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やっパリ、メトロで。

パリ在住だったブログ主が語る、パリ・フランス、日本の交通系散歩日記。鉄分やや多め。

シャンパーニュ地方小旅行~パリからの日帰り

2013-10-21 | 日記
この週末、Champagne地方のリリ・ラ・モンターニュ (Rilly-la-Montagne) と
ランス (Reims) を訪れる日帰り旅行に出かけてきました。

今回は団体のバス旅行でしたが、本ログの最後にTGVで行かれる方への情報も。
パリからわずか45分で着きますので、お試しあれ。

朝8時にパリを出発し、10時半ごろ、ランス市の南側に小高く控える
ランス山地方公園 (Parc régional de la Montagne de Reims)の北端にある、
Rilly-la-Montagneという村に到着。
Reims と Epernay を結ぶ路線上にあり、列車でも行けます。

シャンパーニュ地方といったらこれですね!


シャンパーニュ生産者、Henri Chauvet さんのカーブです。
こちらでブドウ畑も持ち、生産・販売を行っています。
 


フクロウがおでむかえ。


アペリティフだけでなく、食事中に飲んでも料理に負けないシャンパーニュで、
コストパフォーマンスも抜群。


白・ロゼと、合計5種類の試飲をしました。

昼食はランスへの途中、レストラン Lys du Roy でこの地方の料理を。


メインは当地の名物料理「ポテ」(Potée)。

牛肉を野菜と一緒に煮込んだ「ポトフ」は日本でも有名ですが、
その豚肉版となります。
ヌーベル・キュイジーヌが現れる前の、これぞ元祖フランス料理!

2時半ごろ、ランスに到着です。
まずは画家 藤田嗣治が建てた Chapelle Foujita です。
藤田が描いたフレスコ画がすばらしいのですが、内部は撮影禁止なので、
外から。


実は2000年と2012年にそれぞれ正面の門まで来ているのですが、
2回とも閉まっていて、中に入れたのは今回が初めて。
まさに3度目の正直!


バスぎりぎりに木がこすってますよ。紅葉の季節です。


世界遺産、ランスのノートルダム大聖堂 (Cathédrale Notre-Dame de Reims)。
1211年に礎石され、それより建築、増築を重ね、15世紀には現在の形に。
歴代フランス王が戴冠式を行った場所です。
日本では天皇のご即位の時は後ろ向きとなりますが、
フランスでは戴冠式は横向きまたは前向きになっていたそうです。




シャガールのステンドグラス。

フランス王シャルル7世 (Charles VII) の戴冠に貢献したジャンヌダルク (Jeanne d'Arc) も、
ここのシンボル的存在です。
 


虹が出ました!
帰りのシャンパーニュ・アルデンヌ地方からイル・ド・フランス地方に入るあたり。


さて、バス旅行も楽しかったですが、
昨年、個人で行った際はTGVで行きました。
パリ東駅 (Gare de l'Est) からわずかに45分。
あっという間にランスです。


 

東ヨーロッパ線に投入された平屋タイプはすべてリニューアルを受けており、
ラクロワ (Lacroix)によってデザインされた内装となっています。
機関車すぐ後ろの個室のようになっている部分は売れていることも少なく、
静かに過ごしたい人にはもってこいです。

デモとパリの交通

2013-10-19 | 日記
フランスでは、デモ (manifestation) やスト (grève) が名物だと言われます。
これらによって民意を訴えるというのは、革命によって共和制を勝ち取った国であるというだけあります。

昨日より、大規模なデモがフランス国内で行われています。
滞在許可証に問題のある生徒が国外に追放されたということに対する国民教育、為政者への怒りが、
今回の民意の高まりにつながっています。高校生、大学生、教師それぞれの組合が、
行進を組織し、参加しています。

さて、そうなったとき、交通機関はどうなってしまうのでしょう?
パリを例にして見てみます。

本日のバスチーユ (Bastille) 広場周辺の模様です。

既に、警官隊によってバスチーユ広場に通じる周辺の大通りは封鎖されています。

ボーマルシェ大通り (Boulevard Beaumarchais)を通過する65番、20番、29番などのバスはもう通れません。

広場に近づくと、警官隊と学生たちがにらみ合っています。





バスの通行どころではありません。


バスチーユ広場。いつもは多くの車が通行していますが、今日は通行止めになっています。


バスチーユ広場からフォブール・サンタントワーヌ通り (rue du Faubourg Saint-Antoine)を望むと、
行進が近づいてきます。当然、バスどころではありません。



フォブール・サンタントワーヌ通りを通る76番、86番のバスは、
時間が読めなくなっていました。
59分以上の待ち時間・・・

それでも、今回はメトロの出口が封鎖されるということもなく、
通常運行でした。
さらに大規模なものになると、駅自体を閉めてしまうこともあります。

乗り物が好きになったわけ~祖父の誕生日に寄せて

2013-10-10 | 日記
このブログからして、「本当に電車が好きなんですね」と言われます。
否定はしないけど、なんだかやはり、
いい年して電車ごっことはちょっと恥ずかしいこともあります。
というか、乗り物が好きなのです。
今日は亡き祖父の誕生日にかこつけて、ちょっと言い訳を。

祖父母の住んでいる母の実家は静岡県沼津市。
当時のブログ主の実家は国鉄の御殿場線に乗って12~13分程度にある駅でした。
(実家から駅は歩いて30分ぐらい掛かるので、
祖父母の家まで小学生の足ではトータルで1時間ぐらいかかりました)


御殿場線と同型車両の115系(画像のように、現在も群馬県高崎周辺で動いています)

母に連れられて、ほぼ毎週土曜日、
午前中で幼稚園や学校が終わったら御殿場線に乗って沼津の母の実家に行くのが楽しみでした。
「クモハ」と「モハ」と「クハ」がつながった電車。
「お母さん、今日は『モハ』で」などと、小生意気なことを言っていました。
小学校も2年生ぐらいになると、週によっては一人か、弟を連れて二人で電車に乗っていました。

ある日、御殿場線の車両の中に、見た目はほとんど同じなのに、
ドアが閉まるときに「プシュー」と音のする車両と、
静かに閉まる車両があるのに気づきました。
図鑑で調べると、これが、暖地・平坦線仕様の113系と、寒冷地・勾配線仕様115系の違いとわかり、
大人に対して得意になってしゃべりましたが、誰にもわかってもらえなかった。。。
唯一、祖父がお酒を飲みながらゆっくりと話を聞いてくれたのが印象的です。
このあたりから、どうやら電車が好きになってしまったようなのです。

祖父母の家に遊びに行くと、祖父がよく沼津の「機関庫」に連れて行ってくれました。
現在は用地整理によって駅北口ロータリーや「キラメッセぬまづ」になってしまった広大な用地に、
線路が並んでいて、国鉄の車庫があったのです。
祖父母の家の裏に住んでいるおじさんが、国鉄に勤めていたので、
祖父も国鉄職員を知っていたようで、顔パスで車庫に入れました。おおらかな時代でした。
物心ついたころには、既に機関車と触れ合っていました。

1年に一回ぐらい、地元とのふれあいのために機関区開放の時があって、
図鑑でしかみたことのない機関車や電車が、遠くは山形や福岡からやってきたこともありました。

2011年に引退した飯田線の119系も、
1984年の落成当時、沼津で展示されました。
当時の国鉄は画一的な塗装でしたが、
分割民営化を控えて、カラフルな車両が出始めました。
見たことのない形や色の電車に興味深々。

祖父が3ヶ月に一回ぐらい、東京日帰りに連れて行ってくれました。
新幹線はトンネルが多いからいやだ、と、いつも孫につき合わされていた祖父。

そこで、ある日、寝台特急に乗って行ってみようと、車掌さんに掛け合いました。
沼津→東京間はもう朝だから、寝台を使うわけではないので、特急料金だけで大丈夫だろうと。
結局、寝台券がなくては乗れないと諭され、
断念して、いつもの急行「東海」号で行きました。

たまに、熱海から当時最新鋭の特急「踊り子」号で。
斜めストライプが新しかった。

神田の交通博物館にもよく行きました。
必ず乗ったのが、オレンジ色の中央線です。

祖父が私をひざに乗せてお酒を飲みながら、
よく故郷の新潟県新発田(しばた)市の話をしてくれました。
上野駅から急行「佐渡」号や特急「とき」号に乗って、新潟駅まで。
途中にはループ線のトンネルもあるんだぞ、
国境の長いトンネルを抜けると、雪の積もった新潟県だぞ、
新潟に着く直前には、ふるつ駅(古津)と、にいつ駅(新津)を通るんだぞ、
と、得意になって説明してくれます。
新潟駅からは、祖父曰く「マッチ箱のような汽車」の白新線に乗って新発田まで行くと。
この話を聞くと、越後湯沢あたりの雪国が目に浮かんできます。

特急「とき」も、そんな話をしてくれている時には既に、上越新幹線「とき」になっていました。
現在、マッチの箱を見るたびに、白新線の話とダブり、雪国新潟を想います。

中学生ぐらいになると、思春期ということもあり、祖父母とは少々縁遠くなりました。
最後に祖父と出かけたのは、1991年にできたばかりの特急「あさぎり」号で。
沼津から新宿まで一緒に行って、都庁の展望台に登って、また帰ってくるというものでした。


タイムカプセルのような前面と大胆な2階建て車両。

そのすぐ後、癌で入院した祖父は、71歳で他界しました。

祖父は地元の小さな工場でこつこつ働いていて、頑固者だったと聞きます。
しかし、週末に孫が来ると、目を細めて迎えてくれたのがうれしかったです。
このようにして、列車に触れるうちに、
そしてお酒を飲む祖父のひざの上で、おこぼれの刺身やおつまみをもらっているうちに、
汽車好き、さらに成人した現在は酒好きになってしまいました。。。
あまり言い訳にはなりませんでしたが、
いつまでたっても根は、おじいちゃん子おばあちゃん子の男の子です。

メトロ10号線~凱旋門賞でオルフェーヴルとキズナを応援する

2013-10-07 | 日記
第92回凱旋門賞 (Le grand prix de l'Arc de Triomphe) が、
ロンシャン競馬場で行われました。
昨年に引き続き日本よりオルフェーヴルが出場、さらにキズナもやってきました。
オルフェーヴルは一番人気!


メトロの駅でポスターを見て、気分が高まります。
通常はまったく見かけない、
日本人男性だけの3人とか4人連れもメトロで多く見かけます。
熱心な競馬ファンと思われます。この時期の風物詩になりつつあります。


昼までの仕事を終え、10号線でポルト・ドトゥイユ駅 (Porte d'Auteuil) まで。
この路線、西側の末端付近で二股に別れ、さらに合流して終点にたどり着きます。



二股部分は、上下線で別々のルートを通ります。一方通行です。
パリでは10号線と7bis線が、この特別な運転形態を取ります。

最寄駅 Porte d'Auteuil駅に着きました。

日本語!?


ここには写っていませんが、無料シャトルバスにも日本人がいっぱい。


門の中も日本人だらけでした。


ヨーロッパの競馬場は、紳士、淑女の社交場。
今日は競馬ファンの日本人やオルフェーヴルとキズナを応援しに来た日本人もいっぱい。




本日の第5レース、凱旋門賞の出走です。


がんばれ!!

結果、オルフェーヴルは2位、キズナは4位。でも、健闘しました。
場内では、しきりに日本の馬たちに対する期待をアナウンスしてました。
アナウンスは日本語の通訳つき。
現地での日本馬2頭の人気がうかがい知れます。


表彰台は可動式なんですね。



帰りもシャトルバスで。RATPが運行しているようです。日本語表記は今年かららしいです。




Nuit Blanche 2013 「ニュイ・ブランシュ」~ オールナイトの祭典

2013-10-06 | 日記
パリ市長ベルトラン・ドラノエ氏 (Bertrand Delanoë) が提唱し、
今年で12回目を迎えるパリの Nuit Blanche。
「徹夜」(をする)もしくは「白夜」という意味を持ちます。
パリ中で、ライトアップ、芸術、コンサートなどのイベントが夜を徹して行われます。

ブログ主とその仲間は、やっパリ、メトロで行きます。
通常、パリのメトロは、終点に午前1時30分に着くように終電を走らせています。
(週末はもうちょっと遅め)
ただし、イベント時は、路線や営業する駅を限って終夜運転を行うこともあり、
今回のNuit Blancheに対しては、1号線と5号線が終夜運転となりました。

シャトレ駅 (Châtelet) に集合し、11号線でレピュブリック駅 (République) へ。
駅出口改札付近から怪しい霧が流れ込んできます。

地上に上がると...



前が見えない。


霧が止まり、幻想的なレピュブリック(共和国)広場の噴水が浮かび上がります。





歩いて、サン・マルタン運河 (Canal St-Martin) へ。
映画「アメリ」 ("Le Fabuleux Destin d'Amélie Poulain") で、
主人公アメリが石を投げて水切りをしたところです。





映画「北ホテル」 ("Hôtel du Nord") のレプリカ Hôtel du Nord が袂にあります。


既に夜中の1時を過ぎ、メトロが終わる時間ですが、
お約束どおり、5号線だけは動いていました。



Viaduc des arts (ヴィアデュック・デ・ザール)廃線跡のレンガアーチ

2013-10-02 | 日記
10月に入りましたが、パリはいい天気です。
午後、電話で「××くん、散歩しない?」と誘いがかかり、まったりしてきました。
行き先は特に決めず、パリ12区を東西に横断するViaduc des artsに沿って歩いていきました。
「芸術の高架橋」とでも訳を付けておきましょうか。


このレンガ造りの高架は、
パリのターミナル駅の一つであった旧バスチーユ駅(廃駅)からヴァンセンヌの森を通って、
ラ・ヴァレンヌ・サン・モール (La Varenne - Saint-Maur)方面を結んでいた鉄道の廃線跡です。
この廃線は、ドメニル通り (Avenue Daumesnil)にずっと沿っていきます。


この路線は、1969年にRER(現在のA線)に取って代わり、廃線となったものです。
廃線は、RER A線のヴァンセンヌ駅 (Vincennes) を出発したあたりで、現在線と合流します。

廃線後は一旦放置されましたが、その後に整備が行われ、現在は完了しました。
高架上は木や花が植えられ、散歩コースに。




高架下は、「芸術」の名のとおり、
無数にあるアーチの一つ一つが画廊だったり、楽器屋さんだったり、アンティークショップだったり。
カフェやレストランもあります。


道路をまたぐ鉄橋もそのまま残されています。


19世紀後半~20世紀前半の建築ということで、
山手線・京浜東北線の上野~東京~新橋あたりの高架部分をほうふつとさせますが、
周囲の雰囲気がまるで違います。
こちらは大通りに並行しているので、存在感があります。


起点の旧バスチーユ駅の跡地は、近代的なオペラ・バスチーユに生まれ変わりました。




バスチーユ広場から鉄道跡地のドメニル通り方面を望む。

上を歩いても下を歩いても楽しい高架、
日曜日のお散歩などにもってこいです。

国際空港鉄道アクセス~東京 vs. パリ(1. 東京編)

2013-09-26 | 日記
日本よりフランスに戻りました。
飛行機、乗るたびにワクワクです。
その飛行機の前後の鉄道アクセスを見てみましょう。

今日のログはまず、東京側。羽田の国際空港化がなされ、都心から便利になりましたが、
やはり国際空港の主力は成田です。ブログ主の搭乗する便も成田発なので、
今回は、JRの「成田エクスプレス」を利用しました。

料金は総武本線を走る別の特急や、ライバルの京成電鉄に比べて高めですが、
東京駅や新宿、池袋、品川といったターミナルからのアクセスもよく、
神奈川県の東海道線・横須賀線武蔵小杉・横浜・大船や、都下の中央線立川・八王子など、
近郊から直通できるのが魅力です。
さらには、渋滞に巻き込まれる心配もなし。鉄道ならではの定時性が確保されています。
2009年から順次、車両がE259系に一新され、快適性がアップしました。




今回は、鎌倉市の東海道線・横須賀線大船駅から出発です。


普通車。成田エクスプレスのテーマカラーに沿ったリクライニングシートが整然と並びます。
革張り座席のグリーン車もありますが、普通車でも十分快適。
座席背面には大型テーブルがあり、パソコンを置いたり弁当を食べるのにも。


天井には等間隔でLCD(液晶ディスプレイ)も設置。

停車駅や行き先の表示だけでなく、

現在位置と世界の天気、

さらには成田空港からの出発便の時刻や遅延、出発ターミナルなどのリアルタイム表示も。
車内放送や車内の旅客案内表示は、すべて日英中韓の4ヶ国語で。


座席の枕は上下して、頭にフィットさせることができます。


AC100Vのコンセントが全座席に。パソコンやスマホのバッテリも気にせずに。


空港アクセス特急にふさわしく、大型荷物置き場があります。


さらに、成田エクスプレスの特徴は、ロックができることです。
寝ていたり、目を離していても、盗難の心配がありません。


コードを巻きつけてから、任意の数字を入れてロックをすると、自動的に0000に戻ります。
開錠の時はロック時の数字を入れます。


忘れないように、メモも用意されています。
これも4ヶ国語表示。


東京駅を出ると、もう次は空港第2ビル駅(第2旅客ターミナル)、
そして終点の成田空港駅(第1旅客ターミナル)。




ホームからエレベーターやエスカレーターで上に上がると、
コンコース。改札の向こうはセキュリティーチェックで、身分証明書を見せて通ります。


大きな空港は出発・到着便も多く、いろいろな国の飛行機が見られます。
さまざまな国の人が行きかいます。
これから飛行機に乗るという高揚感もあいまって、いつ来てもワクワクします。

料金は高めですが、
JR東日本の予約サイト「えきねっと」で、
携帯電話やスマホからチケットレス特急券を申し込むと割引がありますし、
その他に、大幅割引のN'EX往復割引きっぷも発売されました
(ブログ主は海外側から往復するので使えませんが)。
大いに活用したいものです。

成田空港方面に向かう際の車窓の見所としては、
まず、地下の東京駅を出発して、地上に出たところ、
錦糸町駅~平井駅あたりの左手に東京スカイツリーが聳え立っています。

また、千葉駅を通過してから空港第2ビル駅までの間の約30分間は、
小高い岡を縫いながら、水田地帯を抜けていきます。
特に、海外から帰ってくると、瑞々しくうるおいのある、日本らしい風景に見えます。
出発前に目に焼き付けておくのもよいでしょう。

次回、パリ編に続く。

「みどりの山手線」ラッピング電車

2013-09-21 | 日記
以前、パリのメトロのラッピング電車を紹介しました。
「3号線のラッピング車両」
http://blog.goo.ne.jp/miromes9-13/e/7c5ec522bf981ed1795b33a8c8a3d157
「3号線のラッピング車両、再び遭遇」
http://blog.goo.ne.jp/miromes9-13/e/f45dc4947c1079a1ef2ef74b27e74119
今回のログでご紹介するのは、日本のケース。


ある日、研修後に友達と飲み、そのまま新宿に宿泊した日、
終電近くに、見たかった電車にようやく出会えました。

「みどりの山手線」



山手線のラインカラーがウグイス色になって、今年で50周年。
当時の103系電車を模して、側面全面にラインカラーがラッピングされています。

あまりにも突然だったので、ブレブレですみません。前頭部は通常のカラーです。


数日後、別の友人と寿司屋に寄り、またもや終電近く、
新宿のホテルに入ろうとしたら、また来ました。
今回は落ち着いて撮れました。




国鉄時代のフォントで書いてある車両番号が泣かせる。


湘南ライナーの誘惑~遠距離通勤してみる

2013-09-11 | 日記
日本に帰ってきた主目的である、あるフランス関係の職業研修に参加していました。
都内の黄色い帯の路線沿線にある施設で、
朝9時15分から始まり、夜は19時前後に終わる、
さらに毎日課題が山のように出るというものでしたが、
3週間、無事終えることができそうです。

ブログ主の実家は静岡県なので、東京に滞在するのが妥当なのですが、
突発的な家庭の事情より、毎朝実家から通うことになってしまいました。
かといって、新幹線に毎朝乗っていたら、完全に予算オーバー。
そこで、この期に発売されている「青春18きっぷ」で往復していました。
往復で通勤時間約5時間。
ただし、片道2210円のところ、往復で2300円で済みました。



朝は、三島駅まで自転車で行き、
一駅手前の沼津駅始発の東京駅行き直通列車に乗ります。余裕で座れます。
帰りは終わる時間によりますが、東京駅から東海道線に乗ります。
並びさえすれば着席できます。

座れるとはいえ、削った睡眠を補ったり、課題をこなさなければならなかったりで、
固いシート、混雑する車内ではちょっと、な時もあります。

そんなときは、途中の小田原駅からは、「湘南ライナー」に乗ります。
これ、フランスやヨーロッパではなかなか無いサービスをする列車です。

全国各地のJR線の大都市近郊に「~ライナー」と名のついた、
100円~500円の乗車整理券・ライナー券を購入することで、
特急車両への着席が保証される列車が運転されていますが、
「湘南ライナー」はそのさきがけとなった列車です。

つまり、パリ都市圏ではそこまで遠距離の通勤をする人もいなければ、
RERなどは遠方から乗れば、ほぼ着席できるため、
わざわざそこまでする必要がないわけです。

小田原発の品川・東京方面行き「湘南ライナー」は、平日朝に7本運転されています
(さらに渋谷・新宿方面行き「おはようライナー新宿」が3本)。
車両や経由地のバラエティーもさることながら、停車駅も便によって違います。


よく乗ったのは朝に6本あるうちの、「湘南ライナー10号」、
小田原発では最もすいている列車です。
品川が終点で、かつエスカレーターのない臨時ホームに到着のため、
人気がなく、発車直前でもライナー券が買えます。

今回のログで紹介する日は、1時間早く出発したため、
湘南ライナー6号に乗車です。
ただ、前日夜、小田原駅を通ったときにすでにライナー券が売り切れていたので、
この日はグリーン車(自由席・ライナー券不要)です。

小田原駅で、階段を昇り降りして乗り換えます。
寝不足の身にこたえます。

階段の端っこに何か書いてあります。


「あめ玉1個のカロリー」


「ビール(中ジョッキ)1杯のカロリー」←うー、耳が痛い
「カツ丼1杯のカロリー」などなど


「継続は力なり」
がんばって、前夜に飲んだお酒を消費しますよ。


列車に乗り込みます。小田原6:58出発時点ではまだガラガラです。


東京・新宿に8時台に着く3本のライナーには、
オール二階建て車両が重点的に投入されています。

この6号は、小田原を出発してすぐに東海道貨物線に転線します。

旅客線側を走る普通列車を次々と追い抜いていきます。

同じ湘南ライナーでも、列車によって貨物線に入るタイミングが違ったり、
貨物線に入らず、旅客線をひたすら進んでこまめに停車するものもあります。


御殿場線の分岐する国府津駅も、貨物線側にはホームがありません。

途中の停車駅は、貨物線上にホームのある茅ヶ崎と藤沢だけ、
そしてもう東京都の品川、新橋、終点東京です。
最速達列車のうちのひとつです。
停車駅が少ないので、
お客さんの動きも少なく、放送もほとんどかからず、シーンとしています。


茅ヶ崎で一気に乗客が乗り込んできます。


一部のライナー専用として、貨物線にホームが設けられました。
そのため、お客さんが乗り込んでしまうと、
もうホームには人がいなくなります。
あちらの旅客線ホームは、普通列車を待つお客さんで大混雑です。


だいぶ人が乗りました。大多数の人が睡眠を補おうと、寝ています。

藤沢も茅ヶ崎と同時に貨物線にライナー専用ホームが設けられました。
ここで満席となります。
それでも、列車の性格上、グループで乗る人は誰もいないので、とにかく静か。
ほとんどの人がカーテンを下ろします。
特に、南側(進行方向右側)は朝日が入ってくるので、完全に閉まります。
車内は薄暗くなります。
慣れていない人が見ると、一種異様な光景かもしれません。


東戸塚駅までは旅客線に平行して走っていきますが、
そこから先は、
通常の東海道本線旅客線を通る列車とは違う経路をたどっていきます。
長大な地下トンネルに入り、出ると横浜羽沢貨物駅、さらに地下トンネル。
鶴見駅付近で地上に出て、横須賀線に沿っていきます。
新鶴見機関区を過ぎたところで横須賀線に合流、
そのまま新幹線に平行しながら、横須賀線を東京駅まで走っていきます。
朝のライナーに乗らないと見られない、とても興味深い景色です。

ただ、外の景色を気にしている人はほとんどいない様子。
どこにも停車しないので、坦々と走っていき、とにかく静か。
ブログ主も慣れているので、このあたりはいつもウトウトし出します。

小田原、茅ヶ崎、藤沢と乗車のみでしたが、
品川で初めて降車が可能です。4割方降ります。

横須賀線の線路を行くため、通常の東海道線列車と違い、地下にもぐります。
新橋で少々降りたら、もう終点東京です。8:12、地下4階のホームに到着です。



500円払って快適空間を取るか、
その500円を別のものに使うか、悩ましいところです。
でも、ついライナーに乗ってしまう悲しい性。

よし、今日もがんばったから、帰りもライナーでビールだ!
いや、ビールはやめておこう。。。
勉強勉強。






(実家帰省中) 急行「富士山トレイン371」号

2013-08-04 | 日記
お久しぶりです。日本に一時帰国しています。
更新の頻度が落ちてしまっています…
(パリともメトロとも関係ないネタでスミマセン)

実家は富士山の近くを走るJR御殿場線の沿線にありますが、
ここに、富士山の世界遺産登録を記念してか、
7月末と8月頭の週末4日間、
臨時急行列車「富士山トレイン371」号が走っています(浜松~御殿場間)。
本日、この列車に乗ってきました。



「富士山トレイン371」号。
秋~春にかけて、晴れていれば、画面正面上あたりに富士山が見えるのですが・・・
夏の間は湿気が強く、あいにく見えにくいです。


この列車に使われていて、列車名にもなっている371系という電車ですが、
個人的に大変馴染み深い車両です。この思い出を、今回は語ってしまいます。
というわけで、この先長文注意!!

371系は、小田急新宿駅とJR沼津駅を結ぶ、
特急「あさぎり」号の専用車両として、
平成3(1991)年に1編成7両のみが新製された大変希少な電車です。
座席数や性能などの仕様を統一して同時新製された小田急20000形とともに、
小田急線~JR御殿場線の相互乗り入れを行っていました。
新宿と沼津が新ルートで結ばれるということで、
東京側からは西伊豆の新しい観光アクセスとして、
静岡県東部からは東京へのもうひとつの直通ルートとして、
歓迎されながら迎えられました。

 

当時、新都庁などができて、副都心としての地位の高まった新宿まで
一本で結ばれるということで、
静岡県東部の地元では運転開始前から大盛り上がりを見せていました。
市の広報誌に載った車両の完成予想図は、
今のようにコンピュータ・グラフィクスを使ったものではない、
非常におぼろげなものでしたが、それがかえって想像力を掻き立て、
「こんなものが本当に御殿場線に走るんだろうか」とわくわくしました。
運転を開始した3月16日(土)は、沿線ではそれぞれの市町が、
町をあげてのお祭りとなったのを覚えています
(停車駅では、朝から夜までと、夏祭り以上です)。
新幹線100系と同じ塗装で、2階建て車両があることから、
あまり詳しくない人は、「御殿場線に新幹線が走るようになった」
と言っていたものです。



2階建てが2両もついています。1階と2階をつなぐ大胆な連続窓が特徴的。
富士山トレイン371号、実家より。


運行開始時、私は中学から高校にあがる時期でした。
ありがたいことに、親が運行開始日1ヶ月前に、
プラチナチケットをゲットしてきてくれました。
当日、学校が午前中で終わってから荷物を家に置き、
屋台が並んで歩行者天国になった駅前通りを抜けて、
友人と一緒に午後の列車(あさぎり6号~7号)に乗って新宿を往復しました。
ゆったりとした座席に座り、大きな窓や2階建て車両から見る沿線の風景は、
従来までのローカル列車とはまったく違うものでした。

 
普通車客室。最前部と最後部からは、運転台を通じて展望が開けます。特急あさぎり号にて。


特急「あさぎり」で乗る機会はそれほど多くなかったものの、
1991年に亡くなる直前の祖父と乗ったり、
現在も存命の祖母と一緒に東京に行ったりしたときに使ったりして、
思い出深いものです。
高校と大学の初めごろは御殿場線で通学していましたので、毎日見かけましたし、
時間がないときは310円払って、「あさぎり」の自由席に乗ることも。
また、静岡市や愛知県在住だったときには、
「あさぎり」の間合いで、三島~浜松間で朝晩に使われていた「ホームライナー」
(普通乗車券プラス乗車整理券310円で乗れる快速)で、
東海道線上で乗っていました。
通学や出勤、家族の待つ家への帰省などで、
渡仏前の数年間はほぼ1週間に1~2回は利用していたことになります。



それから20年間以上走り続けた「あさぎり」の371系ですが、
バブルの崩壊、廉価な高速バスの台頭、
沼津や裾野からでは乗り換えを伴っても新幹線のが早く、
料金はあまり変わらないこと、
さらには小田急とJR東海の2社乗り入れによる営業や販売の煩雑さ
(全国販売である通常のJRの特急や急行と違い、
限られた地域でしか指定券を買うことができなかったので、
鉄道に詳しい人や旅行業の方であってもなじみがうすい)
などといった理由が考えられ、その結果か、利用客は減少を続けました。
ついに平成24(2012)年3月には運転区間を小田急新宿~御殿場に短縮、
車両もシンプルな小田急60000形に変更されてしまいました。


あさぎり引退直前のある日、関東地方に降った数年来の大雪で、
乗ってきた「あさぎり2号」は松田駅で運転打ち切りでした。
(この日の仕事は小田原でしたので、
予定通りそのまま小田急線小田原方面に乗り換え、
事なきを得ました)


「あさぎり」から引退し、371系は、数ヶ月ごとに、
思い出したように1日だけ臨時列車として走る以外は、
沼津の車庫(沼津運輸区)でひっそりと余生を送っていたようです。
私はフランスにいますが、思い入れのある車両だけあり、
沼津運輸区と371系を特集している方のブログで、
その観察日記を見ていました。

そんなときに、富士山の世界遺産登録が決まり、
さらに「富士山トレイン371」の運転が発表されました。
今回は単発ではなく、数日間の運転です。
日本帰省中、ちょうど運転日にあわせて名古屋で用事があることもあり、
フランスからJR西日本のe5489サービスを使い、
オンラインで早速グリーン車を予約してしまいました。



現在では普通電車しか往来しない実家前の線路ですが、
今日は以前と同様、371系が通過していきます。


本日8月4日、富士山トレイン371号、
始発駅の御殿場より4号車2階のグリーン車に乗り込みました。
2両の2階建て車両の2階に合計60席あるグリーン車は始発時点でほぼ満席。



富士山や御殿場観光をした団体のお客さんと、
鉄道ファンとおぼしき個人客がほぼ半分ずつ。
「あさぎり」末期の数年間に見ることのできなかった、
観光列車にふさわしいにぎやかな車内でした。



現在の「あさぎり」号、小田急60000形「MSE」と並びます。


方向幕は「臨時」


16時54分、御殿場駅を発車です。

時刻表の上では、御殿場線内の停車駅は岩波のみとなっていますが、
富士岡と裾野でお客さんの乗り降りができない「運転停車」を行い、
反対列車の待ち合わせを行いました。
特急時代とは違って、のろのろと進んでいきます。


沼津にて。

沼津で小休止の後、東海道本線を進んでいきます。
ここから先は、現役時代にグリーン車で乗ることはできなく、
今回の楽しみでした
(「ホームライナー」ではグリーン車に着席不可でした)。
清水と静岡では団体が降りていき、車内はひっそりとしてきます。
そこから先も、前後を走る普通列車のダイヤに挟まれているのか、
ゆっくりとした足取りで進んでいきます。
すっかり暗くなって、終点の浜松駅には、19時49分に到着です。
静岡県を東の端から西の端まで約3時間。
静岡県の東西の長さを改めて実感しつつ、
グリーン車で車窓を見ながら過ごす時間はあっという間に終わってしまいました。


グリーン車客室。特急あさぎり号にて。


今回の運転は富士山への観光列車としての試験的な運行なのでしょうか。
また、近頃、愛知県や岐阜県の東海道線や中央西線でも371系の試運転が行われたようです。
371系は予備車もなく毎日「あさぎり」「ホームライナー」で
一日1000km近く走る運用21年間続けてきました。車齢は今年で22年を超えました。
ハードな運用で痛みも見られますが、
末永くそのままの姿で今回のような観光列車として余生を過ごし、
私たちを楽しませてくれることを願います。