーシの出場の順番は3番目で、19分40秒ごろに出てきます。

 出場直前の紹介映像も、ベラルーシらしさがあり、本当にマル。世界遺産ミール城も出てくるし、首都のミンスクも出てくるし、バランスがよいです。
 ステージでのパフォーマンスもベラルーシを前面に出した演出でしたね。
 船の形のお立ち台(笑)はプロペラないほうがよかったかもしれませんが、ベラルーシがかつて、河川貿易、つまり帆船による貿易で栄えていた時代を彷彿させ、マル。
 衣装は民族衣装ではなく、ステージ衣装でしたが、「白ロシア」をイメージさせ、マル。
 ステージ後方に浮かび上がる建築物の投影ですが、ベラルーシを代表する建物ばかり。でも、ぱっと見て、「ああ、これはあそこの教会ね。」などとすぐ分かる非ベラルーシ人のヨーロッパ人はほとんどいないと思います。
 それでも、とにかくベラルーシの建築を見せるんだ、とがんばってPRしているところがマル。(国立図書館が出てくるのはご愛嬌。)

 ベラルーシもこれぐらいやらなくちゃ! で、やってくれたので、私の中では丸印の多いベラルーシ代表でした。

 ちなみにネット上でロシア人リスナーからは、「ベラルーシ代表の歌、よかった。」という声が多かったそうですが、「でも、ベラルーシ語の歌詞はさっぱり分からんかった。」という声も。(笑)
 会場だったウクライナの人たちは、たぶん歌詞の意味、ほぼ全部分かってくれたと思います。
 (ベラルーシもウクライナもロシアも兄弟国だから、仲良くしてほしいなあ、と思います。)

 ベラルーシの歌手はロシア語でも歌えますから、ベラルーシで売れると、ロシア(モスクワ)へ行ってしまうパターンが多いです。
 日本で言うと、大阪のライブハウスで人気が出たバンドが、東京へ行ってメジャーデビューしようとするのと似た感覚です。ちがいは、大阪と東京の間に国境はないけど、ベラルーシとロシアの間には国境があるということです。

 しかし、Navibandは、これからもベラルーシで活躍してほしいなあと思います。

 これを機に来年のユーロヴィジョンでもベラルーシ語で歌うアーティストが代表に選ばれるかと言うと、そうならないように思えます。
 2017年にベラルーシ語の歌が選ばれたのは、やっぱり2017年だったからだと思います。
 そういう意味で、本当にベラルーシ人にとって大きな意義のあるユーロヴィジョン出場だったと言えるでしょう。 
 
 

 


 
 

バフダノヴィチの詩 多言語翻訳プロジェクト

2016年12月25日 | マクシム・バフダノヴィチ
 ベラルーシの詩人マクシム・バフダノヴィチの詩を日本語に翻訳したことがあるのですが、昨年、文芸誌「マラドスツィ」編集部から新しいプロジェクトの参加のお誘いを受けました。
 
 編集部のほうからバフダノヴィチの詩を1点選び、それをいろんな国の言語に翻訳するという試みです。
 そのうち日本語への翻訳を頼まれましたので、試行錯誤しながら完成させました。
 
 英語、ドイツ語、中国語などに翻訳された作品が「マラドスツィ」2016年12月号特集ページで掲載されましたので、ご報告いたします。
 ロシア語には3種類の翻訳が掲載されていました。
 翻訳する人により、似ている言語に翻訳しても、違いがでてくるんですよね。
 それを見て、どの人の翻訳がいいとか悪いとか批評する人も出てくるのですが、詩の翻訳は簡単に甲乙つけがたいような気が私にはします。

 せっかくのなので、ベラルーシ語オリジナルと日本語訳はここで発表します。

 
Я хацеў бы спаткацца з Вамі на вуліцы
У ціхую сінюю ноч
I сказаць:
«Бачыце гэтыя буйныя зоркі,
Ясныя зоркі Геркулеса?
Да іх ляціць нашае сонца,
I нясецца за сонцам зямля.
Хто мы такія?
Толькі падарожныя, – папутнікі сярод нябёс.
Нашто ж на зямлі
Сваркі і звадкі, боль і горыч,
Калі ўсе мы разам ляцім
Да зор?»


あなたに会いたい、道の上で
静かな青い夜に
そして言います
「あの大きな星が見えますか?
輝くヘラクレスの星座が。
あそこまで私たちの日の光は飛んでゆき
地球が太陽を追いかけます。
いったい私たちは何者なのでしょうね?
旅人-せめて天空のさすらい人であれば。
なぜ地上では
いがみ合いに諍い、苦痛と嘆きに満ちて、
いつになったら星までともに
飛んでゆけるのでしょうか、私たちは?」 

("Маладосць" 2016, снежня / Звязда, Мінск/ С.11)

 ちなみにこの詩にバフダノヴィチはタイトルをつけていないようです。
 他の言語でもこの詩を読みたい、と言う方は「マラドスツィ2016年12月号」をご覧ください。

スカルィナの詩、多言語翻訳プロジェクト

2016年10月30日 | フランツィスク・スカルィナ
 中世ベラルーシの知の偉人、フランツィスク・スカルィナの一つの詩を多言語に翻訳して、一冊の本にまとめるという多言語翻訳プロジェクトに参加しました。
 全部で66ヶ国語に翻訳され、日本語訳は私が担当するという名誉をいただきました。
 2016年に翻訳をまとめた本「Францыск Скарына на мовах народаў свету」(世界の民族の言葉になったフランツィスク・スカルィナ) が出版されました。(「ズビャズダ」社。Выдавецкі дом "Звязда")

フランツィスク・スカルィナは聖書をベラルーシ語に翻訳して出版したという偉業により、ベラルーシの誇りになった人です。
 1519年2月、旧約聖書に収められている「ユディト記」をベラルーシ語に訳して出版しました。スカルィナはいつも聖書の翻訳に自分で前書きを書いているのですが、その中に自作の詩を入れているのです。
 タイトルはないので「フランツィスク・スカルィナのユディト記から」という説明がよくついている詩です。中世のベラルーシ語を現代ベラルーシ語で使われている文字で表して、改行も現代の詩に近づくように加えるとこうなります。

Понеже
от прирожения звери, ходящия в пустыни,
знають ямы своя,
птици, летающие по возъдуху,
ведають гнезда своя;
рибы, плывающие по морю и в реках,
чують виры своя;
пчелы и тым подобная боронять ульев своих,
тако ж и люди,
и где зродилися
и ускормлены суть по бозе,
к тому месту великую ласку имають.

 これを現代ベラルーシ語に翻訳したものから日本語に翻訳しました。

森を駆ける獣が
生まれたときから
自分の隠れ場を
知っているように
空を飛ぶ
鳥が
自分の巣を
覚えているように
海や川を泳ぐ
魚が
水の淀みを
感じているように
そして蜜蜂が
自分の巣を守るように
神の御許、育まれた
大きな愛着を
人も同じく
自分が生まれたその場所に抱く


Пераклад з беларускай мовы Масако Тацумі.
Францыск Скарына на мовах народаў свету, Звязда, 2016, стр. 121

 祖国愛に満ちた詩なので、ベラルーシ人に人気があるんですね。ベラルーシ出身だけれど、あちこちの国に行っていたスカルィナの胸中を思うと、詩を読んでいても深みを感じますね。
 せっかくなので、このブログでもご紹介します。
 

ベラルーシ音楽CDはどこで買えるの?

2015年10月24日 | ベラルーシ音楽CDはどこで売っているの?
* 日本国内では京都にあるヨーロッパ輸入雑貨店「Vesna!」での品揃えが日本で一番でしょう。このブログでご紹介しているCDの多くが店舗販売されています。

http://vesna-ltd.com/

 店頭ではいろいろなベラルーシ人アーティストのCDを、その場で試聴できます。

 しかも「Vesna!」で販売しているベラルーシ音楽CDには、全てアルバムのタイトルと全ての曲名の日本語訳がついています。
 ベラルーシ語が分からない日本人でも意味が分かります。親切ですね。 

 また、トーダルのCDについては、全曲の歌詞の日本語対訳付きのCDもあります。歌詞の意味がよく分かりますので、せっかくなら、日本語対訳付きのCDを買いましょう。
 対訳付きのCDには「みつばちのシール」が貼ってありますので、目印にしてください。

  ベラルーシ語で歌う日本の歌「月と日」についてですが、このCD「月と日」を1枚購入すると、放射能を体外に排出する働きのある食品『ビタペクト2』1個の購入費としてチロ基金に還元され、ベラルーシのチェルノブイリ原発事故の被災児1人に無料で渡すことができます。
 ご協力をお願いします。
 CD「月と日」について詳しくはこちらです。(HP「ベラルーシの部屋」内)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/songs/index.html


 「Vesna!」店頭で購入できます。

* また年に2回、7月と12月に日本ユーラシア協会大阪府連が大阪市内で行っているバザーでも、ベラルーシ音楽CDが販売されています。(バザー開催期間以外は販売を行っていないので、注意。)
 日本ユーラシア協会大阪府連のサイトはこちらです。
 
http://www011.upp.so-net.ne.jp/jes


 ベラルーシ音楽CDについてのご質問はみつばちマーサまで。
nbjc19990909☆yahoo.co.jp ☆の部分を@に変更してください。

詩人ゲンナジ・ブラウキン

2014年06月01日 | その他
 5月30日ベラルーシの詩人、ゲンナジ・ブラウキンが亡くなりました。77歳でした。
 バラドゥーリンと同じく、作品の日本語訳をした私としては残念です。
 心臓病を長く患っていたそうですが、ニュースではがんとなっていました。
 また1人ベラルーシを代表する詩人がこの世を去って寂しいです。
 ご冥福をお祈りいたします。

ベラルーシの詩人バラドゥーリン

2014年03月04日 | その他
 ベラルーシの国民的詩人ルィゴール・バラドゥーリンが3月2日79歳で亡くなりました。
 多くではないですが詩の翻訳をやったことがある私としては悲しいです。直接面識があるわけではないのですが、日本語に翻訳したものを手書きで書いたものを知人を通して渡したことがあるのです。
 ご冥福をお祈りします。
 でもやっぱり、表現が変かもしれませんが、肉体が失われても書いた作品が永遠に残るというのはすごいなあ、と思います。

新しいアドレスのお知らせ

2013年10月09日 | Weblog
 このたび新しいメールアドレスを設定しました。
 新しいアドレスは以下のとおりです。

nbjc19990909☆yahoo.co.jp

 ☆の部分を@に変更してください。
 よろしくお願いします。

雑誌 ソトコト 2013年3月号でCD「月と日」が紹介されます

2013年01月24日 | トーダル
 ソーシャル&エコマガジンの「ソトコト」2013年3月号(2月5日に発売予定)にチロ基金のボランティア活動について記事が掲載されるされるのですが、活動の一つとしてCD「月と日」が紹介されます!

 ソトコトのサイトはこちらです。

http://www.sotokoto.net/jp/


 CD「月と日」の売上金一部をベラルーシのチェルノブイリの子ども達支援に使ってきたからなのですが、こういう取り組みが日本の雑誌で紹介されて、とてもうれしいです。
 
 しかし「月と日」完成時は日本が原発事故が起きて広範囲の放射能被曝の脅威にさらされるなんて、思ってもいませんでした。
 事故前は「日本→ベラルーシ」の一方的な支援ばかりでしたが、これからは「ベラルーシ→日本」の支援も増えていくでしょう。
 長い目で見れば、相互方向の文化活動ができればもっといいのですが、現時点ではまだ先の話ですね。
 ベラルーシが日本人の間で、チェルノブイリ関係で名が知られるようになったのはうれしいのですが、まだまだ・・・
 それに放射能まみれの国、というイメージが先行してしまうと、悲しいですね。
 (逆に外国人から「日本は放射能まみれの国。日本製の物は危険だから買わない! 日本産のものは一切口にしない!」と言われたら、日本人なら誰しも少々悲しく感じるのでは?)

 先のことになっても文化交流などが増えれば、理解も深まりいいと思います。そういう日が来ることを願います。

ヤクプ・コーラスの詩の日本語訳「ベラルーシ人に」

2012年11月03日 | ヤクプ・コーラス
 ベラルーシの国民的文学者ヤクプ・コーラスの生誕130年を記念して、三編の詩を日本語に翻訳しました。
 その3編目です。


ベラルーシ人に

立ち上がれ、ベラルーシ男子よ、立ち上がれ、兄弟!
立ち上がれ、私たちの祖国!
私たちが寝ているところを
すでに新しい春の命が眺めている

男子よ、私たちが手に持っているのは何だ?
神は我らに力を与えていないのか?
私たちの故郷の上には
意志の光は輝いていないのか?

ともに働きに行こう
友情を築こう、壁のように堅く
そして、まどろみから覚めよう
私たちとともに祖国がある


Беларусам

Ўстаньце, хлопцы, ўстаньце, браткі!
Ўстань ты, наша старана!
Ўжо глядзіць к нам на палаткі
Жыцця новага вясна.
 
Ці ж мы, хлопцы, рук не маем?
Ці ж нам сілы Бог не даў?
Ці ж над родным нашым краем
Промень волі не блішчаў?
 
Выйдзем разам да работы,
Дружна станем, як сцяна,
I прачнецца ад дрымоты
З намі наша старана!
 
[1906年の作]

Пераклад: Масако Тацумі (2012г.) 日本語訳 辰巳雅子