講談社児童文学新人賞の、最終選考の選評が発表された。落選なのだからいいことはあまり書かれないのだろうが、初めてのことでもあり、何をいわれるのか期待しながら読んでいった。
五人の先生の選評をすべて読んでまず思ったことは、やはり読む人によって持たれる印象はさまざまなんだなということだった。ひとりか、せいぜいふたりの下読み委員による一次選考の結果など、これならばらついて当然だ。一度や二度の落選でその作品をお蔵入りさせてしまうのはナンセンスということになる。禁止されていなければ、落選確定後に、どんどん他賞に再応募すべきだ。新人賞の選考には、運の要素もかなりあると実感した。
具体的に自作に向けられた選評は、「ストーリーに山が欲しい」、「物語としての山場もあり、読ませることは読ませた」と選考委員によって逆のことをいわれたりもしているが、どれも納得のいくものだった。山場のことも、どういう点で山がほしいのか、どういう場面を一応山場と取ってくれたのか、大体見当がつく。世界観が曖昧と取られるのもわかるし、心理描写がもっとほしいというのもわかる。物語設定が類型的と取られるのも、いたしかたないと思う。
ただ自分では、上にあげたようなことはこの小説の核心ではないと感じる。たとえいわれたことをすべて直したとしても、受賞するとは思えない。逆に、編集部選考の段階で落とされてしまう気さえする。
何が核心か? さすがはトップで長く活躍されている先生だ。石井直人先生がそこを見抜いて突いている。
「ミストバレーという架空の町を自転車で走り抜ける女の子をイメージすること自体が作者の楽しみなのかもしれない。貧富の差や差別、父親探しなど、シリアスな題材が出てくるけれど、それは物語の主線ではないように思った」
まさにそうなのだ。自分の作品は、読者に深いテーマを考えさせたり、波乱万丈なストーリーを楽しんでもらったりするものではない。本を読んでいる間だけでも現実を忘れ、主人公と一緒になって物語世界を心穏やかに楽しんでもらえればいい。極言すれば、現実逃避のツールだ。
それが受け入れられるかどうか、商業出版として成り立つほどの数の読者がそういったものを求めているかどうかが、自分の小説が世間に出て行くかどうかのわかれ目になる。
きっとそういったことを編集部で読み取ってくれたからこその最終候補だろうし、最終選考でもわかってくれる先生がいた。自分が小説に求めるものなんて、簡単に変えられはしないし、書く意義にもつながることなので変える気もない。石井先生にいわれている「作者の楽しみ」が「読者の楽しみ」にもなるように、精進していくだけだ。
五人の先生の選評をすべて読んでまず思ったことは、やはり読む人によって持たれる印象はさまざまなんだなということだった。ひとりか、せいぜいふたりの下読み委員による一次選考の結果など、これならばらついて当然だ。一度や二度の落選でその作品をお蔵入りさせてしまうのはナンセンスということになる。禁止されていなければ、落選確定後に、どんどん他賞に再応募すべきだ。新人賞の選考には、運の要素もかなりあると実感した。
具体的に自作に向けられた選評は、「ストーリーに山が欲しい」、「物語としての山場もあり、読ませることは読ませた」と選考委員によって逆のことをいわれたりもしているが、どれも納得のいくものだった。山場のことも、どういう点で山がほしいのか、どういう場面を一応山場と取ってくれたのか、大体見当がつく。世界観が曖昧と取られるのもわかるし、心理描写がもっとほしいというのもわかる。物語設定が類型的と取られるのも、いたしかたないと思う。
ただ自分では、上にあげたようなことはこの小説の核心ではないと感じる。たとえいわれたことをすべて直したとしても、受賞するとは思えない。逆に、編集部選考の段階で落とされてしまう気さえする。
何が核心か? さすがはトップで長く活躍されている先生だ。石井直人先生がそこを見抜いて突いている。
「ミストバレーという架空の町を自転車で走り抜ける女の子をイメージすること自体が作者の楽しみなのかもしれない。貧富の差や差別、父親探しなど、シリアスな題材が出てくるけれど、それは物語の主線ではないように思った」
まさにそうなのだ。自分の作品は、読者に深いテーマを考えさせたり、波乱万丈なストーリーを楽しんでもらったりするものではない。本を読んでいる間だけでも現実を忘れ、主人公と一緒になって物語世界を心穏やかに楽しんでもらえればいい。極言すれば、現実逃避のツールだ。
それが受け入れられるかどうか、商業出版として成り立つほどの数の読者がそういったものを求めているかどうかが、自分の小説が世間に出て行くかどうかのわかれ目になる。
きっとそういったことを編集部で読み取ってくれたからこその最終候補だろうし、最終選考でもわかってくれる先生がいた。自分が小説に求めるものなんて、簡単に変えられはしないし、書く意義にもつながることなので変える気もない。石井先生にいわれている「作者の楽しみ」が「読者の楽しみ」にもなるように、精進していくだけだ。