やっパリ、メトロで。

パリ在住だったブログ主が語る、パリ・フランス、日本の交通系散歩日記。鉄分やや多め。

【車両】RATP MP59系電車 メトロ11号線

2014-01-22 | Métro 車両
RATPのMP59系電車です。
1959年にRATPより発注され、1963年に運用を開始しました。
パリのメトロで最も古い車両になりました。



さて、足元をご覧ください。
世界でも例の少ない、ゴムタイヤです。
前後の駆動はゴムタイヤで、
左右の案内については内側についている鉄車輪+鉄のレールと、
ガイドレールに接する横向きのゴムタイヤで行われています。


台車アップ。外側に左右案内用のゴムタイヤ、内側に前後駆動用のゴムタイヤ、
さらにその真ん中が第三軌条の集電靴です。

急勾配区間に強く、加速もよく、走行音も静かということで、
1950年代当時、フランスの編み出した、画期的技術として知られていました。
また、構造上、脱線しにくいという特徴を持っています。
現在では、技術革新によって、鉄車輪を採用していても、
台車やモーター、制御装置などが高性能化、静音化され、
当初のメリットは薄れてしまいましたが、
今でもフランスの各都市のメトロで採用されています。

日本では、札幌市営地下鉄の3路線全線で、似たようなゴムタイヤ技術が採用されています
(細部は少々異なる)。

パリのメトロでは、1, 4, 6, 11号線がゴムタイヤ方式に改装されました。
また、1989年開業の14号線は当初より採用されています。

MP59系は、このうちの1, 4, 11号線に投入されましたが、
現在では前者2路線には新車が投入され、
押し出された状態のよい車両が11号線に集められて、4両編成で運用されています。

系列番号 MP の P は、pneumatique「タイヤ方式」の頭文字です。
(MF は fer「鉄」から。鉄車輪を採用している車両)


それでは、車両を見てみましょう。

ドアは半自動式。
取っ手を上に上げて、乗車します。





真ん中にスタンションポールが立ちます。


車内はドア間ボックスシートです。
リニューアルされていますが、それからも長年使われているので、
薄暗さはあります。




先頭車


中間車

JR全線完乗へ(2-5)~JR完乗、そして...

2014-01-21 | JR全線完乗記
JR全線完乗への道、いままでのまとめ
(0) プロローグ
http://blog.goo.ne.jp/miromes9-13/e/518e9e99cd0b4dd3d7fe12839962bd01
(1-1) 未乗区間 東北新幹線 新青森~八戸間
http://blog.goo.ne.jp/miromes9-13/e/13bb354de7834b9fdb165425b7e50a46
(1-2) 青森から鈍行で帰る
http://blog.goo.ne.jp/miromes9-13/e/11bf86f22fcafac0ebbf229e85016e20
(2-1) 今度は西へ。
http://blog.goo.ne.jp/miromes9-13/e/8183557102f3682880a4fc9308118392
(2-2) 鹿児島・宮崎の元日。
http://blog.goo.ne.jp/miromes9-13/e/076f1cec2767ab25647dcacd6b655163
(2-3) 未乗区間 日南線 田吉~南郷間
http://blog.goo.ne.jp/miromes9-13/e/076f1cec2767ab25647dcacd6b655163
(2-4) 未乗区間 日南線 南郷~志布志間
http://blog.goo.ne.jp/miromes9-13/e/5cfaafa309531b71d7fdbd35bdb5b264


JR全線を乗り終えたが、帰らなければならない。
志布志駅から折り返す。
乗ってきた列車にそのまま乗り込み、南郷駅まで向かう。

南郷駅では、先ほどの委託の係員さんが出迎えてくださる。
40分ほど待つと、特急「海幸山幸」の帰りの列車が入ってくる。



先ほどの失敗とは、刺身用のしょうゆをレジでもらわなかったことだ。
刺身にしょうゆをつけずを食べることになるとは、一大問題である。
委託の駅係員さんにあるかどうかを聞くと、
「あったかなー?」といいながら、宿直室から出してくださった。
キッコウマンやヤマサなどの慣れ親しんだものではなく、
やっぱり宮崎の甘口しょうゆ。最高だ。
プラカード作成にしろ、おしょうゆにしろ、いやな顔一つせずに対応してくださり、
本当にお世話になりました。




そして、刺身についてきたわさび、静岡県三島市。実家近所じゃないか。

「海幸山幸」の中で、刺身と焼酎、そして朝宮崎駅で買った駅弁「椎茸めし」で遅いお昼とする。
 
この駅弁、宮崎県の特産物であるしいたけをどうにかして駅弁にしようと、約60年前に作られた。
今となっては質素に見えるが、丁寧な作りからか、ロングセラーとなっている。
ご飯を炊く出汁は継ぎ足し継ぎ足しだそうで、それを知ると味わい深い。
煮てあるしいたけがジューシー。

客室乗務員さんにJR全線完乗を果たしたことを話すと、ねぎらってくださった。
さらに、飫肥駅に10分ほど停車しているときに車内放送をかけてくださる。
「本日御乗車のお客様が、JRの全部の路線を乗り終えられたということです。
もしよろしければ、皆さんで記念撮影を行えればと思いますので、ホームまでお越しください」乗客に告知された。
酔狂な私を見ようと、皆さんが集まってきてくれた。
 

私の指定席の近くには、私も含めて一人旅の男性が5人。
今回の私の旅の話で盛り上がるが、
その中に、静岡県の近所の方がいらっしゃった。
住所を聞くと、私の実家と500mと離れていないと思われる。
遠く宮崎の地で地元の話。
車、しかも下道で宮崎までやってきて、今日は海幸山幸に乗っているという。
鈍行で来る私も私だが、車で高速を使わずにほぼ同じ距離を来るとは、脱帽である。
そのうちの再会を約束した。

客室乗務員さんが箱を持ってやってきて、車内でくじ引きになる。赤いボールを引いたら当たり。

当たった。何から何まで縁起がいい。
景品は、九州の特急列車のグリーン車で配られていると思われる飴だった。

近くの皆さんとおすそ分けして、楽しむ。

終点一駅手前の南宮崎駅、後ろ髪を惹かれる思いで「海幸山幸」を降りる。
もう一駅乗りたいが、次の列車の都合がある。

3分の乗り継ぎで、日豊本線都城ゆきの、例の革張り座席の普通電車に乗る。

都城で乗り継ぎ、小休止して、鹿児島中央駅に。

~~~

翌日、鹿児島の仕事を終えて、深夜バスの時間まで晩御飯とした。
鹿児島名物を出してくれる店で、焼酎と。
    
黒豚の角煮、さつま揚、鶏肉の刺身、きびなごのから揚げ

隣に、宮崎から一人旅に来たという看護士の女性がやってきて、
宮崎話に華が咲く。妙齢の女性といっしょに黒豚のしゃぶしゃぶをし、
仲良く話し、もっとゆっくりしたかったが、
1時間ほどでバスの時間となってしまった。

ここからは行きと同じルートを取る。
まずは「鹿児島ドリーム広島号」で広島へ。
今晩は中国JRバスの担当で、白と青のバスだ。ぐっすり眠る。


朝、少し時間があったので、宮島まで渡る。
JR西日本フェリーの宮島航路。
現存する唯一の鉄道連絡船にして、青春18きっぷで乗船できる。
 
 
宮崎神宮も詣でたので、二股はいけない。
神様に嫉妬されないように(笑)今日は厳島神社には参拝せず、
島に渡ったということで終わりにする。

広島に戻り、行きと同じ「瀬戸内マリンビュー」に乗る。ただし自由席。
そして三原からはずっと鈍行で静岡県の沼津駅まで。
日が変わってすぐ、沼津に到達する。
宮島~広島~沼津、わずか2300円。

過去に国鉄~JR全線を成し遂げた人は数多いるだろう。その中でも、
宮脇俊三氏(新潮社元編集長)や、種村直樹氏(元朝日新聞記者)、
関口智弘氏(俳優、ミュージシャン。NHKの企画でJR全線完乗)などがつとに有名で、
著書やテレビ番組の企画などで知られている。
これらの方々に比べると、私の旅行記はたいしたこともないが、
このようにブログでアウトプットして見ていただくことができるというのは、
いい時代になったものだと思う。

これで、JR全線を乗り終えた。
乗るだけの旅はこれでおしまい。
それでも、これからも新しい路線が出来ていく。
もし日本に戻ることができるなら、来年の北陸新幹線、
再来年の北海道新幹線の開業も楽しみだ。
そして、将来はリニア中央新幹線や北海道新幹線の札幌延伸、九州新幹線長崎ルート。
まだ乗りたい。まだ乗っていたい。

~完~

JR全線完乗へ(2-4)~未乗区間 日南線 南郷~志布志間

2014-01-20 | JR全線完乗記
JR全線完乗への道、いままでのまとめ
(0) プロローグ
http://blog.goo.ne.jp/miromes9-13/e/518e9e99cd0b4dd3d7fe12839962bd01
(1-1) 未乗区間 東北新幹線 新青森~八戸間
http://blog.goo.ne.jp/miromes9-13/e/13bb354de7834b9fdb165425b7e50a46
(1-2) 青森から鈍行で帰る
http://blog.goo.ne.jp/miromes9-13/e/11bf86f22fcafac0ebbf229e85016e20
(2-1) 今度は西へ。
http://blog.goo.ne.jp/miromes9-13/e/8183557102f3682880a4fc9308118392
(2-2) 鹿児島・宮崎の元日。
http://blog.goo.ne.jp/miromes9-13/e/076f1cec2767ab25647dcacd6b655163
(2-3) 未乗区間 日南線 田吉~南郷間
http://blog.goo.ne.jp/miromes9-13/e/076f1cec2767ab25647dcacd6b655163


今回は日南線の残り区間、南郷~志布志間の記録。
JR全線完乗の記念すべき最後の列車だ。

ところで、国鉄全線完乗を果たした宮脇俊三氏の最後は、
足尾線(現わたらせ渓谷鐵道)の足尾~間藤の一区間だった。
本当はオホーツクの流氷を見る路線のような情趣のあるところで終えたかったが、
よりによって関東の、しかも公害の原点である足尾で乗り終えることになってしまったとの旨を、
著書『時刻表2万キロ』で彼は述べている。
これを読んでいたのか、それとも無意識にか、
私は最後を大好きな北海道か九州でと決めていた。
穏やかな冬晴れの日南線が最後になり、満足である。

キハ40形1両の列車が入ってくる。

なんてことのない普通列車用のディーゼルカーだが、
この車両が私の記念すべき最後の車両になる。

南郷からは、進路を西に取り、山中をゆく。

沿線の中心駅、串間駅。


宮崎県串間市の福島高松駅。

行ったことはないが、東南アジアのどこかの国にある穏やかな駅のように見える。
駅名も、遠く離れた県庁所在地を二つくっつけた、滑稽なものである。
次の大隅夏井駅は県境を越えて、鹿児島県志布志市となる。


大隅夏井を出ると、次は終点、志布志駅。

再び海が見えてきて、海岸段丘上を行く。一段高いところから、海を望む。
港町だけに、水産加工業の工場か倉庫が遠くに見える。
「フェリーさんふらわあ」もここから大阪に向けて出航する。

普段はしない行動だが、今回ばかりは運転室の後ろに行ってかぶりつく。
行き止まりの終着駅である志布志駅にゆっくりと進入する。


到達した。




志布志、志の文字で挟まれている、いい駅名である。
約20年にわたる志を果たすのにふさわしい。


志布志駅は、昭和50年代には、日南線の他、垂水・国分方面の大隅線、
都城方面の志布志線と、3本の路線が交わるターミナルだったが、
後者2路線が国鉄最末期に相次いで廃止されたため、
現在では駅自体も移転して、静かな終着駅となっている。

折り返しまで40分強。ちょっと見てみたいものがあったので、
行ってきた。

志布志市志布志町志布志の志布志市役所志布志支所。なんだか目が回ってくる。
この写真を撮ってもらうのに、近所で洋品店を営む男性にお願いした。
テレビ「タモリ倶楽部」で紹介されてから、訪れる人が多いという。
この前も女性二人連れに撮ってほしいと頼まれたと、ニコニコしながら話す。

駅前にあるショッピングセンターで、鹿児島県垂水産のかんぱちの刺身、
焼酎「霧島」のお猪口つきペットボトル、そして、志布志産のさつま揚を買う。
ここで、ある失敗をした。

次回に続く。

JR全線完乗へ(2-3)~未乗区間 日南線 田吉~南郷間

2014-01-19 | JR全線完乗記
前回はこちら
http://blog.goo.ne.jp/miromes9-13/e/076f1cec2767ab25647dcacd6b655163

2014年1月2日7時半ごろ、宮崎市内のホテルで目覚める。
昨夜は2時半まで歓談し、3時に就寝だった。
列車は10時なので、もうちょっと寝ようかどうか迷ったが、
折角の宮崎を散歩できるなら、と起きてしまった。
本日、雲ひとつない快晴。

宮崎駅より日豊本線で北に一駅、宮崎神宮駅。

住宅地の中のこじんまりとした駅だが、鳥居がワンポイント。

宮崎神宮を参拝する。

新年の神社、華やかさと厳かさが同居していて楽しい。

外国に住んでいても、年末年始ばかりは日本に居られればと思う。

普段はまったく信心深くないが、今回ばかりは、
今日のJR全線完乗の無事と、今後の生活の無事を祈ってくる。
一年の計となるおみくじは大吉を引いた!幸先がいい。


9時半ごろ、再び宮崎駅。駅前のバス、随分低姿勢。



未乗区間 日南線 田吉~志布志間

ここから、JR全線完乗に向けて、
最後の未乗線区である日南線に踏み入れる列車に乗る。

日南線は、日豊本線宮崎駅から大淀川を渡って一駅の南宮崎駅を始点とし、
そこから鹿児島県東部の志布志駅までを結ぶ88.9kmの路線である。
列車はほとんどが宮崎駅まで乗り入れている。
南宮崎駅の次の田吉駅を出ると、宮崎空港線が分岐している。

未乗となっているのが、この分岐点から志布志までの間。
静岡からは遠い宮崎にあり、さらに片道80kmを越す盲腸線(行き止まり線)のため、
訪問がままならなかった。
2005年の9月に、一度乗ろうと試みたが、
旅行開始直前に台風の影響により不通となり、
その時は叶わなかった。
その後も、何度か機会はあったものの、
2000年代後半に、観光特急列車が走り出すという声がちらほら聞こえてきて、
これの開業を待って乗ることとしているうちに、訪問が長引いてしまった。

これから乗る観光特急「海幸山幸」は、2009年に日南線で営業を開始した2両編成、
JR九州お得意、水戸岡鋭治氏デザインの車両である。

車両は、廃線になった高千穂鉄道のトロッコ車両をJR九州が購入、
大改造を施したキハ125形400番台。
地元の飫肥杉を初めとした木材(難燃加工済)を、車内外にふんだんに使用していて、
木のおもちゃのような列車を目指したそうだ。


10:10に宮崎駅を出発。

大淀川を渡って、南宮崎駅。
ここから日南線の線路に入っていく。

宮崎空港線が分岐する田吉駅。ここからが未乗区間となる。

自然と奥歯をかみ締めている。

宮崎県南部の日南海岸に沿う。
昔は新婚旅行のメッカと言われていたが、海外旅行に押されて衰退。
それでも観光に力を入れるようになり、
今ではその頃の思い出を再び、と熟年夫婦の訪問が多いとか。
ビロウ樹の立ち並ぶ海岸沿いに出る。
読売巨人軍のキャンプも毎年こちらで行われる。
オフシーズンの気候のよさも人気の高さのうちのひとつだろう。

海の見える区間は意外に少ないが、山中を通ったり、また海に出たりと、
車窓は変化に富んでいて、飽きない。


それと同じぐらい、車内も楽しい。
グリーン車並に横幅の広い、横3列の座席が並ぶ。

壁は飫肥杉の板が張られていて、まさに木のおもちゃの中にいるよう。







車端にはフリースペースのソファーも設置。


途中の飫肥(おび)駅では、列車の行き違いと、リフレッシュを兼ねてか、10分あまり停車する。

古い町並みが残るという。

2名の客室乗務員が乗務していて、観光案内や車内販売、記念撮影、
さらには紙芝居も行ってくれる。
列車名ともなっている「海幸彦山幸彦伝説」のものがたり。
木のおもちゃの列車の中で、小さな子どもたちも、大きな子どもたちも大喜び。





この列車の終点、宮崎県日南市南郷町にある南郷駅に到着。
あっという間の2時間だった。

ここで50分、次の列車を待つ。

以前、JR全部に乗ったという証明できるものはあるんですか、と聞かれたことがある。
あくまで個人の趣味の域を出ない行為なので、そこまでの必要もなかろう。
本人が満足ならそれでいいはずだ。
もとよりJRに全部乗ってみようとは考えていなかったし、志したときからも、
あまりグッズを蒐集する癖もない。
だが、今回だけは、何か記念になるものを残しておこうと思う。

南郷駅は簡易委託されており、地元の方が改札や乗車券の販売などを行っている。
窓口にいる女性に、模造紙大の紙とマジックを借りる。
即席で出来は悪いが、記念撮影用にプラカードを作ってみた。

駅を管理している方と前祝の記念撮影


また、この写真の撮影を見ていた男性が声をかけてくれる。
彼も国鉄~JR全線を既に成し遂げているという、
いわゆる先輩だった。
まだ北海道や筑豊に運炭線が多数残っている頃に行っていたとのことで、
完乗への苦労は多かっただろう。

さて、とうとう最後となる列車に乗る。

次回に続く

JR全線完乗へ(2-2)~鹿児島・宮崎の元日。

2014-01-17 | JR全線完乗記
前回はこちら
http://blog.goo.ne.jp/miromes9-13/e/8183557102f3682880a4fc9308118392

大晦日23時に広島駅を出た深夜バス「鹿児島ドリーム広島号」で目が覚めた。
九州自動車道上の「鹿児島空港南」バス停で停車した。
雨こそ降っていないが、空が厚い雲に覆われている。
一路鹿児島市内を目指す。

鹿児島中央駅で私を除く4人が下車し、
私は終点の天文館バス停まで乗る。

天文館通り。鹿児島一の繁華街である。


仕事は鹿児島中央駅で待ち合わせとなっている。
市電に乗ってもいいが、天文館から20分ほど歩けば駅である。
朝の散歩だ。

駅近くの高見橋まで来たとき、雲の切れ間から朝日が顔を見せた。

平成26年の初日の出を拝めた。

~~~

今日の仕事を済ませた。
仕事の中に、指宿の砂蒸し風呂への案内というものがあった。
私も入れさせてもらえることになった。砂に埋めてもらっていたら、
砂の重みと蒸し風呂感でどんどん汗が出てくる。
 
JR日本最南端の駅である、指宿枕崎線 西大山駅にも立ち寄る。

背景には、開聞岳、別名「薩摩富士」が。裾野のない山容がおもしろい。
今回の日本滞在で、蝦夷富士、薩摩富士、本物の富士と、3つの富士を見た。
仕事ではあるけれども、元日よりいい体験をさせてもらった。

翌日1月2日は仕事の中休みとなっている。
そこで、1日のうちに宮崎に移動し、2日にJR全線完乗を決行することとした。

鹿児島中央駅18:46発の日豊本線延岡行き普通電車に乗る。
817系電車2両のワンマン運転である。

JR九州の列車はデザインが秀逸なものが多いが、
普通列車用の車両も手抜かりがない。
車内は、木材と本皮を使った転換クロスシートが並ぶ。


つり革はドアホールで円になって配置されている。


窓はドア間1枚のもので、開放感にあふれる。


こんな電車で通勤、通学できるのが羨ましい。

外は暗くなってしまっていて、しかも国分を出ると都城あたりまで町の明かりがない。
列車も元日そうそうではがら空きだ。

山中の駅で列車の行き違いのために数分停車する。静かになると、
白く明るい車内は逆に寂しさを感じる。

宮崎市内の明かりが見えてきて、ようやく一息つけた。
大淀川を渡り、21:31に宮崎駅に到着。

ホテルに荷物を置き、中心街に繰り出す。

バスの中でもらった無料情報誌から、宮崎名物を食べさせてくれる店を探したが、
元日であり、あいにく大方が閉まっていた。

そんな中で開いていた、橘通西の「安兵衛」
http://yasubei.lcs-izakaya.com/tenpo/index.html


宮崎市内に何店舗か持つというこの店で、
宮崎名物のセットを出してもらった。チキン南蛮、ジューシーでたまらない。

しょうゆが宮崎、鹿児島で使われているとろりとした甘口で、
関東方面から来ると独特な風味に感じる。

このしょうゆで食べる刺身もおいしい。
普段、焼酎はあまり嗜まないが、今回、九州だから飲んでみる。
いつかは勉強してみようと思っていたのだが・・・

居酒屋を辞し、日が変わる直前にホテルに向かって歩き出す。
すると、大通りに出る前に一軒のバーに目が行った。
たたずまいはまるでショットバーだが、
焼酎の瓶が所狭しと並んでいる。
引き寄せられて入ってしまった。

焼酎バー「一休」
http://www.bar-ikkyuu.com/
これが大正解。

カウンターで、まずマスターと仲良くなる。
マスターはワインのソムリエ資格取得、
さらにホテルなどでバーテンダーをしていたが、
自分の店をもつ段で、焼酎に焦点を当ててみようと思ったそうだ。

そして横にいる20代と思しき男性二人と、話が弾む。
旧友同士のようで、お一方は現在福岡在住の大学院生。
ここで仕事が決まり、茨城県のつくばに引っ越すそうだ。
もうお一方は現在東京で大学院生。社会芸術論を専攻しているとのこと。
今回の旅の目的を話すと、3人とも驚く。
また、フランスからやってきたことを話すと、さらに驚嘆する。
マスターのソムリエの話、お二人の故郷の話、
フランスの文化政策の話など、大いに盛り上がる。
焼酎もさまざまなものを試すことが出来、わずかではあるが、勉強になった。


マスター、お客さん交えてみんなで!


人によく出会う、楽しい元旦の一日だった。
ホテルには午前2時半ごろ到着。
シャワーを浴び、明日の支度をし、丑三つ時に眠りに着いた。

次回に続く

JR全線完乗へ(2-1)~今度は西へ。

2014-01-16 | JR全線完乗記
前回はこちら
http://blog.goo.ne.jp/miromes9-13/e/11bf86f22fcafac0ebbf229e85016e20

いよいよJR全線完乗まで1路線となった。
15年以上前、大学生の終わりぐらいに、既に1路線となっていたが、
そのうち新しい路線ができてきたため、最盛期には未乗線区4路線というときもあった。

さて、今度は西へ向かう。
ずっと手をつけてこなかった例の路線の走破のためというのも勿論だが、
さらに知り合いから依頼された通訳の仕事に出向くいう大義名分もある。
実はこれもあって日本に戻ってきているのだ。
新年早々、1月1日と3日に行うことになっている。
未乗線区と同方向というのも、大変都合がよい。

仕事で向かうものの、移動するのは私一人、
したがって交通費はケチらせていただく。
利用するのは、いつもの旅の友「青春18きっぷ」である。

JR全線の普通・快速と鉄道連絡線に乗車でき、
1回当たり、午前0時から、翌午前0時過ぎ、最初に停車した駅まで有効。
5回セットで発売。
一人で5日分もしくは5人で1日、2人で1日と3人で1日といったように、
組み合わせも可能。
急行、特急、新幹線は特急券などの他、普通乗車券も必要になる。


夜行列車が衰退してしまったので、途中は深夜バスでつなごう。

旅立ち

北海道から、それとも青森からか、とにかく北から帰りついたその日、
昼間は実家で家族と過し、晩御飯まで済ませる。
そして、12月31日0時過ぎに家を出る。


午前1時、東海道本線沼津駅。1:08の臨時快速「ムーンライトながら」に乗る。
指定券がずっと取れなかったが、昨日午前中に2席のキャンセルがあり、
そのうちの1席をすかさず入手した。
 




「ながら」は数年前より臨時化され、主に学校の夏・冬・春の休み期間中に運転される。
今冬より、車両が変更になった。(前回まではこちらの特急型189系)
いつも「湘南ライナー」で東京から小田原の間でお世話になっている185系が抜擢された。


特急列車にも普通列車にも使えるように、ということで製作された185系。
そんなわけで、窓も開くようになっている。
その中途半端さを嫌う向きもあるが、
快速や「ライナー」で乗ったときは、特急型ということで、
得した気分になる。

沼津から乗り込み、指定された自席に。
検札を受けた後、そのまま深い眠りに落ちたようで、気づいたら名古屋に停車していた。
自席の隣人は結局来なかったようである。これがもう一席のキャンセルだったか。

木曽川、揖斐川と渡り、木曽三川のもうひとつ、
この列車の名にもなっている長良川を渡る手前で、
降り支度をしてデッキに行く。程なく終点、大垣に到着した。

500人ぐらいはいると思われる下車客の大半が階段に向かって一斉に駆け出す。
朝6時前にして、傍から見れば壮観な眺めであろうが、私も走っている一人だ。
「大垣ダッシュ」とその筋では呼ばれているようだ。
陸橋を渡って、隣のホームに停車している電車に乗る。
通路側だが、何とか席を確保できた。

この後、次の列車を乗り継いだ。

- 大垣→米原 普通列車

- 米原→相生 新快速

- 相生→岡山 普通列車

姫路駅駅弁 あなごめし
 

- 岡山→糸崎 普通列車

- 糸崎→三原 普通列車

5本の列車を乗り継いで、岐阜県から広島県の三原までやってきた。
鈍行で東京から北に向かう場合、東北地方でロングシートが多く、
旅情も何もなくなり、いきおい苦行となる。
しかし西に向かう場合、静岡県内のロングシートさえ我慢すれば、
その先は2人で前向きに座れる転換クロスシートの車両が多く、快適だ。
景色を見るのにもよし、お弁当も気兼ねなく食べられる。
足も伸ばせるし、背もたれにもたれかかって寝るのもよし。
というわけで、今回も鈍行乗り継ぎにして疲れ知らずである。

三原→(呉線)→広島 快速「瀬戸内マリンビュー1号」

観光列車「瀬戸内マリンビュー」に乗る。

2両編成で、指定席車はゆったりしたソファーが設えられている。
それに対し、自由席車の中身は普通の車両。510円で、げに恐ろしき格差。
もちろん指定券、取ってありますよ。この列車に合わせてここまでの行程を組んである。

三原駅で買った駅弁。改札の外になく、新幹線の改札の中にまで入れさせてもらったところに売店が。
たこ飯あたりがあるかと思ったが、今は売れ残った2種類のみ。
これを手にしたところ、しきりに売店の女性が、「あなご飯がなくて、本当にすみません」と謝る。
山陽地方の駅弁は、あなごが多い。
この弁当にもあなごが入っているし、いろいろなものが食べられるから、こちらでよかったかもしれない。
 
いろどりがよい。おいしくいただきました。

呉線を行く。山側の山陽本線よりも大回りになるが、海沿いの景色はピカ一である。

こんな景色がひたすら続く。しかも快晴。大晦日の旅、言うことはない。


かつての軍港、呉市の中心駅、呉駅。
戦前は人口100万人を超す、日本でも有数の都市だったが、
戦後は見る影もなくなってしまったという。それでも造船業はやはり盛ん。

16時10分、広島駅に到着。


大みそか、広島の夜


市内をぐるっとめぐる「めいぷるーぷ」に乗る。400円の乗り放題切符で乗り降り自由。
広島中心地の大まかな土地勘はあるし、特にあてがあるわけでもないが、
今回は遠巻きにしか眺めたことしかない原爆ドームのバス停で降りて、
ドームを近くから見てみることにした。
(このちっこいバスに乗ってみたかったというのもある)

原爆ドームの東隣に、西蓮寺というお寺がある。



ここに祭られている被爆地蔵尊。当時、原子爆弾がほぼ真上で炸裂している。

熱線が当たらなかった、お地蔵様の足元部分は磨き石のつるつる感が残っているが、
それ以外は融けてざらざらになっている。それでも台座の上に留まったそうだ。

2014年も平和でありますように。

夜は「ひろしまお好み物語 駅前ひろば」内にある屋台「焼くんじゃ」で焼く。
http://www.ekimae-hiroba.jp/store_yakunja.html


お好み焼きでは足りず、どんどん焼く(焼いてもらう)。ビールが進む。
テレビで、ダウンタウンの「笑ってはいけない」をやっていて、年の瀬を感じる。
日本にいるんだな、と思う。
カウンターを囲んで、店員さんやお客さんと仲良くなり、
「静岡から18きっぷで来て、これから鹿児島行きの夜行バスにのって、明日の仕事に向かう」
ということを告げると、
「静岡から鈍行!」「年越が夜行バス!」「元日に仕事か!」「バスで鹿児島まで行くんですか!?」
と、各人がそれぞれの部分に驚く。お店一体で盛り上がり、2013年はクライマックスを迎えた。


23時ちょうど広島駅新幹線口発の深夜バス「鹿児島ドリーム広島号」に乗る。
鹿児島ドリーム広島号は、2012年に突然設定された路線である。
多客期のみの運行で、JR九州バスと中国JRバスの隔日共同運行になっている。
乗ってみたい路線だったが、お盆や年末といったピーク時しか動かないというのがネックだった。

今晩は、JR九州バスの担当である。
JR九州バスの担当便は、当社にたった1台しかない、
真っ赤な2階建てバス(三菱エアロキング)。
数年前、他社に売却されてしまうという話があったが、直前で回避、
その後この路線の専用車に抜擢された。
今晩、願いかなって乗ることが出来る。



運転手さんが入口で改札する。
早割の安い席を取ってあったので、
座席位置は階段すぐ後ろの通路側と、あまり快適な部分ではない。
とりあえず指定された席に座っていたところ、
運転手さんがいらっしゃって、
「次の広島バスセンターを出たら、お好きな席に移ってもらってかまいません」とおっしゃる。
出発。10分後、バスセンターで客を迎えるも、結局誰も乗ってこなかった。
そんなわけで、年越しの赤い2階建てバスは、たった5人の乗客を乗せて鹿児島に向かう。

宮島サービスエリアでトイレ休憩。
出発すると、消灯される。まもなく年越し。
「あけましておめでとうございます」
日付が変わったのを確認して、シートをいっぱいに倒して眠りに就いた。

zzz

次回へ続く。

JR全線完乗へ(1-2)~青森から鈍行で帰る

2014-01-15 | JR全線完乗記
前回はこちら
http://blog.goo.ne.jp/miromes9-13/e/13bb354de7834b9fdb165425b7e50a46

東北新幹線未乗区間の乗車を果たし、
JR完全乗車まであと1路線に再び追い詰めた。
2013年12月29日、まだ朝7時にして、既に充実感がある。

さて、ここ八戸からは、本当に帰らなければならない。
再度「北海道&東日本パス」の出番である。
番外編として、鈍行で帰った記録を簡単に記しておこう。

車内でしていたことといえば、明るいうちは食べているか、車窓を眺めているか、
暗くなったら、本や論文を読んでいるか、寝ているかのどれかであった。

八戸→盛岡 青い森鉄道・IGRいわて銀河鉄道直通 普通列車

今日も残念ながらロングシート。でも盛岡近くまでがらがらだったので、足を伸ばさせていただいた。

盛岡→一ノ関 快速「ジパング2号」
夏に乗れなかったけど、今回は無事運行だった。
  
八戸駅弁「魅せる海鮮 潮騒の彩り」だそうだ。

東北は生の海鮮ものの駅弁が多い。



一ノ関→小牛田 ワンマン普通列車
今回出番の少ないロングシート701系


小牛田→仙台 普通列車
 
雪晴れの松島湾。

仙台で次の列車は50分後だが、もう入線していた。
荷物を置いて、外に出る。
仙台駅。名掛丁商店街は仙台七夕で有名。
 

仙台→福島→黒磯 普通列車

時刻表上は福島で違う列車になるが、同じ車両が直通する。
719系、前向きの座席もあり、大変快適だ。


伊達の牛タン弁当。売店のおばちゃん一押しで、まだ温かかった。
 

雪の福島盆地


福島で40分待ち。同じ電車なので気が楽である。
 

東北本線の関所、黒磯に到着。



黒磯→宇都宮 普通列車
京葉線からのお下がりの通勤型205系。2013年8月から走り始めた。




宇都宮→小金井 快速ラビット
ここから、三島まで750円(51km以上、ホリデー料金)を払って、普通列車グリーン券を買った。
これだけの出費で、残り約5時間が快適に。

快速だが、乗車区間は各駅に停車する。


小金井→大船 湘南新宿ライン 普通列車
当駅始発の湘南新宿ラインに乗り換え、都心を縦断する。
宇都宮で買った餃子と、仙台で買ったさば寿司で晩御飯。
 
2階建てグリーン車の車端部はわずかに8人もしくは12人の小部屋だが、あまり人気がない。

しかも師走の押し迫った日曜日、東京方面に向かう電車。
他に誰もいないから、餃子してもいいよね。
結局、新宿や渋谷といった大ターミナルでも誰も乗って来ず、大船まで貸切だった。

大船→三島 普通列車
眠さの極致に。でもなぜか三島駅到着前に目が覚めた。
待てよ、岩手県の一ノ関から静岡県の三島まで、121駅、
路線上の一つの駅も通過していないぞ。

三島駅に12月30日0時32分到着。
「北海道&東日本パス」の使えないJR東海のエリアに入ったので、
熱海~三島の320円を精算して改札を出る。

自宅最寄の御殿場線はもう電車がないので、
30分弱歩いて、実家に到着、風呂、就寝。
翌朝は、まだ時差ボケなのか、妙に早く目が覚めた。

次回に続く。

JR全線完乗へ(1-1)~未乗区間 東北新幹線 新青森~八戸間

2014-01-15 | JR全線完乗記
・前回はこちら
http://blog.goo.ne.jp/miromes9-13/e/518e9e99cd0b4dd3d7fe12839962bd01
・往路のカシオペア、前回はこちら
http://blog.goo.ne.jp/miromes9-13/e/6c4f2411422a21f4cf8d0effc7a35bf5

行きは用事がないのにカシオペアで北海道まで来た。
内田百けん*流に言えば、行く時は用事はないけれども、
必ず帰らなければならないので、帰りの片道は冗談の旅行ではなくなってしまう。
そこで、彼は、用事のない行きは1等車で大阪へ。
だが、用事としての帰りは3等車にしていた(当時は3等級制)。
百けんと同じように、片腹痛いものの、帰りは倹約で行く。
幸い、帰国時の成田空港から使い始めて、まだ有効期限内の「北海道&東日本パス」がある。
札幌から急行と鈍行乗り継ぎで26時間程度で三島に達することが出来、お得だ。
沿線のおいしいものを食べていこう。

*(「もんがまえ」の中に「月」)

それに、今回は帰るだけではない。帰りの途中に大事な目的がある。

カシオペアを降り、友人と別れてから雪の道北を目指した。
もちろん「北海道&東日本パス」を使うので、懐から足代は出て行かない。

札幌は大雪。


途中の旭川は快晴だった。「梅光軒」のラーメンがうまかった。
 
三浦綾子による小説の舞台ともなった塩狩峠を越え、
道北の美深を往復する。

そしてもうその夜、札幌に戻ってきて、
桑園駅前のスーパー銭湯で一風呂浴びた後、
急行「はまなす」に乗る。
我ながらあわただしい。
北海道は今回の目的地ではないのだ、と自分自身に言い訳をしておこう。


帰省ラッシュで満席のはずだったが、
夕方に窓口で聞いたところ、寝台券のキャンセルが出てきた。
早速押さえた。明日早朝の大イベントを前にしているので、しっかり寝ておきたい。

稚内方面からの到着列車の遅れを受けて、10分遅れの22:10に出発。


 
晩御飯。札幌駅の「石狩鮭めし」という名の駅弁は有名だが、
平成25年のレシピ(左半分)と、昭和40年代のそれ(右半分)との食べ比べだそうだ。
昔の方が質素だったか。鮭フレークが家庭の食卓にのぼる前からのものだから、
御馳走だったのだろう。


寝台車にある表示、"NO SMOKING IN BED" を見ると、冒頭の内田百けんを思い出す。
"in the bed" と定冠詞がはいっていないのはなぜか、
"in bed" で一つの言い回しなのだろう、という疑問が著書『阿房列車』で述べられていた。
生きた時代は違うが、彼は独逸語教師、私は仏蘭西語。気づきの感性は似ているか。

zzz

2013年12月29日5時20分ごろ。「おはよう放送」が入り、
あと20分ほどで青森に到着するのでそろそろ支度をすること、
現在5分遅れであることが告げられた。


乗り継ぐ特急「つがる2号」は、発車を待っていた。
青森駅を3分遅れで発車する。
3分ほどで、新青森駅に到着する。
(この一駅間だけは、例外的に特急券なしで特急に乗れることになっている)

未乗区間 東北新幹線 新青森~八戸間

東北新幹線は、1982年の大宮~盛岡間の暫定開業を皮切りに、
南は上野 (1985年)、東京 (1990年)と延び、
北は2002年に八戸まで達した。
八戸以北、新青森までは、2010年12月に開業する。
2011年3月の東日本大震災で打撃をうけるも、4月末には全線開業した経緯を持つ。
この新規開業区間が未乗であった。

早朝の新青森駅に立つ。
6時を過ぎた頃に「はやぶさ4号」が入線してくる。


新青森6:14発、静かに動き出す。
全国の国鉄を乗りつぶした宮脇俊三は、新しい区間にのると、背中がぞくぞくとしたそうだ。
私はこのとき、一瞬、歯をかみ締めてしまう。
ただ、最近はほとんど味わっていなかった。久しぶりの快感である。

しかし、12月の末でこの早朝では、外はまだ暗い、さらにトンネルばかりである。
三内丸山遺跡が見えるとか、見えないとかと何かで読んだことがあるが...
すぐに八甲田トンネルに入る。全長26.455kmで、陸上トンネルでは日本一、
世界では二番目だそうだ。

その昔、祖父がよく静岡から東京に連れて行ってくれたが、その度毎に、
私は、新幹線はいやだ、と駄々をこねたそうである。
そのうちの一つの理由が、トンネルで景色が見えないことだったというのを思い出した。

いつ七戸十和田駅を通過したか、わからなかった。
さらにトンネルの連続を超えると、6:41、もう八戸に到着だった。
車窓は暗く、あっけなかったが、とにかく一路線制覇である。

生きていれば、そのうちまた通る区間だろう。今度は明るいときに乗ろう!

あけましておめでとうございます

2014-01-07 | 日記
旧年中は、本ブログをご覧いただき、ありがとうございました。
本年もよろしくお願い申し上げます。

新年の富士山、詰合せ。


静岡県駿東郡長泉町 JR御殿場線 長泉なめり駅より(実家)


静岡県沼津市~富士市 JR東海道本線 原駅~東田子浦駅間


静岡県御殿場市 富士急バスより


静岡県駿東郡小山町須走 富士急バスより


山梨県富士吉田市 富士急行線 下吉田駅~葭池温泉前駅間(だったかな?)

移動していくと、山の形が違って見えるのがおもしろいですね。