諸行無常の響きあり

フィリピンの小さな焼き鳥居酒屋の親父のつぶやき

フィリピンですね・・・

2011年08月29日 11時19分09秒 | つぶやき

※お馴染みバロット

 

朝から日本の皿を求めて比較的近いAguinaldハイウエイ沿いの日本リサイクルショップへ。何か勘違いしているのかと思うほど高い値段の皿、そこに日本人の影は無く、まとめて買う値段交渉ですら取り付く島が無い。

経営者は日本人と間のハーフ・フィリピーナ、嫌だったら買わなくてもいいという態度がミエミエ、従業員曰く『だから全然客がいません、在庫が増えるばかりです』とのこと。それが商売のスタイルなら仕方が無いが、もう2度とそこへは行く気がしない。

この交差点人通りが激しく主だったFC店が集中してる場所なのだが、客待ちをしているジプニーの横で50歳を裕に越した男二人が喧嘩を始めた。片方は手に鉄パイプを持ち、片方は手に大きな石、その鉄パイプを振り回し頭部に受けた側は流血している。

それでも負げず今度は大きな石を思いっきり相手に投げつける。的を外したその石は客待ちしているジプニーに当たった。いやはやとんでもない大騒ぎである。手にそれぞれ武器を手にする喧嘩、回りは遠巻きで見守るしかない。

熱しやすい国民性が故なのか、それとも積年の恨みなのか・・・・。この国は年寄りだろうが若者だろうがとにかく関係ない。このような出来事が発展して死人が出ることも珍しくないこの国、特にスクアッター近隣ではこうした出来事は日常茶飯事のようである。

 

※交差点近隣の風景

君子危うきに近寄らず、我々は数キロ離れたアギナルドハイウェイ沿いの日本リサイクル店に向かった。目的は達成できなかったが、たまには違う土地に行ったということでそこのSM・Cityの中を探索しそこで食事をしてきた。

何処でもモールは一緒なのだが、その場所によって客層がガラリと違うというのもフィリピンの特徴なのかもしれない。まあここに住んでいる私が言うのも変だが、やはり危険な地区には出来るだけ近寄らない、これはまだまだ途上国のフィリピンの歩き方の鉄則なのかもしれない。

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フィリピンの中の日本

2011年08月22日 09時37分56秒 | つぶやき

毎日来るお客さん、その中には必ずといっていい程日本語を話すフィリピーノがいる。(ここで言うフィリピーノとは女性も含む)店で働きたいという人もいれば、日本語を話したくて来る人、日本の味を懐かしく思ってくる人、実に様々である。彼らに共通しているのは、何らかの形で日本と関わっているということである。娘が日本人と一緒になっている親もいれば、本人が日本に行ったことがあるという人、中には奥さんが日本人と一緒になっている女性(おかしな話だが、現地では亭主がフィリピーノ、しかし日本人と一緒になっている)という男性もいる。

かつてはかなりの人数のタレントが日本に飛んでいた名残なのか、未だに日本という国との関連はかなり強い影響力を持っている。飲食店をやっている私にとってはまことにありがたい話であるが、このアジアでも独特の言葉を話す日本という国との関わり、他の日本関連ではないお客さんにとっては何を話しているのか皆目解らないだろう。彼らは自分の人生の中で日本に関連を持ったということそのものが自慢の一つでもあり、他のフィリピーノとは違うということを自慢したがる。黄金の国『ジパング』・・・フィリピンではまだその神話が残っているのか、未だに日本という国が憧れであり、日本に行くことを夢見ている人も沢山いるようである。

写真は隣で営業していたサリサリストアであるが、この場所に見切りをつけ早々と他の場所に引っ越してしまったが、この店も実は母親が日本人と一緒になっているその息子が始めた商売であり、本人も日本のステイしたことがあり、日本語を話す。日本が全盛のバブル時期にフィリピンに与えたイメージが彼らにとっては未だにあるのだろうが、この彼も今もって日本に戻りたいという強い願望があり、日本関連の企業の研修生に応募したようである。ただフィリピーノが抱いている日本に対してのイメージがここで定着していることもあり、我々日本人がフィリピンで物事を起こそうとするするときに必ず出てくるのは、日本人向きのプライスである。

タクシーに乗ったり、買い物をするという場面でも値段が初めから高いことを言われるという弊害もある。もっともフィリピンでペソ収入で生きている私らにとっては、そんなことは蚊帳の外の話であるが、日本関連のフィリピーノにとってもそれは同じことで日本に身内がいたり、日本に行ったことがあるフィリピーノもここでは特別プライスを吹っかけられる場面もあるようである。もっとも日本に関連があるという事を自慢することに対してのプライドを擽るということもあるのだろう。

日本関連のフィリピーノたち、果たして彼らの人生の先には何があるのだろう、もっとも彼らの心配をしている場合ではなく、私自身も似たような環境であることを忘れてはいけない・・・・。フィリピンの中の日本、まだまだそうした意味では神話は続きそうであるが、今となってはそれが逆に仇になっているということも事実である。

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いつも気をつけてね

2011年08月16日 13時23分14秒 | つぶやき

新しい知り合いが出来ると、電話番号の交換をする。それはコミュニケーションを再度取り合うことを意味する。突然TXT(SMS)を貰い、誰だか分からない場合もあるが・・・。

女性の知り合いだと特にそうなのだが、やり取りの中で最後には必ず『ingat ka lagi』という言葉が入るが、差し詰め和訳すれば『いつも気をつけてね』と言うところだろう。

我々日本人は果たしていつも気をつけてなんて言葉を使うだろうか・・・。このいつも気をつけてという意味が最近であるがようやく分かってきた。これはフィリピンと言う土地柄もあるのである。

連日のようにニュースで流れる事件の報道、それもフィリピン全域ではほんの一部の出来事に過ぎない。日本人の絡む事件を中心に我々は考えがちだが、フィリピンというく国は現地の人間のトラブルの方がもちろん多いことになる。

そうした暮らしの中でいつ何時トラブルに巻き込まれるか分からない、日々の暮らし、したがって『いつも気をつけてね』と言う言葉が自然と出るのではなかろうか。

人は日々の生活の中で自分の行動において、その場でものを考える。しかし他人は自分に対してどう考えているのかなんて考えて行動している人はどれだけいるだろう。

外に出かける、そこには常に他人の目がある。最近知人がマニラの行きつけの某両替商に行った際に『スナッチャー』と呼ばれる引ったくりに現金を取られた。

相当の金額を持っていたらしいが、バッグを引っ手繰られ逃走するスナッチャーを走って追いかけた。そのスナッチャーに追いつく寸前にその犯人はその現金を路上にばら撒いた。

幸い残りの現金とは取り戻したとのことらしいが、一部の現金を失った。しかしその知人はフィリピンに住み10年いやそれ以上住んでいるだろう、所謂その場所は熟知しているし、過去に数十回いや百回以上にも及ぶ回数かもしれないほどそこで両替をしている。

そんな彼でさえそうしたトラブルに巻き込まれるフィリピンという国、仰々しく護衛を連れて両替に行く日本人観光客もいるが、満更それが正解なのかもしれない。

 

※フィリピンのリサイクル屋で見つけた日本の小皿

そうした、引ったくりはまだ体に被害が無いが、運が悪いと刃物を出されたり、銃を出される場面もある。逆に引ったくりが逆切れして襲ってくる場合もある。そうしたケースでマニラ新聞の一面を記事で賑わす事件になる場合も少なくない。

ジプニーに乗れば乗ったでホールドアップ事件、人気の無い場所での歩行中のホールドアップ、女性との間のトラブルによるセットアップ、数えればキリが無いほど危険な国なのある。

 

※カメラを向けたら手を振ってアピールする近所の住人

そうした暗い話ばかりでは無いが、この写真のように底抜けに明るい国ではあるが、そうしたちょっとの油断でいつ何時トラブルに巻き込まれるか分からないというのも現実である。

しかし『laging ingato ka』という言葉、ただの知人には使わないようである。この言葉を使う場合はかなり親密になった関係の場合が多いようである。

もっとも飲みに行ったカラオケ屋のGRO嬢もお客さんに対してこの言葉をよく使う場面もあるが・・・(笑)この言葉はそうした意味でもフィリピンで生まれフィリピンで育った人だからこそ自然と口に出る言葉なのだと、今更ながら納得している次第である。

 

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私の中のフィリピン感

2011年08月14日 12時09分36秒 | つぶやき

ここ最近フィリピン在住日本人の話を聞くことが多い。大概は自分の家庭の中の話や、マニラ近郊の歓楽スポットの話、こちらでの生き方や生活の話・・・・。共通しているのは伴侶がフィリピーナと言うことである。外国、フィリピンの中の日本人として思うことであるが、基本的にここフィリピンの大家族主義の中での葛藤、即ち家族に対する考え方が違うということである。

伴侶であるフィリピーナは亭主や子供の収入は家族全体で使う物と信じて疑わない。普通の成人の日本人であれば家庭を守る為に何がしかの収入を得る手段を考える。年金生活者であればその収入が頼りになるだろう。現役で仕事をしていれば、それが収入源になる。そこで夫婦間の考え方の相違が生まれてくる場合も多い。

子供が幼ければ我が子の将来を考えるのが普通である。日本のように核家族化が進み、兄弟親子共々それぞれの自己の生活が中心になる。日本人的発想なのか、他国の人たちも同じなのかは解らないが、しかしここフィリピンでは親子兄弟は皆家族であり、そこの中で問題が発生すると生活が安定している家庭に頼ることになる。

ここではそれが普通の感覚なのである。親は子供を育てる義務があると言うのは全世界共通だと私は思うが、子供を育てる為にかかる経費を捻出する義務も親にはある。我々日本人と家庭を持っているフィリピーナは確かに生活の安定している家庭も多い。普通は我が子の幸せを喜ぶのは親としては当然のことではあるし、それ以上何を望むことも無いだろう。

しかしここフィリピンではそれが普通の感覚ではなく、我が子が幸せと言うことだけではなく、そこに親兄弟の幸せまでもが同居してくる。そこが最も論点となるところでもあるし、それが原因で家庭が崩壊していくケースも珍しくない。金銭と言う感覚ではなくこちらで言うところのTulong(助ける)という言葉がいつも出てくる。これがカトリックの教えなのか、子供を教育する過程で出てくるのかは定かではないが、この意味合いがいつも引っかかることになる。

全能の神ですら全人類を助けることは不可能であろう。助けると言うことは即ち自分に余裕があって始めて他人に目が行く。この助けると言うタガログ語の意味は、もしかしてもっと深い意味合いがあるのかもしれない。あるKTV店に勤める女性が言っていた。

『私は兄弟や親を助けなければならない、だから私は今必要とあらば体を売って収入を得ることも厭わない』

だそうである。

これがもしフィリピンでの生活の中で普通の考え方として浸透しているならば、まことに恐ろしい洗脳ということになる。親は建前で子供の為と言って、その実普通の娘が稼げる筈も無い金銭を持って家に帰る、これは暗黙の了解でお互いが納得しているとしたら、その考え方のまっただ中おかれる我々日本人は机上論を唱えても全く無駄と言うことになる。

果たして富裕層社会ではどうなのだろう?とある有名私立大学では女性徒のスキャンダル問題が絶えないと言う。親が学校に入れるだけの資金力があり、子供も普通に学校へ通う、しかし本人は更に金持ちの生徒を羨ましく思い、同じような持ち物や同じような生活を夢見る。しかし親から貰うバジェットではとても足りない、したがってやはり世界最古の職業の売春に走る女性徒もいるということである。

最近フィリピンのSNS(FBではない)に登録してロム専で覗くこともあるが、そこに登録している女性達は自己アピールと写真が専門で全く中身の無い内容のプロフィールが多い。男女の出会いを前提としているのであろうが、ある女性からメッセージを貰い貴方に質問がありますと言う内容だった。

『あなたはここのサイトに登録して何を求めているのですか?写真付きのMSGを沢山貰っているのに返事も返さない、どういうつもりなんですか?』

と言うような内容だったと思うが、ド派手な花の写真の中に『貴方の幸せを願います』なんてメッセージを貰ってもどう反応していいか解らない。したがって私は早々に退会したが、その手のサイトを楽しんでいる姿が本当の意味でのフィリピーノなのかもしれない。今私の中で出た結論は、限られた楽しみの中で精一杯楽しむ、そこに他人の反応などは関係ないのだ。一度も会った事も無い人間に対してLove なんていう言葉を平気で使う。これは反応を期待しているのではなく、自己満足なのである。

 

話を元に戻すが、家庭内に置いてのフィリピン人、逆に言えば肩の力を抜き、彼らと同じ生活水準、考え方になれば逆にこれほど頼もしい楽しい人種はいないのではなかろうか・・・・というのが最近私が感じるフィリピン感である。

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Jollibee

2011年08月12日 10時34分38秒 | つぶやき

近所の誕生日祝い

お隣さんの子供の誕生日祝い、ここジャリビーではこういうイベント専門のルームがある。考え方によっては延々と飲み食いを続ける大人の誕生日よりも、こういう場所を使った方が切り上げが早い。ところが店の営業を終えて家に帰ったら、何と今度は親達やその知り合いたちでカラオケで盛り上がっていた。

何と深夜1時まで唄い続け、いい加減うんざりするほど唄好きなピノイたち、おかげで寝不足である。こうした誕生日は一歳を迎えた子供の際は盛大に行われる。親は子供のためと言うより自己満足なのか、とにかく手当たり次第に招待状を送り、招待客もおのずと膨れ上がる。

 

夕焼けの写真がいつもこの角度になってしまうが、仕方が無い。店からはここしか夕焼けが見えない(笑)この夕焼けと焼き鳥の煙と匂いが立ち込めるこのロケーション、私は気に入っている。

何でもかんでもBBQにしてしまうフィリピーノだが日本人も負けてはいない。これは定番の豚の耳軟骨と鳥皮、海老の塩焼きである。この日はトウモロコシやアタリメまで登場し、ここに鳥のレバーや厚揚げ、葱のいかだまで登場する。日本から輸入された鯖缶なども蓋を開けて暖める為にこの焼き台に乗ることもある。ドルの急落を受け著しい為替の変動だが、そんな話題までも肴にして酒を飲む、ここに為替の変動は関係ない。

何れにせよドルが下がればドル建ての収入が多いフィリピンでは、大きな影響を受けるだろう。まあ庶民の生活の上でその話題が出ることも無いが、誕生日にしろ、生活費にしろジワジワとその影響を受けるのだろうな・・・・。

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