
いつからその猫がいて、いついなくなったのか知りませんが、幼稚園へ行っていたある日から、家にはゴロという名前の猫がいたことがあります。とってもきれいな白い猫で、ごろごろと喉を鳴らすので、ゴロちゃんという名前でした。餌も現代のようなキャットフードなんかはなく、私の記憶ではいわゆるネコマンマでもなかったようで、父がスープ皿にミルクを入れていたのが印象的です。
ゴロは、いつも父に甘えてひざに乗ったり、肩に乗ったりしていました。ゴロは柔らかくて暖かくて可愛いので、私はいつも追いかけ回していました。父のところだったら呼ばれなくても行くのに、私がいくら呼んでも来ないし、つかまえに行くと逃げ回って、小さい私も入られないようなソファの下とか、棚の上にいってしまいます。こんなにゴロが好きなのに、私は悲しくて泣いてしまいました。
そんな私を見て母が
「猫はしつこくされるのがきらいな動物だから、知らん顔しているといいよ。そうすれば、ゴロは寂しくなって自分からpanちゃんのところに来るよ。」
母の言ったことは本当でしょうか。私はそれでも挑戦してみることにしました。なるべくぜんぜん知らん顔をして、ゴロのことを意識しながらも普通どおりお手伝いをしたり、お兄ちゃんと遊んだりしてみました。私にとっては長い長い道のりです。いつもなら絶対つかまえに飛び出していた距離まで、なんどもゴロは近寄ってきました。それを知りながらも知らん顔するのはつらいことです。何度さわっちゃおうかと思ったことでしょう。でも私はがんばりました。あんまりがんばったのでゴロのことを忘れたほどです。
母が食後のデサートにりんごをむいてくれることになり、私とお兄ちゃんは茶の間にお皿とフォークを運びました。母はりんごをむきながら順番に配っていきます。私は一番小さいので、一番先にりんごをもらえます。次がお兄ちゃんでその次が父、そして母です。真っ赤なりんごは、まんまるで「りんごつくりのジョニー」の絵本にでているのと同じです。いま思えばそれは「旭」リンゴだったようです。りんごの中にはむいていると、すこしぶつかって茶色になっているのもありました。他の人はみんな平気で食べていましたが、私は全部きれいにとってもらっていました。
おしゃべりをしながら楽しくりんごを食べているときです。ゴロのことはもうすっかり忘れているときです。ゴロはニャーと鳴きながら、なんと私のひざに乗ってきました。なんていう幸福でしょう。やっぱり母の言うとおりです。わたしはうれしくてうれしくて、でもそっとこわごわゴロをなぜてあげました。すぐに逃げてしまわないように。大満足で猫のことがひとつわかったような一日でした。