来年の3月発行予定の『都留文科大学研究紀要』第95集に掲載される論文を
昨日ようやく投稿しました。
何度も書き改めました。
ここのところずっと憑りつかれていて、
このブログもすっかりご無沙汰してしまいました。
タイトルは「近代小説の《神髄》―「表層批評」から〈深層批評〉へ―」です。
今年10月、中国の杭州師範大学で行われた村上春樹の学会と、
11月、同じく中国の同済大学で行われた学会で、オンラインで講演した内容を下に、
私が長年考えてきた文学作品の〈読むこと〉の原理について整理しました。
根源的な問題、言語の発生以前から説き起こしています。
一般に近代小説は客観的現実、リアリズムを前提に、
人間の真実を探求するのが本流ですが、そのリアリズムの枠に収まらない小説群があり、
それを私は「近代小説の《神髄》」と呼んでいます。
森鷗外、夏目漱石、宮沢賢治、川端康成、三島由紀夫、村上春樹等々・・・
今回は魯迅『故郷』、宮沢賢治『なめとこ山の熊』、
森鷗外『小説論』・『舞姫』・『うたかたの記』・『妄想』・『寒山拾得』
といった近代小説の《神髄》と呼ぶにふさわしい作品を取り上げ、
副題にもある〈深層批評〉を試みています。
これは読む対象とは何かを説き起こしたものです。
二十世紀の後半、ニュークリティシズムからテクスト論に移行していく際、
混乱昏迷のまま、客体の文章とは何かが問われずに終わっていたものを
原理論から説き起こしました。
今月23日には、鶴見にある橘幼稚園に講演に行きます。
幼稚園の先生たちに言葉と子どもの育ちについて話をする予定です。
昨日ようやく投稿しました。
何度も書き改めました。
ここのところずっと憑りつかれていて、
このブログもすっかりご無沙汰してしまいました。
タイトルは「近代小説の《神髄》―「表層批評」から〈深層批評〉へ―」です。
今年10月、中国の杭州師範大学で行われた村上春樹の学会と、
11月、同じく中国の同済大学で行われた学会で、オンラインで講演した内容を下に、
私が長年考えてきた文学作品の〈読むこと〉の原理について整理しました。
根源的な問題、言語の発生以前から説き起こしています。
一般に近代小説は客観的現実、リアリズムを前提に、
人間の真実を探求するのが本流ですが、そのリアリズムの枠に収まらない小説群があり、
それを私は「近代小説の《神髄》」と呼んでいます。
森鷗外、夏目漱石、宮沢賢治、川端康成、三島由紀夫、村上春樹等々・・・
今回は魯迅『故郷』、宮沢賢治『なめとこ山の熊』、
森鷗外『小説論』・『舞姫』・『うたかたの記』・『妄想』・『寒山拾得』
といった近代小説の《神髄》と呼ぶにふさわしい作品を取り上げ、
副題にもある〈深層批評〉を試みています。
これは読む対象とは何かを説き起こしたものです。
二十世紀の後半、ニュークリティシズムからテクスト論に移行していく際、
混乱昏迷のまま、客体の文章とは何かが問われずに終わっていたものを
原理論から説き起こしました。
今月23日には、鶴見にある橘幼稚園に講演に行きます。
幼稚園の先生たちに言葉と子どもの育ちについて話をする予定です。